第27話  まずい状況に陥っている

 戦争は、始めるのは簡単だが終わらせるのが死ぬほど難しい。両者の被害が甚大になればなるほど、落とし所を見つけるのに四苦八苦するようになり、そうして時間が経過していく間に、積み重なる死体の数が目に見える形で多くなっていく。


 敵を完膚なきまでにやっつけるのなら、最短でことに当たるべきであるし、両者の被害が最小で収まるのが望ましい。


 内政に失敗し、国力が衰えたザイストを相手にするのなら、ずるずると長く続くような戦いは忌避するべきだ。長く続く戦いは僕向けではない、短期で決着をつけるやり方こそ、僕が得意とするところなのだ。


「閣下、敵軍が進軍を開始、半時でスヘルデ川の渡河を開始するでしょう」


 司令官の結婚ということで浮き足立つ国境警備兵たちの様子を散々眺め続けた敵はこれを好奇と捉え、我が国への進軍を開始した。


 ことの始まりはマリータ・スラウスの生家があるカテド村、この村の視察をしようと思ったことが転機となった。


 ティルブルクに派遣される上級将校は、同棲をするような深い関係になった女性に対して調査が入るような形となる。隣国ザイストからのスパイが多く入り込んでいるティルブルクでは、過去にも軍部の情報が抜き取られたことがあるからだ。上級将校ともなれば、軍の機密を知ることも多く、寝物語として敵方に流すなんてことが稀にある。


 バルトルトは恋人のフローチェの他に、フローチェの元恋人であるダミアンと、フローチェから恋人を奪ったマリータに対しても調査をするように命じた。


 本来であれば、敵軍と衝突が増えているスヘルデ川上流のみの視察となるところを、あえて下流に足を向けたのは、川の畔にあるカテド村にあるマリータの生家を見てみたいと思ったから。


 バルトルトは村に足を踏み入れてまず気が付いたのは、村の住民がバルトルトたち軍人に対して異様なほどの警戒心を露わにしていること。


 村の顔役となるマリータの実家にも顔を出したのだが、

「昔は隣国との交易で栄えた村ですけど、国交が断絶してからは魚を獲って生計を立てるしかない、誰にも気にされない貧乏な村ですから」

と言って、マリータの父親は皮肉な笑みを浮かべていたが、その内情は意外なほどに豊かなようにバルトルトには見えた。


 村の中でも明らかに貧しい部類に入る少年に声をかけたのは、漁で成り立つ村にしては村人が豊かすぎるように見えたから。


明らかに村の恩恵から外れていると思われる少年を村から連れ出し、金を渡して話を聞いたところ、少年は、スヘルデ川が徒歩での渡河が可能となるほど水深が浅くなっている場所があると言い出したのだった。


「二年前の洪水と土砂崩れで川の流れが変わったんだ。村長の一族はその情報を隣国に売って金を手に入れたし、川についてはもう誰にも言うな、黙っていろと言われたんだ。だけど、どうやら、敵さんがこっちに進軍して来るみたいで」


 敵の進撃を受けて助かるのはカテド村だけ、近隣の村から嫁いできた女たちは、家族を村に呼び寄せるべきかどうかを悩んでいるのだが、村長は絶対に他所の村から人を招き入れるのは許さないと言っているらしい。


 少年から言われた川底を密かに調べてみれば、腰まで水に浸かることにはなるが、馬や徒歩での渡河が可能。水深が浅くなった部分を利用して、多くの人間がゴーダ側に侵入しているらしく、ブローム会計事務所に勤めるマリータが事務所の情報を敵側に渡していることも確認できた。


 フローチェが務めていた会計事務所は軍部の仕事も一部請け負っている関係で、意図して情報を抜き取れば、軍部に所属する兵士の数など簡単に推察することが出来るだろう。


 そこで、ドミニクス所長と結託して、マリータに対して嘘の情報を流していく。


 バルトルトの指揮下に入る国境警備隊は使えない。敵の間諜の侵入を許しているし、フォンティンドルフ領の貴族たちも、警備兵の中の一部の過激派についても、敵と通じている証拠がすぐさま挙がるような状態なのだ。


 であるのなら、司令官として敵を踊らせる情報を隅々にまで行き渡らせ、司令官の慶事を餌として、隣国の大魚を釣り上げる。


 ティルブルクに配属された司令官が結婚式を挙げるそのひと月後、王都から大軍が派遣されることになる。隣国の動きを警戒して大軍を動かすことになるのだが、司令官は自分の蜜月をしっかりと楽しんだ後に、軍を動かしていくという判断を下した。


 であるのなら、敵はこれを即座に利用しようと考えるだろう。


 国境警備隊には、軍の動きは知らせない。動かすのはほんの一部の兵士だけ、大方の人間は司令官のわがままに付き合わされたと思いながら、敵国が侵入を果たす日に全体警護を街の中に敷いていく。


 スヘルデ川の上流で隣国ザイストとの衝突が起こっていたが、これはあくまで下流に目を向けさせない為の敵方の作戦に過ぎない。

 スヘルデの大河の水源は幸いにもゴーダ王国の山中にあるため、更に上流にある川の水を堰き止め、ダムを作り上げていく。


 敵軍との衝突が一番多い渓谷は川幅が一番狭くなるため、そこは爆破をして広げることにした。渓谷の爆破を合図にして上流のゲートを開放する。

 日が暮れかかったスヘルデ川の水位は異様なほどに低くなっていた為、敵軍は渡河が簡単だったことだろう。


 3万の敵が通過をした時点で渓谷を爆破、ゲートを解放、放水を開始し、渡河の途中であった敵の兵士たちを押し流していく。近隣の領地から集めた領主軍、王国軍合わせて3万を潜伏させて敵軍の殲滅を図る。同数しか用意しなかったが、あっさりと駆逐することが出来るだろう。


 川の放水とほぼ同時に、隣国のヌーシャテル領では民衆によるクーデターを引き起こす。ティルブルクの顔役でもあるドミニクス所長の伝手を使って、隣国と縁ある人間を次々と送り込んで行ったのだ。


 会計事務所に勤める若手二人も隣国送りにして、クーデターを起こす手伝いをさせている。武器弾薬はこちら持ち、ヌーシャテル領の領主は殺して良いと許可を出している。


 川を渡らず残った兵士は、敵国に潜入させたゴーダ王国軍五千で殲滅する予定。その後はスヘルデ川に簡易の橋をかけて、我が軍をヌーシャテル領へと進軍させる。


 ヌーシャテル領はゴーダ王国の占領地としている間に、ザイスト王国の王都オパヴァでもクーデターを引き起こす。内政に失敗した王家の求心力はいずれも低い、付け入る隙というのはそれこそ山のようにあるのだ。


「閣下、上流より報告、ゲートを開放」

「水流放出後、スヘルデ川下流の水位上昇、渡河中の敵兵二千近くが川に流されました」

「敵の分断に成功、我が領土に踏み入りし敵軍の駆逐にかかります」


 部下から届く報告を聞きながら教会の祭壇の前へと移動する。

 深紅の絨毯が敷かれたバージンロードを、会計事務所の所長にエスコートされてフローチェが祭壇前へと移動してくる。


 ベールで顔が隠れている時には気が付かなかったけれど、誓いのキスの時にベールをあげたバルトルトは、驚くほど肝が冷えることになったのだ。


 到底、幸福な花嫁とは思えない彼女の表情を見下ろしたバルトルトは、思わずその場で彼女のほっそりとした体を掻き抱きそうになってしまった。

 こぼれ落ちた涙を見て、ゾッとするほどの恐怖を感じたのだった。


「まずい、まずい、まずい、まずい」


 焦りばかりがバルトルトの胸の中に降り積もっていく。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る