第26話 あなたは愛すると言うけれど
「バルトルト・ハールマン、貴方は生涯に渡って妻となるフローチェ・キーリスのことを愛し、敬い、大切にすることを誓いますか?」
「誓います」
「フローチェ・キーリス、貴女は生涯に渡って夫となるバルトルト・ハールマンのことを愛し、敬い、大切にすることを誓いますか?」
「誓います」
「これにて神の御前にて誓い合った二人を正式な夫婦であると証明する。教会は常にあなた達の幸せを祈り、愛ある生活を送ることを神に約束しよう」
大振りな動作でいつも通りの言葉を吐き出し続ける祭司長の姿を眺めていたフローチェは、バルトルトと誓いのキスを交わして、参列者の方へ体の向きを変えた。
貴族達が集まる席では、若い淑女達が文句がありそうな表情を浮かべて新婦であるフローチェを睨みあげ、不満の言葉を口の中で呟いているように見えた。親世代の地元貴族や、前列に並んだ上級将校達は満面の笑みを浮かべて拍手をする。
最後までフローチェを支えてくれた護衛のカルラやバルトルトの兄となるファビアンに会釈を送り、会計事務所の所長であるドミニクスとそのご家族、親友のミランダと恋人のポールや大家さん一家に笑顔を向けながら、教会の外へと移動をする。
教会の前には四頭立ての馬車が待ち構えており、これに乗ってバルトルトとフローチェがパーティー会場まで移動することになる。
花嫁姿のフローチェを軽々と抱き上げたバルトルトは、
「フローチェ、誰にも見せたくないほど綺麗だよ!」
と、耳元で囁きながら馬車に乗り込み、式に集まってくれた人々に手を振った。
純白の軍服の礼装に身を包むバルトルトは麗しい、麗しすぎる夫の膝の上に、馬車の中に移動後も座り続けたフローチェは、
「降りてもいいですか?」
と、情けない声で訴えた。
「嫌だ、降ろさない」
バルトルトはぎゅっとフローチェを抱きしめながら、彼女の首元に自分の額を押し付けた。
「君は僕の花嫁のはずだよね?」
「はい、そうです」
「だというのに、何でそんなに嬉しそうじゃないの?」
「ええ?」
嬉しそうじゃない?その言葉に、フローチェは自分の胸を掻きむしりたくなってきた。
最初は、確かに結婚するということに対して浮かれていた。あまり細かいことについては考えていなかったとも言える。
こんな私でも一度は結婚出来るということだし、楽しいならそれでいいじゃないかと、達観した思いでいたのだが、日が経つにつれて、概ね、毎日は辛いことで埋め尽くされていくことになったのだ。
まず第一に、自分は平民身分だというのに、相手の爵位が高すぎた。
結婚式に参加するということで、多くの貴族令嬢がティルブルクの街にやってくることになったのだが、顔を合わせたこともない令嬢たちから、
「あなた、平民の癖に司令官の妻になろうだなんて、バカみたいなことを言い出した人なのでしょう?」
「浅ましい、恥を知りなさい」
「分不相応だというのが、頭の空っぽな貴女には分からないのかしら?」
と言われ、飲み物を頭からかけられるなんてこともされたのだが、相手が何処の誰なのか分かりようもないから、訴えることも出来ない。
「あれが噂の司令官の女だろ?」
「毎日、相手を取っ替え引っ替えの尻軽女らしいじゃないか?」
「俺でも相手にしてくれるのかな?」
どうやら、兵舎の中で根も葉もない噂が蔓延しているようで、フローチェは買い物の途中でよく分からない男に手を掴まれて、何処かに連れて行かれそうになったのだ。
「結婚相手が相手だから、有名税ってこともあるんだろうけど、気を付けなくちゃダメよ!」
その時はたまたま、ミランダと恋人のポールが一緒に居たため、ことなきを得たものの、その時の恐怖から外を一人で歩けなくなってしまったのだ。
外に出られなくなったフローチェは、バルトルトと共に本営にある彼の執務室に出向くことになったのだが、男性の視線が怖くて仕方がないため、護衛としてカルラ・バッケルを付けてもらうことにしたのだった。
そのうちに、結婚式で花嫁が身につけられるようにと、豪奢なベールと高価すぎるアクセサリーを携えて、バルトルトの兄であるファビアンが沢山の使用人と共にティルブルクまでやって来てくれたのだ。
その為、フローチェの安全は確保されるようになったものの、今度は、バルトルトの兄を愛人として引き込んでいると言われるようになってしまった。
そうして、バルトルトと過ごす時間がどんどん少なくなっていく中で、フローチェの心もどんどん削り取られていくことになる。
「フローチェ、愛してる」
そう言ってバルトルトに抱きしめられても、空っぽの心の中が埋まらない。
「フローチェ、これで君は僕の妻だ。生涯、君を愛することを誓うよ」
なんという空っぽな言葉なのだろうか。
「バルトさん、私も愛してる」
私の心に愛は満たされないけれど、私の言葉でバルトさんの心は満たしてあげる。
貴方が今、幸せであればそれでいい。
この時のことを思い出して、ああ、あの時は幸せだったな思ってもらえればそれでいい。
笑顔、笑顔、笑顔、私の笑顔をバルトさんの思い出の中に刻み込んでもらうの。
強く抱きしめ合った後に、満面の笑みを浮かべながらフローチェはバルトルトの精悍な顔を見つめた。その時に、涙がポロリと溢れてしまったのは仕方がないことだと思う。
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