第25話 君は幸運の女神
友人のマリータから司令官の妻となる人がとんでもない悪女であると説明を受けたエスメルは義憤に駆られていたのだ。
今日は司令官の結婚式で、国境警備隊全員が警邏につくことになるのだが、エスメルは腹痛を訴えて休むことにした。
「司令官の妻となるフローチェ・キーリスって奴は、本当に悪い奴なの。司令官の奥さんになっちゃったら大変なことになると思うの!そもそも平民なんだよ?奥さんとして不適格なのは間違いないじゃない!」
本当にその通り。何のきっかけで結婚まで考えるようになってしまったのか理解に苦しむが、軍の関係者でもなく完全なる一般人で、実は男関係にだらしなく、忙しい司令官の不在の間は、屋敷に別の男を引っ張りこんでいるというのだ。
エスメルもこっそりと確認したのだが、司令官の結婚相手が現在浮気をしているのは黒髪の美丈夫で、司令官自身も格好良くて仕方がないというのに、何故、それ以上の美形を引っ張り込めるのかと疑問に思わずにはいられなかった。
エスメルはそれがバルトルトの実の兄だなどと知る由もない。兎にも角にも、浮気を続けている悪い奴なのは間違いないのだから、悪いことは悪いと主張し、司令官を魔の手から逃さなければならない。
ポープロ教会で式を挙げる姿を遠目に眺めたエスメルは、やはり教会では手が出しづらいと判断した。式の後は、高級レストランでの立食パーティーとなるため、悪女を成敗するのはパーティーの最中が適当だろう。
暗闇の中、パーティー会場へとエスメルが移動をすると、数人の男たちを連れたマリータが美しいドレスを身に纏った状態で現れた。
貴族の令嬢と比べても遜色ないほど可憐で可愛らしいドレスを着るマリータは、軍服姿のエスメルを確認すると、
「うん!完璧だね!」
と、笑顔で言い出した。
「エスメルは、お友達を緊急の案件だと言って誘き出す。私たちはその間に、悪女を捕まえて連れ出してしまう。悪女は形ばかりの花嫁だから、居なくなっても何の問題もないし、万が一、司令官が逃げられたショックで落ち込んでいたら、そこを慰めるのがエスメルの役目だからね?わかった?」
司令官の結婚相手をパーティーの最中に連れ出して、やっぱり他に愛する人が居るから、貴方とは一緒に居られないという手紙だけ残しておくつもりなのだ。
立食パーティーとはいえ、化粧を直したり、髪型を整えたりと、新婦が席を外すことは度々ある。その際に連れ出すのは簡単なことであるとマリータは言うし、自分は浮気三昧の女性から司令官を救い出す任務についているようなものなのだ。
正義は我にありと思い込んでいるエスメルは、すべて上手くいくだろうと思っていた。マリータの後に居る五人の男のうちの一人が挙動不審になっていることになど全く気が付く様子もなく、エスメルは奮起するように両手をグッと握りしめた。
◇◇◇
ゴーダ人ってバカばっかりなんじゃないかしら。
こんな時期に無理矢理、結婚式を強行する司令官とやらも大馬鹿だけど、その司令官の結婚相手が未だに誰かも分かっていないダミアンも大馬鹿だ。
あの堅物のフローチェのことを浮気三昧の平民女だと信じ込むエスメルも大馬鹿だし、司令官の結婚だ、祝いだとはしゃいで出ていく兵士たちの無能さよ。
こんなバカみたいな地域、さっさとザイストに征服されてしまえばいい。
「マリータ、マリータ」
招待客に紛れるようにして、レストランの周囲を散策していたマリータは、呼び止められた闇の方へと足を向ける。
いつでもマリータをサポートしてくるルドルフは、屋台の店主のような格好ではなく、燕尾服を身に纏っていた。フォーマルな衣装をきっちりと着こなす二人の姿は招待客にしか見えないだろう。ルドルフはマリータを抱き寄せながら耳元に囁いた。
「首尾は?」
「上々よ」
マリータはルドルフから少し離れて、口元を扇子で隠した。
「司令官の結婚だと言って、国境警備隊の面々はお祝いのために外へと出てしまって、兵舎はガラガラだったわ。みんなでお酒を飲みに行くんだって言って、大勢が出ていく姿も確認しているし、街の中はお酒を飲んで兵士たちが大騒ぎするんじゃないかってことで、ビクビクしているような状況よ」
「実際にバルトルト・ハールマンが教会で式を挙げる姿は確認してきた、軍の主だったメンバーも全員出席していたな。新婦を誘拐する手筈はどうなっている?」
「警邏隊の一人を抱き込んでいるの、そいつに誘導させて中に入り込むつもり」
「うまくいきそうか?」
「大丈夫よ!」
マリータは不敵な笑みを浮かべた。
「国境はどうなの?」
「5万の兵士を動かしている、こちらの勝ちで決まりだ」
「貴方はこれからどうするの?」
「スヘルデ川へと向かう」
ルドルフは、司令官であるバルトルト・ハールマンの結婚式はゴーダ王国へ攻め込む最大の好奇だと判断した。
今まで潜り込ませていたマリータや間諜の報告から判断するに、国内の情勢が不安定となったザイストを警戒したゴーダは、大軍を国境付近に展開する予定でいる。大軍同士のぶつかり合いとなれば戦が長引くのは必定。国力が衰えたザイストとしては、短期決戦を仕掛けて、ゴーダのフォンティドルフ領を切り取りたい。
穀倉地帯となるフォンティドルフを占領下に置けば、ザイストの食料事情も一旦は解決することになるだろう。
結婚式という慶事を寿ぐために集まった有力貴族たちを一網打尽にし、5万の兵士でフォンティドルフの領都を抑える。バルトルト・ハールマンが油断ならないと皆が言うが、彼が溺愛しているという女をこちら側に取り込めば、奴もこちら側の言う事を聞かざるを得ない状況に陥るだろう。
「ルドルフ、私たち、幸せになれる?」
「もちろんなれるとも」
ゴーダ側に間諜として入り込んだルドルフに、スヘルデ川の水位の変化を教えてくれたのがマリータだった。ルドルフはマリータだけでなく、彼女の家族を取り込み、金を与え、決してスヘルデ川についての情報をゴーダ側に流さないように情報統制を行った。
マリータはルドルフの手駒として色々と働いてくれたものだが、フォンティドルフを占領下とした暁には、部下の一人にでも下げ渡すことにしよう。
金が何よりも大好きなマリータの一族を最後まで面倒を見る気はさらさら無い、部下も適当に差配してくれることだろう。
「マリータ、君は幸運の女神だ」
ルドルフにとって、確かにマリータは幸運の女神だった。
熱烈なキスを交わしながら、冷めた眼差しで彼女の顔を見下ろした。
確かに幸運の女神だった。今日までは、フィンティドルフ領を征服するまでは。その後のことについては、ルドルフは関与する気はかけらも無い。
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