第21話  それでいいのだろうか?

 司令官として赴任したバルトルト・ハールマンと同時期にティルブルクに赴任することになったカルラは古参の女性兵士で、バルトルトとの付き合いは意外と長い。


 ティルブルクに赴任してきて以降、仲が良くなったエスメルとは違って、玉の輿など全く狙ったことがないカルラは、バルトルトをただの上官としか思わないし、その辺りがバルトルトにとっても使い勝手が良いと考えられているようだ。


 マルタ騎兵隊出身でもあるため、一般の女性兵士のように後方支援に回ることがないカルラは、前線に出て戦うことが多い。その為、ここ最近、隠密理に近隣の兵士が国境付近に配備されていることも知っているし、王都から精鋭が次々と送り込まれていることにも気が付いていた。


 ティルブルク国境警備隊のほとんどの兵士がゴーダ王国軍の動きを知らないし、

「司令官が結婚てマジか!」

「準備期間がほとんど無いらしいぞ?電撃婚にも程があるだろうに!」

 新しく赴任してきた司令官の結婚話しに夢中になっているのだった。


 バルトルト・ハールマンの結婚はカモフラージュで、その裏で大きな戦いが始まろうとしている。

「司令官は騙されているのよ!悪女に引っかかってしまったんだわ!」

 なんて話で呑気に盛り上がっている女性兵士たちを後ろから何度ど突いてやろうと思ったか。


 近々、間違いなく、隣国ザイストとの本格的なぶつかり合いが始まる。戦争前夜のピリピリとした緊張感を一人で感じていたカルラは、バルトルトの側近であるアダム補佐官に呼び出されて司令官の執務室を訪れることになったのだ。


 どんな命令を受けることになるのか緊張をしながらカルラが扉を開けると、部屋の窓から外を眺めていた女性が振り返り、花の妖精のような可憐な笑みをその口元に浮かべたのだった。


 司令官室にはその女性一人しかおらず、思わず敬礼をしながらカルラは挙動不審となってしまった。


「カルラ・バッケルさんですよね?私、バルトルト・ハールマンと結婚する予定のフローチェ・キーリスと申します」


 司令官の結婚相手は平民だと聞いていたのだが、目の前の女性は綺麗なカーテシーをすると、バルトルトは多忙で遅れてくるから待っている間、少し話をしようと言って、歓談用のソファに座るようにカルラを促したのだった。


 どうやら勝手知ったる執務室のようで、フローチェは手際良く紅茶と焼き菓子をテーブルの上に用意をすると、

「バルトさんから聞いたんだけど、兵舎内で私の無いこと無いことが噂されているっていうのよね」

と、ため息をつきながら言い出した。フローチェの『無いこと無いこと』に引っかかりながらも、カルラは先を話すように促した。


「軍部で私の悪い噂が流れていることについてはどうとも思わないんだけど、私の護衛につく予定のカルラさんが噂を信じて、私を蔑ろにするようだったら困るってバルトさんが言い出して、だったら護衛なんか要らないと言っても彼は言うことを聞かなくて」


 もう一度、大きなため息をフローチェは吐き出すと言い出した。


「私もティルブルクの女だから、今回行われる結婚式が正式なものであるなんて考えていないの。勢いでやるということになったけれど、彼がね、王都に帰ることになったら、きっと即座に離婚になるだろうなって考えているの」


 過去、二度ほど痛い恋愛を経験し、バルトルトとは勢いで交際を開始し、勢いで結婚式を挙げることになったフローチェだったけれども、彼女は彼女なりに現実を見つめているつもりでいたのだ。


 今は辺境に居るから愛されていたとしても、王都に帰れば自分よりも素晴らしい女性が山ほど居るし、身分も確かな淑女が後妻でも良いからと山ほどやってくることになるだろう。そうしたら、田舎から連れてきたちょっとお気に入りの女など、飽きて捨てるのは目に見えていることだった。


 そうして捨てられる女が多いから、ティルブルクでは王都からやってきた男との恋愛をそこまで本気には捉えない。会計事務所の所長が、いつでも事務所に戻って来て良いんだとしつこい位に言い出すのも、アパートの大家さんが、いつフローチェが戻って来ても貸し出し出来るように部屋は用意してあげると言い出すのも、王都に行ったティルブルクの女があっさりと捨てられる姿を何人も見ているからだ。


 今はバルトルトが夢中だったとしても、それはあくまでもいっ時のもの。いつかは捨てられるのなら、楽しい思い出だけがあればいい。

 結婚式の花嫁衣装も新しいものは必要ない、無駄なお金を使うくらいなら将来に備えて貯蓄に回したいと考えるのがティルブルクの女なのだ。


「あ・・あのー、司令官が遊びとか、軽い気持ちで貴女との結婚を決めたのだとお考えなのでしょうか?」


 カルラの質問にフローチェは困り果てたような表情を浮かべた。

「遊びってことはないと思うの。だけど、今、限定で、彼は自分の結婚について前向きなだけだと思っているの」


「そうですか」


 それでいいんだろうか?と、思いながらも、当事者ではない自分に何かが言える訳がない。そもそも、バルトルトが、自分の結婚式をカモフラージュとして、何かの作戦を行おうとしているのは確かなことなのだ。二人の関係が期間限定だとするのなら、そういうことなのだろうとカルラとしては思うしかない。


 バルトルト・ハールマンは情報戦が得意だということは身に沁みて良く知っているカルラとしては、この結婚が作戦のうちのひとつであると判断している。そんな中で、バルトルトがフローチェを守れと言うのなら、命に変えてでも守る覚悟は出来ていた。


「まだ、直接の命令は受けておりませんが、フローチェ様の護衛の任を受けるということであれば私に否はありません。この命に変えてもお守り致したいと考えます」


「命に変えなくても大丈夫よ、どうせ私なんて死んでも悲しむ親族は一人も居ないのだし」


 投げやりすぎるフローチェの発言に、カルラは太めの眉毛をハの字に開いた。この人は、今回の作戦についてどれほど理解しているのだろうか?理解した上で、国を守るために死ぬのも厭わぬ覚悟を見せているということなのか。


 どうにも噂で聞いた人物像と齟齬が生じているように感じたカルラが気を取り直すために紅茶に口をつけると、廊下の方が何やら騒がしくなってくる。


 会議を終えたばかりといった様子のバルトルトは自分の執務室へと入ってくると、ソファから立ち上がったフローチェを引き寄せるようにして抱きしめた。


 後から入ってきた補佐官のアダムが大きなため息を吐き出すと、フローチェの頭に何度もキスを落としたバルトルトが、後を振り返って、

「やっぱり王都に帰っていい?もう、自分たちで大体回せるよね?」

と、無茶苦茶なことを言い出した。


 バルトルトがティルブルクに居るのを嫌がっている。つまりは、自分の恋人であるフローチェに危機が迫っているということだろう。


「カルラ・バッケル、貴様にキーリス嬢の護衛を任せたい。式を挙げるまで泊まり込みでの警護となるが出来るか?」


 アダムに問われたカルラは即座に立ち上がり、敬礼をしながら口を開いた。

「問題ありません!命に変えてお守り致します!」

 カルラの方を振り返ったフローチェは形の良い眉をハの字に広げ、フローチェを抱きしめたバルトルトが、

「嫌だ!フローチェを一人にはしない!」

 惨めたらしく抵抗を続けている。


 隣国との戦争が始まる。第一級の護衛対象として自分は未来の司令官夫人を守らなければならないようだ。

 

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