第20話  新しい恋人はだれ?

「えええ?フローチェが最近付き合いだした新しい男が誰なのか教えて欲しい?」


 マリータの質問に、同じ会計事務所に務めるミランダはあからさまに顔を顰めると、

「知らない、誰と付き合っているんだろうね〜?」

マリータに一切の視線も向けずに、冷たい口調で答えると、自分のデスクへと戻って行ってしまったのだった。


 フローチェの恋人だったダミアン・アッペルを奪って以降、会計事務所で働く女性職員の全員がマリータを無視しているのだった。質問をして答えてくれるのはミランダくらいで、それでも、視線をマリータに向けることは絶対にない。


「スラウス君、この資料をまとめてくれるか?」

「はーい所長!了解でーす!」


 周囲との軋轢を避けるためか、フローチェが仕事を辞めた数日後から、マリータは個室で仕事を任されるようになっている。


 最近は軍関連の会計資料をまとめさせてくれるから、情報を引き出すのに苦労することは無くなった。だけれども、若手の男性職員であるキストとベレンセが迷惑をかけた商会へ揃って派遣されて以降、マリータは職場での居場所がなくなっているように感じている。


「はあ・・珈琲でも取ってこようかな・・」


 窓もない個室での作業にうんざりとしたマリータが立ち上がって部屋の外に出ると、女性職員数人の声が廊下の向こう側から聞こえてきたのだ。


「フローチェが別れた時にはどうしようかと思ったけど、今度の相手は将来有望の司令官様なんでしょう?ミランダは会ったことがあるんだっけ?」


「一回食事をしたかな。そこで紹介されたんだけど、むちゃくちゃ素敵な人だった!」


「結婚式で顔が見れるよねー!楽しみー!」

「マリータには黙っててね!予定通り式を挙げるだなんて知ったら、どんな邪魔をするかわかったものじゃないから!」


「それね!あの娘は本当に性悪だもの!」

「所長もそれで個室に移動させたんでしょう?」


「どれだけ男に媚びを売って生きてるんだろって思うんだけど、キストとデルクが居なくなったあとのあいつの顔ったら見た?」


「本当!下僕が居なくなって私たちは清々しているけど、あの娘は寂しくって仕方がないんでしょうね」

「フローチェ先輩が虐めるんです〜!」

「似てる、似てる」



 フローチェ・キーリスの新しい相手が、辺境警備隊を統括する若き司令官。確か名前はバルトルト・ハールマンよね?何でそんな大物と式を挙げるってことになるわけ?いくらダミアンと式を挙げる予定だったからって、相手を変えてまで強行する?


 自分を心配そうに見つめる桃色の瞳を思い出すだけでマリータはイライラする。フローチェは自分よりも遥かに格下の存在で、結婚間際まで行った男に捨てられて、路頭に迷った挙句に娼館あたりに流れ着いて、嬌声でもあげていりゃあ良いものを、何でそんな大物に手を出しちゃってるわけ?意味がわからないんだけど!



 作業室に戻ったマリータは、頼まれた書類を簡単にまとめてファイルにすると、所長室まで持って行き、

「所長〜、すみません。私、今日は具合が悪くて・・申し訳ないんですけど、早退きさせて頂きたいんですけど〜」

と、新緑の瞳を涙で潤ませながら訴えた。


 ドミニクス所長は、マリータの早退を許してくれたものの、早めに事務所から引き上げていく姿を見つめる女性職員の視線が氷のように冷たい。


 居心地の悪い会計事務所を飛び出したマリータはその足でパン屋に向い、サンドイッチを二人分購入すると、国境警備隊が所有する女子寮の方へと足を運ぶことにしたのだった。


 ゴーダ王国の北部に広がるリギ山脈には、異民族とされるウシュヤ族が住み暮らすため、衝突が度々起こるような地域となる。女性騎士のみで編成されるマルタ騎兵隊の活躍は有名であり、王国民に広く語り継がれているのだった。


 ライフル銃や野砲の開発によって戦いの形が変ったものの、ゴーダ王国では各部隊に女性兵士が配属されている。


 ティルブルク国境警備隊に配属されているエスメルは第十二部隊に所属し、街を警備して回る警邏の役を担っている。暴漢からエスメルに助けられたマリータは、以降、エスメルとの交流を深めているのだが、今日は彼女が夜勤明けの休日、噂を仕込むのに丁度良いと考えたのだった。


「あれ〜、マリータは今日仕事じゃなかったの〜?」

「急にお休みが取れたから、遊びに来ちゃった!」


 女性兵士のエスメルは男爵家の四女で、貧しい家の家計を助けるために軍に所属している。彼女が玉の輿希望で、最近ではハールマン司令官を狙っているなんて話をマリータは酒の肴として聞いていたのだった。


「ねぇ〜、エスメルが言っていたハールマン司令官なんだけど〜、どうやら結婚するみたいだよね〜」


 招き入れられたマリータが、小さなキッチンに置かれたテーブルにサンドイッチを置きながら声をかけると、ドンッと音を立てながら珈琲ポットがテーブルの上に置かれた。


「そうなのよ!信じられない!結婚式にはお偉いさんしか参加しないから私たちには関係ないんだけど、それにしても急に結婚よ!本当に信じられない!司令官たら騙されているんじゃないかしら?」


「さっき知ったんだけど〜、その司令官のお相手って、私の職場の元上司みたいなんだよね」

「嘘でしょう!散々マリータのことを虐めたとかいう性格最悪女だよね?」


「元々は、ダミアン・アッペルさんとお付き合いしてて〜、結婚の約束とかしていたみたいなんだけど〜」


「ダミアンって懲罰人事で降格処分を喰らって、うちの第十二部隊に配属されたあのダミアン・アッペル?」


「そうそう、うちの先輩、会計事務所に勤めて長いから、ダミアンさんに備品請求の時に裏技とか教えて、お金を搾取していたみたいなんだよね」


「嘘でしょう!横領?軍で横領しちゃってたの?だからトイレ掃除?よく牢屋に入れられなかったな」


「ほら、うちの先輩、司令官と付き合っているから、そこの所が公になると色々と面倒になるからって、だから牢屋行きも免れたんじゃないかなぁ」


「嘘でしょう!超闇じゃん!え?なに?それじゃあ、その先輩は横領がバレて使いものにならなくなったダミアンは捨てて、司令官に鞍替えしたってこと?すごくない?」


「本当に信じられない話だよね〜」


 マリータは興奮に瞳を輝かせるエスメルを眺めながら、一人、ほくそ笑んでいた。


 ダミアンに横領の方法を教えたのはマリータだし、フローチェからダミアンを奪ったのもマリータだ。マリータはそんなことはおくびにも出さずに、フローチェの噂話を女性兵士として働くエスメルに向かってばら撒いていく。


 女性はどんな職業であっても噂話が好きだ。しかも、それが自分たちの憧れの存在である上官に絡んだ話であれば、噂はあっという間に千里を駆けることになるだろう。


 その噂を誰が信じようが、信じなかろうが関係ない。


 フローチェを再び罠に嵌めて落っことし、今よりも上ランクの男をマリータがゲットする。周りの人間はポッと出の平民が司令官の妻になることなど許しはしない。それが、問題を抱えた悪女であれば尚更、拒否反応を示すだろう。


 この後、一体誰にこの話を伝えようかと頭の中でクルクルと計算しているエスメルを眺めながら、マリータは笑顔でサンドイッチを頬張ったのだった。


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