第18話  また奪ってやる

「フローチェ、そういえばお客さんから貰った焼き菓子があったから、ハールマン司令官にお出ししてくれるかい?」

「あっ!お茶菓子があったんですか?気が付きませんでした!」


「奥の棚の方に包装されたままで置いてあるから、それを出してくれるかい?」

「わかりました!ちょっと行って持ってきますね!」


 ソファから立ち上がる際に、バルトルトの頬にキスを落としたフローチェの姿を眺めたドミニクスは、不安が暗雲となって自分の胸の中に広がっていくのを感じた。


「閣下、戯れでフローチェと結婚されるおつもりですか?」

「戯れじゃないよ。だって、結婚は勢いとタイミングだって良く言うでしょう?」


 ドミニクスの方へと顔を向けたバルトルトは冷徹な表情を浮かべると、

「君は、カテド村近くのスヘルデ川の水位が低くなっている事を知っていたかな?」

 と言って皮肉な笑みを浮かべた。


「大河スヘルデは長年、ゴーダとザイスト、両国間を遮っていたのだが、二年前の大雨による災害以降、川の流れに変化が生じて、それこそ大軍の渡河に問題がないほど、一部の水位が低くなっているんだよ」


「カテド村ですか?」


 隣国ザイストとの衝突が、川幅が狭くなる川の上流部分で増えていただけに、上流にばかり目が行っており、下流に対しては警戒が薄くなっていたのは間違いない。


「隣国側から土砂が流れ込んできた関係で、我々としては気が付きづらかったんだろうな」

「その情報が隣国側に売られたということでしょうか?」


「ザイストはすでにその情報を手に入れている、我が国に大軍を送り込む準備を始めているんだよ。現状、奴らが今考えていることは、いつ、こちら側に攻め込むかといったところかな?」


 ゴーダ王国側に大軍を差し向けられれば、ティルブルクは即座に戦禍に巻き込まれる事になるだろう。


「ティルブルクの顔役でもあるドミニクス・ブローム、君には敵側には転ばない、信頼のおける者を集めて欲しい。隣国のヌーシャテル領に親族や懇意にしている者がいれば、いるだけ連れて来て欲しい。私はヌーシャテルをこちら側に転がせるつもりだ」


 スヘルデ川を挟んだ向こう側に広がるのがザイスト国ヌーシャテル領となるのだが、領主が変わってからここ数年、飢饉とそれに続く重税に喘ぎ、民の不満が爆発寸前となっていることをドミニクスは知っている。


 国交が開いていた時には、ティルブルクと川を挟んだ向こう側にある国境の街トゥーンとは数え切れないほどの行き来があったのだ。もちろん、あちらに親族を置いたままティルブルクで商人として生きている友人が何人もいる。


「急いで動かないといけませんよね?」

 頼りになりそうな友人は何人も浮かぶが、敵が大軍を用意していると言うのなら、早急に事に当たらなければティルグブルクが滅ぼされてしまうだろう。


「とりあえず、結婚式で私との顔合わせが出来れば重畳と考えている」

「結婚式・・敵が攻めてくるというのに、結婚式を挙げている暇があるのでしょうか?」

「それはもちろん、結婚式を挙げている暇はあると、宣言させてもらおう」


 バルトルトの太々しいような笑みを見上げて、思わずドミニクスは自分のため息を飲み込んだ。


 敵国が侵略戦争に撃って出ようとする際には、多くの間諜がティルブルクに送り込まれてくることになる。仮にも国境の兵士を統括する司令官の結婚式なのだ、急でも何でも、周辺の貴族たちは顔を出すことになるだろう。


 おそらく、金の力や甘言に乗って、侵略時にザイスト側への協力を約束しているような貴族も居るだろう。そんな裏切り者たちを、結婚式という祝事を利用して誘き出し、釣り上げるつもりでいるのだろう。


「所長、お菓子なんて見つからないんですけど?」


 あるわけがない焼き菓子を探していたフローチェが応接室まで戻ってきた為、ドミニクスはよっこらしょと言いながら立ち上がる。


「祝い事で焼き菓子というのも何だから、前祝いとして皆んなで食事にでも行こうか?」


 この食事会の費用は経費で落とさせてもらおう。そして、娘同然のフローチェが、あっさりとハールマン司令官に捨てられる日がやって来たら、事務所一丸となってフォローをしようとドミニクスは考えた。


 今回の事がうまくいけば、雇い入れた敵国のスパイについては不問としてくれるのに違いない。問題なく事務所が存続できるのは、我が事務所にハールマン司令官を連れて来てくれたフローチェのお陰だと言っても過言ではないのだから。



     ◇◇◇



「マリータ、こちらだ」

 野菜や果物、魚や肉などが持ち寄られた日曜市で、籐籠をぶら下げてマリータが歩いていると、革細工を並べた露天の店主が片手を挙げてマリータに声をかけて来た。


「次は魚屋さんだって言うから、他の店を探しちゃったわよ」

 露天の中に潜り込んだマリータが、店主となる男の後に置かれた椅子に座り込むと、十歳くらいの男の子が、サトウキビで作ったジュースをマリータに渡してきた。


 ジュースを受け取ったマリータが籐籠を男の子に渡すと、籠の中に入っていた書類があっという間に、革製品を入れた荷物の中へと移動する。


「男の方はどうだ?」

「相変わらずトイレ掃除をしているみたい」

「何か言っていたか?」

「二ヶ月後くらいかな、王都から部隊が派遣されるとか何とか」

「会計事務所の方は?」

「相変わらず大した仕事はさせてくれないのよ。女性職員の目が厳しくって、私、すっかり嫌われ者になっちゃったのよね!」

「男が二人居ただろう?」


 マリータは大きなため息を吐き出した。


「あの二人なんだけど、王都から来た割には無能というか、手抜きがひどいというか、遂に大商会相手にヘマをやらかしちゃって、お詫びの為に無賃で奉公に出向いているのよね」


 二人が居なくなったことで、会計事務所でマリータを相手にしてくれるのは、古参の職員デルクと所長であるドミニクスの二人だけ。おじさん二人しか相手をしてくれない生活に辟易としているところがある。


「主要な商会の取引実態を見ても、二ヶ月後に大部隊が王都からティルブルクにやって来るというのは信憑性があると思う。ねえ、もう、私、会計事務所で働いている意味はないよねぇ?もう辞めちゃってもいい?」


「お前、今の調子だと、先輩職員から奪った男も捨ててしまいたいと言い出しそうだな?」

「ええ〜、なんでわかったの〜?」


 気に食わない女から恋人を奪うまでが醍醐味であって、奪った後は実にどうでも良くなるのがマリータなのだ。

 クツクツクツと男は笑うと、自分がかぶっていた麦わら帽子をマリータにかぶせて、市場の向こう側を歩く若いカップルを指さしてみせた。


「お前の先輩職員はな、お前が捕まえた男なんかよりもよっぽど上等な男を捕まえたんだよ」

「はあ?」


 言われた方を見てみれば、確かに、フローチェ・キーリスが黒髪の男と、楽しそうに腕を組んで歩いていた。その男はダミアン・アッペルよりも気品がある顔立ちをしており、蕩けるような笑みを浮かべながらフローチェを見つめている。


「なにあれ?信じられないんだけど?」


 マリータがフローチェを最後に見たのは、涙を流しながら花束で殴りつけてきた時が最後だった。今のフローチェは、あの時よりも上等な衣服に身を包み、ダミアンが隣にいた時よりも幸せそうな笑みを浮かべて体付きも逞しい男に寄り添っているのだ。


「あいつが私よりも上?そんなわけないじゃない?」


 マリータは一人で呟くと、サトウキビのジュースを一気に飲み干したのだった。

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