第17話  新郎変更

 祖父の代から続くブローム会計事務所の所長を勤めるドミニクスは、ティルブルクの歴史をその目で見て来たと自負しているところがある。


 隣国ザイストとゴーダ王国の国境を流れるスヘルデ川、この川から一番近い場所にある大都市がティルブルクとなるため、隣国との戦争にはいつの時でも巻き込まれる。


 ザイストとの国交が開けば、物流が行き交い、豊かな街へと変貌するし、隣国との国交が断絶すれば、あっという間に景気が下方修正されるのがティルブルクという街なのだ。


 会計事務所で働き続けるドミニクスが隣国ザイストの動きに敏感になるのは当たり前のことであり、安全な立ち位置を取るために細心の注意を払っていた。だからこそ、自分の会計事務所に獅子身中の虫が入り込んでいるとは思いもしなかったのだ。


 今まで、有能なフローチェが居たからこそ、重大な情報が外に漏れるようなことは阻止されてきたようだが、フローチェが居なくなった今では、何をするか分からない恐ろしさがある。


 さっさとクビにしてしまえば良いのだろうが、一旦、クビにするにしても、軍に対して的確に報告を入れなければ、事務所の存続自体が危ぶまれることになる。


 会計事務所を辞めたフローチェから相談したいことがあると言われた時、ドミニクスは彼女が無事であることを改めて知ることが出来て、心から安堵したのだった。


 彼女が結婚する予定だったダミアンに、酷い捨てられ方をしたという話はミランダから聞いて知っている。その後、軍の将校の元に身を寄せているという話も聞いていた。彼女を仲介として、今の事務所の現状を軍部に相談するのも良いかも知れない。


 そうして、職員が帰った後の事務所でフローチェと待ち合わせをすることになったドミニクスだったのだが、


「所長、改めて紹介しますね!この度、私と結婚することになりましたバルトルト・ハールマンさん、ティルブルクの国境警備部隊の司令官になる方なんです!」


 フローチェがそう言って精悍な顔立ちをした軍人を紹介したため、ドミニクスはその場でひっくり返りそうになってしまったのだった。


 フローチェが懇意にしているのは、将校は将校でも、今のティルブルクで最高の地位につく司令官。若い司令官が王都から送られてきたという噂は聞いていたのだが、ここまで若いとは思いもしなかったのだ。


 応接室へ通されたフローチェは、再起不能状態から回復しない所長とバルトルトをソファに座らせると、勝手知ったる炊事場で飲み物を用意することにしたのだった。


 そんな彼女の後ろ姿を見送ったバルトルトは、ドミニクスに対して、

「急なことで驚くのはごもっともだとは思うのですが、僕が彼女に対する愛情は本物なのです」

 と、言い出した。


「送別会の日に、フローチェは悪辣な手段を用いられ、ひどい侮辱を受けた状態で以前の恋人と別れました。フローチェの元恋人を奪い取った女、この事務所に事務員として勤務しているマリータ・スラウスは、隣国ザイストのスパイです」


 あまりにも単刀直入すぎる発言に、思わず、ドミニクスは自分の顔を両手で覆い、大きなため息を吐き出しながら肩を落とした。


「やはりそうですよね、そうじゃないかと思ったんです」


 マリータは、会計事務所の大口の取引先から紹介された娘であり、身上調査は十分に行っていたつもりでいたのだが、彼女が携わる仕事のやり方を見て、事務所の情報が抜き取られていることにドミニクスは気が付いたのだ。


「マリータがうちの事務所に勤め始めて半年、結婚で辞めるフローチェの後任として雇うことにしたのですが、どうも、仕事にムラがあるとか、書類を紛失しそうになるとか、そんな話はフローチェ自身から直接聞いてはいたのです」


 フローチェの仕事を引き継ぐことになったドミニクスは、マリータを直接使うことになったのだが、そこで強い懸念を抱くようになったのだという。


「彼女が集める資料は、パッと見では、一貫性のない、ただの情報の羅列のようにしか見えないでしょう。ですが、よくよく見れば、軍の輜重に関係するものばかりが浮かび上がる次第でして」


 軍を養うためには食糧や備品がもちろん必要になってくる、武器弾薬となれば王都が関わってくることになるけれど、食糧や備品程度であれば、ティルブルクの商会が軍に対して卸すことになるわけだ。


 食料や備品の量を定期的に観測すれば、今、国境にどれだけの兵士が配備されていて、今後、どの規模の兵士が運用されるのかなど、容易に予測することが出来るのだ。


「現在、職場ではマリータを隔離し、軍と関わりのない書類の整理をさせています。本人は私の個人的な配慮で特別扱いを受けていると考えて、機嫌良く書類の整理をしていましたが・・」


 ドミニクスが思わずため息を吐き出すと、バルトルトはウキウキ気分が全く隠せない様子で、自分の指先をこねくり回していた。


 会計事務所で敵方のスパイを雇っていたのだ。国家転覆の危機を招いたとして、国家反逆罪を適用されたとしても、不服申し立てなど出来やしない。


「従業員に罪はありません、全ては私の不徳の致すところ」


「所長、新しい珈琲豆が入っていたので勝手に使わせて貰いました。所長はミルクと砂糖入りの珈琲、バルトさんはブラック珈琲でいいかしら?」


 トレイを片手に持ってフローチェは応接室に入ってくると、ドミニクスとバルトルトの前に珈琲がはいったマグカップを置いていく。そうして、自分の前にはホットミルクを置くと、


「所長、本当に驚くと思うんですけど、三週間後の結婚式、バルトさんと一緒に挙げることになったんです。私の両親は亡くなっていないので、新郎はこの通り人が変わってしまったんですが、新婦の父親役を所長に引き続きやって貰いたいなあと思って、今日はお願いにあがったんです」


と、ぺこりと頭を下げながら言い出した。


「以前から結婚については周りからせっつかれているような状況だったのです。ティルブルクに移動してきてフローチェと出会い、せっかくの機会だから、この際、二人の結婚式を挙げてしまおうと考えているのです」


 バルトルトは隣に座るフローチェを引き寄せると、彼女の頭にキスを落としながら、蕩けるような笑みを浮かべる。


「つきましては、予定通り、バージンロード入場をブロームさんにして頂きたいと考え、今日はお願いに上がった次第でして」


 敵国のスパイを雇い入れていた事が軍に発覚し、即刻逮捕の運びかと思いきや、

「え?」

 ドミニクスには言われている意味が理解できない。


「あの・・結婚式・・え?」


「所長、ダミアンと予約したポープロ教会なんですけど、あそこって違約金がバカ高すぎて私一人では払える金額じゃなかったんですよ!それで、バルトさんに相談したら、もうこの際、良い機会だから結婚しちゃおうか?みたいな話になっちゃって!」

「やっぱり、結婚は勢いとタイミングでしょう!」


 楽しそうに笑いあう目の前のカップルを見上げながら、ドミニクスは自分の眉間を強めに何度も指先で揉んだ。

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