第15話 君に支配されたい
危ない、フローチェは本当に危ない。
フローチェが涙で顔がドロドロ状態になってやってきた飲み屋で、彼女と出会ったのがバルトルトだったから良かったものの、他の男に引っかかっていたらとんでもない目に遭っていたのに違いない。
「フローチェ、僕は君を『現地妻』にしようだなんて考えていないから」
未婚の司令官と深い関係になったのだ。普通の女性が損得で考えたとしたら、無理矢理にでも結婚して妻の座に収まる一択だろうとバルトルトは考えていたのだ。
フローチェに手を出した時点で、自分としては覚悟が決まっていたし、その後もフローチェを妻にしたいと言葉に出していたから、自分の気持ちは理解されているものだと思い込んでいた。
それが、何故『現地妻』になるのか。そもそも、自らを『現地妻』と主張するのなら、何故、金をせびって来ない?違約金として金が必要なら、今こそバルトルトに頼むべきなのに。
「フローチェ・キーリスさん」
バルトルトはフローチェの前に跪くと、手を握りしめながら悲しみに打ちひしがれた彼女の顔を見上げた。
「教会については何の心配もいらないよ、僕が明日にでも行って手続きの全てを行ってしまおう。僕としては、せっかくだから君が予約をしたという日に君と式を挙げてしまいたい。そうして、君を名実ともに自分のものにしてしまいたいんだ」
フローチェに出て行きますと言われたバルトルトは心の奥底から恐怖を感じたのだ。自分と住み暮らすこの家を出て行って、教会の違約金をどうにかする為に、自分を捨てた男のところに行こうとするフローチェを想像するだけで、身も凍るような恐怖を感じるのだ。だったらこれを機に、自分の正式な妻として身近に取り込んでしまいたい。
「フローチェ、君の心を煩わせるようなことは、僕が全て排除する。君は僕の全てだし、君が居なければ僕は生きていけないくらいに君を愛している。僕の妻となって、現地妻ではないよ、本物の妻となって、君の愛で僕を支配し続けてくれないだろうか?」
あまりの言葉にフローチェはポカーンとしてしまったのだが、バルトルトとしては、フローチェに出会って以降、フローチェに支配されているような感覚に陥っていたのだった。
それは決して不快なものではなく、甘美で蕩けるような、彼女の全てがバルトルトの中心に置かれたような、それこそ、彼女が居ない生活など想像も出来ないほど、のめり込むような依存性を感じている。
支配?とは、どういうこと?
フローチェはフローチェで、そこの部分に引っ掛かりを覚えた。自分なりに必死に考えたのだが、要するにあれかな?
「仕事に行くついでに、ゴミを捨ててきて頂戴!」と、お願いするような?「帰りに卵買ってきて!」みたいなあれかな?
それとも、バランスの取れた食生活を提供したり、健康的な生活を提供することで、ある意味、生活を支配しているということになるのかしら?
「わ・・わかりました!妻として・・健康的で真っ当な生活をみんなが送れるように頑張ります!」
結婚を決めた愛の誓いのようなものだったはずなのに、健康的な生活宣言みたいな形になっているのはどうなんだろうと思わないでもないけれど、二人とも浮かれていたので細かいことはとにかく気にしないのだ。
「だけどバルトさん、私の方は親族が居ないので、式には今までお世話になった人達をお招きするだけで済むのですが、バルトさんは親や親族が居ますよね?やっぱり、私みたいな人間が嫁では色々と反対されると思うんですけど?」
「僕の方は、兄が爵位を継ぐ予定でいるし、次兄も姉も嫁入りしたり、婿入りしたりしているから、三男の僕なんて、正直に言ってどうでも良い扱いだから何の心配もいらないよ」
「爵位??なんの爵位?」
「ハールマン家は伯爵位なんだけど、昔ながらの武家だから派閥争いにも巻き込まれないし、そもそも僕は三男だから軍に属しているくらいだし」
家が爵位付きであったとしても、次男、三男は継げる爵位もないため、婿入りするか軍に入るか、平民として市井に降りるかしか方法がないのだとバルトルトが説明すると、
「そもそも、君の親族だって、最初から居ないってことで諦めるのもどうかと思うよ」
と、言い出したのだった。
「君の両親は駆け落ちをしてティルブルクまで来たと言うけれど、もしかしたら、ご両親は貴族だったなんて可能性もあるわけだよ。どうする?公爵家の血筋だってことになったら、僕の実家よりも爵位が遙かに上だよ?」
「ないないないない!ないです!ないです!」
フローチェは慌てたように言い出した。確かに父は計算が得意な人ではあったけれど、高貴な血筋とは到底思えない人だった。
「まあ、高貴だろうが金持ちだろうが、貧乏だろうが、犯罪者だろうが、それについてはどうでも良いんだけど、君のおじいさん、おばあさんは今も健在で、駆け落ちした息子夫婦のことを今も心配しているかもしれない。今から君の祖父母を探したら結婚式には間に合いそうにはないけれど、結婚して幸せになりました報告は出来るわけだよね?」
「私のおじいちゃん、おばあちゃんに結婚報告ですか・・」
両親が王都に出掛けたあの日、一人で留守番をしていたフローチェの元に届いたのは両親の訃報であり、すでに教会に運ばれていた両親の遺体にフローチェは対面することになったのだ。
両親が亡くなったことにより、たった一人で置いていかれていくことになったフローチェは、自分にも親族が居るという考えに至ることが今までなかった。
「そんな報告、喜ばれるかどうかも分からないんですけど」
「喜ぶか、喜ばないかじゃなく、義理を果たすつもりでいいんじゃない?」
「義理?」
「あなた達は両親の結婚に反対したみたいですけど、両親も幸せに過ごしていましたし、その結果生まれた私も今は幸せですって報告するんだよ。それって、素敵なことじゃない?」
バルトルトとしては、フローチェの出自を探るチャンスを逃すつもりは無い。
「あのね、亡くなった両親の遺品を入れた箱があるんだけどね?」
「うん」
「今まで悲しくて、開けてみたことがなかったの。バルトさん、一緒に開けてみてくれる?」
「うん、いいよ」
引っ越しの手伝いをしていたバルトルトは、彼女の荷物の中に開かずの箱があることには気が付いていた。色々と忙しないが、彼女の全てを知ることがバルトルトの喜びなのは間違いない事実でもある。
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