第11話  失恋は上書きで克服する

 小さなアパートから引っ越しをする日、フローチェは今までお世話になった大家さんに簡単な挨拶を済ませると、また、落ち着いたら顔を出すからと約束をして、そそくさと荷物を移動させることにしたのだった。


 顔見知りの住人は、荷物を運び出すのを手伝う男が、ダミアンではないということに気が付いていたようだったけれど、簡単な挨拶だけをして、フローチェは逃げるようにして背を向けた。


 思い出の部屋を出る際には、様々な思いが去来するだろうと思っていたフローチェだったけれど、衝撃的な元恋人との別れや、後輩マリータの裏切り、運よくバルトルトに拾ってもらったけれど『現地妻』扱いという激動の変化によって、両親との思い出に浸るどころの騒ぎではなかったのだ。


 そうしてバルトルトの家に自分の荷物を運び込むと、殺風景な家の中はバルトルトの開封されていない荷物とフローチェの荷物で埋め尽くされることになったのだ。


「フローチェ、掃除や片付けをしてくれる使用人を雇おうと思うんだけど」


 荷物だらけの家で二人きりになると、後ろから優しくフローチェを抱きしめながらバルトルトが耳元で囁いた。

「何人くらい雇おうか?人選は君に任せたいと思うんだけど」

「いらないです」

「はい?」

「いらない!いらない!使用人なんていらないです!」


 若いピチピチの『現地妻』ならいざ知らず、フローチェは二十歳を超えた『現地妻』なのだ。一般的に女性の結婚適齢期は十七歳から二十一歳と言われており、ティルブルクの『現地妻』は十代が相場、二十歳のフローチェはちょっと歳を取りすぎている部類に入るのだ。


「私、家事が大好きなので!私の生き甲斐を取らないで!」


ティルブルク基準では現地妻として年を取っている部類に入るフローチェとしては、あんまりにも贅沢なことを言い過ぎて、早々に捨てられるような事態に陥りたくないのだ!


この時点で、都合が良い女に成り下がる片鱗が現れ始めているフローチェだったけれど、細く長く、バルトルトが王都に帰るまでは擬似家族体験を続行したいので必死なところがある。


「そうか、それじゃあ、しばらくの間の生活費を渡しておかなくちゃだね」

 バルトルトはそう言うと、フローチェに札束が入った封筒を差し出してきたのだった。



       ◇◇◇



「ねえミランダ、現地妻に支払われるお手当には所得税や贈与税は発生するのかな?」


 フローチェから発せられたその第一声に、ミランダの頭の中は疑問符で埋め尽くされることになった。


「えーっと、そもそもお手当ってどういうことなのかな?ダミアンと結婚する予定なんだから、ダミアンから受け取ったお金は夫婦共有の財産という扱いになると思うんだけど?」


「ああ!ごめん!ミランダには言ってなかったよね!私、ダミアンとは別れたの!」

「別れた?」

「実はね・・」


 無事に引っ越しが終わったという事で、仕事帰りに落ち合ってフローチェとお茶をすることになったミランダは、ダミアンとマリータの浮気現場を目撃してからの怒涛のフローチェの身の上に起こった物語を聞くことになり、

「はあ?全く意味がわからないんだけど!」

 驚愕に目を見開いて呆れた声を上げたのだ。


 フローチェが仕事を辞めた後も、マリータは今まで通り、ブローム会計事務所で働いている。今までフローチェの下で働いていたマリータは、所長の仕事の補佐に入ることになり、程なくして働く場所も所長室の隣となる一般事務室へと移動することになったのだ。


「あの娘、フローチェからダミアンを奪い取っておきながら、いけしゃあしゃあと普通の顔して働いているんだけど?」


「そうなんだ、私にとってはどうでも良いことだけど」


 フローチェは今の生活が充実しているので、マリータも、ダミアンのことも、正直に言って記憶から抹消したいくらいどうでも良い存在に成り下がっていた。


 失恋をしたら、新しい男を即座に見つけて記憶の上書きをするのが一番良い。


 その男が前の男よりも上等な男であれば更に良い。そうして意味もない思い出を封印し、愛もない前の男との関係など忘却の彼方に投げ捨てて、新しい愛に生きた方がよっぽど良い。『現地妻』に本物の愛が存在するのかどうかは、フローチェにはちょっと良く分からないけれど、今の状況はフローチェに幸福をもたらしていた。


 フローチェの新しい愛が『擬似』だとしても、彼女の扱いが『現地妻』という都合の良い存在に成り下がっていたとしても、今のフローチェとしてはそれで問題ないとさえ考えている。


 現実逃避をしているだけだとしても、バルトルトの近くは心地よい。本物の愛はないのかもしれないけれど、それでいい。

 どうせいつかは捨てられるのだから(フローチェは二度の失恋経験を経て、もう、まともな恋愛は無理だろうと思い込んでいる)最後の結末についてはどうでも良いとさえ考えているのだった。


「それにしても・・現地妻?それって本当なの?」

「だから、お手当もきちんと貰っているし」

「生活費として当ててと言われたんだよね?」

「生活費プラス余った分はお手当とか?」


 それにしてもバルトルトが渡して来た札束は、四人家族の半年分の生活費くらいにはなるだろう。


「そういえばあのお手当、一体何ヶ月分になるんだろう?」

「ねえ、私はもっとその彼と話し合った方が良いと思うんだけど?」


 心配そうなミランダの顔を見上げたフローチェは言い出した。


「そうだよね。このお手当が何ヶ月分の生活費となるのか、私の使って良い費用がどれくらいなのか理解していないと、食費や生活雑貨を購入するのに、後からお金が足りなくなっちゃったとかになるかもしれないもんね」


「『現地妻』とか言い出す人が、そんなにみみっちい人なのかな?」

「さあ、どうなんだろう?」


 フローチェの話を聞いていると、ミランダはどんどんと不安になってくるのだった。自暴自棄が過ぎるというか、自分を大切にしていないように思うのだ。


「ねえ、変な男に引っかかっているわけじゃないわよね?」

「変な男・・」

「子供が出来たらどうするの?」


 それはフローチェも自分なりに考えている。

 男女が一線を越えたとするのなら、結果、子供が出来ることだってある。


「ミランダ、私ね、ここまで来ると、この先、絶対に結婚できないんだろうなって思うんだよね」

「極端じゃない?」


「だけどね、親も親族も居なくて天涯孤独な私でも、未婚のままで今なら子供がゲット出来る可能性があるってことでしょ?そしたら、私、本物の自分の家族が手に入れられるってことでしょう?」


「そういうチャンスだとフローチェはとらえるわけ?」

「そうなのよ!だからミランダも一緒に子作りに励もう!」

「何故?」

「同じ時期に産んだらミランダとママ友になれるでしょう?」


 キラキラ輝くフローチェの顔を見上げながら、ミランダは生唾を飲み込んだ。

 会計事務所を辞めて以降、波乱万丈に過ごしてきたフローチェは、想像もしない方向に暴走しているのは間違いない。


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