第12話  君が尽くすのは当たり前

 ダミアン・アッペルは十五歳の時にティルブルク国境警備兵として志願し、入隊して五年となる。燃えるような赤い髪に、田舎暮らしの割には、整った顔立ちをして、身だしなみにも気を使うタイプだったことから、女性からの人気は非常に高い。


 そんなダミアンに集まってくる有象無象の女たちの中にはいないタイプだったのが、会計事務所で働くフローチェで、彼女は飛び抜けて美しく、その所作には田舎者にはない気品すら漂ってみえたのだ。


 真面目なフローチェを口説き落とす際に、ダミアンは一生に一度の大きな決断をすることにした。それが『結婚』で、今まで戯れていた女達と美しいフローチェは絶対に違うのだと明確にアピールするために、結婚式を挙げる日をポープロ教会に予約をするようなことまで行った。


 高嶺の花であったフローチェが結婚を前提として付き合うことになった時には、多くの男が嘆き悲しんだものの、そんなことにフローチェはかけらも気が付いていない。恋人となったダミアンしか見ようとしないフローチェをダミアンは心から愛したが、すぐに彼女に手を出すようなことはしなかった。


 フローチェが真面目で奥手な女性だった為、ダミアンなりに配慮することにしたのだが、そんなダミアンを支えるような形で、フローチェはダミアンの家を出入りするようになる。彼女は十五歳の時に両親を亡くしている関係で、自分自身も仕事をしながらも、家事の全てを担ってきたのだ。


 ダミアンが何も言わなくても家を掃除し、洗濯を行い、毎日の夕食まで用意してくれる。最初こそ感謝感激でいっぱいだったダミアンも、時を経るに従って普通のこととなり、

「フローチェが俺に尽くすのは当たり前」

と、思うようになっていったのだ。


 両親を亡くし、親族も居ないフローチェが頼りに出来るのはダミアンだけ。ダミアンに依存しているフローチェは、ダミアンなしでは生きていけないのに違いない。


 そんなフローチェは、最初こそ書類作業が苦手なダミアンをサポートしてくれたのに、

「いくらうちの会計事務所が軍の仕事を受注しているからって、ダミアンの仕事に私が個人的に関わるのは良くないことよ。これが問題になった時に困ることになるのはダミアンなのよ?」

と、生意気なことを言い出した。


 計算が苦手だから、ちょっと見て欲しいとお願いしても、

「そう言って全部やらせようとするでしょう?絶対に駄目!」

 と、拒絶。軍の書類を部外者が見ること自体が問題であるし、情報漏洩に関わるようなことはしたくないとまで言い出す始末。


「わかったよ!自分でやればいいんだろう!」

 備品の請求手続き程度で何が情報漏洩だ!ふざけるな!と思いながら家を飛び出したダミアンは、そこでフローチェの後輩であるマリータと出会したのだ。


「ダミアンさんどうしたんですか?」

 声をかけてきたのもマリータで、

「そんな簡単な書類すら手伝ってくれないなんて、やっぱりフローチェ先輩は意地悪ですよね」

 と、言い出したのもマリータだった。


「ダミアンさん、私、会計事務所に勤めているから知っているんですけど、こういった雑務を扱うのは恰好のお小遣い稼ぎなんですよ?」

 と、言い出したのもマリータだった。


 稼いだ小金を使ってマリータと遊んだのもダミアンの意思だし、恋人の後輩と深い仲になったのも、その時のノリと勢いのようなものだった。


 マリータと遊ぶのは楽しい。真面目で几帳面な気質のフローチェにはない面白さに夢中となったダミアンだが、それでも、マリータは遊びの一環でしかなかった。


「ごめんなフローチェ、俺は、遂に真実の愛を見つけてしまったんだよ」


 送別会帰りにフローチェがダミアンの家にやって来ることを知っていたマリータは、ベッドの上で愛し合う姿を見せ付けてやろうと言い出した。その時に、ダミアンはこう言ってフローチェを絶望させてやろうと考えたのだ。


 ダミアンと結婚が決まったフローチェ、仕事を辞めてしまったフローチェ、今まで住んでいたアパートはどうしても引っ越さなければならない状況に追い込まれているフローチェ。どうしたって、ダミアンを頼るしか方法がないフローチェ。


ベッドに居るダミアンとマリータに対して花束で殴りつけた後に出て行ってしまったけれど、何処にもいく場所がないフローチェはダミアンの元に戻って来るしかない。


 予約をしたポープロ教会の枠を放棄するには違約金が発生するし、その費用を払うだけの力がフローチェにはないだろう。


 後輩と浮気をしていたとしても、ダミアンに救いを求めなければ生きていけないフローチェ。こうしてダミアンは、泣いて追い縋るフローチェを受け入れて完璧な結婚をスタートさせるつもりで居たわけだ。


 引っ越しは期限が決まっていたはずだから、出て行った三日後あたりにもう一度、この家へと戻って来るだろう。そう思っていたのだけれど、フローチェはダミアンの家に戻って来ることはなかった。


 一度、彼女の住んでいたアパートを訪れてみたのだが、

「どちら様ですか?」

 新しい住人に怪訝な表情を浮かべられて終わる事になる。


 都合の良いフローチェは、何処までも自分にとって都合が良いはずだったのに、突然、目の前から消えてしまったのだ。


「マリータ、フローチェは会計事務所には戻っていないんだよな?」

 フローチェが住んでいたアパートから家に戻ったダミアンが、自分の家に入り浸るマリータに声をかけると、

「ええ?先輩が?戻って来てないけどなんでそんなことを訊くの?」

と、問いかけてきたのだった。


「あの後、どうなったのかなって少しは心配になったりするもんだろう?」

「ああ、あの時の先輩の顔はマジでウケたよね〜」


 キャハハッと笑うとマリータはソファに寝転んだまま本を読んでいる。

 その周囲は汚れた洗濯物が床に放り出されたままで、汚れた食器がテーブルの上に積み上げられたまま。


「あのさ、少しは片付けようとか思わないわけ?」

「なんで?ここはダミアンさんの家だよね?なんで私が片付ける必要があるの?」

「だってお前は女だろ?」


 女なんだから、家の中のことをやるのは当たり前。そう、当たり前のことをフローチェはやっていたのだから、マリータだって同じだけやるのが筋だろう。


「えええ?意味がわかんないんだけど?」

 マリータは不貞腐れたような表情を浮かべて起き上がると、ダミアンを睨みつけながら言い出したのだった。


「先輩は、女の仕事だっていってダミアンさんの身の回りのことを何でもやって捨てられたんでしょ?だったら、私が先輩と同じことをやったら、同じように捨てられるってことになると思うんだけど?」


「はあ?」


「私はベッドでダミアンさんを楽しませる、一緒に遊びに行って楽しませる、一緒に美味しいものを食べて感動を分け合う。それでダミアンさんも楽しい思いをしている。そういう関係をダミアンさんは私に望んでいるんでしょう?」


 マリータはゴロンとソファに寝転がると、

「そんなに家が汚いのが気になるなら掃除婦でも雇ったらいいじゃない、それだけのお金は十分に稼いでいるでしょ?」

 と、言い出したのだった。


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