第5話  酔いどれレディ

 国境の街ティルブルクがあるフォンティドルフ領のワインは、ワインを醸造する際に、高アルコールの蒸留酒を加えているので、一般的なワインと比べるとアルコール度数が高い。


 蒸留酒を加えるワインのことをフォーティーファインドワインとも呼び、白ワインでありながら色合いは様々となる。今、バルトルトが飲んでいるのはウィスキーのような色合いをしており、この地方独特の味わいを楽しんでいるところだった。


「うまい、友人にここは特別なフォンティワインが飲めると聞いたんだけど、確かにその通りだと思うよ」


 バルの店主はバルトルトの前にチーズを出しながら、小さく肩をすくめてみせた。


「うちの実家のワイナリーは完全に親族だけで作っているので、それほど数が作れないんですよ。フォンティドルフ領どころか、街の中で消費されてしまうようなものなので、お客さんのような外から来た人には珍しく感じるのかもしれませんね」


「友人から聞いて来たんだけど、当たりだったな」


 仕事帰りにちょっと摘める店はないかと考えていたところ、紹介してくれたのがこのバルだったのだ。


「この周辺は小規模なワイナリーばかりなんで、それぞれの味が違って面白いんです。飲み比べてみたら楽しいですし、小さなワイナリーのワインはなかなか王都まで出ることはない。王都では飲めない特別なワインをここでは色々と味わえますからね」


「ここに居る間は常連になっちゃいそう」


 タパス料理も美味いし、ワインも美味い。フォンティワインは、三種類の葡萄から作られることになるのだが、このブドウの割合によって甘口から辛口まで様々な種類のワインが作られることになるし、これを全て制覇しようと考えたら、かなりの日にちを要することになるだろう。


「ねえ!マスター!お酒のませて!」


 カランカランカラン、と、扉に取り付けられた鐘の音を掻き消すほどの大きな声をあげて店に入って来た女性は、

「・・・」

 睥睨するように店内の客を見回した。


 店内に居たのは、テーブル席でワインを楽しむ四人の壮年の男たちと、カウンター席に座るバルトルトの五名しか居なかったのだが、おそらく、その全員が扉の前の女性の方を一斉に見ただろう。


 その女性は、左手に大きめのバックを抱え、右手に花束を掴んでいたのだが、その右手に掴んだ花束は、何かに対して何度も、何度も叩きつけたのか、茎が折れ、花びらが散り、無惨な残骸と化していた。


 そんな花束を持つ女性の綺麗に纏められていたはずの栗色の髪はほつれまくり、ブラウスの襟首は乱れ、よほどの何かがあったのか、スカートの裾の一部が捲れ上がっている。


 彼女の何より酷いのがアイラインとマスカラがドロドロに溶け落ちた顔で、もはやホラーと言っても良い有様となっている。無表情を取り繕うとしてもこぼれ落ちる涙が、とんでもない修羅場の後であったことを物語っていた。


 テーブル席の男たちは、即座に顔を背けたのだが、

「マスター、お酒、いつものお酒をちょうらい」

 女性客は持っていた花束を床に投げ捨てながらバルトルトの隣の席に座ったため、バルトルトは一気にグラスの中のワインを飲み干した。


 巻き込まれ事故は嫌だ。早く帰ろうと思っての行為だったのだが、バルトルトが飲み干したワイングラスを奪い取るようにして女性は取り上げると、店主が持ってきたワインボトルを手に掴んで、なみなみに注いだワインを一気に飲み干すと、

「マスター、今度は甘口じゃなくて辛口をくらさい!」

と、言い出した。


「ペドロ・ヒメネスを一気飲み・・」


 ペドロ・ヒメネスとは干し葡萄にもするような甘味のある葡萄の事で、この葡萄を使ったフォンティワインはかなり甘いので、デザートワインとして好まれる。


 お祝いの日の食事で、食前酒として小さなグラスに注いで、ちびちび飲むようなワインであり、なみなみとワイングラスに注いで一気飲みするようなワインでは決してない。兎にも角にも、フォンティワインは他のワインと比べても、アルコール度数がかなり高いのだ。


「マスター、蒸しタオル!蒸しタオルくれる?」


 ドロドロの化粧の状態で、酔い潰れて倒れて吐いた後の有り様を想像したバルトルトは恐怖で震え上がり、思わず慌てたように声をあげると、心得た!といった様子で厨房に引っ込んだ店主はすぐさま、お湯を通して絞ったタオルを持って来てくれた。


「ねえ、君、その化粧、そのままだと明日には顔が大変なことになるから、落としたほうが良いと思うよ?」


 見ず知らずの女性だが『袖ふれあうも何かの縁』という言葉を思い出す。東方の大陸の格言だったか何だったか、手際よくドロドロの顔を拭きあげていくと、何とも言えないほど可愛らしい女性の泣き顔が、真っ黒のドロドロの下から出て来たのだった。


「私なんて化粧を落とす価値もない女なんれす。なんれも私なんて、おかんと言われるほど尽くして尽くして、尽くし続ける女なのれす、おかんなのれす。そんな女に哀れみはいらねえのれす」


 まるで泥の蓋を無理やりこじ開けてみたら、その下から花の妖精が現れたような、そんな感動を覚えながら、

「おかんってどういうことなの?」

と、バルトルトが問いかけると、

「おかんとはお母さんのことを言うのれす、ドレンテ地方ではお母さんをおかんと呼ぶこともあるのれす」

 女性は律儀にもバルトルトに答えたのだった。


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