第3話 先輩幸せになってくださいね!
「フローチェ、十六歳の時から事務所に入った君が、いつでも真面目に、そして真摯に仕事に取り組んでいたことを僕は知っているよ。今まで働いてくれてどうもありがとう。ダミアン君と幸せな家庭を築いてね。それと、結婚式のバージンロードは僕が父親代わりとして出ることになるので、僕の足が短すぎてあまりにも歩幅が小さいことになっても、僕に合わせて歩いてね!」
ドミニクスがそう言って花束をフローチェに渡すと、集まった会計事務所の職員たちが拍手をする。
「皆さん、有難うございます!所長も今まで本当に有難うございました!バージンロードではもちろん、歩くときには所長の歩幅に合わせて歩きますので、気にせず小股で歩いてくださいね!」
花束を受け取ったフローチェが笑顔を振り撒きながらそう挨拶をすると、一部では笑い声が上がっているというのに、端の方に集まった一部の職員は、蔑むような眼差しをフローチェに向けているのだった。
所長はトナカイ亭を貸切にしたようで、飲めや歌えやと、すでに大騒ぎとなっている。大騒ぎをするのは古参の社員ばかりで、フローチェの周りにはミランダの他にも女性社員が複数集まって、楽しくワインを飲み、肉料理に舌鼓を打ちながら楽しい時間を過ごしていたのだが・・
「フローチェ。今、マリータから聞いたけど、君、引き継ぎを一切しない状態で仕事をやめるんだって?」
ワイン片手にフローチェに近づいてきたベレンセが開口一番、そんなことを言い出した。
「所長は君の責任感をいつも褒めていたけど、立つ鳥後を濁しまくる感じはどうなんだ?」
ベレンセの隣に立つキストまでそんな事を言い出したため、唖然とした顔でミランダや他の女性職員が、ベレンセとキストの後ろに立つマリータの方を見た。
「言っている意味が分からないんだけど?」
「ミランダ、君に尋ねているわけじゃないんだよ。僕らはフローチェに尋ねているんだ」
「ミランダ、君がフローチェと仲が良いのは知っているけど、友達は選んだ方がいいぞ?新人いじめをするおばさん職員に君までなってしまったら、君の恋人のポールだって悲しむだろうに」
「はあ?何言っちゃってんの?意味が分からないにも程があるんだけど!」
怒り心頭のミランダが立ち上がって文句を言い出そうとしたため、フローチェは首を横に小さく振った。
この二人が可愛らしいマリータに気があるのも知っている、自分たちの株を上げるためにフローチェを悪者にしているのも知っている。それでも、まさか、送別会でまでこんなことを言い出すとは思いもしなかったのだ。
「所長と話し合った結果、しばらくの間は私の受け持っていた仕事は所長が引き継ぐことになったので、その引き継ぎ作業はここ数日の間で済ませていますけど?」
「なんでマリータに引き継がないんだよ!君の後任となるためにマリータはうちの会計事務所に入ったんだろ?だったら、きちんとマリータに引き継ぐのが辞める君の責務なんじゃないのか?」
「その判断をするのは私ではなく、私の上司であるドミニクス所長です。上の指示によって、私の仕事をマリータさんに引き継がなかった。それの何処に問題があるんですか?」
「偉そうな口利きやがって・・」
舌打ちをして言葉を漏らすキストに、フローチェの周囲が殺気立つ。
ベレンセとキストは王都の学院を卒業後、地元でもあるティルブルグへ帰り、ブローム会計事務所に入職。その頃から年下であるフローチェの下で働かなければならない状況に鬱屈した怒りを感じていたのだ。
どうやっても憤りを隠せない二人の前に現れたのがマリータで、
「やっぱり、フローチェ先輩は意地悪です!」
と、断言するその姿を見て、やっぱりフローチェは何処かが間違っていると思い込むようになったのだ。
一触即発のピリピリした空気の中、少し離れた場所で大騒ぎをしていた古参の社員の一人であるデルクが、禿げ上がった自分の頭を撫で回しながら言い出した。
「偉そうな口じゃなくて、実際にフローチェは偉かったんだよ」
そう言ってワインボトルを片手にテーブルを移動してくると、ミランダを押し退けながらフローチェの隣に座り込んだ。
「フローチェはな、キスト、ベレンセ、お前らの2倍から3倍の仕事を抱えている状態だったんだ。王都から鳴物入りでお前らが事務所に入って来たから、俺たちも、フローチェもこれで楽が出来ると思ったんだ。だがな、蓋を開けてみれば、そこに居るマリータと一緒だよ。文句ばっかり言うが、仕事が雑、自分の実力の七十%しか出さない働き方しかしないから抜けが目立って仕方がねえ」
デルクはワインボトルをそのままラッパ飲みにすると、ニヤリと笑って言い出した。
「最近の王都じゃ、新人のうちから力をセーブして七割程度で仕事をしろと教え込んでいるのかね?新人なんて百%力を使っていると本人が思っていたとしても、成果は六割七割がせいぜいだって言うのに、お前ら出だしから七割に加減しているもんだから、成果が精々半分以下。そして大事な部分を落っことしても『気が付かなかったんです〜!ごめんなさい!ごめんなさい!』で済ましてまた同じことをするだろう?」
デルクが途中で入れたマリータのモノマネがあまりにも似ていたため、周りの女性職員たちが思わずといった様子で笑いだす。
「キスト、ベレンセ、お前ら、仕事の差配について口出しをしたいんだったら、他人の2倍、3倍働いてから言えよ。発言権つうのはな、他人の2倍3倍働いてこそ獲得出来るものなんだよ。ああ、俺は王都ではどうかなんて知らねえよ?だけどな、この辺境の街ティルブルグではそうなんだよ」
デルクはそう言ってワインをラッパ飲みにすると、二人の後の方に立つマリータを見つめて言い出した。
「それでそこのマリータよ、お前はうちの事務所で働いて半年ほどになるが、お前のケツを常に拭いて回っていたのが誰だか知らねえのか?」
「ちょっとデルクさん!酔っ払っているんじゃないですかあ?飲み過ぎですよぉ?」
名指しされたマリータはまるで悪びれた様子もなく、ニコニコ笑っている。その態度が気に食わないフローチェの周囲の女性職員が怒れるドーベルマン並に唸り声を上げている。
「お前は人が話す言葉が理解できないんだな。だが俺は言ってやる、それだけ自分の後始末を任せた先輩が、幸せな結婚のために仕事を辞めるんだよ。それで何か言う言葉がお前にはないのか?一つぐらいあるんじゃないのか?」
「もちろんありますよ!」
周囲の雰囲気などまるで気にならない様子でマリータはニコニコ笑うと、胸の前で手を組んで、まるで神に祈るような仕草でフローチェに向かって言ったのだ。
「先輩!結婚おめでとうございます!先輩!幸せになってくださいね!応援しています!」
そう言って壁にかかる時計に視線を向けると、
「いっけなーい!今日は早く帰らなくちゃいけなかったんです!それじゃあ、私、お先に失礼しますね!」
と言って、可愛らしいバックを肩からぶら下げながら、所長のドミニクスに挨拶すらせずに店を飛び出して行ってしまったのだった。
その後ろ姿を見つめたデルクが、
「あれはダメだな」
と言って、ワインのボトルをテーブルの上にドンと置いたのだった。
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