第2話  三つしか違わないのに

王都までの移動中の事故でフローチェの両親が亡くなったのが五年前、フローチェが十六歳の時のことだった。


 両親は駆け落ち同然で辺境の街ティルブルクまでやって来たそうで、親切な街の人たちのサポートを受けながら新しい生活を始めたらしく、そのうち一人娘であるフローチェが生まれて、貧しいけれど幸せな日々を送っていた。


 だと言うのに、突然、教会の祭場で父と母の遺体と対面することになったフローチェはパニック状態に陥ることになったのだ。


 誰一人として親族がいないフローチェは完全に一人となってしまったものの、

「いいのよ、貴女のご両親に私もお世話になったから。そのまま貴女はこの家に住み続けていいのよ」

 大家さんは格安の値段でフローチェが両親と住んでいたアパートに住み続けて良いと言ってくれたし、

「フローチェ、君がお父さん譲りの計算力を持っているのは知っているよ。だからね、もし良かったらおじさんの会計事務所で働かないかい?」

と言ってくれたのがブローム会計事務所の所長であるドミニクスだったのだ。


「ねえ!フローチェ!このダンボールは新居に持って行くのでいいのよね?」

納戸の奥に積み込まれていた埃だらけの段ボール箱を廊下に出しながら問いかける親友のミランダの方を振り返りながら、

「ああ!それ!死んだお父さんお母さんの遺品なのよ!」

 フローチェは困り果てた様子で形の良い眉をハの字に開いたのだった。


「新居はそれほど広くないし、ガラクタばかりだから捨てようかとも思っているのだけど」

「両親の遺品でしょう?」


 形が崩れた古い段ボール箱二つを積み上げたミランダは、ふっくらとした胸の前で両腕を組むと、

「全部捨てたら後悔するわよ、ちゃんと選別した上で捨てた方がいいと思うけど?」

と、言い出した。


「そうよね、あんまりにも辛くて、滅多に開けたこともなかったものね」

「ダニエルと一緒の時に開けたら?一人では辛くても、二人だったら悲しみも半分になるかもしれないし」

「そうね・・そうしたいんだけど・・」


 結婚する予定のダニエルとは、最近、仕事が忙しいという理由であまり会えていない。一年前に予約したポープロ教会で挙げる式も一ヶ月後に迫っているというのに、彼の親族への結婚式の招待状さえまともに用意が出来ていないのだ。


 ダニエルとしては両親や兄妹はティルブルグよりも更に田舎に住んでいるし、わざわざ招待状なんか用意しなくても良いと言うのだが、それはそれでどうなんだろうと、フローチェは不安に思っている。


 重くなる雰囲気に気が付いたミランダが、自分のお腹を押さえながら明るい声でフローチェを見上げる。


「ああ〜!お腹すいちゃった!ご飯でも食べに行かない?」

「うん、食べに行こう!手伝ってくれたお礼に奢るから!」

「本当に?やったー!」


 今住んでいるアパートから三軒隣にある小さな飲み屋は、早い時間に行くと簡単な食事を摘めるようになっている。引っ越し準備に疲れて、遠くまで食べに行きたくはなかったフローチェがバルの扉を開けると、タパス料理を並べていた店主が、

「今日あたり来ると思ったよ」

と言って笑顔を浮かべたのだった。


 国境の街ティルブルグの周辺では葡萄の栽培が盛んで、親族同士が集まってワイナリーを経営しているような場所柄なのだ。そのため、大きなグラタン皿にワインのつまみになるような料理が盛られた状態で並んでいる。


 日替わりで内容が変わることが多いのだが、今日はミートボールをトマトソースで煮込んだものや、豚の脂身を油で揚げて塩を振りかけたもの、マカロニと刻んだゆで卵をマヨネーズで和えたものなどが並んでいる。


 もちろん、生ハムや干し肉、サラミ、チーズなどもあり、奥のテーブル席でアルコールを楽しむ男性たちの多くは、生ハムとチーズを肴にワインを楽しんでいた。


「「今日も一日、お疲れ様!」」


 この地方のワインは、辛口ワイン、天然甘口ワイン、二つを割った甘口ワインの三種類があり、フローチェは甘口を、ミランダは辛口を飲むと、晴れやかな笑顔を浮かべた。


「今日もマリータ相手に大変だったわよね?あと少しの辛抱だろうとは思うんだけど、あの娘に対しての周りの態度もどうかと思うわよ」


 同じ会計事務所に勤めているミランダは、仕事上、マリータと関わることのない仕事を任されているので、自分自身が実害を被ったことはないものの、側から見ていて気持ち良いとは思えないマリータの態度に辟易としているのだった。


「あの娘、三分の二の仕事はきちんとやるのに、残りの三分の一は間違いを連発して、周りに任せているような状態なのよ」


「新人だから大した仕事を任されてないのに、いつまで経っても改善しないわよね?」


「そうなの。彼女、経営分析をやりたいと言っていたから私の下に配属されたんだけど、経営分析に関わる仕事の時だけ、やけに計算を間違うし、書類もぐちゃぐちゃにしてしまうし、危うく資料の一部を無くしてしまう所だったなんて事も沢山あるのよ」


「それってわざと?」

「私も不思議に思って尋ねたことがあるんだけど『フローチェ先輩が怖くて、どうしても緊張してしまう自分が悪いんです!』ですって」


 フローチェはマリータの甘ったるい喋り方を真似しながら説明すると、ミランダは吹き出して笑った。


 料理が盛られた小皿がテーブルの上に並べられ、最後に薄切りにしたパンが置かれていく。タパス料理とは小皿に盛られた酒のつまみの事で、パンに料理を挟んで食べて夕食の代わりにすることも多いのだ。


「最近は弟の具合が悪いんだっけ?」

「その前は母親の腰痛が悪化して」

「それで緊急の仕事は、フローチェに回して定時で帰っていったでしょ?」

「そうそう」


 マリータの面倒を見る期間が決められているからまだ耐えられるけれど、フォローする期限が決まっていない状態だったら、きっとヒステリーを起こしているに違いない。


「それじゃあ、マリータがフローチェの後任とか無理じゃない?」

「所長もそこは無理だと思ってる」


「それじゃあフローチェが辞めたあとは、誰がフローチェの仕事をするの?私だったら絶対やりたくないんだけど?」

「しばらくの間は所長がやるんだって」

「ああ、そうなんだ」


 営業分析では担当する商会の重要な取引先や取引量、現在の収益、減益など、細かい所まで把握させてもらう必要があるため、会計事務所としても信用問題に関わることになるのだ。


 やはり、雇ったばかりのマリータに幾ら本人がやりたいからと言って任せられるような仕事内容ではないのだと、改めて実感する。だと言うのに、肝心のマリータはその新緑の瞳に涙を浮かべて、

「先輩は・・私にそうやって意地悪をするんですね!」

と言って突っかかってくることが多い。


「まあ、あと、数日の付き合いなのは間違いないから」

「それにしても、ベレンセとキストの気持ちが悪いことったら。マリータが涙をウルウルさせると、決まって正義感ぶって飛び出して行くんだけど、あいつら、最近、自分が任された仕事も満足にできていないらしいよ?」


「誰もが夢中になるような可愛らしさがあるマリータに夢中だからね、彼女を見ていると若いっていいな〜ってつくづく思うもの」

「三つしか違わないのに?」

 呆れた顔でこちらを見上げるミランダにフローチェは苦笑を浮かべて小さく肩をすくめて見せた。

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