【連載版】 君はスーパーガール 〜捨てられた私は誰かの特別にもなれるの〜
もちづき 裕
第1話 後任予定の後輩がいるんだけど
国境の街、ティルブルクにあるブローム会計事務所に勤めるフローチェは、内心の呆れを顔に出さないように細心の注意を払いながら、自分の後任となる予定のマリータに提出された書類の差し戻しを行った。
「あのね、マリータさん、計算を間違えている箇所が分かるようにまるで囲っておいたから、もう一度見直してくれるかな?」
「ええ〜?私!何か計算間違ってました〜?」
新緑の瞳を潤ませながら、フローチェの前でペコペコと頭を下げるマリータの可愛らしくカールされたピンクブロンドの髪が、ぴょこん、ぴょこんと彼女の肩の上で跳ね飛んだ。
「ごめんなさ〜い!私!弟の病気がなかなか治らなくって、注意力が散漫になっていたんだと思いますぅ!すぐにやり直しますので!フローチェさん!ごめんなさい!ごめんなさい!」
ブローム会計事務所に勤め始めて半年になるマリータは計算間違いが多い。机の上には未処理の書類が山のようになっているのも、仕事の優先順位がわからないからだろうし、書類の整理が出来ていないからこそ、少し席を離れただけで、自分が何の仕事をすれば良いのか分からなくなってしまうのだ。
「フローチェ、新人に対して厳しく言い過ぎるのもどうかと思うぞ?」
マリータの謝罪の言葉が狭い事務所の中で響き渡っていたのだろう、同僚のベレンセが怒りを含んだ声で言い出した。
「最初から完璧に仕事が出来る人間なんか居ないんだからさ、もっと広い心で指導に当たらないと」
「ベレンセさん!いいんです!私が悪いんですから!」
「いやいや、フローチェはここの事務所が長いから大きな態度を取るところがあるんだよ。近々、ようやっと寿退社するみたいだから?マリータもそれまでの辛抱だと思って頑張って!」
「そんな!辛抱とかそんなことないです!フローチェさんは尊敬すべき先輩です!」
「本当、マリータは良い子だよなぁ」
キストはそう言ってマリータの頭をポンと叩くと、
「簡単な計算間違いじゃん、俺がやっておくからマリータはとにかく自分の仕事の処理をしておいて」
と、優しげに声をかけたのだった。
ティルブルクの街で記帳代行、税務申告業務、会計代行業務、経営分析を行うのがブローム会計事務所となる。ここで働く従業員は十人おり、男性と女性が半々という比率となっていた。その中でも若手となるベレンセとキストは、新人で入ってきたマリータに気があるようで、やたらとフローチェを悪者扱いしながら自分たちの株を上げようと躍起になっているのだ。
「先輩!私、頑張りますから!」
決まってマリータは最後にフローチェに向かって、両手を胸の前で握りしめながら半泣きとなって宣言するのだが、彼女が宣言通り頑張ることはほとんどない。
本来であれば、自分のミスは自分で処理するべきなのに、キストに書類を渡してしまうと鼻歌まじりで自分の席へと戻っていく。
「ああん!どうしよう!私、何処まで計算したのか分からなくなっちゃった!」
そうして自分の席に戻ると、お決まりのセリフを言うのだ。
会計事務所に勤めているのに、自分の仕事が何処まで進んでいるのか分からなくなる、計算を何処まで進めていたのか分からなくなる。故に、人の2倍から3倍、書類を処理するのに時間がかかった上で、計算ミスをしてしまう。
「フローチェさんに呼び出されたんだから仕方がないよ」
「落ち着いて仕事をすればいいんだから」
「はい!頑張って仕事します!」
彼女は書類の三分の二は非常に正確に処理が出来ていると言うのに、三分の一がわざとやっているのかと思うような間違いのオンパレードとなるのはいつものこと。
この際、全部間違えてくれるのなら、『貴女は絶対にこの仕事が向いていない』と宣言してクビにすることが出来るのに、ある一定の量は正確に出来るのだ。
そして間違いを指摘すれば悪者にされるのが上司のフローチェになるので、思わず大きなため息を吐き出してしまう。
マリータが入社して以降、社内の雰囲気は男性陣だけがお花畑へと変化して、女性陣は地獄の番犬が唸り続けているような状態に変化しているのだ。何しろ、こちらが善意で指摘をしているというのに、
「すみません!すみません!すみません!」
と、過剰な謝罪が返ってくる。
「そんな謝らなくても大丈夫よ〜!」
と、最初は笑って済ませていた女性職員たちも、いつの間にか自分が悪者になっている構図に嫌気がさした。今では事務所内でマリータに関わる女性職員は、彼女の上司という立場のフローチェだけになっている。
自分の仕事の範囲がわからなくなったマリータが、隣の席のベレンセに指導を受けながら仕事を始めたのを眺めると、目の前の書類の束をまとめてフローチェは立ち上がった。
束ねた書類を持って所長室へと行くと、眼鏡かけて新聞を読んでいた所長のドミニクスに対して、開口一番、
「マリータに私の後任、本気で無理じゃないでしょうか?」
と、宣言したのだった。
小柄なドミニクスは新聞をデスクの上に置き、メガネを外して自分の眉間を揉みながら、
「だよね〜」
と言い出した。俯くドミニクスの白髪頭を見つめたフローチェは、
「私、三日後にはここを辞めるんですよ?」
わかっているんですよね?というように問いかけると、ドミニクスは大きなため息を吐き出した。
「とりあえず、当分の君の仕事が僕がやるようにしよう。マリータには当分、今と同等程度の仕事を任すことにして、使い物にならなきゃクビにするよ」
「出来るんですか?」
「うー〜ん」
経営分析に定評があるブローム会計事務所で、その仕事に携わってきたのがフローチェとなる。その彼女が、結婚を機に仕事を辞めることになった為、後任として新しいスタッフを雇うこととなったのだが、後任予定のマリータが想像以上に使えなかったわけだ。
入社試験として行なった計算問題で満点を叩き出したマリータは、経営学に興味があって独学で勉強をしていたし、フローチェの元で経営分析を学びたいと意欲を持って入所をしたはずなのに、こんなはずじゃなかった状態に陥っている。
「まあ、何とかなると思おう。僕は君のことを自分の娘のように思っているし、君には幸せになって欲しいからね!事務所のことは気にせずに、ダミアン君と幸せになりなさい!」
「ありがとうございます!」
「君の送別会は、君が最後の仕事の日となる三日後に、トナカイ亭で行う予定でいるから、お腹を空かせておきなさい」
「はい」
フローチェは花開くような笑みを浮かべた。
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