第258話 異変

 俺たち二人は10時30分出航のクルーズ船のチケットを買って乗り込んだ。


 夏休みの終わりとはいえまだまだ暑いが海風は気持ちがいい。


 「薫子、なんか二人きりは久しぶりだね。」

 「そうね、前は二人だけのミス研だったけどずいぶんと賑やかになったもんね。」


 そういうと薫子は美しい銀髪を耳の上までかき上げてデッキの手すりにもたれかかる。

 今年流行りのグリーンのノースリーブのワンピースがまぶしい。

 少し口数少なめの薫子は可憐で、俺は思わず恋に落ちそうになった。


 いかんいかん、コイツは粗暴で性格が悪いのだ、騙されててはいけない。


 子供の頃から薫子に何度も何度もドキドキさせられたあと何度も何度も奈落に突き落とされてきた俺のメンタルは強靭きょうじんであったのである。


 なんにせよ、ここは俺がリードしてデートを成功しなければならない。


 こうして二人を乗せたクルーズ船は出航したのである。


 澄み切った空に高い入道雲、心地いい海風は猛暑を忘れさせてくれる。


 「薫子、風がむちゃ気持ちいいな。」


 「そうね、街は暑かったのに船の上は別世界だわ。」


 「と、とりあえず今日はデートという建前だからて,て,手など繋ごうではないか。」


 「何それ、どこかの悪代官みたいた喋り方、ウケるう。」


 薫子はケラケラ笑いながら差し出した手を握ってくれた。


 騙されてはいけない!と思いながら俺はドギマギが抑えられなかった。

 夏の日差しに薫子の唇が、リップだろうか、キラキラ光って目を奪われた。


 いや、決してキスしたいとかそんな恐ろしいことは考えてないぞ。

 俺は自分で自分に言い訳をした。


 クルーズ船は和田岬の沖合をゆっくり航行しながら瀬戸内海を目指す。

 ここには川嵜重工と神崎重工の潜水艦建造工廠せんすいかんけんぞうこうしょうがあり、それぞれ一隻ずつ浮上して寄港しているのが見れる、これも醍醐味だいごみの一つだ。


 そう言えば川嵜重工側の潜水艦は母さんの乗り込む「はくげい」であった。


 潜水艦には窓がないので母さんに目撃されることはないのだろうが、なぜか無駄な緊張感きんちょかんが走った。

 万一薫子と手を繋いでつないでクルーズ船に乗っているところを母さんに目撃されたら後で何を言われるか。ちょっと勘弁かんべんしてくれ状態になるのは間違いないだろう。


 そんなことを考えている間に、俺はある違和感いわかんにとらわれた。


 クルーズ船の予定航路よていこうろ神戸港内こうべこうないをぐるりと回って六甲大橋ろっこうおおはしの下に向かうはずなのだが、明らかにそのコースを逸脱いつだつしている。


 薫子は気がついていないようだが、クルーズ船は明らかに予定航路を外れて外洋にむかっているようだ。


 オレの中でウブな中学生モブ男子から内閣情報局ないかくじょうほうきょくエージェントへスイッチが切り替わる。

 思わず薫子を強く引き寄せて庇うかばうように抱きしめた。


 


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