第23話 生きたい

 馬車の外では、激しい物音がしている。

 さすがにマリベルにも、これが襲撃なのだと分かる。一人で外に出ているクリステルがどうなっているのか、いったい何が起こっているのか心配だったが、そんなマリベルをルイーゼがしっかりと抱き留めているために身動きできずにいた。


「ルイーゼ、早く助けを呼ばないと……クリステルが」

「大丈夫よ、この町中で派手な戦闘をできないのは、誰だか知りませんけれど相手も同じ。ならばクリステルの敵ではなくてよ」


 何と戦っているのか、それすらも分からない状況で、ルイーゼは暢気にそう告げる。その自信は信頼からきているのだろうとは思うものの、マリベルにとっては何から何まで初めての経験。カーテンの向こうが赤く光るのは、クリステルが得意とする炎の魔法のせいだろう。馬車の中をときおり真っ赤に染めるその魔法が、派手ではないとは思えず、何度もルイーゼを見返すマリベルだったが、彼女は心配などしていないようだった。


「クリステルは、チャールズの弟子よ。しかもただの弟子じゃないわ、押しかけストーカー弟子、チャールズ教信者だから。魔法、肉弾戦、心理戦、なんでも嬉しそうにやる酔狂者ですの、彼女の名誉のために見ないで差し上げて」


 護衛並に強いとは聞いていたマリベルだったが、チャールズ教信者というのは初めて聞く。そもそも、チャールズも謎に満ちた紳士でもある。


「マリベル以外、皆、自分の身は自分で守れますわ。ただし前提条件として、クライド様の側でも、という言葉付きです」

「……ルイーゼも?」

「今、この馬車を水で覆っていますわ。そうしないと馬鹿みたいに燃やし尽くすクリステルの魔法で、馬車ごと炭になりかねなくてよ。嫌だわ私、煤は嫌いですもの」

「派手に魔法は使えないって、言いましたよね?」


 ほほほほ、とルイーゼが笑うのと同時に、今までで最高に赤い光に包まれ、ごうごうと周囲から轟音がするのは気のせいだと思いたいマリベルだった。

 それが最後だったらしく、しばらくするとしんと静まりかえる。

 ルイーゼはマリベルに座ったままでいるように告げて、カーテンの隙間から外の様子を覗う。すると一つため息をもらした。


「クリステルに何かあったの?」

「その逆ですわ……まったく、あの脳筋娘は」


 ルイーゼが毒づいている。

 いや、常から彼女は毒づいているのだったとマリベルは思い直していると、外から馬車の扉を開かれ、煤けた顔のクリステルが戻ってきた。

 彼女の無事をほっとするマリベルと、あからさまに嫌そうな顔をして、煤まみれのクリステルから逃げるように身を退けるルイーゼ。


「買い物は中止だ、一度城に戻った方が良さそうだ」

「馬と御者は無事ではありませんの?」

「いや、無事だけどさ……」


 クリステルが煤けた指で頬を掻きながら、ばつが悪そうに後ろを気にする。いったい外はどうなっているのかとマリベルが彼女越しに外をのぞき見ると、そこは黒く焦げた煤が一面に広がっていた。

 驚いて身を乗り出して外を眺める。

 いや、一面ではなかった。マリベルたちが乗る馬車と、いななく馬、それから尻餅をつく御者の周囲は煤一つない。だがたまたま通りかかった路地は、煤で真っ黒だ。特に馬車を取り囲む地面は、何かがこびりついたかのようにどろっと溶けたものが。


「あれは……何なのかしら?」

「なんか、よく分からない魔物。切っても死なないし、増えて襲ってくるから燃やした」


 それを聞いてルイーゼが頭を抱えている。

 そうこうしている内に、周囲に人が集まって、騒がしくなってきてしまった。

 ルイーゼが集まった人々から隠すように、素早くマリベルを馬車に再び押し込む。


「よいですこと? ただでさえ変な噂が流れているのに、あなたがマリベルだって知られたら噂を消すどころではなくなってしまいますわ。ここは私とクリステルで処理をするので、中で待っていらして」


 そう言うとルイーゼは、馬車の扉を閉めてしまった。

 しかしすぐに町を警備する人たちがやって来て、クリステルたちから事情を聞いている声が、車内にも届く。そしてしばらくしないうちに、野次馬たちも追い払われたのだろう、周囲の騒音も次第に少なくなっていった。

 港湾官吏棟へ連絡が届いたのか、現場にクライドもやってきた。そうしてマリベルたちは揃って城に戻ることができたのだった。


 マリベルの馬車がいったい何の魔物に襲われたのか。そして魔物らしきそれらが、偶然たまたま現れて襲ったのがマリベルたちの馬車だったのか、それとも何か作為的なものだったのか、調査をしても判別がつかなかった。

 だが昨朝の事件のこともあり、マリベルは安全のためにアッパーカーン城に籠もるよう言い渡されてしまう。

 マリベルとしても迷惑をかけたくないので、そのことに不満はないが、カーンの町を見て回ることができないのは残念に感じていた。

 短い時間だったが、沢山の人々が暮らす町に溶け込んで、店を見て回るのはとても楽しかった。宝飾店のマツリとの話も、とても興味深かったと、彼に貰った髪飾りを付けながら、マリベルは振り返る。

 既に馬車が魔物に襲われてから、既に三日が経過している。

 調査に進展はなく、それだけにクライドは忙しく外出する時間が多く、ドラコニア城で過ごしたようにお茶を一緒に楽しむ機会はまだ訪れていない。

 その忙しいクライドの補佐であるチャールズはもっと忙しく、マリベルは今日も彼の顔をまだ一度も見ていない。

 そんな執事の穴を埋めるには、侍女たちもいつも以上に仕事をこなせねばならないらしく、今はそれぞれが外出している。それらに影響されないオルコットは、これまた食材の買い出しなどで留守だった。

 マリベルはいま、たった独りで城の留守番をしている。

 とはいえやることがなくて暇を持て余している。請け負っている掃除は、朝から侍女たちの部屋などを回って済ませた。食堂の片付けも買って出たが、そもそも六人しかいない城の中、すぐに終わってしまう。やることがないからと自分の部屋に戻っても、本を読むくらい。

 それなら天気も良いことだし、花の手入れでもしようと、はさみを片手に庭に出ることにする。

 燦々と照りつける太陽は、まだ夏のようだ。南部のカーン港は、秋がとても短い。一年の多くはシャツ一枚で過ごせる気候らしく、雪が積もる冬が長い聖都生まれのマリベルにとって、そういう部分でも興味深い土地だ。

 庭に生える草花も、聖都でいうなら真夏を象徴するような植物が、一年を通して花を咲かせるという。強い色合いの花が多く、とても飾りがいのあるものばかりだ。いくつかを部屋に飾るために切って、それから雑草を少しだけ抜いたりしてみる。

 綺麗になった庭を見るのは気持ちが良いが、少しだけ暑くて汗をかいた。

 マリベルが日陰に入って、ほっと一息ついた時だった。


「……あれは、何だったかしら」


 赤い花が咲く垣根の向こうに、こんもりと赤い、何かがぽつりと一つだけある。

 あんなところに、新しく樹を植えたかしら。そう思って目を凝らすが、昼下がりの太陽がつくる陽炎が目を霞ませる。

 花を置いて、マリベルはどうしても気になって、その赤い何かの方へ歩き出す。

 しかし数歩、歩み寄った先に見えたのは、花ではない気がしてくる。

 花どころか、植物でもない。だって不自然に動いているのだから。


「まさか……」


 塊から、低いうめき声が上がるのと同時に、四肢が伸びて立ち上がった。

 その何かは、黒と赤い毛を逆立てながら、四つの足を大地に立て、燃えるような金の瞳がマリベルを真っ直ぐ捉える。


「……ま、魔人?!」


 マリベルはもつれそうになりながら、必死に踵を返す。

 逃げなくては。

 そう思うのに、足は思うように動かず、逃れたいのに目の前の赤黒い獣から目も離せられない。

 まるで時が切り刻まれたかのように、ゆっくりとマリベルを獣が追って近づいてくる。

 大きく覆い被さるように広げられた足には、鋭いかぎ爪。口元の鉄製の猿ぐつわからは、真っ赤な炎が漏れて、くぐもった咆哮とともにマリベルの首元へと襲いかかる。

 伸ばされた太い前足が、マリベルの肩に爪が食い込ませながら、細い身体を簡単に突き飛ばし、地面へと落とされていく。

 もう駄目だ。

 マリベルは死を覚悟した。

 だがマリベルが解放されたのは、生ではなく、のしかかる恐怖と潰されそうな重みからだった。

 ふと身体が軽くなった瞬間に、目の前に太く大きな鉄剣がかすめていく。同時にけたたましい悲鳴を上げながら、獣が弾き飛ばされていった。

 何が起こっているのか、マリベルには理解が追いつかない。

 だが分かるのは、助かったということ。

 飛ばされた獣を追い、マリベルの盾となるように大剣を構えて立つ、華奢な少年の背を見ながら、マリベルはそれだけを理解する。


「貴様には、見覚えがあるぞ……三年前の死に損ないか」


 少年はマリベルに背を向けたまま、遠くでよろよろと立ち上がる、四つ足の獣に剣を向けたのだった。

 燃えるような黄金の髪、華奢な身体に見合わない太く大ぶりの剣、そしてちらりとマリベルを見るその目の色に、彼が誰なのかを悟る。


「邪魔だ、行け!」


 そう告げられて、マリベルは震える腕に力をこめて、必死に立ち上がる。そして獣とは反対方向、城への入り口に向かって走り出した。

 しかしマリベルの背後からは「チッ」という舌打ちが聞こえる。


「お前の相手は俺だ」


 走るマリベルを照らす太陽から、大きな影が覆い隠した。

 だが次の瞬間には再びマリベルは光の下に晒され、影は取り払われる。乱れた息のなか、振り返るマリベルの目に入ったのは、獣の尻尾を片手掴んで庭園の大樹の幹に投げつける少年……いや、皇太子ギディウスの背中だった。

 なんて怪力なのだろう。

 マリベルはそう思いながらも、走りつづけて庭園から城へ繋がる廊下への扉を開き、そこに入ってしゃがみ込む。

 はあはあと上がる息を整えながら、汗を拭う。

 どうして完全に要塞のようだと言われるアッパー・カーン城の中に、魔人が? よりにもよって、マリベルが独りの時に? 

 様々な疑問がもたげる中、マリベルは肩の激痛に顔を歪める。

 食い込んだ爪が、そこから肌を引き裂いたらしい。どくどくと血が流れていくのと呼応して、身体から魔力までも奪われていくようだった。


「……怖い、私、どうなるのかな」


 マリベルは左肩を抱き込むようにして蹲るマリベル。もたれた背中だけでは身体を支えられずに、壁から崩れ落ちていく。

 重くなる瞼を必死に開けていようと、マリベルは必死に瞼を瞬かせる。

 心の中で、助けてと叫ぶも、それを誰に求めているのかもよく分からない。

 冷たくなっていく手と足。

 最後の力を振り絞って、マリベルは肩の傷を掴んでいた真っ赤に染まる右手を掲げる。


「……い、きたい」


 生きたい。生きていたい。そう望む世界を見つけてしまった。

 だがマリベルは魔法具を、使うことはできない。全ての魔法を打ち消してしまうから。その能力は、傷ついて倒れそうになるこの瞬間ですら、マリベルを解放してくれないのだ。

 血だまりの指にはまる指輪が、何の光もともさないことに、マリベルは絶望する。

 溢れる涙が頬を伝う。

 マリベルは、そのまま意識を失ったのだった。

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