第22話 不思議な宝石商

 無残な事件の手がかりが何一つ得られないまま、翌日にはカーン港に日常が戻っていた。

 ドラコニア公爵領の物流、しいては経済を支えるカーンの商いを止めることは、領主であるクライドにも難しいことなのだと知る。

 海からは他領からの品物を乗せた大型帆船が入港し、半日遅れの荷下ろしが始まっている。陸側の道路からは、逆に他領へと出荷する穀物を乗せた、馬車が港を目指して行列をつくっている。それらの道と同じように、水路にもまた小舟が行き交う。

 町にはいたるところに賑わいがあり、市場が建ち並び、人の営みがうねりのようにカーンという都市を形作っているかのようだった。


 マリベルは侍女に扮したまま、クライドとチャールズ、それからクリステルとともに馬車で町を訪れいた。目的地は、カーン港の視察に訪れるクライドへの同行。一度港湾の官吏事務所に訪れた後、クライドたちとは別れて町の商店を訪れる予定だ。

 港や町の様子を見られるとあって、マリベルは今日をとても楽しみにしていた。


「お待ち申し上げておりました、ドラコニア公爵閣下」


 クライド一行を待ち構えていたのは、カーン港の管理を任されている責任者、アルベルト・デュッケ。四十台半ばくらいの細身の男性だった。彼は元々聖都ヴァルハリウスで要職についていた人物のようで、とても洗練された貴族男性のように見えた。


「昨日はご苦労だった、港湾事業の方は問題ないだろうか」

「はい、今年も順調に問い扱い量が増えておりまして、新たな桟橋を増設するよう要望も出ているくらいでございます」


 それを聞いてクライドは、小さく頷いた。

 デュッケはクライドのそんな素っ気ない態度に慣れているのか、気にした様子もなく満足そうに微笑んでいる。そしてチャールズにも時節の挨拶をした後に、クリステルとマリベルの方へもにこやかに顔を向ける。


「おや、新しい侍女を雇われたのですか?」


 当然、クライドの周囲に人が少ないことは把握しているらしく、クリステルとさえ顔見知りの彼は、見慣れないマリベルに気づく。チャールズとクリステルの方に驚いた様子で問う。


「ええ、まだ見習いですのでお気になさらず。一人前になりましたら、また改めてご紹介いたしますよ」


 チャールズの言葉を受けるように、マリベルは黙ったままデュッケに会釈をする。


「そうですか、ではその機会を楽しみにしております。しかし執事殿もご苦労が多いでしょう……ただでさえ人手が少ないところに、急に奥様までお迎えになられて」


 そこまで口にしてから、態とらしくハッとした様子でクライドを振り返る。


「お祝いを申し上げるのが遅くなり申し訳ありませんでした。カーン港職員を代表いたしまして、閣下にはこの度の御婚礼、お祝い申し上げます」


 深々と頭を下げるデュッケだったが、周囲に控えている彼の部下たちは、互いに顔を見合わせながらつられるようにして頭を下げた。

 その姿は、マリベルの目から見ても、困惑というか、歓迎されていないのだろうと覗える。

 だがそのくらいのことは、事前に噂を流されていることを知っているマリベルたちには、予想済みだ。


「奥様にはいずれご挨拶できましたら光栄でございます」


 きっと社交辞令だろう。マリベルはそう思いながら控えていると、チャールズは平然としたまま逆に問う。


「そう出来たら良かったのですが、どうも奥様についてあらぬ噂が流されていると聞きまして、とてもお連れするのは忍びなかったのですよ。いやですねえ、どこから流れてきているのか……デュッケ殿はご存知ではありませんか?」

「い、いや……私にはなんとも。なにやら町人たちが話しているのは、耳にしておりますが」

「なんと、デュッケ殿の耳にまで。そうですか、そうですか……ではきっとすぐにでも収まるでしょうな。カーンを取り仕切る官吏は、みなさま優秀でございますから」


 頬をひくつかせるデュッケと、その部下たち。

 チャールズによって、主人の妻への悪意ある噂を放置するなと、嫌味を言われたことくらいは理解したようだ。そしてそれが単に嫌味などではなく、クライドを前にしているのだから、命じられたも同然であることも。

 そうして挨拶を終えると、クライドは具体的にカーン港工事の話に入るという。マリベルたちがそこまで付いていても仕方がないので、そこからはクリステルとともに港から続く市場へと移動することになった。

 クリステルたちの買い出しはいつものことで、案内の職員も慣れた様子だった。港湾官吏棟から人が行き交う市場通りに入るまで付き添い、そこから新しくできたという店を案内してくれたのだった。

 市場は港に上がった海の産物で溢れていて、とても活気があった。食材だけでなく、買い物客に食事を提供する露店も多く、そこかしこで美味しそうな匂いがしている。マリベルたちはそれらの店に惹かれながら、お土産は何を買って帰ろうかと相談しながら歩く。

 そしてしばらく行った先、露店が途切れる市場通りの端に、大きな店の前に辿り着く。


「ここは、今カーンで女性たちに一番人気の宝飾店ですよ。ご覧になって行かれますか?」


 クリステルとマリベルは、顔を見合わせる。


「ルイーゼとの待ち合わせ時間まで、まだ余裕があるから寄っていこうか?」


 その誘いに、マリベルは躊躇うことなく同意したのだった。

 店に入ると、確かに女性客で賑わっていた。中にはガラス張りの棚がずらりと並び、美しい石が付けられたネックレスやピアス、髪飾りなどの宝飾品が並べられていた。

 どれも石は丁寧に加工されていたものの、市場通りにあるだけあって、小さめで手頃なものが多かった。

 そんな商品を眺めていると、案内役が店員に呼び止められて何かを話していた。気になってその姿を見ていると、マリベルたちの元に店員を連れて戻ってこう告げた。


「お二人に、別室で商品をご覧いただきたいそうです。店主からのお誘いですが、どうしますか?」


 有り難い申し出だったが、クリステルもマリベルも、宝飾にさほど興味はない性質だ。これがルイーゼだったならば、見る価値があったろうが。

 そういうこともあり返答に窮していると、控えていた店員が小さな声で囁く。


「当店は特別な魔法具も、取り扱っております。よろしければそれもご案内いたします」


 それを聞いてクリステルの目つきが変わる。

 彼女は、魔法に関してはかなり造詣が深い。マリベルはまだ詳しくは知らないのだが、魔法をチャールズによって仕込まれたのだと、少しだけ聞いている。そういった事も関係しているのか、魔法具についてはクライドに次ぐほど何でも知っていた。


「せっかくですから、見せていただきましょうよ」


 マリベルが気を利かせてそう言うと、クリステルはほんのり頬を染めながら、咳払いをする。


「そう言うなら、少しだけ」


 そうしてマリベルとクリステルは、店員に招かれるままに店の奥の部屋へ。

 案内された先で待っていたのは、とても若くて美しい男性だった。宝石商というと、それなりに経験を積んだ商人という印象があったマリベルは、その青年が店主と聞いて驚く。

 だがそういう反応も慣れたものなのか、相手は気にする様子もなく和やかに二人を招き入れる。


「私は、この店の主、マツリと申します」


 すらりとした背の高い男性は、優雅な仕草で右手を胸に置き、マリベルとクリステルに頭を下げた。少しだけ肩にかかる髪は、珍しい黒と見紛うほどに濃い色で、端正な顔立ちだ。赤みがかかった茶色の瞳はどこか神秘的ではあるが、目元は涼しげで、口元は微笑みをたたえ、優しげな雰囲気がある。

 宝石商ではなく、どこかの貴族令息と言われても、素直にそうなのだろうと納得するほどの容姿だった。


「公爵家の方々にお会いできて光栄です。どうか心ゆくまでご覧になっていってください」


 そうして二人の前に、重厚なケースを取り出して開ける。

 中にはベルベットの布が張られ、宝石が並べられていた。


「私たちは使用人だ、高価なものを売り込んでも、買えやしないよ」


 クリステルがそう言うが、店主は「大丈夫です」と言いながら、宝石の一つを手にとって見せる。


「これらは丁寧に磨いて削ってありますが、実は安価な石ばかりです。ですがこれらの価値は、あなた様方にならお分かりいただけるはずです」


 店主は部屋の壁に並べられたグラスを取り、手にした青い宝石をその中に入れた。

 すると石が光りながらぶくぶくと水を溢れさせて、あっという間にグラスを水で満たしたのだ。


「ご覧の通り、私は公爵閣下と同じく『黒持ち』ですので、様々な種類の魔法を扱うことに長けておりまして、特に物に魔法を付与するのが得意なのですよ。ご注文いただきましたら、誠心誠意対応させていただきます」


 つまり、どんな魔法具でも作り出せると言っているのだ。

 それから店主は他にも様々な石を見せて、二人に説明していった。基本的な炎や水はもちろん、光や文字を記憶するものなど……中には何に使えばいいのか分からないものまであり、魔法から遠い位置で暮らしてきたマリベルにとって、どれも珍しく楽しかった。

 だが今日は買う予定で来たわけではなかった。持ち合わせのお金を考えて、申し訳なさそうにするマリベルに気づいた店主が微笑む。


「いいのですよ、お気になさらず。ぜひ、私のことを覚えていてくださって、必要な時にお呼び立てくだされば」


 そう言って何も買わずに帰る二人の手を取り、店主は土産だと小さな袋を押しつける。中は実用的な髪飾りだと言うので、断るのも申し訳ないと受け取ることにした。

 そうして店主マツリは「またいつでもいらしてください」と二人を見送ったのだった。

 宝飾店を出てしばらく歩いた先で、マリベルたちは仕事を終わらせたルイーゼと合流する。そして案内役をしてくれた港湾職員に礼を告げて別れたのだった。

 三人の目的は、この町で唯一ドラコニア公爵家の御用達の服飾店だ。庶民の台所でもある市場通りから少し離れた場所にあるそうで、待ち合わせの場所から馬車に乗る。


「まあ、二人ともすっかり絆されて……やり手ですわねその店主」


 ルイーゼに宝飾店でのことを報告すると、土産の髪飾りを広げている。中にはしっかりと三つ入っていて、その言葉が出たようだ。

 そうして笑い合いながら、向かうは馬車でほんの少し走らせる程度の距離で着くはずだった。

 三人を乗せた馬車が、急停止した。


「……きゃっ」


 ガタンと揺れる車内で、椅子から滑り落ちそうになるマリベルを、横に座るクリステルがとっさに支える。

 困惑するマリベルと違って、向かいに座ったルイーゼは冷静にカーテンに指を添えて、そっと外の様子を覗っている。一方でクリステルの方はというと、スカートをまくし上げて、足に巻いたベルトから、細いナイフのような武器を引き抜く。

 ぎょっとしてそれを見守るマリベルを、クリステルは押しつけるようにして座らせる。

 それと同時に、馬車の外で御者が呻き声を上げる。


「マリベル、ルイーゼから離れないで」


 そう言うと、クリステルは馬車の扉を開けて飛び出して行ったのだった。

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