番外編 シャルロッテ・コールフィールド

 その日、シャルロッテ・コールフィールド子爵令嬢は、十八歳の社交界デビューの日を迎えていた。

 コールフィールド家はアンブロワーズ神聖帝国の聖都ヴァルハリウスの片隅に居を構える、歴史だけは長く続く領地を持たない末端貴族である。

 帝国建国時より続く忠誠に対して、子爵家に与えられた権限は、絹織物組合の栄誉職とその利益に対する僅かばかりの取り分のみだった。

 古い絹織物組合は振興の商組合に押されるばかりで、昨今のコールフィールド家には大した利益が入るようなものではなくなっていた。

 それゆえに、シャルロッテは幼い頃から贅沢など経験はなかった。

 シャルロッテの淡く桜色を帯びたゴールドの髪と、大きく愛らしい空色の瞳、細いなりに女性らしい体つきは、豪華な衣装を纏い上質な紅をぬらなくともその美貌は人目を惹く。だからといって、せっかくのそれらの美点をみすみす放置するのは、シャルロッテ自身ももどかしさを感じて、常に自分の置かれた立場を嘆き何とか不幸な窮地を脱する機会を狙っていた。

 だが貧しさは成人前の少女にとって越えられぬ壁であり、そしてそれ以上にシャルロッテを苦しめる足枷があった。

 それは姉、マリベルの存在だった。

 行儀見習いで離れて暮らすようになり、これでようやくコールフィールド家の疫病神から解放されるかと思っていたのに、姉は行く先々で役立たずの烙印を押された。それは姉自身が魔力を持たず、蔑まれているからだ。

 だがシャルロッテは姉と違い、豊富な魔力を有しており、健康で、美しい、どこに出しても不足はない貴族令嬢だ。

 だというのに、姉が不出来なために、妹であるシャルロッテも同じような目で扱われるのだ。それがまだ社交界に出られぬ未成年のシャルロッテでは、違うことを証明できない。

 悔しい思いをしながら、待ちに待ってようやく迎えたその日。

 シャルロッテは輝かしく、誰よりも注目を集めて、賞賛されることになるはずだった。


「あなたが、ドラコニア公爵夫人の妹ですのね……今日はお姉様もご一緒ではございませんの?」

「シャルロッテ嬢、どうかあなたの口添えで、義理の兄君をご紹介いただけないだろうか」

「公爵家から援助をいただいているというのは、本当ですの? お父上に、今度ぜひご一緒に狩りをお誘いしてもよろしいかしら、とても良いお話しがありましてよ」


 にこやかに声をかけてくる者たちは、全て姉と姉に繋がる金しか見ていなかった。

 そして声をかけずに遠巻きにしている者たちは、シャルロッテがせいいっぱい用意したドレスの質を笑い、そして頼りない両親を見てほくそ笑んでいる。

 シャルロッテは恥ずかしさと情けなさで、頭がどうにかなりそうだった。

 よく言えば純朴、シャルロッテにとっては凡庸で要領の悪い両親は、ドラコニア公爵家から支度金として送られてきた金に、手をつけようとしなかった。

 これまでシャルロッテの訴えを受け入れ、マリベルを追い出しておきながら、まだ自分たちを善良だと信じて疑わないのだ。だから彼女の嫁入り資金として手に入ったはずの金を、借金返済のためにすら回すことをしない。シャルロッテからしたら、彼らは善良を装って罪悪感から逃げているに過ぎない。今までだってそうだ、行儀見習いを理由に追い出しても、縁を切る勇気はない。そうして優柔不断さが、何も出来ない理由なのだと思っている。

 だがシャルロッテは、父親の執務机に大事に仕舞われていた手紙を盗み見ている。公爵家から直接、絹織物組合へ資金援助がなされたことを知らせる手紙だった。


「あのお金を取っておく意味なんてないのに……」


 人々の好奇の目を逃れて庭園に出たシャルロッテは、無意識に爪を噛む。

 姉がまた失敗をして公爵家から離縁を言い渡される前に、何としてでも自分だけは良い縁談に与り、あんな情けない両親から独立しなければ。そのためには自分の印象を変えるほどの、努力が必要だ。何としてでも両親に金を使わせねばならない。

 シャルロッテがイライラとしながらも、今後の身の振り方について頭を巡らせていると、庭園の奥から誰かが歩いてくる。


「誰だ、ここは立ち入り禁止のはずだ」


 そう言いながらシャルロッテの元に現れたのは、黄金の短髪で、澄んだ海の色の瞳をもつ少年だった。

 不遜な表情にシャルロッテはにわかにムッとするものの、彼が来た方向は皇家の離宮がある。華奢な体躯に、上級士官の黒いジャケットを肩から羽織り、中のシャツは首元をはだけ、タイを緩めている。どこかの上級貴族の子息なのだろうと思い、シャルロッテはスカートを摘まんで膝を折った。


「デビュタントに参りましたが、緊張のあまり迷い込んでしまいました」


 シャルロッテの優雅で丁寧な挨拶は、堂々としたものだった。

 だが彼女を見下ろす少年は、鋭い目線を緩ませることはなく、居丈高のままに彼女の礼を受けている。

 十五、六くらいにしか見えない少年だったはずが、シャルロッテはまるで蛇に睨まれているかのように息を殺して頭を上げぬよう、堪える。すると……


「デビュタントなら仕方ない、赦す。だが二度目はないと思え、不敬罪に問われたくなくばな」


 不敬罪という言葉に、シャルロッテは頭を下げたまま、冷や汗をかく。

 そういえば、今日の夜会会場は、皇太子ギディウス・ジル・アンブロワーズ殿下の離宮の側だと思い当たる。


「ありがとうございます、殿下。私はシャルロッテ・コールフィールドと申します、お叱りはしかと……」


 シャルロッテは、無礼を承知で賭けに出た。

 問われてもいないのに、名乗りを上げるのは無礼にあたる。だが四英傑と称される皇太子は、風の噂でドラコニア公爵の急な婚姻に難色を示していると聞く。ならばシャルロッテの名前を聞いて、興味を持たないはずはないと考えてのことだ。


「……コールフィールドだと?」


 案の定、皇太子ギディウスは声音を変える。


「はい、コールフィールド子爵家の二女でございます」

「お前が、クライドの妻の妹か」

「そう聞いて……いえ、申し訳ありません。姉とは連絡がつかず、それが本当のことなのか私は信じられなくて」


 シャルロッテは、ハンカチを口元に当てて、目を伏せる。


「まさか、手紙のひとつも寄越さぬわけではなかろう」

「それが……私と両親からは何度かお送りしたのですが……姉は少し普通と違うところがあり、公爵家でご迷惑をおかけしているのではと心配でなりません」


 あくまでも姉を心配する素振りを見せるシャルロッテ。こうしたことは慣れたもので、彼女は常に不憫な姉を配慮する妹として振る舞ってきた。


「殿下、いきなりこのような事をお願いするのは心苦しいのですが……姉に会えるようお口添えを願えませんか?」


 瞼を潤ませるシャルロッテに、皇太子は眉を寄せるが、無礼を叱責するそぶりはなかった。

「悪いがその願いは聞き入れられない……ドラコニア領にはまだ転移制限が課せられている。俺ですら入れないのだ」

「そうですか……」


 だが失意の令嬢に向けて、皇太子は「悪いな」と小さく呟くのをシャルロッテは、聞き逃さなかった。

 彼は皇子として振る舞いつつも、その見た目よりもお人好しなのだ。

 俯き、押さえるハンカチの下で、シャルロッテの赤い唇が、ゆっくり弧を描くのだった。

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