第18話 早まる鼓動

 姿は見えない存在からの突然の焔の攻撃は、ドラコニア城を攻撃し続けていた。

 大きな火の玉のようなものが空から降ってきて、クライドが維持する結界にぶつかっては、小さな火花を散らしながら湖へと落ちていく。

 マリベルが連れてこられた部屋は、クライドの私室の一角だった。

 ドラコニア城で最も堅牢な護りがあるのは、城主であるクライドの居る場所。だがそこは同時に、最も魔物を狩る魔法使いのための部屋でもある。当然ながら湖を見渡すガラス張りの大きな窓があり、恐ろしい攻撃魔法を目の当たりにすることになった。

 青ざめるマリベルに、チャールズが告げる。


「私は、城下町へ向かいます、マリベルさんはここでクリステルとルイーゼがお守りいたしますので動かないでください」

「城下へ? あの焔が降る中を、ですか?」


 驚くマリベルの前で、チャールズはいつもの様子で笑ってみせてから、部屋の隅の壁を手で探る。そして壁の一部を押すとそこからレバーが出てきて、それを掴んで持ち上げる。するとその壁の中に、一本の錫杖が収められていた。

 チャールズはそれを手に取ると、普段は常にかけている丸い眼鏡を外して、側にいるクリステルに手渡す。そしてジャケットを脱ぎシャツにベスト姿になると、腕まくりをする。


「……危なく、ないのですか?」

「なに、ご心配には及びません。私は降りかかる火の粉を防ぐのみ。これでもかつては帝国魔法省に居りました身、老いても魔人の残党程度に隙は与えませんよ」


 帝国魔法省、それが国中から優秀な魔法使いだけが集められた組織なのは、小さな子供でもよく知っていた。かつてはクライドがその組織の長であったことも。

 チャールズは黒い皮の手袋を両手にはめて、改めて錫杖を握りしめる。


「では三人とも、マリベルさんをよろしくお願いしますよ」


 そう告げて、チャールズは一人元来た道を戻っていった。


「さあ、マリベルは着替えよう。疲れたろう?」


 クリステルとルイーゼに連れられて、マリベルは宴用に着ていたドレスを脱ぎにドレスルームへ向かう。その間、オルコットは窓辺で戦況を見守っているという。

 何かあれば合図をするという彼の言葉を受けて、マリベルたちはクライドの部屋から続く公爵夫人の部屋へと向かう。

 しばらく客間を使っていたマリベルだったが、婚礼の儀式を終えたら移動することになっていた。クライドとマリベルは契約結婚であるので、寝室を共にすることはない。そもそも魔力嵐を巻き起こすクライドと、同じ部屋で寝ること自体が不可能でもある。だからクライドの魔力嵐を封じる結界の外に、マリベルの部屋は用意された。

 化粧を落として動きやすい普段着に着替えたマリベルは、すぐに元の部屋に戻る。

 大きな窓から、赤い光りがまだ部屋を照らしていた。


「オルコット、戦況は?」

「どうやら、やっかいな魔人らしい……まだ決着がつかない」


 クリステルの問いに、オルコットが難しい顔で振り向く。

 マリベルは心配になり、引き留めようとするルイーゼを振り切って窓辺に走り寄る。

 すると窓の下に広がる湖は、幾筋も降り注ぐ焔によって、波立っていた。焔は湖上の一点を目指しているかのように降り、金色に光る稲光によって霧散していく。


「クライド様……」


 湖上に立つクライドは、雷を纏っているかのように、ほんのりと金に光っていた。その傍らには教皇ランドールの姿もある。

 その周囲を、黒い何かが這うように動いていた。禍々しい霧をまとい、赤い焔を口から吐きながら駆ける、黒い狼だった。

 どうやらクライドが焔の攻撃を防ぎ、ランドールが攻撃の隙を狙っていたようだ。狼が攻めあぐねて向きを変えた時、ランドールから光る矢が放たれた。

 だが当たると思われた瞬間、狼は大きく跳ねる。

 素早く身を翻し、湖畔の岩を蹴り、そしてドラコニア城の壁を蹴って跳ぶ。そしてマリベルたちがいる窓の前を過ぎて、尖塔の屋根に着地した。


「……っ」


 黒い毛に覆われた獣は、金色の瞳をした恐ろしい姿だった。だが口には猿ぐつわのような拘束具がはめられていて、そこから赤い焔が漏れ出ている。

 窓辺に立っていたマリベルは、そんな魔物の鋭い目と合った気がして、まるで獲物に狙われた小動物になったかのようで息が止まる。


「またあいつか……!」


 オルコットの言葉にマリベルはようやく正気に戻り、ドキドキと早まる鼓動を抑えながら彼を振り返る。


「本当にしつこいわ……でも今日こそ消滅させられるのではなくて? ランドール様がいらっしゃるのですもの」


 ルイーゼの言うとおり、尖塔の上で黒い狼が光の鎖に囚われて、瓦を破壊しながら落ちていく。

 激しい悲鳴のような叫びが、マリベルの耳に届き、つい顔を背けてしまった。

 あれが魔物だと分かっているが、実際に目の前で繰り広げられるような戦闘を目にしたのは初めてのマリベル。そんな彼女の肩に、クリステルの腕が添えられる。


「少し、離れていよう。慣れてくれとは言わないが、ドラコニア公爵領では、度々あることだから。ましてや、クライド様の側ともなれば……」


 マリベルは頷き、窓から離れた場所の長椅子に座る。


「あれは狼の姿はしているけれど、魔人の部類だ。これまで沢山の人々をあの焔で燃やしてきたんだ」

「……魔人、あれが」


 魔物と魔人は、明確に区別される。魔人族は知能が高く、高度な魔法を操る。時に魔物を従えて大々的に町を襲い、それにより多くの人を苦しめるために恐れられていた。

 マリベルはこれまで弱い魔物ですら、その存在を実際にはほとんど見たことはない。最初に奉公に出た時に、黒い猫のような大きさの魔物が町に出て、大騒ぎしたことはあった。だがそれもすぐに討伐されて事なきを得た。

 だから正直なところ、三年前の魔王討伐とて、マリベルには実感がないままに終わったくらいだ。


「魔人のなれの果てだ。先の討伐戦で、致命傷に近い傷を負って逃げたのだろう。恐らく、クライド様によって……だから復讐に来る」

「クリステルも、戦ったの?」


 マリベルの問いに、クリステルはあいまいに微笑む。


「私はここで育ったから……ドラコニア領は、魔物たちとの争いの最前線だからね」

「クリステルが特殊なのよ、全員が同じではなくてよ」

「まあ、孤児院は町の外れに建てられるものだから、真っ先に狙われる。子供でも魔法が得な者は、対応に駆り出されるんだ」


 クリステルは笑いながらそう言うが、マリベルが想像する以上の苦難があったのだろうと悟る。

 そして自分だけが何も出来ず、守られていることに引け目を感じてしまう。


「でもそれはもう過去のことだよ。魔王が討伐されたから、これ以上恐ろしい魔人が現れることはない。だから今度は、クライド様が穏やかに暮らせるよう私たちが尽くす番……まあ、たまにはこんな事もあるけれどね」

「そうよ、そういう意味では、マリベルが一番役に立ってくださるのですから、守られて当然ですわ。堂々としてなさいな」


 何かを口にする前から、クリステルとルイーゼにそう言われてしまい、マリベルは驚きつつもはにかむ。

 そうしている間に、降り注いでいた真っ赤な焔はいつしか見えなくなっていた。

 魔人の討伐は終わったのだろうか。マリベルがオルコットの方を見ると、彼は窓に張り付くようにして下を眺めている。


「くそっ、何なんだあれは……」


 何か異変があったのだろうかと、マリベルはクリステルたちと顔を見合わせる。


「マリベルはここに居て」


 クリステルがオルコットの元へ行き、窓の外を覗き込む。だがそのまま様子を覗っていたが、すぐにマリベルたちの元に戻って来たのだった。


「どうやら、仕留め損なったみたいだ。あの魔人はすばしっこいから、以前も隙を見て逃げ出している、今度こそと思ったのに」

「あら、英傑と呼ばれるお方がお二人も揃って?」


 ルイーゼが不思議そうにしていると、一部始終を見ていたオルコットが口を挟む。


「ランドール猊下の光の鎖に繋がれて、湖上に落ちたところまでは順調だったんだが……どこからともなく大きな翼をもつ鳥が現れて、あの魔人を攫っていきやがった」

「まあ、魔人がまだ他にも生き残っていたの?」

「いや魔人とは限らないが……」


 言葉を濁すオルコットを、クリステルが否定する。


「あの二人の隙をつけるのは、魔人くらいなものだろう、魔王亡き今は」

「そりゃあ、そうだろうけどよ、だが魔人が魔人を助けるか?」

「……確かに」


 その場の空気が重くなる。


「あの、魔人同士は仲間ではないのですか?」


 マリベルの問いに、三人は揃って首を横に振る。


「少なくとも、俺は戦場で傷ついた魔物や魔人を利用して攻撃してくる奴か、仲間を盾にして逃げる奴くらいしか見たことないな。しかも弱って掴まった者をわざわざ助けるなんて……」

「……チャールズからも、そう伺っていますわね」


 しかし注意することに越したことはないというのが結論だった。

 とりあえず今日のところは、突然はじまった襲撃が終わったと分かり、ほっとするマリベル。


「クライド様とランドール様がお戻りになるようでしたら、お迎えする準備をしましょうか?」

「そうですわね」

「ああ、じゃあオルコット、温かい飲み物を用意してくれるかな。ルイーゼは温かい湯の準備を、マリベルはクライド様の着替えを出してもらえるかい?」


 クリステルがいつものように、皆に仕事の指示を出す。

 それぞれが、各々の職に戻る。

 公爵夫人としては形だけのマリベルも、新たに仕事を振り分けてもらっていた。それは立場上から便利ということで、クライドの私物管理だ。魔物襲撃には何の役に立たないと自覚したマリベルは、少しでも皆のためになるようにと立ち上がったのだった。



 結局、その後は準備も甲斐無く、しばらく経ってもクライドは城に戻っては来なかった。先に帰ってきたチャールズによると、クライドとランドールは逃げた魔人を捜索しに向かったらしい。

 時刻は日付も変わる頃。用意された温かい湯も、すっかり冷めてしまっていた。綺麗にたたまれた服も、主のいない寝台に置かれているままだろう。

 自室に移って初日の、さらに一回り大きくなった寝台の端に座り、マリベルはうつらうつらと船をこいでいた。

 膝の上には、書きかけの日記。

 持っていたペンがいつの間にか手から離れて落ちていた。そして肌触りのよいシーツを伝って床に転がった音で、目が覚めた。


「……いけない、寝ていたのね」


 足元に落ちたペンを拾おうとしたのだが、それを誰かが先に掴む。

 顔を上げた先に、クライドが立っている。

 マリベルは慌てて立ち上がり、「お帰りなさい」と口にしながら近寄るのを、手で遮られた。

 薄暗い部屋の中でははっきりと分からないが、クライドは別れた時のままの服のようだ。


「ルイーゼがお風呂を用意してくれていたのですが、すっかり冷めてしまって……すみません、お疲れなのにクライド様に私から何もしてさしあげられず」


 人を起こして頼まねば、湯を温め直すことすらできない。なんという情けないことだと、マリベルは苦笑いしかできずにいた。

 だがそんなマリベルの思いとは裏腹に、クライドから出た言葉はそうではなく。


「恐ろしい思いをさせた、すまない……」


 マリベルを気遣うものだった。


「こういうことは、今後もきっと起こるだろう。だから我慢せず……耐えられなくなったら、遠慮無く逃げてくれていい」


 マリベルは驚いてクライドをじっと見上げる。

 いつも通り、表情は変わらず、そこから何も読み取れない。けれども、微かにだが揺れている気がした。

 もしかして怖じ気づいていると受け取られているのかと気づき、マリベルは戸惑いながらも、最初にリンデン=ブルーム城を訪れた日のことを思い起こす。

 何人もの令嬢が、行儀見習いに恐れをなして逃げ帰っているのだ。実際に、マリベル自身も、目の前の静かな人が恐ろしい魔公爵であるとの噂を信じていた。


「私は今、恐ろしいなんて思っていません」


 マリベルは、はじめて自分からクライドに手を伸ばす。


「だから……出て行けなんて言わないでください」


 クライドは長い睫を揺らしながら、少しだけ目を伏せる。そしてマリベルの指先が、頬に触れることを黙って許している。いや、まるですり寄るかのように見えて、マリベルの鼓動が急に早くなる。

 だがそうして触れたクライドの頬は、酷く冷たい。きっと今の今まで、長く夜風に晒されていたのだろうと悟る。


「やっぱり、お風呂に入ったほうが良さそうですね……あ、そういえば猊下は」


 クライドとともに戻らなかった教皇は、どうしているだろう。客人を放っておいて大丈夫なのかとマリベルは心配になるのだが。


「ランドールは、予定時間が過ぎても戻らないと本宮から遣いが来て、強制的に連れ帰られた」

「まあ、そうなんですね……それではクライド様だけでも、身体を温めてください」


 マリベルは強引にクライドを彼の私室へと引っ張っていく。


「申し訳ありませんが、お湯はご自分で温めてくださいね。着替えはこちらに……」


 案外、世話を焼かれ慣れているようで、クライドは素直に従うつもりのようだった。そんな様子にマリベルは安心して、自室に戻る。

 いつもならばクライドは就寝している時間だ。ようやく、慌ただしい一日が終わるのだ。

 マリベルが自分も着替えて寝台に潜り込もう、そう考えて衣装部屋に移動している時だった。ふと、大変なことに気づく。


「……そういえば、クライド様はどうやってこの部屋に?」


 鍵をかけ忘れていたかもしれない。マリベルとクライドは一応立場は夫婦だから、互いの部屋への行き来が出来ないほうが不自然。そう考えてはいたが、クライドの申し出から鍵をつけてもらったはず。

 クライドに寝顔を見られたのではないかと思うと、恥ずかしさから顔に熱が集まる。

 マリベルは扉の鍵かかかっていることを確認して、ほっと息をつく。そして寝台に戻って先ほどと同じように座り、そしてコテンと身を横たえて自分の右手をぎゅっと握り込む。


「どうしよう……ドキドキする」


 マリベルは握りしめた手を、さらに胸のうちに抱き込む。

 鼓動が早くなることに不安がよぎる。


「私、もしかして死んじゃうのかな」


 広い部屋の小さな呟きは、誰にも拾われることなく落ちて消えた。

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