第17話 婚姻の儀式と焔
いよいよマリベルとクライドの結婚式の日を迎える。
マリベルはいつも通りクライドを起床させた後、ルイーゼに攫われるようにして磨き上げられた。そうしてマリベルが袖を通すのは、かつて皇家から嫁いできた先代公爵夫人であり、クライドの母が着たドレス。数日をかけてマリベルの身体に合わせて調整されて、何とか今日に間に合わされたものだ。
それは白を基調とした最上級の生地に、金糸の刺繍が施されたドレスで、胸元は広く開けられているが、首元に金細工の繊細なネックレスが飾られて華やかさを演出する。タイトなウエストから裾に向かうほどドレープがこれでもかと増えて、後ろに長い裾はマリベルが被るレースのベールが重なり、豪華というほかない。
そのようなドレスに身を包むマリベル自身は、公爵家にやって来てからまだ二週間あまり。だがここで過ごす恵まれた環境のせいか、それまでくすんで荒れた肌もぱさついてまとまらなかった白金の髪も、今では見違えるほどに改善されている。手袋の中の指はまだ少しだけささくれ立っていたが、それもあと数日で跡形もなく消えてしまうだろう。ベールの中に隠された顔も化粧ののりは良く、頬の色も血色を取り戻していた。そんなマリベルを、クリステルとルイーゼは、満面の笑みで送り出してくれたのだった。
一方クライドはというと、相変わらず黒を基調とした服装に身を包んでいる。だがマリベルをエスコートするための腕は、マリベルのドレスとよく似た金糸の刺繍が施された袖、裾の長い上着もまた、マリベルの衣装と対になるような造りの衣装だ。長く艶やかな黒髪は、ゆるく背の中程でまとめられている。その髪をまとめる組紐は、澄んだ空のような青でマリベルの瞳の色だった。それに気づいたマリベルが、自らの耳元につけられたピアスの石が新緑の色であることを思い出し、ベールの中ではにかみ頬を染める。
そんな二人が手を取り合い、ドラコニア城の中に造られた礼拝堂に入る。
広く奥行きのある祭壇までの道のり、そして荘厳な高い天井、祝う人で埋められるはずだった礼拝堂は、しんと静まりかえっている。
前を向くクライドとともに、マリベルもまたしっかりと胸を張り、歩きはじめる。
祭壇前には、若い司祭が一人だけ。
クライドとマリベルが並び立つと、司祭は二人に小さく頷く。そして少し離れたところに控えているチャールズとオルコット、そして遅れて入ってきたクリステルとルイーゼを認めてから片手を挙げた。
「ではこれより、婚姻の儀を行います」
若い司祭の澄んだ声で始まる、たった四人の参列者が見守る結婚式。
唄うように神の詞を紡ぐ司祭の声は、静かな石造りの礼拝堂に心地よく響く。マリベルはこれまで訪れたどの寺院で聞いた祝詞よりも、目の前の若い司祭の声が心地よく感じられた。 神は天から神霊を遣わし、森と獣と人を造る。そして人の営みを助けるために、少しだけ神の力を世界に満たす。それがやがて魔法となり、多くの精霊とそして魔物を生む。だが後に魔物は人を害するようになるが、人は互いを愛し守りあう。
人の中に慈愛を見た神が、人を守り助け合うよう加護を与えた。その最初の始まりが婚姻であった。よって婚姻は常に神の前での誓いとなる。それは常に魔物の脅威にさらされるこの世の中で、欠かせない儀式の一つとなった。
二人の前に拵えられた台に、分厚い聖典が広げられる。
重厚な装丁の最初の頁には、先ほど司祭が唄った神話が書き込まれている。古代の文字で書かれたそれらを読むことができるのは神に仕える神官たちのみ。その最後の見開きには何も書かれていない真っ新な頁がある。婚姻の儀式では、そこに二人の名を魔法で刻み込んで誓いとする。
司祭に促され、見開きの左側にクライドが、そして対になる右側にマリベルが手をかざす。 そうしてから司祭が小さく呪文を唱えると、聖典がほんのりと光り、二人の手を包む。
しばらくして光りが収まると、何も書かれていなかったはずの頁に、二人の名が刻まれていた。
「今日をもって、二人は夫婦と認められます。どうぞ末永くお幸せに」
厳粛だった空気のなか、式の終了を告げる司祭。
白い筒状の長い帽子に、白いローブ。青みがかかった銀の髪が印象的な司祭は、にっこりと微笑みながらクライドの方を向く。
「結婚式の司祭を務めるのは、かれこれ十年ぶりくらいです。思いがけない依頼でしたが、私を頼ってくれたことを嬉しく思いますよ、クライド」
年の頃はクライドと同じくらいに見える司祭がそう告げる。マリベルは彼らが知り合いだったのかと悟り、二人の会話を見守っていたのだが……クライドは黙ったままだ。
そんなクライドの反応を気にした様子もない司祭は、次にマリベルの方へと顔を向ける。
「今、聖都バリハリウスは降って湧いた公爵家当主の結婚の話題でもちきりですよ。特に公爵夫人となる、あなたのことですマリベル。それはクライドの所為で、公表もせずに隠し、なおかつ私以外の者の訪問を禁じたことから、いたずらに尾ひれがついてしまいました」
訪問を禁じるって……マリベルが知らされていない言葉だ。
「だから結界を張っている。誰も押しかけられないように」
「結界?」
クライドの言葉に驚くマリベル。するとそれに応えたのは司祭の方だった。
「そうです、クライドは今日の日に合わせて、用意周到にドラコニア湖周辺一帯へ、移動制限の結界を張りました。式が滞りなく終わった今もなおです。領民にとってもいい迷惑でしょうに、公爵領の人々は主の指示にはよく不満をもらさず従うものです。こればかりは教会も敵いません」
くっくと笑う司祭が、クライドへと問う。
「特別に、自己紹介させていただいても?」
するとクライドは小さく息をつき、マリベルの手を取って引き寄せる。
「マリベル、彼は司祭ではなく、教皇ランドールだ」
その名を聞き、マリベルはひゅっと息をのむ。そんな彼女へ教皇はにこりと微笑みながら頷く。
「はじめまして、公爵夫人。私はランドール、クライドとは古い付き合いとはいえ、今日の儀式を任されたことを光栄に存じます。どうぞお見知りおきを」
「マ、マリベルと申します、ランドール猊下」
慌てて名乗り、ドレスを摘まんで膝を折る。だがクライドが支えているために、簡易的な礼しかとれない。
「協力は感謝する、だが周知すら控えるよう要請していたはずだ」
「それは自分の大叔父殿に直接言ってもらえるだろうか。私は立場上、政治的な発言を許されていないのですから」
大叔父とは誰のことだっただうかと、マリベルはここ数日で詰め込まれたドラコニア公爵家の家系図を頭のなかで思い浮かべる。
存命であるクライドの大叔父というと、父方では先代ゼロス伯爵だが、代替わりをして隠居中だったはず。ならば母方……クライドの母は先々代皇帝の孫姫。クライドにとって大叔父というとつまり母親の従兄弟で……つまり皇帝陛下?
まさか、そう考え直して他の人物がいたかしらと首を捻るマリベル。
「陛下には納得いただいている」
「ええ、喜ばしいことだと……だからつい口元がお緩みになったのでしょう。諸手を挙げて祝福されていましたよ、陛下はね」
にこやかな口調で返される言葉の中に、マリベルは少しだけひっかかりを感じる。それはクライドも同じだったようで。
「ジルのこと?」
「ええ、まあ……皇太子殿下は少々、拗ねてらっしゃいました」
そこまで言ってから、ランドールはマリベルの方を気遣うようにして微笑んで見せる。
「婚姻に異を唱えているのではないので、マリベルさんはどうぞご心配なさらず。彼は少々、子供っぽいところがありまして、はとこから相談ひとつされないことで、いらぬ勘ぐりをしているようでした」
「それはもちろん……当然だと思います、急なことですし、様々な見方をされることは覚悟しています」
マリベルとて貴族令嬢、今回のことがいかに常軌を逸しているか、よく理解している。婚姻の申し入れから、式までの期間、そして婚姻の儀式そのものの形、何から何まで普通ではありえない。英傑であるクライドの判断であれば表だって反対はできないだろうが、その相手であるマリベルへの不信感を抱くのは当然だろう。
むしろ式を無事に終えるまで、何事もなかった事のほうが信じられないくらいだ。
だが先ほどの会話から、クライドも相応の準備をしていたことをマリベルは悟る。それは根回しというよりも、より現実的にというか、物理的にだが。
「だからクライド様、私の方はこれまでだって色々ありましたので慣れていますから……私に気を遣うあまり、大切にするべき方を蔑ろにしないでください」
皇太子殿下というと、クライドと目の前の教皇とともに、四英傑とされる人物だ。共に戦った仲間でもあるはず。高貴な身分であることもそうだが、蔑ろにしていいはずがないとマリベルは思ったのだ。
だがクライドは表情を変えることなく、そっけなく言い放つ。
「あれは放っておけばいい」
それで大丈夫なのだろうかと驚くマリベルだったが、ランドールもまた肩をすくめるのみでそれ以上はこの話題については言及することはなかった。
それからマリベルたちはランドールを交えて、小さな祝いの席を設ける。
いつも通りの食卓では味気ないからと、チャールズたちが庭園に宴を用意していた。身内だけの祝宴ではあったが、マリベルが気兼ねなくこの日を迎えられるよう心を尽くしてくれたことをよく知っている。契約上の上辺だけの妻と知ってもなお、こうして歓迎を示してくれる人たち。彼らの心配りが嬉しくて、自然と笑顔が増えていた。
これまで厭われることはあれども、受け入れられることがなかったマリベルにとって、夢のような一日が過ぎていく。
そうして宴を終わりにしようとしていた、夕闇迫る時刻。
いつになく茜色に染まった空があまりにも美しくて、マリベルはふと空を見上げていた。
赤い夕日が差して、雲も染まる。まるで焔のようにゆらりと揺れているかのようで……マリベルはふと目がかすんだのかと瞼をこする。
「どうかしましたの、マリベル?」
そんな姿が、皿を運ぶルイーゼの目にとまったらしく、声をかけられる。
「いえ、少しだけ疲れたみたいです……雲が」
そう言いながら再び空を見上げたマリベルの目に、赤く揺れる雲がどんどん大きく膨らんでいく姿が見えた。
「……え?」
驚く声も出ないまま、その雲だと思っていたものが、さらに大きくなって一瞬で弾けたのだった。
「マリベル!!」
ルイーゼの叫び声とともに、頭上で激しい破裂音が響いた。
マリベルが赤く染まった雲だと思っていたものは、巨大な火の玉だった。弾けながら数多の焔が、一斉に降り注いでくる。
その恐ろしくも美しい光景に気圧されて尻餅をつくマリベルを、ルイーゼが手を伸ばして両手に抱えて身を挺する。
だが降り注ぐかと思われた焔は、ドラコニア城の塔の先端よりも上で弾かれたように見えない壁のようなものにぶつかり、火の粉を散らしながら霧散する。
「クライド様」
ルイーゼの肩越しに、マリベルはクライドの背を見る。
チャールズから長い杖を手渡され、クライドはそれを高く掲げた。
「城の結界を強化する。チャールズ、マリベルを安全な場所へ……ランドール」
「はいはい、無粋な魔物にはお仕置きをせねばなりませんね」
二人の冷静な声に、マリベルは我に返る。そして自分を庇っているルイーゼに「大丈夫だから」と告げて立ち上がると、チャールズとクリステルの二人が走り寄ってきて合流する。
庭園から城への入り口では、騒ぎを聞きつけたオルコットが顔を出して、マリベルたちに手招きをしていた。ルイーゼとクリステルに両脇を支えられるようにして、そちらに向かって走り出す。
「怪我はないかいマリベル?」
辿り着いた先で、マリベルを気遣うオルコット。彼の腰には、長剣が下げられていた。
「大丈夫です、少し驚いて尻餅をついてしまいましたが、ルイーゼがすぐに助けてくださいましたから」
「そうか、安心した。いつまでもここに居ると、クライド様の邪魔になる。安全な部屋に避難しよう、こっちだ」
マリベルは頷き、今度はしっかりとした足取りで、オルコットの後を追った。
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