第15話 仕様変更
ドラコニア城にて二度目の役目を終えたマリベルに、新しい日常がやって来た。
行儀見習い、または使用人として雇ってもらうことばかり考えていたマリベルだったが、蓋を開ければ未来の公爵夫人などという、思ってみなかった立場が与えられた。そうなるとマリベルには、やらなければならないことは山ほどできた。日中は婚礼のための準備と、ドラコニア公爵家についての基礎知識の勉強が入り、その合間にはルイーゼによって全身を磨かれ整えられる。その反面、夜は早めに休むよう促され、早朝はクライドを目覚めさせる仕事をこなす。
そうして目まぐるしい日々を一週間ほど過ごした頃、忙しいマリベルに休息日が与えられることになった。
「私ばかりがお休みをいただいたら、申し訳ないです。何かお仕事をさせてください、お掃除くらいしかできませんが……」
これまで四人の使用人たちが、休息日を得ているのを見たことがないマリベル。
彼らは少ない人数で公爵当主の身の回りをこなしている。いくら当主その人が引きこもっているとはいえ、たった四人で成し遂げているのである。そこにきて急遽持ち上がった婚礼の支度は、負担になっているに違いない。そうマリベルは心配するのだったが。
「それでは遠慮無く、お願いしたいことがあります」
婚礼の儀式を行ってくれる司祭の手配のために聖都ヴァリハリウスまで赴くというチャールズが、マリベルに頼んだ仕事はクライドの監視だった。
いったいどういう事なのかときょとんとするマリベルに、チャールズは微笑むばかり。何をするにしても軽い冗談を口にするかのような態度のチャールズを見て、呆れたように説明するのは常にクリステルの仕事。同じく婚礼の儀式を手伝うメイドの補充を手配するために、ドラコニア領都ダリウスに向かう予定の彼女が、マリベルに助言する。
「クライド様なら、ここ三日ほど研究室に籠っていらっしゃるから、オルコットにお茶の準備をしてもらって届けてくれ。昼に届けた食事をろくに食べてないと、オルコットがぼやいていたからね」
「分かりました、それくらいならば私にもできそうです」
役に立てそうなことがあって良かった。そう安堵するマリベルに見送られ、二人はそれぞれ転移魔法陣の中に消えていった。
残っているルイーゼは、外出する二人の分の日課をこなすことで忙しそうだ。マリベルは早速、調理場へ向かうのだった。
クライドが籠もっている研究室とは、ドラコニア城の二階、ちょうど真ん中あたりにある一室だ。幼い頃から魔法を習得するために作られた。古い書物から、魔法具を作るための宝玉や、怪しげな素材が所狭しと収納されている。
マリベルは両手にティーセットを抱えながら、重厚で分厚い扉を押して研究室に入る。
ノックもしなければ、入室許可も取らないのは、研究室のみの特別ルールだ。理由は、研究に没頭したクライドから返事が返ってくることがないからだと、聞かされていた。
「失礼します」
とはいえ、マリベルは何も言わずに入るのが気が引けてしまい、小さな声で呟きながら足を踏み入れる。
煌びやかな城の白い壁や床と違い、一歩踏み入れたそこは木目に囲まれた、少しだけ黴臭いような不思議な空気に包まれていた。
マリベルが奥に進むと、書棚に囲まれた大きな机があり、そのすぐ側にクライドが考え込みながら立っていた。
「クライド様、よろしければ休憩をなさいませんか?」
振り向くクライドの顔に、驚いた様子はない。
だが小さく頷くと、乱雑に置かれていた机の上の物を押しのける。
「ありがとうございます」
マリベルが物を寄せたところに持っていたティーセットのトレイを置くと、クライドは彼女の方に椅子を寄せる。そして自分の分も持ってきて座り、ゆっくりと足を組む。
その様子に内心、クスリと笑う。彼は自分の意図するところが相手に伝わったと判断すると、それで良しとするのか言葉をまったく口にしない癖がある。
マリベルはカップにお茶を淹れて、オルコットが気を利かせて焼いた腹持ちの良いパイを皿に分けて彼の前に置く。
そして自分の分のお茶だけをもう一脚用意して座ると、ようやくクライドが口を開いた。
「チャールズが?」
どうしてマリベルが来たのかを問うているのだろう。そう判断して答える。
「はい、午後は皆さん御用事があるようでしたので、お休みをいただきました。でも手持ち無沙汰なので何かできることを……そうお願いしましたら、クライド様の監視をと」
普通ならば、そのままの言葉で伝える相手ではないのだが、この一週間でマリベルは学んだ。使用人たちが気兼ねなくありのままの言葉をクライドに伝える様子に、最初こそ困惑したのだが、それはすなわちクライドの望みでもあるのだ。
チャールズはふざけた口調で冗談交じりだが、基本的に丁寧な言葉を使える。それは男言葉であるものの、クリステルも同じ。ルイーゼは生粋の伯爵令嬢なので、上位貴族へ接するマナーは熟知している。それらを今、マリベルに教え直しているのもルイーゼだ。しかし彼女はその上品な口調の中に辛辣な視点を混ぜることを、クライドの前だとて止めることはない。
「ちょうど良かった」
気づくとクライドはパイを半分も食べ進め、淹れた茶を飲み干す。
やっぱり空腹だったのだ。マリベルは彼のカップに茶を注ぎ足して聞く。
「私になにか、御用でしたか?」
「これを」
クライドが机の端に寄せた様々なものの中から、掌に乗るくらいの筒状のものをマリベルに差し出していた。
「中央に、自動起動装置を組み込んだ。押してみて」
受け取ったマリベルは、言われた通りに丸い釦のような凸部分を押す。
すると筒状の先が明るく光る。
「……これって、魔道灯ですか?」
マリベルは驚きのあまり、手から落としそうになり、慌てて両手で包む。
指の間から変わらず漏れる光は、熱くもなく煌々と光り続ける。
「改良をした。この仕組みならば魔力を流さなくても魔道具が起動できるし、逆にどのような属性の魔力の干渉を受けないよう保護されている。いずれ城の全ての魔道具を、この方式に変えるつもり」
マリベルは驚きながら、手元で燦々と輝く魔道灯から顔を上げてクライドを見る。
再び注がれたカップに口を付けるクライドは、やはりいつものように何の表情も浮かべてはいない。
表情で彼の気持ちを読むことはできなくとも、どういう意味で新しい道具を作ったのくらいは、マリベルにも分かる。
わざわざ三日も籠もって作った、魔道具を破壊してしまう、マリベルのための魔道具。
「ありがとう、ございます……」
魔法を使えず魔道具すら破壊して使えない苦悩を、息をするのと同じくらいの感覚で魔法を使う対局にあるようなクライドが、まさか理解者になるとは夢にも思わなかったマリベル。 ふいに頬に温かい指が触れたことで、涙をこぼしていたことに気づく。
「す、すみません……」
マリベルは慌ててポケットからハンカチを取り出し、恥じ入りながら涙を拭く。
そんな様子をクライドは笑うでもなく、ただじっとマリベルを見つめていた。だが彼女が落ち着くのを見計らって立ち上がると。
「森に行こうと思う」
そう告げて、マリベルの方に手を差し出した。
え? と戸惑いながらも、反射的に手を伸ばす。すると。
「監視するのだろう?」
クライドにしては珍しく、冗談ともつかない言い方をしながら、マリベルの手を引いて立たせたのだった。
そうして連れられて行った先は、ドラコニア城に来たばかりにクリステルに案内された中庭の、東屋。かつて武器庫として使われた建物から下へ続く、階段の入り口だった。
持ったままついて来てしまった魔道灯をつけて、暗い地下へ二人で降りる。するとしばらくすると下の方から光が差し、断崖の外に出た。
振り返って見上げると、木々が生い茂ったその先に、城の尖塔が見える。
「こっち、滑るから気をつけて」
クライドに促されて。岩が転がる岸に作られた桟橋を歩くと、そこに小舟が係留されてあった。そこにクライドが先に乗り込み、続いてマリベルが手を引かれて乗る。
小舟は少し揺れたものの、二人を乗せて湖上を滑るように動き始める。どうやら船尾に魔道具が取り付けられていて、それが船を動かしているようだった。
マリベルとクライドは船の中央に並んで座り、よく晴れた青い空の下、太陽の光を波間で反射させる湖上で、心地よい風を受ける。
「君が落ちた地点へ向かう。今頃は水が満ちて、船で行けるようになっているはずだ」
城のある小島を出て、ゆっくりと周回しながら、次第に船首は湖の北に広がる黒の森へと向けられたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます