第14話 二度目の仕事

 ドラコニア城に戻ったマリベルたちを待ち構えていたのは、執事のチャールズだった。

 昼食を終えてからすぐに転移魔法陣を使ってどこかへ向かったはずだった彼は、上機嫌な様子で彼女たちを迎えた。


「お帰りなさい、お嬢さん方。休暇は楽しめましたかな?」

「安心して、チャールズの好物は残してあるから」


 クリステルが抱えていたパイの包みを押しつけると、漂う香りに鼻を鳴らしている。


「街の様子はどうでしたか、不満を見せている者たちは?」

「それはないよ、それよりマリベルが気になったみたいだ、今頃は噂になっているんじゃないのかな」

「何か聞かれましたか」

「見ない顔だとおっしゃるから、新しく来た人だとはお伝えしましたわ。恐らく、奇特なメイドが増えたくらいの感覚ですわ」


 クリステルとルイーゼの説明に、チャールズは「今はそれでいいでしょう」と答えてその話は終わりにする。

 ルイーゼとチャールズは仕事があるらしく、そのまま二人は連れだって食堂の方へ。一方マリベルはクリステルに城の中を案内してもらうことになった。

 ドラコニア城は、かつて領の中心であった時代があるのだという。そのせいか要塞のような複雑な造りになっていて、道順を覚えておかないと袋小路などに入って迷うのだという。


「マリベルは、魔境山脈とその向こうについては、どれくらい知っている?」

「それほどは……山脈が魔境を隔てる大事な存在であることと、たまに山を越えて水路を伝って魔物がやってくる。その魔物たちから帝国を守っているのがドラコニア公爵家だと」

「うん、そうだね」


 街から城を繋ぐ橋は、南を向いている。そちらを正面とすると、湖に面した北を背後と言っていいのだろう。その湖を一望する北には、小さいながらも整えられた庭園がある。その庭園に出ると、もう日は傾きはじめて空が茜色に染まり始めていた。

 風が弱く、凪いだ湖面に茜色の空が反射して幻想的な景色だった。


「今は静かだけれど、昔は度々魔物が湖に現れたんだ。だから後ろをご覧」


 クリステルに促されて振り返ると、城の上階にはかなり大きなテラスが張り出していた。


「あのテラスのある部屋が、クライド様の私室、つまり領主の部屋。常に湖を見張り、魔物を警戒する役目を負う者の部屋だ」


 そして庭園を囲うように四つの東屋がある。それらをクリステルが指さして、かつて領主が率いる討伐兵たちの武器庫だったのだと説明する。その一つへマリベルを導き、扉を開くと、地下へと続く階段があるのを見せた。


「ここから崖の下にある、船着き場へ出られるようになっている。他もあるけれど、現在ここ以外は封鎖してあるそうだ、もう魔物の大規模侵攻はないからね」

「心配ないのは、三年前の魔王討伐のおかげ、ですか?」

「そう、大魔法使いクライド様と、大剣のギディウス殿下、賢者ファーガス様と、聖ランドール猊下、四英傑により神聖帝国に念願の平安がもたらされた。それまでは、ここドラコニアが常に魔物との命がけの攻防戦の最前線。まあ……ドラコニア公爵家は帝国というより、豊かな穀倉地を守りたかったのかもしれないけれど」


 さあ次に行くよ。そう告げてクリステルは、城へ戻るようにマリベルを促す。

 来た道を戻りながら説明を受けるのは、城の構造。基本的には使用人たちが使うのは一階から三階まで、四階は広間と客間があり、最上階の五階が領主のエリアとなっていた。最上階へ向かうには専用の通路があり、ちょうどマリベルが使っていた四階の部屋から近かった。クリステルはマリベルを部屋まで送り届けると、夕食の時間までは休むよう言い渡してそこで別れる。

 一人、部屋に取り残されたマリベルは、バタバタしていて荷ほどきすらしていないことを思い出し、整理を始める。

 鞄を開き、服を出してクローゼットに収める。

 それから日記を書いている手帳と、大事に使っているペンと便せんを出したら、あっという間に終わってしまう。

 マリベルはそれらの荷物の少なさに、これまでの苦労と、ここに来てからの息つく間もない出来事を思い起こし、ふっと笑ってから手帳を手に取る。

 この二日間の出来事を書き出して整理してから、マリベルはふと窓の外を眺める。

 すっかり暗くなったのは、日が落ちただけでなく、厚い雲が空に広がり始めたからだった。そしてすぐに、ぽつりぽつりと、窓を雨の滴が落ちて伝う。

 そして雷鳴とともに、雨はすぐに本降りへと変わる。


「……クライド様が、お休みになられたのかしら」


 マリベルは窓辺に歩み寄り、真っ暗な外を眺める。

 ほんのりと部屋を照らす魔道灯が、マリベルを窓ガラスに反射させてしまい、かろうじて見えるのは、城と町を繋ぐ橋の灯の並びだけ。小さな町の小さな家々の明かりは、滝のように降りはじめた雨に遮られてしまう。

 そうしてドラコニア城のある湖周辺は、その日をもって二ヶ月の雨期を迎える。

 毎晩、雷とともに降る雨は黒の森を浸食し、湖を一回り大きくさせる。雨水は湖の水をかき回し、湖底で育った魚を水面へと浮き上がらせる。昼間は晴れた空の下、町人たちは漁に出る。この時ばかりは、木を切って加工する職人までもが、漁師へと変わるのだという。そうして捕った魚を加工し、この地の人々は次に訪れる長い冬を越す。

 そうした人々の生活に、クライドの起こす嵐が組み込まれていることに驚きを隠せないマリベルだった。


 迎えた翌朝。

 マリベルは夜明け前に起きて身支度をすると、クリステルに教えられた最上階へ通じる階段を上る。

 手にはチャールズから渡された魔道カンテラ。暗い階段の足元を照らすと、青い模様のタイルがここにも敷かれているのが見えた。

 マリベルの耳には、城の外に渦巻く風が、壁を叩く音が聞こえる。ときおり雷が大きな音をたてて落ちるのは、リンデン・ブルーム城と同じ。

 そして最上階に辿り着いた時、ぴったりと閉じられた扉には、やはり同じ魔法陣が浮かんでいる。マリベルがそっと手を伸ばすと、触れた瞬間に開くのも、同時に黒い霧が吹き出てくる。

 だが今回は躊躇せずに、黒い霧が吹き出てくる中へ足を踏み入れる。

 強い風に吹かれたかのように、押し戻されるような感覚はある。だが、黒い霧はマリベルを避けていくので、やはり前回同様、何ともない。

 しかし次第に、マリベルの身体がほんのりと光り始める。


「あの時と同じ……この姿を見られてしまったら……」


 だが仕事として引き受けたからには、逃げるわけにはいかない。何とか見つからないことを祈るしかないだろう。

マリベルは気を取り直し、真っ黒な部屋の中を進む。

 事前に一度訪れていて良かった。そうでなかったらこの広い部屋の中で迷ってしまい、いつまでもクライドの元に辿り着ける自信はない。

 広い部屋を進み、書斎を左手に確認しながら行くと、奥に黒い霧が広がる中心。

 つまりそこが、クライドの眠る寝台がある場所だ。

 カンテラを向けると、暗い霧の動く様子が見て取れる。

 寝台を中心に渦を巻いていたが、同時に天井へと流れているようだ。マリベルが見上げると、部屋は寝台の辺りを中心に、巻き貝のような造りになっている。その螺旋を添うかのように、黒い霧が天井へ上っていく。

 きっとあれが城の外へ漏れて、嵐を呼ぶのだろう。マリベルはそう悟るのだが、自分の身体がさらに発光を強めているのに気づく。

 慌ててマリベルは息を吸う。


「おはようございます、クライド様」


 その言葉と同時に、流れていた黒い霧がピタリと止まる。そして晴れる……というよりも霧が黒から透明に変わっていった。

 視界が開けると周囲の壁には、リンデン・ブルーム城での離れと同じように、魔法陣らしき文字が浮かび、そしてすっと消えていく。

 それらがクライドの漏れた魔力を周囲に拡散するのを防ぎ、部屋の構造を伝って空高く放ち雷雲となるよう仕組まれていることを、マリベルは教えられている。魔法陣は眠るクライドに代わり、余剰魔力が地上から空へ移して雷雲を形成する。

 一通り室内が落ち着く頃には、発光していたマリベルの身体も元に戻る。

 ほっとしながら、マリベルは薄い紗のかかる寝台へ近づくと、起き上がった人影に気づく。


「おはようございます、マリベルです」


 カンテラをサイドチェストに置き、マリベルは窓辺に向かう。

 そして厚手のカーテンを開くと、部屋を朝日が照らす。

 開けすぎただろうかと振り向くと、寝起きのクライドが両腕につけた封魔の腕輪を外しながら、眩しそうにマリベルを見上げた。


「おはよう、マリベル」


 整った顔に艶やかな黒髪がかかる。相変わらず落ち着いた声と、自分を見つめる新緑の目に、マリベルはドキリとしてしまう。

 仕事とはいえ、朝から美しすぎるものを見るのは、心臓に悪い。マリベルは動揺を誤魔化すように微笑んでから、振り返ってカーテンを少しだけ戻して明るさを調節する。

 しかし気づくといつの間に側に来ていたのか、クライドがマリベルの手を遮り、カーテンを全て開ける。


「怪我は、ない?」


 突然問われ、マリベルは少しだけ首をひねるが、魔力嵐の中を通ってきた自分を心配されているのだと気づく。


「やっぱり私には影響がないようで、大丈夫でした」

「そう、良かった」


 それだけ言うと、クライドは窓の外の様子をじっと眺める。

 彼は喋らないわけではないが、どうも言葉が少ない。表情から感情も読めないため、マリベルはどうするのが正解なのか分からない。これまで奉公先では叱られないよう顔色を覗ってきたマリベルにとって、クライドのような主は初めてだ。

 しかも窓辺にいたマリベルは、ガラスとクライドに挟まるような位置にいる。どう動いていいのか分からず戸惑っていると。


「おはようございます、クライド様、マリベルさん。ご無事にお目覚めいただけたようでようございました」


 ご機嫌なチャールズによって、マリベルは救われるのだった。

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