第13話 女子会の企み

「どう、傷は痛まないか? 少しでも異変があれば無理をせず、私に言うんだぞ?」


 クリステルが最後に馬車に乗り込み、座っているマリベルを気遣う言葉をかけながら、向かいあう席に座る。外出時ということで、彼女はシンプルな白いシャツに細いリボンタイ、紺色のベストにズボン姿の、男性のような姿だ。だが細身で長身の彼女によく似合い、出会った女性を口説き落とせるだろう。


「転移中に放り出されて落ちたのに、それだけで済んだなんて奇跡のようですわ」


 マリベルの隣にはルイーゼが座る。彼女も私服で、ふわりと広がるスカートの萌葱色ワンピースに、レースをたっぷり使ったストールを羽織っている。手元には同じくレースで飾られた日傘がたたまれている。その姿は、ゆったりとしながらも伸びた背筋や揃えられた指先が、優雅そのものだった。

 マリベルが二人に挟まれると、まるでデートを楽しむ二人を邪魔する、出歯亀のようである。


「ありがとうございます、本当に擦り傷だけですので……」


 クライドとの契約結婚の契約を交わしたことは、彼女たちも承知している。突然のことながら、彼女たちは婚礼の準備をしなければと動き始めたのだったが、契約にサインをして戻ったマリベルの呆然とした様子を見て、はたと動きを止めた。そして報告をするチャールズを遮って、こう告げたのだ。

 『午後は休暇をいただいているはずなので、準備は明日からにする』と。


 そうして連れ出されたマリベルだったが、二人には心配をかけてしまったと分かってはいたものの、未だ大変な契約を交わしてしまったことに実感のないままでいた。

 馬車が走り出したのにも気づかず、ぼうっと外の景色を眺めていると、目的地はすぐだった。小さな街、小さな商店の並ぶ通り、馬車に乗る必要はなかったのではと疑問がもたげるが、きっとマリベルを慮ってのことだろうと二人に感謝する。

 店の前に馬車を停めて入ると、そこはこぢんまりとした店だった。森の近くに似つかわしい木を組まれて建てられたログハウスで、中にはそこかしこにハーブが干してあり、木とハーブの香りが混ざり合って懐かしく、とても落ち着く空間だった。

 クリステルが店主に挨拶をしている間に、慣れた様子でルイーゼが階段を上るようにマリベルを促す。


「個室を使わせていただくよう、事前にお願いしておきましたのよ」


 そう説明されて小さな部屋へ入る。そこもハーブが飾られ、壁には手作りらしいキルトのタペストリーが飾られ、可愛らしく整えられていた。


「適当に座ってくれ、店主が焼きたてのパイを後で持ってきてくれるから」


 ティーセットを手にしながら、クリステルが最後に入り、三人でのお茶会が始まる。

 淹れてもらった甘酸っぱい不思議なお茶が、マリベルのお腹から温めて、とても久しぶりにほっとさせてくれた気がした。


「この店のいいところは、素朴なところですわ。公爵家の城はどこもかしこも品が良いとはいえ、豪華で気が休まる場所とは言い難いですもの。このココット茶は、ココットという花の実だけで淹れただけで、材料がなんとそこの庭から店主が穫ってきたものよ。それでお金を稼げるのですもの、最初に聞かされた時にはわたくし、驚きましたわ。そしてパイもケーキも、この街と森でとれる最低限の材料。でもそれがどうしてか、最高に美味しいの」


 マリベルは、辛辣な言い回しながらも褒めているらしいルイーゼの物言いに、小さく笑いながら最初の一杯を飲み干す。


「本当に、美味しいです」


 そうしている間にパイが焼き上がったらしく、女性の店主がやってきた。


「お待たせね、あなたたちの好きなパイが焼きあがったわ、たくさん食べていってね」


 かっぷくのいいおばさんが、大皿に甘酸っぱい良い香りのパイをのせている。


「おや、見慣れないお嬢さんですね?」


 そう言いながら、店主は目を輝かせてマリベルを見る。


「ええ、新しく来たばかりの方ですわ」

「まあそうかい、それは良かったじゃないか。今日はいい卵が手に入ったから、カスタードクリームもたっぷりおまけしたよ、ちょうど良かった」


 ルイーゼの説明に、なぜか店主の方が嬉しそうだ。そんな店主からパイの皿を受け取ったクリステルもまた、クリームを見て頬を緩めている。


「店主のカスタードクリームは絶品だ、いつもありがとう」

「なあに、気にしないでおくれよ。あの恐ろしくも偉大な公爵様のお世話ができる貴重なお嬢さん方だ、私たちも恩恵を受けているんだからお互い様さ」


 上機嫌に笑い、そしてマリベルにも「頑張っておくれよ」とだけ告げて、部屋を出ていく。

 その後ろ姿を見送りながら、マリベルは色々な意味で複雑な心境だった。

 彼女の期待がどういう意味なのか分からなかったし、何より気になるのは、公爵クライドへの『恐ろしくも偉大』という表現だ。マリベル自身も、ドラコニア領に来るまで同じ印象を抱いていたのだ。それなのに領民たちも同じなのだと分かると、少しだけ胸にもやもやするものを感じてしまう。


「さあ、焼きたてが本当に美味いから、さっそく食べよう」


 クリステルがパイを三人分に取り分け、ルイーゼが皿を手に受け取る。

 二人は店主の言葉など、マリベルのように気にした様子はない。

 そうして三人の前に用意されたパイは、マリベルが見慣れたものとは違った。バターをたっぷり使ったようなサクサクの生地ではなく、パンのようなふっくらした見た目だ。しかし中身は果物を砂糖で煮たもので、湯気とともにとても美味しそうな匂いがする。そしてクリステル太鼓判のカスタードクリームが、たっぷりと添えられている。


「本当にマリベルは運が良いな。このクリームは滅多に食べられないが、一度食べたら忘れられなくなるぞ」


 そして三人で並んでパイを頬張り、一斉に「んん~」と頬が落ちそうになるのを堪える。 果物の酸味と甘み、それらが濃厚なカスタードが合わさり、少し重めのパイ生地がなんとも丁度良く感じられる。あまりの美味しさに、マリベルは昼食があまり食べられなかったせいもあり、取り分けてもらったパイを一気に食べてしまうのだった。

 そうしてマリベルのお腹が満たされて落ち着いた頃を見計らい、クリステルが真剣な面持ちで切り出す。


「マリベル、もし後悔しているのなら、私たちには正直に話してほしい。何だったら、クライド様に私たちからも口添えするから」

「そうですわ、結婚というものは女性にとって大切なもの。例え書類上とはいえ、離縁になったら全て女性側に不利になるのですわよ?」


 ルイーゼも至極冷静にそう追随してから、小さく分けたパイを口に入れる。

 二人にそこまで気を遣わせてしまっていたことに気づき、マリベルは首を横に振る。


「大変な役目を任されてしまったとは思います、でも後悔はしていません。むしろ、私のような取り柄のない者が、書類上とはいえドラコニア公爵家に嫁ぐなんて、申し訳ないと言いますか……」

「身分のことなら、気にする必要はないってチャールズが言っていたはずだろう? それにマリベルは子爵令嬢、私と違って立派な貴族だ」


 クリステルが自分は平民であり、なおかつ孤児だったのだと付け加えた。男性言葉ながら、身のこなしは上品である彼女がまさか孤児だったとは意外で、マリベルは素直に驚きの表情を見せる。


「クリステル、彼女が言っているのはそういう問題ではなくってよ? まずマリベルは、全てにおいて自信がないのですわ。そうでしょう?」

「……その通りです」


 俯くマリベルの頬に、ルイーゼが両手を添える。そしてマリベルの顔をくいと持ち上げて、じっと見つめる。


「確かに、肌は乾燥で荒れていますわ。髪も同様、安物の香油で何とかなるものではありません。素地は決して悪くはないのですから、そもそも栄養が足りてない証拠……腕が鳴りますわね」

「え、あの……すみません」


 困惑するマリベルはとりあえず謝るのだが、ルイーゼは気にせず彼女の顎を押して横を向かせ、手を取って爪の隅々まで観察し、何やらぶつぶつと呟いている。

 そんな二人の様子にクリステルが苦笑いを浮かべつつ、話を続ける。


「結婚に不満がないと分かれば、チャールズのことだから早々に準備をしてしまうかもしれない。それも大丈夫か?」


 その問いに、マリベルは初めて顔を曇らせる。


「両親には、どう話したらいいのか……それだけは不安です。私のような娘が、どうしてクライド様に嫁ぐことになったのか、間違いなく疑問に思うはずだと思います」

「あら、そんな心配ならば不要ではなくて? クライド様に望まれて結婚を申し込まれた、そういう手筈なはずですし、そもそも事実ですもの」


 望まれている。それはとても有り難いことだと、マリベルは本心で思う。


「私は、ご存知の通り魔法がほとんど使えないので、結婚できるなんて思っていませんでした。それは両親も同じで……だから今回のことで家を出られるのは良かったと思っています。私が居なくなれば、妹も良い縁談に恵まれるでしょうから。でも契約結婚であることを、隠しきったままで終えられればいいのですが」

「契約を知られるなんて、それこそ契約解除になった時くらいですわ……」


 小さく微笑むだけのマリベルに、クリステルが「ああ……」と納得した様子だ。契約解除はつまり、離婚ということだ。


「マリベル……あなたはたくさんの人を招いて、豪華絢爛な衣装と食事を用意するような、立派な結婚式を望まれていらっしゃる?」


 一瞬驚いたマリベルだったが、先ほどよりもはっきり、そして素早く首を横に振る。


「クライド様のお立場を考えたら我が儘だと思いますが……やっぱり気後れというか、怖い、です」

「まあ、そうだよねぇ」


 クリステルが腕を組んで、頷きながらマリベルに同意する。

 だがルイーゼは、顔色も変えずに言った。


「でしたら、簡単なことですわ。お披露目などをやらなければよろしいのよ。ご両親がどういう方たちかは存じ上げませんが、大々的なお披露目がなければ、大きすぎる期待も抱かないのではなくて?」

「……え?」

「期待をするから落胆してしまうのです。名言は避けても、式の規模でご両親は勝手にお考えになるわ。娘は、形だけの花嫁なのではないかと」


 マリベルはようやく、彼女の言いたいことを理解する。確かに最初から残念な結婚と思われても、そもそも絶望的だった結婚にありつけただけで両親は手放しで納得するだろう。しかも公爵家からの資金援助まであるのだから。

さらに畳みかけるようにルイーゼは問う。


「マリベル、あなたどうしても結婚式にお呼びしたい方はいらっしゃる? ご家族以外で」

「い、いいえ。お恥ずかしいですが、私にはお友達と呼べる方がいなくて」

「ならば簡単ですわね、お式は……儀式は必要ですから仕方ないですが、人を呼ばなければ出来ないものでもありませんし。そもそもクライド様がそうなされても、不思議ではないですもの。ここは『暴君』らしく、ついでに『暴夫』としても振る舞っていただければ、丸く収まりますわね」


 どこがどうなったら丸く収まるというのか、目をまん丸にして驚いているマリベルを前に、クリステルが「その手があったか!」と手を打っている。


「とはいえわたくしマリベルを飾る担当としましては、準備に手を抜くつもりはございませんことよ」

「ああ、私だって。オルコットも最高級の食材を手配しに聖都へ向かう準備を始めている」


 急に話が進みはじめて、マリベルは一人青ざめるのだった。

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