第11話 契約

 穏やかな朝を迎えたドラコニア城の一室で、マリベルは目を覚ました。

 昨朝のリンデン・ブルーム城での嵐とは打って変わり、窓からは日差しが差し込む。寝台から出て大きな窓からへと歩み寄ると、澄み渡った青空が広がっていた。

 マリベルが寝かされていたのは日当たりが良い南側、城の正面にあたる部屋だったようで、正面に街と橋を繋ぐ橋がよく見える。さらにその向こうにある小さな街までも見渡せるので、かなり上階の部屋のようだ。

 街の右手には山脈の麓、黒の森が広がっていて、開けたリンデンの街とは違い小さめだったが、市場がそれなりに店を連ねていた。

 ふと堅牢な石橋を見下ろすと、城に向かって歩いてくる人影がある。

 来客があるのならば、きっと人手が必要だろう。マリベルはそう考えて踵を返し、部屋の隅に置かれてあった鞄を見つけ、支度を調えることにした。

 動きやすいワンピースに着替えて、エプロンをつけたマリベルは、部屋を出る。

 しんと静まりかえった城は、リンデン・ブルーム城と同じように、クライドが連れている四人の使用人しか滞在していないのだろう。マリベルが長い廊下伝い、階下に降りてエントランスホールが見下ろせる位置に至るまで、誰にも遭遇しなかった。

 だがそれにしては、広いドラコニア城はどこもかしこも綺麗に掃除が行き届き、磨かれていた。聞いていた通り、当主が訪れる準備が事前にされていたのだ。


「……それでは、公爵様はおいでになられているのですね、それを聞いて安心いたしました」


 エントランスから、客人の声が聞こえる。階段の手摺り越しに下を覗くと、対応しているのは、執事のチャールズだった。


「ええ、事情があり遅れましたが、今晩は恵みが訪れることをお約束いたしますよ」


 チャールズの言葉に客人たちの顔に笑顔が灯る。彼らの服装などから、街の人たちだろうと推測できる。


「ほら、一日遅れただけで催促するなんて、公爵様に失礼だと言っただろう」

「それはそうだが、閣下に何かあったら大変だとせっついたのもお前じゃないか」

「ああ、良かった、取り越し苦労で」

「執事様にも申し訳なかったです、ご足労いただきまして」


 そんな風に言い合い、安堵した様子でチャールズに何度も頭を下げる。


「いいえ、気になさらないでください。どうかお気をつけてお帰りください」


 和やかに帰っていく客人たちに手を振りながら見送っていたチャールズが、戻ってきてマリベルがいる階段を見上げる。


「おはようございます、マリベルさん。よく寝られましたか?」

「はい、おはようございます、おかげさまで……」


 マリベルは階段を降りてチャールズの元に行き、客人とのやりとりを図らずも覗いてしまったことを詫びると。


「気になさる必要はありませんよ、よくあることです。彼らにとって、待ちに待った日が、ほんの少し遅れたので、心配になってしまったのでしょう」

「……待ちに待った日、ですか?」


 話の筋が読めないマリベルに、チャールズは笑いながらマリベルを歩くよう促す。


「それについても、追々分かることでしょう。ですがまずは、朝食をいただこうではありませんか。私はさっきから、お客さまにお腹が鳴っているのを聞かれてしまい、どう誤魔化そうかとそればかり考えていましたよ」


 ウインクして見せるチャールズに、マリベルは笑う。

 そうして案内された食堂では、クリステルとルイーゼが二人を待っていた。大きな食堂に、大きな丸いテーブルがあり、それを囲むように六つの椅子がぐるりと並べられていた。


「私たちは、可能な限り皆で食事を囲むことにしています。少人数でクライド様の身の回りのことをこなすには、意思の疎通がとても重要です。さあ、マリベルさんはこちらに」


 椅子を示され、マリベルは素直に従って座る。右隣はクリステル、さらにその隣にチャールズが座る。反対にマリベルの左隣にはスープの皿を配り終えたルイーゼが着席し、最後にやってきたオルコットがその向こうに収まった。

 マリベルは、自分の正面に食事も何も置かれていない余白と、誰も座ることがない寂しそうな椅子に気づく。

 するとそんなマリベルの様子に気づいたチャールズが、開いた椅子を手で示しながら説明した。


「たまに、この席にクライド様がいらっしゃる時があります。今日は先に済まされましたが」


 貴族家の当主が使用人と食卓を囲むなど、聞いたことがない。マリベルのような末端の子爵家でさえも、当然のごとく別室でとるのは普通のことだ。


「さあ、揃ったようなのでいただきましょう」


 チャールズがそう言い、皆で祈りを捧げてから食事が始まる。しばらくは静かに食事をとっていたのだが、誰からともなく今日の予定や、最近の城下の様子、それから買い出しの予定など様々な会話が交わされていく。

 マリベルが訪れた行儀見習いは、期間こそどこも短かったものの、数だけは多い。それらどの家よりも上位のドラコニア公爵家は、どこよりも温かく家庭的だ。

 そのせいか、彼らの交わす会話に少しも参加できなくとも、マリベルは居心地がいい。

 そうしてマリベルがゆっくりと食事を取り終わった頃。


「このあと片付けをしてからになりますが、マリベルさんんは私とともにクライド様の執務室へいらしてください。早速ですが、契約を交わしましょう」

「あ、はい。すぐに」


 手早く食器を片付けるオルコットとクリステルたちとともに、マリベルは自分のものを保って追いかける。カートに乗せて食堂から近い調理場へ行くと。


「ここまでで大丈夫よ。あとは私がすることになっていますの」

「え……でも……」


 先に洗い場で待っていたルイーゼが、腕まくりして言った。その細くて白い腕でまさか皿を洗うのかと驚いていると、当然のごとく魔法を使い貯めてあった水を波立たせた。

 目を白黒させているマリベルの横で、運んできた皿をクリステルがその水の中に投入していく。そしてマリベルに苦笑いを見せた。


「ルイーゼは水が得意だ、そして好きでやっているのだから気にするな」


 するとルイーゼは目の前の水槽に石けんと両手を入れて、さらに魔法でぐるぐると水を撹拌させるとぶくぶくと泡がたってくる。


「お皿を割らないように完璧に綺麗にできるのは、私くらいなものですわ。一度でいいからパーティー会場ごと洗いたいくらい」

「ほらな」


 クリステルがくっくと声を押し殺して笑うのを、両手を水に突っ込んだままルイーゼが不服そうに半目で睨む。睨むといっても、その容姿が可愛らしいせいか、微塵も迫力はないのだが。


「ここに居る連中は、みんな一癖も二癖もある変わり者ばかりだ。マリベルも早く慣れた方がいいぞ」

「傭兵出身のオルコットに言われたくないですわ、ねえクリステル?」

「そうだな、ルイーゼの言う通りだ」


 とばっちりが来たと言わんばかりに肩をすくめたオルコットは、昼の仕込みをすると言って厨房の奥に逃げていく。

 そうして洗い場をルイーゼに任せて、マリベルとクリステルは食堂へ戻る。その道すがら、クリステルはマリベルにこう提案する。


「そうだ、午後に予定している買い出しに、マリベルもどう? ルイーゼも一緒に行くから、女だけの三人でお茶でも……ここに来ると必ず寄る店があるんだ」

「私も、いいのですか?」

「もちろん、マリベルはドラコニア領へは初めて来たのだろう? ならここの事をたくさん知らなくちゃだな」

「それでは、ご迷惑でなかったら是非……!」

「迷惑なもんか。ああ良かった。美味しいお菓子を出してくれる店なんだ、きっとマリベルも気に入るはずだ。だから必ず行こう、約束だ」

「はい」


 凛々しいクリステルが嬉しそうに微笑むと、逆に可愛らしく見えてしまい、マリベルもつられて笑顔になる。

 そうして食堂でクリステルと別れ、待っていたチャールズとともにクライドの執務室へ向かう。食堂から一度エントランスへと戻り、そこから別の階段を使って上がった最上階が、クライドが使っている居住域だと教えられる。

 そこへの道すがら、見覚えのある青いタイルが敷かれた道と、壁が続く。最初に現れた扉もまた、リンデン・ブルーム城の離れととてもよく似ている。

 その扉をチャールズが開き、マリベルを入るように促された。

 少しだけ緊張しながら「失礼します」と言いながら足を踏み入れると、そこは落ち着いた雰囲気がある広い部屋だった。

 マリベルがほっと安堵のため息をついたのを、チャールズが見逃さない。


「ここは離れと違い、寝室ではありませんので安心してください」


 見透かされたマリベルが頬を染めてチャールズを振り向くと、彼はとても楽しそうに笑っていた。どうやらからかわれたと悟り、マリベルは赤らめた頬を手で隠す。


「さあ、クライド様がお待ちですから中へ」


 促されて進むと、間続きの奥が書斎のような造りになっていて、そこにクライドが待っていた。


「お待たせいたしました」


 マリベルが挨拶をすると、彼は机に置かれていた羊皮紙を手に持ち、マリベルの側まで歩み寄る。


「早速だが、契約を結びたい」


 クライド自身は、クライドの使用人たちとは真逆なのだと、今さらながらマリベルは気づく。

 お喋りで笑顔の絶えないチャールズをはじめとした使用人たち。逆に必要最低限しか喋らず、人形のように表情がない主。

 不思議な取り合わせだと思いながら、マリベルは差し出された契約書を受け取る。

 だが同時に、マリベルの後ろから「ふう」とわざとらしい大きなため息が聞こえた。


「それだけでは、マリベルさんには何一つ伝わりませんよ、クライド様」


 呆れたと言いたげな声でチャールズがそう言うものの、クライドは気にした様子もない。


「全て書いてある」


 それもそうだと、マリベルは手にした契約書に目を落とす。

 そして文字を目で追いはじめてすぐに、首を傾げるはめになる。


「……婚姻、契約書?」


 マリベルは自分で口にした文字の意味が分からず、顔を上げる。

 特に何の変化もないクライドを見てから、助けを乞うかのようにチャールズを振り返ると、苦笑いを浮かべている彼と目が合う。

 チャールズが眉を下げて頷くので、ハッとしてもう一度、クライドを振り返る。


「マリベル、君には行儀見習いではなく、契約結婚を申し込みたい」


 マリベルはぐるぐると考えを巡らせながら、言葉を繰り返す。


「けいやく、けっこん……けっこん、て……結婚?!」


 ようやく言葉の意味を思い出したマリベルだった。

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