第10話 迎え

 まさかこんなに早く見つけてもらえる筈はない、しかも公爵直々に迎えに来てもらえるなどと思ってもみなかったマリベルは、引き上げられたまま固まってしまっていた。

 すぐ目の前にクライドの顔があり、深紅から徐々に緑へと変わる瞳、寄せられた眉は苛立ちのような色が見えたせいもある。


「なぜ……」


 その先の言葉を途切れさせるが、クライドの言いたいことはマリベルには手に取るように察せられた。

 なぜ、手を振り払ったのか。

 彼の怒りは当然だろうと、マリベルは分かっている。転移魔法陣に異変を与えたのは自分なのだ、その原因が取り払われれば、クライドが法具を壊してまで魔法を展開する必要がないと思ったのだ。自分さえいなければ。だがマリベルは決してクライドの能力を侮ったわけではない。彼がドラコニア城に到着するまでの間、転移魔法を連続して展開できないなどと思っていない。だが咄嗟に脳裏に蘇った、過去の記憶とその後の後悔が、マリベルに考える暇を与えなかった。


「申し訳、ありません咄嗟に……ご迷惑をおかけしました」


 それこそ幾重にも迷惑をかけたと、マリベルは自覚している。交わされるはずだった契約も、きっと無かったことになるだろう。

 哀しくなってしまうマリベルだったが、彼を怒らせてしまったからには仕方がないと諦める。

 慣れていることだ。だがせめてあの優しい人たちに、お礼を言ってから出発できるかしら。

 そんなことを考えていたマリベルを、目の前のクライドがさらに引き寄せ、横抱きにする。

「え、きゃ」


 驚くマリベルに、クライドは「城へ戻る」と告げる。そして背中に回した手で、マリベルの腕を自らの首にしっかりと掴まらせる。

 その顔にはもう苛立ちは見て取れず、マリベルは混乱しつつも「待って」と慌てる。


「火の始末を……」


 すると次の瞬間、小さい炎が消えて、煙がたつ。クライドは無詠唱どころか手振りすらしていない。マリベルが決死の思いでつけた火はクライドの一瞥で消されてしまった。

 あまりの違いに、マリベルは驚きよりも呆れるしかない。

 だがふと周囲を見回して、異変に気づく。


「どうした」

「あ、あの……白鹿が側に居てくれたのですが」


 キョロキョロと当たりを見回しても、白い影すら見えない。側に居てくれたおかげで、気持ちが折れずに済んだのだ。一言お礼を告げて別れたかったことをクライドに伝えると。


「転移して来た時、君は一人だった」


 そんなはずは……。魔法が展開された時点で、逃げてしまったのだろうか。

 野生の鹿だから警戒心が強いのは仕方がない。だが残がるマリベルに、クライドが慰めを口にする。


「白鹿は黒の森の主。ドラコニア城にいる間は、また会える」


 そう言いながら、マリベルを抱えたまま魔法で宙に浮き上がる。そして続けた。


「滞在の二ヶ月の間が無理でも、その次の訪問がある。この森は、消えることはない」


 その言葉に驚き、マリベルはクライドを見上げる。

 彼は、マリベルがドラコニア公爵家に居てもいいと言っているのだろうかと。

 再び徐々に赤く染まる瞳は、もうその心を読ませてくれるほどには感情を宿していない。だが二人を淡い光が丸く囲み、その光ごと空を目指して上昇していく。

 昏い森を突き抜け上空に出た時には、すっかり空は藍色に染まり、月が出ている。

 そしてマリベルは、何も言わずに転移魔法ではない方法でマリベルを運ぶことを選択したクライドに、素直に身を任せるのだった。



 それから眼下の真っ暗な森を見下ろしながら空を移動していくと、大きな湖が現れた。

 マリベルが落下した場所は、湖からさほど離れていなかったのが分かる。そうしてしばらく湖面を移動した先に、湖岸か小島が出ているのが見えた。そこにリンデン・ブルーム城よりも二回りも立派な城が見えた。美しい五つの尖塔が立ち上がり、崖のようになった島岸が正面らしく、美しい飾り窓がいくつも見える。

 どうやら主を待ちかねていたらしい明かりが、小島と湖岸を繋ぐ橋の上に揺れている。

 クライドはマリベルを抱えたまま、その揺れる灯りの方へゆっくりと降りていく。


「良かった、無事にマリベルさんを見つけられたようですね」


 クライドが着地すると同時に駆け寄ってきたチャールズが、心配そうにマリベルを覗き込む。


「マリベルさん、お怪我は? 城に医者を呼んでありますので、すぐに診てもらいましょう。ルイーゼさんが温かいお風呂をいれてくれています、お腹も空いたでしょう」

「あ、あの、大丈夫……」

「チャールズ、道を開けろ」


 捲し立てるチャールズを押しのけるように、クライドが城に向かって歩き始めると、慌てて彼の足元を照らすように追いつく。

 そんなやり取りをしながら、マリベルはあっという間にドラコニア城に運ばれていく。そして城に入ったら、今度はクリステルに迎えられる。そこでようやくクライドから解放されたかと思えば、クリステルによって浴室に運ばれ、服を脱がされ、全身の傷の具合を調べられたうえに、ルイーゼも加わって洗われてしまった。

 その後に綺麗な衣服に着替えさせられると、寝台に運ばれ街から呼び寄せられたという年老いた医者に怪我を治療される。本当にかすり傷ばかりだと告げられても、何度も間違いではないかと繰り返すクリステルを制止し、何とか医者を帰した次はオルコットだった。

 美味しい子羊のスープと柔らかいパン、それから甘い果実のパイまでつけて完食するまで見張られる始末。

 誰一人、マリベルを叱るどころか、何があったのか訊ねる者すらいなかった。

 そうして嵐のような使用人たちの世話が一通り終わりをつげると、クリステルとルイーゼが寝台の中のマリベルに、優しい笑顔を送った。


「ゆっくりお休み、何も考えず」

「睡眠不足は、美容の敵でしてよ」


 そっと消された明かりのない部屋、しんと静まりかえった寝台の中で、マリベルは目を閉じる。

 濡れる瞼を幾度となく拭きながら。




 レイク・ドラコニアに静かな夜が耽る。

 深夜の湖は凪ぎ、夜空の星と月を鏡のように映す。湖上の城も明かりを落とし、唯一光る窓の奥では、城の主と執事の二人が一枚の羊皮紙を前に話し合いをしていた。


「本気で、おっしゃられているのですか?」


 執事チャールズは陽気な笑顔を封印し、クライドが新たに作り直した契約書に、難色を示す。


「婚姻については自由にしていいと許可をもらっている」

「あなた様のことはどうだっていいのです」


 ぴしゃりと言い放つチャールズに、公爵であり主であるはずのクライドが黙り込む。


「なぜ契約結婚なのですか、正式に申し込んだらよろしいではありませんか、マリベルさnは家格は低くとも子爵令嬢です」


 チャールズはクライドが魔法で書き込んだ契約書を手に、クライドに詰め寄る。

 だがクライドはそんなチャールズを避けて、窓際まで歩き、湖の向こうに広がるタールのような森を眺める。


「彼女に、選択肢を残しておきたい。恐ろしい魔人のごとき男に人生を捧げる必要はない。利用されるだけでは、割に合わないだろう……それでも足りないくらいだ」


 クライドの言葉を受けて、チャールズは手にしていた契約書の、報酬項目に目を向けた。

 支度金、それから離縁した時の慰謝料に、実家への資金援助。どれも破格の金額だ。しかも離縁はマリベルの申し出に全面的に受け入れるとある。

 契約内容は外に漏れることはないだろうが、金の出入りは違う。直ぐに人の口にのぼるだろう。


「これでは、金で買ったと言われかねません」

「それでいい」


 チャールズは、何度目かの深いため息をつく。


「マリベルさんが、納得するでしょうか……まだ出会って一日ですが、彼女が令嬢らしからぬ、とても素朴で真面目な方であることは理解できます。断られた時は、どうなさるおつもりですか」


 問われて考え込むクライド。


「そんなに、気に入りましたか」

「……分からない。ただ気になる」


 自分の掌を見下ろすクライドに、やれやれとチャールズが肩をすくめる。


「ようやく新しい仲間ができるのだと喜んだばかりです。仕方がありませんね、私が一肌脱ぎましょう」

「何をする気だ」

「さあそうですね、ここに居るメリットを並べたてましょうか」


 へらへらと笑いながら軽口をたたいている間に全て思い通りにするような口のたつ執事に、クライドはこれまで勝てたためしがない。


「ところで、今夜はどちらでお休みになられますかクライド様」

「いい、今晩は起きている」


 クライドがそう答えると、チャールズはいつものようなニヤリとした笑顔を取り戻す。


「安眠妨害を気にしてですか、クライド様がそんな気遣いができるお方だとは……」

「……余剰魔力がないだけだ」


 すかさず否定されるもチャールズは「左様で」と呟き、暇を告げた。

 残された部屋で、クライドは再び己の掌を見つめるのだった。

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