第7話 トラウマ
「馬車は、用意する必要ない」
突如頭の上から降ってきた低い声に、マリベルは驚いて振り向くと、そこにはドラコニア公爵クライドが柱に背をもたれていた。
いつからそこに居たのだろう、マリベルはまったく気づかなかった。さすがに離れで会った時とは違い、きっちりと黒を基調にした上品な服装で身なりを整えた彼の威厳に、気後れしかない。
「準備は終わったか?」
「はい、全て完了しましたので、いつでも出発できます」
誰に、と名を言わずに問うクライドに、当然のごとくクリステルが返答する。高圧的な言葉使いを使う人物ではないようだが、分かりやすく丁寧に言葉を重ねるタイプではないのだなと、マリベルは見て取る。
そんなクライドが、マリベルの方に顔を向けた。
長く真っ直ぐな黒髪が、揺れる。何を考えているのか分からない、ただ美しい顔がマリベルに近づき、そして手を差し出される。
「……え?」
差し出された手は思っていたよりも大きく、中性的な容姿の美しいクライドが、確かに男性なのだと実感する。しかしマリベルは、その手と彼の顔を見比べる以外に、どうしたらいいのかさっぱり分からなかった。
するとクライドがようやく口を開く。
「魔法具についての報告は、予め聞いている。だから転移魔法陣を使う前に、一度試してみようと思う。手を貸して」
マリベルはクライドが言っている意味がよく分からなかったが、とにかく言われたことには従うべきだと、差し出された手に自らのものを重ねた。
すると絹の手袋ごと、クライドはしっかりとマリベルの手を握りながら、クリステルたちに「離れて」と告げる。
メイド二人が後ずさると、クライドの足元を中心に、淡い紫色の光が文字を刻んでいく。
マリベルが居たのは、クリステルとルイーゼが使っていた部屋の入り口そば。柱や扉がすぐそばにあるにもかかわらず、それらを突き抜け、紫光の文字が円陣を刻まれていった。
放射状に伸びていく神聖文字から、今まさに展開されていくのが転移魔法陣であることに気づき、マリベルは青ざめる。
「だ、駄目です、私を運んだら、クライド様にまで悪い影響が出てしまうかも……」
そう訴えるマリベルが見上げたクライドの目が、噂で聞いた通りの赤に変わる。
足元の魔法陣が発動したのと当時に、そこから発する魔力を受けて、彼の長い黒髪がゆらゆらと靡く。新緑だったはずの瞳は血のように赤く染まり、靡く黒髪の向こうで怪しく光る。
恐ろしい血に飢えた魔人のごとき魔法使い。
そう噂される魔公爵、そのものの姿だった。
だがマリベルはその姿に怯えながらも、必死に彼にすがりついて訴えた。
「危険です、止めてください……壊してしまう」
マリベルの言葉が、魔法を発動しようとしていたクライドに、ほんの少しだけ動揺を与えられたのだろうか。マリベルを見下ろす赤い光が、揺らいだのだように見えた。
だが、それも時すでに遅し。
クライドが展開した転移魔法が発動し、紫の光のカーテンが足元から立ち上がり、二人を包み込む。
「……っ」
マリベルは地面から強制的に離される浮遊感と、押し寄せる魔力の渦翻弄されて、瞼を閉じて身を固くする。
だが構えたマリベルの予想とは裏腹に、違和感は一瞬で終わる。身体に重みが戻ったところでマリベルが目を開くと、そこはもう別の室内だった。
「転移は終了した。異常はあるか?」
クライドから訊ねられて、マリベルは呆然としたま首を横に振る。
「成功、したのでしょうか……」
「問題ない」
素っ気ないその言葉に驚くマリベル。
彼女はこれまで二十一年の人生の中で、転移魔法を使って移動したことは一度しかない。それは記憶もおぼつかない三歳の頃だった。
領地を持たないコールフィールド子爵家だったが、その時は遠戚に唯一領地を持つエレディア伯爵家に呼ばれて、出かけることになった。理由は年老いた先代当主が亡くなり、葬儀に参列するためだ。その人が亡くなったことで、伯爵家との縁も途切れることになるだろう。マリベルは父母がそう話していたことを、よく覚えていた。
そうして聖都ヴァリハリウスに居を構えるコールフィールド家は、東の辺境にあるエレディア伯爵領に向かうため、公に設置されている転移魔法陣を利用した。もちろん魔法陣は国が管理している、一般の庶民も利用するようなものだ。聖都には、そんな魔法陣がいくつも存在している。
その日、同じ魔法陣で運ばれることになったのは、マリベルと両親、まだ歩き出したばかりのマリベルの妹、あとはたまたま居合わせた商人の家族三人だった。
そこで、事故が起きた。
辺境にある伯爵領へ向かうはずの転移は、到着寸前でその魔法を霧散させてしまったのだ。
マリベルたち一家はたまたま幼い二人の姉妹を抱えていたため、しっかりと手を繋いでいたために幸運にも助かった。領地はずれの草原に落ちた時に、マリベルと妹をすぐさま両親が魔法を使い、揃って着地することに成功した。だが居合わせた商家の家族は、それぞれが手を離していたために無事では済まなかった。商家の子供はまだ魔法が未熟であるがゆえに、投げ出された末に高所から落下して亡くなってしまったのだ。
魔法陣を使用しての転移に、失敗することはそう滅多にあることではない。
だが痛ましい事故は現実となったのだ。
すぐに皇帝陛下の命のもと、調査が行われた。だが真相ははっきりと分からないままだったという。
だが、その時のことはコールフィールド子爵家に、いずれ暗い影を落とすこととなった。
なぜなら、マリベルが成長するごとに、同様のことが度重なるようになったから。
マリベルが魔法具を使うと、それらが不具合を起こす。
最初は魔法具がおかしいと思った両親だったが、そもそも魔法具はそれほど簡単に壊れるようなものではない。魔法を発動する法則は、世界を成り立たせる万物の法則と言って良い。あらかじめ記憶された魔法を発動させられるよう、微量な魔力を流すことで起動させているにすぎない。決して精密な仕掛けがあるものではないのだから。
両親がマリベルを責めることはなかったが、次第に彼女を腫れ物に触るように接するようになっていった。
両親は決してマリベルを虐げることはない、むしろその逆で彼女を庇う姿から、娘を愛していることには違いないだろう。だが善良な両親は、同時に罪悪感からも逃れられない。
あの日、マリベルが居合わせていなかったら、失われることがなかった命。子爵家に一滴の濁りとなって、深く沁み込んでいった。
「いらっしゃいましたが、クライド様、マリベル」
転移してきた二人のもとに、駆け寄ってきたのは執事チャールズだった。
到着した部屋は、リンデン・ブルーム城の一室。礼拝堂かと思うようなアーチ状の張りが高い天井を支え、白い大理石の床を歩く足音が幾重にも反響する。壁などもさほど装飾がなされていないそこは、チャールズによると転移魔法陣のための部屋だという。
そう教えられてホール中央にマリベルが目を向けると、床には確かに巨大な魔法陣が描かれていた。
「荷物はさきほど、送り終えました。あとは我々が行くだけです。ところで、何か問題はありましたか?」
「いや、問題はない。予定通り、ドラコニア城へ向かう」
そのやり取りに、マリベルは慌てて口を挟む。
「私は、馬車で向かわせてください」
チャールズが、驚いた表情をマリベルに向ける。
「ここから馬車だと、三日はかかりますよ。しかも山を越えねばなりませんから、魔物も出没します、とても建設的な提案ではありません」
「でも、私がいると迷惑をおかけしてしまいます」
マリベルの真剣な訴えに、チャールズは強く否定するのを諦め、主君であるクライドへとお伺いをたてるよう視線を送る。
「……チャールズは他の三人を連れて先に。彼女は僕が連れて行く」
「承知しました」
「クライド様、それは……」
なお言い抗おうとするマリベルに、クライドは感情が読めない人形のような顔を向けると。
「転移が解呪されるようなら、すぐに新しい転移魔法を展開する。それがドラコニア城に着くまで……例え百回でも、僕に問題はない」
マリベルはハッとして頭を下げる。救国の英雄である彼の力を侮ったわけではないが、マリベルが抗えばそう捉えられても仕方ないことだ。
「あの、申し訳ありません。クライド様の魔法を貶すつもりではなく……」
「マリベルさん、クライド様はそういう事を言いたかったのではありませんよ。大丈夫、クライド様の魔力は、それこそ掃いて捨てるほどあるのですから、そう、むしろ無駄遣い大歓迎」
はっはっはと笑うチャールズと、そんなチャールズの言い方など気にした様子もないクライド。
そうこうしている内に、城内を片付けていたオルコットと、追いかけてきたクリステルとルイーゼも集まり、マリベルの主張はうやむやになってしまう。
ここリンデン・ブルーム城にはもう何一つ用がないとばかりに、出発することになったのだった。
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