第3話 最初の仕事

 城の中から顔を出した男性は、煌々と明かりを灯す魔法ランプを掲げ、マリベルの向けていた視線の先を照らす。


「おや、またリコリスが咲いてしまいましたか。手入れが行き届かないところをお見せして、お恥ずかしい限りです」

「い、いえっ、そんなつもりでは……」


 リコリスはいわば雑草のようなもので、魔法の源であるマナが溢れる地には、自然と生えてしまうことがよくある。その花はとても脆く、人が触れると塵を散らすように崩れてしまうのだが、見た目に反して毒の花に分類されている。そのせいかあまり好かれてはおらず、大抵は彼が言う通りすぐに除草されてしまう。


「とにかく、まずは中にお入りください、コールフィールド子爵令嬢」


 マリベルは、自分から挨拶するべきだったと慌てて頭を下げるのだが、老執事はマリベルの背に手を回し、彼女を扉の中に引き入れてしまう。


「あ、あの、執事様を濡らしてしまいます。それに床も……すぐに拭きますので」


 マリベルが慌てて鞄を広げようとしたところに、ふわりと温かい風が巻き上がる。

 驚いて顔を上げると、老執事が白い手袋をはめた手をマリベルに向けてゆっくり払うと、濡れ鼠だった彼女のコートと鞄、それから床に滴る水までもが、みるみる蒸発していったのだった。

 彼の見事な魔法に、マリベルは心底見惚れながら礼を言うと。


「いいえ、これくらいは造作もないことです」


 稀代の魔法使いと謳われる公爵に仕える執事もまた、優秀な魔法使いなのかと感心するマリベル。急いで厚手のレインコートを脱ぎ、手早くたたんで腕に抱えると、改めて男性に頭を下げた。


「遅くなりましたが、召喚状をいただきご訪問いたしました。マリベル・コールフィールドと申します」

「私は公爵閣下の執事をしております、チャールズ・ハスラーです、コールフィールド子爵令嬢。ようこそリンデン・ブルーム城へ、お待ち申し上げておりました」


 召喚状にあった名前であることに気づき、マリベルは改めて見上げる。

 彼は上着の胸ポケットから、懐中時計を取り出しながら言う。


「ちょうど良い時間ですね、到着早々で申し訳ないのですが、仕事をひとつお願いしてもよろしいでしょうか?」


 マリベルは面食らう。

 いや、仕事をもらうのには、マリベルとて何の不満もない。だがドラコニア公爵家ほどの名家であるならば、紹介された時点で彼女が何件も行儀見習いを転々としていることは伝わっているはず。だからすんなりと受け入れてもらえないのではと、不安を抱いていたのだから、困惑するのも仕方が無いことだ。


「あの、私はここで働いても……いいのですか?」

「おや、令嬢は行儀見習いを断りにいらしたのでしょうか」

「い、いいえ! 決してそんなことはありません、ここに置いていただけるのでしたら、行儀見習いといわず、ただの侍女としてでもいいから働かせてもらいたいと、こちらからお願いしようかと……」


 慌ててそう取り繕うマリベル。だが嫌な顔どころか微笑み返す執事を見て、これはきっと自分が雇うに値するかを試されているのだと思い当たる。


「何でもいたします。私は、何をしたらよろしいでしょうか」


 決意を固めるマリベルに、執事は一つの鍵を差し出す。


「城の中庭を抜けた先に小さな離れがございます。そこで寝ている主を起こしていただけますでしょうか」

「あ……主って、まさか公爵様、ではないですよね?」


 そう聞き返したマリベルに、執事チャールズは穏やかに微笑むのみ。はっきりと是とも否とも判断しかねる様子に、それ以上は聞けず。


「あの……こんなに早い時間にお起こししても、大丈夫なのでしょうか」

「ええ、ええ、かまいません。寝坊癖がある、仕方のない人ですから、早めに声をかけるようにしているのです。今日はとても忙しくなる予定でもありますし、どうかよろしくお願いしますね」


 マリベルは、おずおずと鍵を受け取る。


「離れの入り口にある扉は、その鍵を使ってください。中に入りますと、外壁を伝って上がる螺旋階段がございます。そこを登りきった先にある唯一の部屋が、主の寝室になっております」

「あの……どうお声かけをすればよろしいのですか?」


 さすがに今日やって来たばかりのマリベルが、眠っている主の寝室に入るわけにもいかない。


「人の気配でお起きになられる方です、部屋の側まで辿り着けさえすれば、充分です」


 気配で起きるならば、起こしに行くのは自分でなくても良いのではないだろうか。不思議に思ったものの、簡単だからこそ任せられたのかもしれない。マリベルはそう考えることにして、荷物をチャールズに預けて中庭に向かうことに。


「それでは、行ってまいります」

「ええ、無事にお戻りになりましたら、契約書を取り交わせるよう、準備しておきます」


 その言葉に、マリベルは奮起する。

 例え外がこれまで以上の激しい嵐が吹き荒れていようとも。

 マリベルが到着した時には止んでいた雨が堅牢な城の壁を叩き、ごうごうと風が舞い上がる。それから雷も、再び鳴り始めていた。

 執事チャールズが開いた扉の向こうから、雨に湿った風がリンデン・ブルーム城のエントランスに吹き込んでくる。

 暗闇の先は、中庭へと誘う回廊が続いている。雷の光が差すことで、その先に薔薇の植え込みや植木が並んでいるのが見えた。


「こちらを持っていってください」


 チャールズから魔法カンテラを受け取り、マリベルは扉をくぐる。

 濡れるのを覚悟して出た先の回廊は、風はごうごうと吹き荒れるが、それだけだ。

 夏の生暖かい風を受けて、マリベルの長いホワイトブロンドを巻き上げられる。その髪を抑えながら見上げると、回廊の天井と側面は、どうやら魔法で覆われているようだ。

 透明なガラスのような壁をつくる魔法が、雨粒を受けることで、その不思議な姿を見せている。


「それでは、行ってまいります」


 マリベルはチャールズにそう言うと、意を決して歩き出す。

 カンテラは風に吹かれてマリベルの手の下でゆらゆらと揺れ、色とりどりに組まれた美しいタイル張りの通路を照らす。

 魔法で雨を防いでいなかったら、きっとこのタイルの道の上で、マリベルは何度も転ぶことになっただろう。そう考えながらしばらく歩き進めると、暗い道の先に壁が見えた。


「あれが、離れ?」


 壁に見えたそれは、お城にある尖塔の頂上部分だけが落ちてきたかのような形をしていた。それにしても離れと称するには少々大きな建物だ。マリベルがカンテラを持ち上げると、壁が通路と同じタイルで出来ているのか、色は真っ青で、艶がある。淡い魔法灯の明かりを反射して、宝石が散りばめられているようにも見えた。


「……綺麗ね」


 ほっと息をついて眺めていると、ふと当たりが静かになったことにマリベルは気づく。

 どうやら嵐が止んだようだ。急に風が穏やかになり、雨足も弱まってきている。空の雲は相変わらずとぐろを巻いてぴかぴかと光ってはいるが、静かなものだ。


「また嵐が戻ってしまったら、私の気配なんて掻き消されてしまいそうね」


 マリベルはポケットに手を入れて、預かっていた鍵を取り出した。

 そして暗い中カンテラで鍵穴を探し出して、建物の中に入ることに。


「まあ、まるで小さくなって貝殻の中に入り込んでしまったみたい」


 聞いていた通り、扉を開けると細い通路が、壁伝いにぐるりとあるだけだった。そこから螺旋階段が作られていて、マリベルはゆっくり昇っていく。

 しばらく細い階段を登ると、建物の最上階に辿り着いたらしく、白い壁に大きな扉が現れる。

 装飾が施されたこの離れの扉は、マリベルが生まれ育った子爵家の屋敷のどの扉よりも豪華だった。


「どうやってお起こししたら、いいのかしら」


 チャールズによると、マリベルが近づいただけで起きるはずではなかったのか。やっぱりそれだけで寝ている人を起こすのは無理だったのだ。

 仕方が無いとマリベルは扉の前まで進み、なるべく傷がつかないような場所を選んで、扉をノックした。


 だがその瞬間、扉がギイと音を立てて動いた。

 すると突如その隙間から、回廊で感じたものの数倍もの強い風が、吹き荒れる。


「……きゃっ」


 風だけではない。激しい音を立てて開いた扉の奥から真っ黒な霧があふれ出し、マリベルを襲ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る