第31話ー願っても良いのならー

「ずっと、気になっていたんですが…」


 その言葉に少年は彼女を見る。


「キーユさんはどうしてこんな私なんかに声をかけてくださったのですか?」


 その質問にスッと目を逸らして、少年は頭の中で必死に言葉を拾い集めてくる。


「それは———、ただ、興味が、あったんです。帝国の皇太子として、他国の姫君がどんな方なのか。ただ、それだけ、ですよ」


 キーユはただ淡々とそう答えたのだった。


「本当、に?」


 本当にそれだけなのですか———?と彼の顔を伺い見る。


 ん?と首をかしげるその人に、


 ぁ、いえ、なんでもありませんと、首を横に振ってそれ以上は聞けなかった。


 シンシアはその言葉を最後に、そのことに対して何も言わなくなった。


 それから再び庭園を散策することにした2人は、色んな植物たちを観賞しながら並んで歩いていた。


 そんな中、…あの、と、先に口を開いたのはシンシアだった。


 はい。と視線を向けてくれる彼。緊張して上手くそちらを見れないままに、言葉を続ける。


「さっき、キーユさんは、私も願ってもいいと言ってくださいましたよね?望んでもいいと」


「っ、はい。貴女はもっとご自分の幸せを望んで———」


「だったら、その、手を…」


「…ぇ?」


 キーユはふと隣の少女を見ると、彼女は照れ臭そうに俯く。その頬はほんのり赤い。


「もう一度、手を、握ってください…」


 恥ずかしそうに小さく震える声で囁かれるシンシアの言葉を、キーユは可愛らしく思った。そしてそっと差し出された彼女の小さい白い手。


「———っ、はい、もちろんです」


 可愛らしいその手に、少年は優しく自分の指を絡めるのだった。



「キーユさんの手、大きくて、温かいです」


「シンシアさんの手は、小さくて、可愛らしいですね」



 そう言って、2人は手のひらでお互いの体温を感じ合いながら、分け合いながら、顔を見合わせて柔らかく笑い合うのだった。


 ねぇ、シンシアさん?さっき、僕が貴女の手を離した時、僕が貴女の赤くなった手を治した時、少し名残惜しそうにされたように見えたのは、本当に僕の勘違い、だったのでしょうか———?と、キーユは、嬉しそうに隣で微笑む彼女に、心の中でそっと問いかけるのだった。


 それにしても庭園ココ、本当に様々なお花がいっぱいですねと、シンシアは楽しそうに辺りを見渡す。その表情は明るく輝いていた。


「ここは温室だけあって、いつも温度が一定で、今は真冬だと言うのに、こんなに暖かいし、季節問わず色とりどりの花が見られるんです。なにより静かだし、とても落ち着く」


「…フフッ、キーユさん、こういう所好きそう」


 シンシアはそっと微笑む。

 彼の口からよく聞く、静かな場所は落ち着くという言葉。少女はあまり気に止めることもなく、ただ本当に静かな場所がお好きなんだな…と、そっと彼を見る。


「静かだと、一番聞きたい声がちゃんと良く聞こえるから、安心できるのかも知れません」


 …え?と声が漏れる。まるで自分の心の声に応えたようなキーユの発言に、あれ、私、がまた言葉に出てたかな?とピクッと肩を一つ跳ねさせて、慌てて自分の口を手で塞ぐ。



「…好きなんです」


「ぇ?!」



 そこにそんな唐突な言葉が飛び出すものだから、驚いて彼を見る。


「この庭園は、帝国では見かけない草花がたくさん見られますから」


「…っ、あ、あぁ、確かに、珍しいお花もいっぱいで、綺麗ですよね」


 なんだ、庭園の話か、ビックリした…。と苦笑いする。また勘違いするところだったと、シンシアは心の中で言いながら人知れず深呼吸する。そしてあることに気付く。


(あれ?私、なんで、残念がってる…?)


 そう思いながら、少し肩を落としている自分に気付くのだった。


「そもそも、みんな、伸び伸びと生きている」


 そんなシンシアを気にかけつつも話しを続けるキーユ。


「フフッ、何だか植物たちの気持ちがわかるみたいな言い方ですね」


 と、冗談混じりに言ってみた。

 はずだったのに———、


「…えぇ、んです」


「ぇ?」


 少年の一言に、シンシアはパッと彼の方を見る。まさかそのまま頷かれるとは思っていなかった。

 きっと笑いながら、そんなことあるわけないとか、彼ならツッコんでくれると思っていたから。


「彼らの声はとても小さいですが、人間とは違っては一切聞こえてこない。それがとても心地良いのです」


 なおも続く、予想外な言葉に、そう、ですか。とだけ答える。


 シンシアは、彼の言葉から、やはりさっきのカフェテラスでの状況が脳裏にフラッシュバックされて、俯きながら胸の辺りをキュッと握る。


 全くその通りだ。自分のそばにいては、彼に “ 人間が紡ぐ雑音 ” が聞こえ過ぎてしまう。聞かせ過ぎてしまう———と、俯いて下唇を噛んだ。


「っ、すみません、こんな。気色悪いですよね、草花の言葉が分かるなんて…」


「…っ、」


 そう言った彼が、あまりにも力なく、弱々しく笑うから、困ったように、寂しそうに笑うから、堪らなくなった。なんとか…、目の前のこの人に、何かせずにはいられない衝動に駆られた。だから、慌てて言葉を紡いだ。


「そんなこと———、とても、素敵です」


 と、今の自分が思い付く精一杯の言葉で、彼を讃えた。


「っ、」


 シンシアの嘘のない懸命な言葉が、キーユの心に静かに光を灯した。少年はゆっくり彼女の顔を見つめるのだった。


 当のシンシアからしてみれば、そんな言うほど気になることでもなかったのだ。

 きっとそういう、植物の言葉を理解する魔法があるのかも知れない。時の魔法、とはまた違うと思うが———。

 自分がまだまだ知らないだけで、この世界はありとあらゆる魔法キセキで成り立っているのだから…と、少年の不思議な力に、それほど違和感を抱くこともなかった。


植物この子たち、今はどんなことを話してますか?」


「僕たちを歓迎してくれていますよ。特にシンシアさんのことは、珍しいお客様が来たと、楽しそうにしています。花たちのこと、綺麗だと仰ってくださったからか、とても喜んでいますよ」


 そうですかと小さく頷くと、キーユさんにここへ連れて来ていただいて良かったですと少女は続けた。


「そう仰ってくださって僕も嬉しいです」


 キーユも安心するように微笑む。


 やはり貴方様には、笑顔がよく似合いますねと、何の躊躇いもなく漏れる言葉は、少女の頬をほんわり赤く染めるのだった。


「そう言えばキーユさんには、ご婚約者はいらっしゃるのですか?」


 唐突すぎる質問に、ぇ…?と彼女を見るキーユ。


「さっきカフェテラスで私に縁談の話はあるのかと聞かれたでしょう?キーユさんは、どうなのかな?って」


 少しの上目遣いで首を傾げるシンシアの可愛らしい仕草に、キーユは1つ咳払いしながら少し顔を逸らす。


 それから少し間を開けて、意を決したように口を開いた。


「…、と言ったら?」


「っ?!」


 その言葉にピクっと反応を見せる少女に、


「ま、僕も一国の皇太子ですからね」


 と、また困った顔でやるせなく笑うキーユ。


「で、ですよ、ね〜」


(あれ、何だろう、胸がぞわぞわモヤモヤする…)


 シンシアは苦しそうに胸の辺りをキュッと抑えながら力なく笑う。


「まだ正式には決まってはないのですが、、という形で。その人は今、皇太子妃になるべく、懸命に作法の教育を受けていらっしゃる最中です。貴族出身と言っても、その人は他国出身のお方。帝国の宮廷内の作法やしきたりはまた違ったものでして、覚えるのに苦労されているようです」


「そう、ですか…」



 “ 皇太子妃 ”



 その言葉が、どこかずしりとシンシアに重くのしかかる。


「…。」


(そうなんだよね。キーユさんは、時の国、クロノス帝国の皇太子殿下、なんだものね…)


 心の中でそう呟きながら、こんなに近くにいるはずのキーユが、今はとてつもなく遠い存在に感じてしまうシンシア。


「好きなんですか?その人のこと」


「んぐっ———、今はまだわかりません。でも、まぁ、努力はしています。早くそうなれるように」


 どストレートな質問をしてくるシンシアに、戸惑うキーユだったが、平静を取り戻して淡々と応えた。


「…お相手を好きになる、努力?」


 シンシアの言葉にキーユはコクリと頷く。


「お相手はキーユさんのことを———?」


「どうでしょう。きっと彼女は、僕は嫌いなんじゃないかな」


「え?」


「彼女が想いを寄せているのは、キーファンの方だから」


「それは、どういう———?」


 キーユの言葉に、シンシアは首をかしげるばかりだった。


「いえ、こちらの話です。…そう言うシンシアさんはどうなのですか?ジェヘラルトの公子殿下と婚約されてるんですよね?僕はそっちの方が気になります」


「っ、幼い頃、お相手とは一度だけ会ったことがあるみたいなんですが、私はよく覚えていなくて…。ただ、今はお手紙のやり取りはしています。でも、それだけです」


 シンシアはキーユの質問にぎこちなく答えながらどこか気まずそうに俯くのだった。


「…。」


(お手紙で、近況をやりとりされている、だと?なんと羨ましい———ぁ、いや、そうじゃなく)


 シンシアの言葉に心の中でそっと呟くキーユ。


「すみません、自分から聞いておいてなんですけど、もぅ、やめましょうか。こんな、お互いの婚約者の話だなんて」


 シンシアはそう言って苦笑いを浮かべた。そんな彼女に、キーユもそっと頷くのだった。


「ところでシンシアさんは…、いや、失礼、公女殿下なら、礼儀作法くらい、嫌と言うほど教わっていらっしゃいますよね?」


「ぇ…。ま、まぁ。公国式、ではありますが」


「では、こう言ったことも?」


「っ?!」


 そう言うとキーユはシンシアの前に跪き、その手を取る。


「き、キーユ、さん…??」


「どうか僕と、踊っていただけませんか?


「ぇ、ここで、ですか…?!」


 突然のこと過ぎてシンシアは戸惑いながら首をかしげる。


「…ねぇ、シンシアさん、あの時のは、まだ有効でしょうか?」


「予約…?」


「仮面舞踏会の日、貴女のダンスの相手に予約していたと思うんですが?」


「ぁ…」


(そうだった。仮面舞踏会で一緒に踊りましょうって)


 シンシアは心の中でそう言いながら、仮面舞踏会の前にキーユとした約束を思い出していた。


「あの時は僕の体調が急に悪くなって、踊ることができませんでしたから」


「でも、キーユさんはちゃんと、

 

 私を見つけてくださいました。

 

 仮面を被っていたせいで誰が誰だか分からない中、私を見つけ出してくださいました。それだけで、私は十分嬉しかったですよ?」


「っ…」


(また貴女はそう言う可愛らしいことを惜しげも無く言ってのける———。わかってるのか?貴女のその言葉一つ一つが、確実に僕の心のHPを削っていっていることを)


 キーユは心の中でそんなことを言いながら、頬をほんのり赤く染める。


「では、なおさら、あの時の約束を、ここで叶えていただけませんか?本当は正式な場で、正装の時にお願いしたい所なんですが、ちょうど、バイオリンの音も鳴ってることですし」


 庭園の外では練習中の弦楽部の演奏が小さく聞こえてきていた。


「…ダメ、ですか?」


「っ…。」


(その目は反則です、キーユさん…)


 シンシアは心の中でそう呟くとキーユの上目遣いにドキッとさせられ、


「だ、ダメだなんてとんでもないです。ぜひ、お願いいたします…」


 頬を赤らめながらコクリと頷く。それを見て、キーユは満足げに微笑むのだった。


 ————————————


 コツンッ、


 キュッ、


 時折、靴が地面を蹴ったり擦る音が庭園に響く。


「っ…。」


 ふと気になってチラッと盗み見るキーユの横顔。


「…。」


 思わず目が奪われてしまうシンシアは、足がお留守になり、キーユに上手くリードしてもらいながらなんとか踊り続ける。


 不意に目が合うと、キーユは柔らかい笑顔を見せ、シンシアは咄嗟に目を背ける。


「さすがはシンシアさん。ダンス、とてもお上手ですね」


「ご冗談を…。下手過ぎていつも先生に怒られてるんですよ?クラスのみんなからも、よく笑われたりしてますし」


「本当ですか?とてもそんな風には———」


「きっと、キーユさんがリードしてくださってるから」


「いぇ、僕は何も」


「…なら、多分、フィーゼのお陰かもです」


「フィーゼ?…何故です?」


 急に出て来た名前に、キーユは首を傾げる。


「今まで、たくさん練習に付き合ってくれてたんです。いつも嫌な顔一つせず、長時間…。ホント、感謝しかありませんから」


「…、左様、ですか」


「キーユ、さん?」


(私、また何か余計なことを言ってしまったのだろうか…??)


“ フィーゼ ” の話が出た途端、キーユの表情は少し陰り、声のトーンは少し落ちたように、シンシアは感じたのだった。

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