第30話ー全然大丈夫!に隠したものー

 ———カフェテラスから突如姿を消したキーユとシンシア。実は2人はキーユの転移魔法で場所を移動していたのだった。



「着きましたよ、シンシアさん」


 と声をかけられ、突如変わってしまった風景をキョロキョロと見渡しながら、

 ここは…、温室庭園ですか?と尋ねるシンシア。


 えぇ。と軽く頷いたキーユは、来られたことはありますか?とシンシアを見た。


 キーユ達が移動した先とは、学園に設けられた大きな温室庭園だったのだ。


 キーユの問いに、入学した頃、施設案内で一度だけ。とボソリと答えるシンシア。どこかボーッとしていて、心ここに在らず、という様子だ。


「転移魔法を使いました。カフェテラスからココまでのんです」


 一応ことの成り行きを補填する彼に、時空を飛ぶ…?と、少しだけ反応を示すシンシア。


「時の魔法です。シンシアさんは初めてでしたか?」


「一瞬過ぎて何もわかりませんでした。不思議な力ですね。四大元素と違って、特に扱うのが難しいと言われている時の魔法をこんなに自在に使えるなんて、やっぱりすごいですね、キーユさんは」


 これが、キーユさんの魔法…。


 初めて目の当たりにしたそれに、驚きと尊敬、感嘆も込められた息が漏れた。


 転移魔法とは時の魔法の一種で、移動したい場所に瞬時に移動することができる。移動距離にもよるが、一度使うだけでも膨大な魔力が必要なため、並大抵の魔力を持っているだけではなかなか扱えない。

 特に最高難度の一つにも数えられているそれを、いとも簡単にやってのけてしまえるキーユ。


 やはり貴方は、時の神様クロノスの力を色濃く受け継ぐ皇子殿下だから———?と、計り知れない魔力とその力に、シンシアは彼が少し恐ろしくも感じてしまう。


「シンシアさん、ちょっと歩きましょうか」


 キーユはそう言って歩き出し、いまだ彼に手を握られているシンシアは、そのまま後に続く。

 温室庭園というだけあって、2人の周りには所狭しと木々が生い茂っており、草花が色とりどりに咲き乱れていた。


「…きれい」


 ポツリとシンシアが声を漏した。


 フフッ、シンシアさん、お花、お好きでしたもんね、と花に目を奪われる少女に声をかける。


 少しずつだが強張っていた表情を緩ませていくシンシアに、キーユはやっとホッとしていた。


「…あれ?私、キーユさんに花が好きだって、お話ししたことありましたっけ?」


「…ぇ、あ、いや、なんとなく、そうかなって」


 キーユは後頭部をポリポリかきながらぎこちなく答える。

 それから二人の間には特に会話らしい会話はなかった。シンシアもそれを特に気にすることなく、その状況に身を委ねていた。キーユに手を引かれたこの状況は、2人でカフェテラスへ向かっていたあの時と同じはずなのに、今は恥ずかしさとは別の感情が彼女の中を取り巻いていた。


「あの、キーユ、さん?」


「…。」


 何度か声をかけてみたものの彼はいまだ黙ったままだった。今までどんなに小さな声でも彼は逃すことなくシンシアの声を拾い上げてくれていたので、こんなこと、とても珍しいことだ。


 だからなのか、シンシアには不安が渦巻いた。もしかして怒らせてしまったのではないかと。さっき、クラスメイトたちもいる前で、あんな醜態を晒してしまったから、やっぱり引かれただろうかと。 



【公女殿下は婚約者がおられるにも関わらず、他の男に色目を使ってるって】


【こんなにおとなしくて清廉潔白で有名ですが、その実、地位をひけらかして男をたくさん侍らせて———】



 先ほどの女子生徒の言葉が頭の中に色濃くフラッシュバックする。


「ごめん、なさい…」


 不意にシンシアからそんな言葉が口を突いて出た。


 それだけはやっと届いたようで、彼は、ぇ?と歩みを止めた。そして、ハッと何かに気が付いたように、


「ご、ごめんなさいっ!!」


 と、今度は彼がそう言って、慌てて彼女の手を放したのだった。


「ぁ…、」


 急に放り出されたそれは、行き場をなくして宙を物憂げに彷徨う。シンシアはそれをただぼーっと眺めるのだった。よく見ると、握られていたそこが、少し赤くなっているようだ。


「すみません!知らぬ間に強く握り過ぎていたようです」


 慌ててぺこぺこ謝るその人に、あぁ、そんなことかと、シンシアはホッと小さく息をつく。

 拒絶されたわけではないとわかって、少し安堵する。だが、先ほど産声を上げた心のザワザワは、そんなことでは治ってはくれなかった。


「シンシアさん?…どうかしましたか?」


 明らかにさっきより反応が鈍くなっている少女を心配そうに見つめるキーユ。

 まさか、そんなに痛かったのだろうかと、内心ヒヤヒヤだ。


「私は大丈夫です!全然、大丈夫。大丈夫、ですから———」


 目の前で必死に振る舞うシンシアを、ただ心配でじっと見つめる。

 彼女の声は、まだ少し震えているのだ。


(ねぇ、シンシアさん、知っていますか?大丈夫な人は、そもそも自分から大丈夫だなんて言わないんですよ?)


 キーユは心の声はシンシアに届かないまま、庭園の奥に設けられたベンチに2人は並んで腰掛けた。そして彼女の手の赤くなったところを、まるで壊れ物を扱うかのように優しく丁寧に触れる。


「…痛かった、ですよね?申し訳ございません」


「いぇ!大丈夫です!!」


「っ———、」


 先ほどから “ 大丈夫 ” としか言わないその子に、胸がチクリと痛んでいく。


「すぐ治しますね」


 と言うキーユに、ぇ…、治すって?とシンシアは思わず聞き返す。

 彼はこの学園に入学して間もないというのに、もう風魔法を自在に扱えるようになったのかと、不思議そうに彼を見る。


 それからキーユは詠唱ではなく、指を “ パチンッ! ” と一つ鳴らした。すると、


「っ———」


 シンシアの手の赤くなったところを中心にその周りを金色の光が優しく包み込むのだった。しばらくして光が消えると、赤みも痛みも、まるでかのように全てが消え失せていたのだった。


「どうですか?まだ、痛みますか?」


 と不安そうなキーユに、いいえと首を振ったシンシアは、


「もぅ大丈夫です。痛みも、何もかも、全部消えちゃいました」


 そう言ってどこか不思議そうな表情を浮かべた。


「今の、詠唱破棄、ですか?…でも、風の魔法、ではなかったですよね?」


「えぇ、あれも時の魔法です。シンシアさんの手の状態を、赤くなる前の、僕が握る前の状態に戻したのです」


「時間を、戻す———?」


 と、言いながら腕を見つめた。初めての体験に目をパチクリさせる。だがもう一つ驚いたことは、彼も詠唱破棄で魔法を発動させたことだった。いや、あれは詠唱の代わりに指を鳴らしていたかのようにも見えた。まるでフィーゼが力を使う時みたいに———。


 シンシアはもう一度不思議そうにキーユを見やるのだった。


 そんな彼女に微笑みながら、キーユは


「ねぇ、シンシアさん」


 と話を切り出した。


「どうして、さっき僕に謝ったんですか?」


「っ———」


 その言葉に、シンシアはゴクリと生唾を呑む。


「私のせいで、迷惑をかけてしまったから」


 ごめんなさいと消え入りそうな声でキュッとスカートの裾を握る彼女に、迷惑?と首をかしげるキーユ。


「私と一緒にいると、無関係な貴方まで悪く見られてしまいます。それがとても忍びないのです」


 せっかく私なんかに手を差し伸べてくれた貴方を巻き込んでしまうなんて、私のせいで場所まで変えてくださって、私一体何して———と、申し訳ない気持ちが心の中を支配して、自然と頭が下がっていくシンシア。


 彼女の言葉に、なんだそんなことかと、キーユはフッと息をついた。


「迷惑だなんてとんでもない。、なのでしょう?」


 と、少年は笑顔で言ってのけた。以前仮面舞踏会で、シンシアが言っていた言葉だ。

 自分が言った言葉がこのような形で返ってきて、シンシアの心にはまた、温かいものがじんわりと広がっていく。


 そんな彼女に、もう一つ聞いても良いですか?と続ける。


「さっきあの人たちに何も言い返さなかったのは、どうしてですか?」


 キーユの質問に、それは…と、シンシアはまたしても言いづらそうに目を伏せる。それから一呼吸置いて、躊躇いながらも口を開いた。


「言葉は容易く誰かの心を傷付けるから。例え自分が意図していなくとも」


「…っ、」


 いかにも彼女らしい解答だなと、キーユは小さく息をついた。


 誰かを傷つけるくらいなら、自分が傷つけられる方がいい。

 彼女の立ち居振る舞いを見ていると、そんなふうに思えてしまう。

 どんなに酷い言葉を投げかけられようが、決して歯向かうこともせず、ただ黙って耐え忍んできたのかと、胸の中にモヤモヤしたものを抱きつつも、ただ黙って少女を見つめる。


「昔、亡くなった祖母がよくこんなことを言っていました。

 この世界は、良いことをしても、そうじゃないことをしても、


 “ 巡り巡って必ず自分の元へ返ってくる ”


 のだと」


「巡り巡って、返ってくる…?」


 キーユはその言葉に首をかしげた。


「嫌なことが返ってくるよりは、良いことが返ってきた方が嬉しいでしょう?って。

 だから、できるだけ良いことがたくさん返ってくるように、良いことをたくさんしなさいって」


「“ 良い、こと ” …?」


 キーユはそっと聞き返した。


「祖母はきっと幼い私でもわかるように、そういう言葉を使ったんだと思います。

 多分それは、ものの大小問わず、


  “ 誰かの幸せを心から願うこと ”


 そのために行動することなんだと、今は解釈しています」


「誰かの幸せを、願う…?」


 そのためには、自分がどうなってもいいと言うのか———?


 少年はやるせなく目の前のその人を見つめる。


「言い返さないのが、相手への幸せを願うこと、だと?」


 その問いに、シンシアは肯定も否定もせずに、ん〜、と声を漏らした、


「実は、あの時は特に相手への配慮とかは、考えてはいませんでした」


 少し困ったように笑いながら言うシンシアに、ぇ?とキーユは目を丸くする。


「———それでは、」


 貴女はあの時、一体何を考えて———?と難解な表情を浮かべるキーユ。


「あの時はただひたすらに、相手がその場を早く去ってくれることだけを願っていました。

 ああ言う時は無理に言い返すよりも、相手がひとしきり毒を出し切るまで黙っていれば、あとはそのまま満足して勝手に去って行ってくれるので。

 ———あぁ!相手への満足を願う。…これも相手の幸せを願うことになるのでしょうか?」


「っ———」


 眉をハの字に歪めて懸命に笑顔を作るシンシアに、キーユはピクリと反応するだけで何も答えない。


 シンシアはさらに続ける。


「まぁ、何が正しいのかはわからないですけど、私ができる、ああ言う場での手っ取り早い方法、といいますか。それで全てが解決するなら、それが一番———」




「どうして貴女はいつもそうなんですか?!」



「…っ」


 キーユはとうとう声を荒らげていた。彼がシンシア相手にそんなことをするのは、とても珍しいことだった。もしかしたら初めてかもしれない。


  シンシアはビクッと肩を一つ跳ねさせると、目をパチクリさせながら、彼を見つめる。


「貴女は、どうして———」


 キーユはどこか悔しそうに手のひらをきゅっと握った。


 それが、この子が持って生まれた “ 慈悲の心 ” だというのだろうか。周りが幸せになるためなら、例えどんな厄災がその身に降り掛かろうと、 “ 全てを受け入れ、許す ” と?

 では、無情にも傷つけられるこの子の心は、一体誰が癒し、護り、そして、 “ 許してくれる ” と言うのだろうか———。


( …イェティス、慈悲の心は、他人の幸せしか願ってはいけなのか?

 慈悲の心は、には使ってはいけないものなのか…?)


 キーユはただ、心の中で問いかけるのだった。


「大丈夫です。私、こういうことには慣れていますから」


 またもや彼女の口から出た大丈夫に、


「慣れていても、毎回ココは痛いでしょう?」


 と、自分の胸に手を当てるキーユ。その言葉に、シンシアは何も返せなかった。 



「貴女はそれで本当に幸せですか?」



 キーユの問いに、シンシアはただ、ぇ?と声を漏らした。



「どうして貴女1人が、全ての人の幸せを願わなければ、背負い込まなければならないのですか?」


「…。」


「貴女は誰かの幸せを願うのに、貴女の幸せは一体誰が願うのですか?」


(ねぇ、シンシアさん、貴女は巡り巡って、一体何を返してもらってきたと言うんですか———?)


 キーユはシンシアに一番問いたいそれを、そっと心の中で問いかける。


「私はこの国の公女です。全ての民の幸せを願うのは、当然のことです。私から逆を望むなんてことはできません」


 生まれてこの方、ずっとそう教えこまれてきた。これが正しい行いなのだと、シンシアは信じて疑わない。


「シンシアさん、…貴女は本当にそれで良いんですか?」


「良いも悪いも、私は公女だから———」


「お嬢様っ!!」


「さっきからキーユさんは何を言って———」



「どうして貴女は、貴女の幸せを願ってはくださらないのですか?!」



「…っ」


 シンシアはキーユを見つめたまま固まってしまった。目に映るその顔は、とても苦しそうで、何より辛そうな顔をしていた。


「お願いです、お嬢様。どうかもっとご自身も望んでください。誰かの幸せを願うのと同じくらい、ご自分の幸せを———」


「…っ」


(自分の幸せを、望む———?)


 シンシアは首から下げている笛のペンダントがあるところを、キュッと握るのだった。


「貴女はそれくらいしても十分です。むしろお釣りが来るくらいだ。それほどのことをたくさんされてきたのだから」


「ありがとうございます、キーユさん。でも大丈夫。私の幸せは、誰かの幸せを願うことで、巡り巡って、ちゃんと返ってきていますから…」


 やはり笑顔を見せるシンシアに、


 貴女はまだそんなことを———と、キーユはやるせない渋い顔で息だけを吐き捨てる。


「なら伺いますが、貴女に一体何が返ってきたと?」


 意を決してとうとう核心に触れてみた。さて、この子は一体なんと答えるのか?


「…。」


 彼女は少し考えるように間をおいてから、ゆっくりと口を開いた。



「キーユさんに、会えました」



「っ———?!」


 真っ直ぐに目の前を見据えたシンシアの、優しく朗らかな声は、キーユの時間を一瞬止めた。


 その時、彼の頬からは一筋だけ滴が伝い落ちたのだった。それから彼は慌ててシンシアから顔を背けた。その頬は今度は少しずつ赤く染まっていく。


「キーユさん、私の代わりに、怒ってくれてありがとう」


 照れ臭そうにはにかむ少女に、当然です!とキーユは間髪入れずに答えた。


「貴女は大切な僕のおじょ———、いえ、大切な、、なのですから」


 キーユの言葉は最後ら辺はどこか辿々しく小さく消えていった。


(嗚呼、チクショウ———。この時ばかりは、フィーゼ、君のことがこの上なく羨ましく思うよ…)


 と、もどかしそうに心の中で溢した。その時の彼の脳裏には、不意にフィーゼの姿が浮かんでいたのだった。


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