7-2

 ———キーユは両手にドリンクを持ってシンシアが座る席に向かった。



「お待たせしました。…ぁ、もしかして外、寒いですか?飲み物も冷たいものですし…、やっぱり中に入りましょうか」


「大丈夫です。こちらの方が静かですし。キーユさん、静かな所がお好きだって、」


「覚えていてくださったのですね。シンシアさんの言う通り、静かな方が、僕も落ち着きます。…聞こえるものが少なくてすむ」


「?」


 ボソッとこぼしたキーユの最後の言葉に、シンシアは小さく首をかしげたが、それだけだった。


 今は季節柄冬ということもあって、生徒たちは皆店の中で飲食を楽しんでいるようで、外のテラス席はガラ空き状態だ。



「さぁ、どうぞ召し上がれ」


 キーユはテーブルに持っていたドリンクを置いて、片っ方をシンシアの方に渡す。


「それではお言葉に甘えて…」


 シンシアはそう言って、先ほど頼んだスペシャルカスタマイズのフローズンドリンクに口をつけた。


「っ?!」


 一口味わってパッと顔を上げる。


「フフッ、どうですか?」


「ん〜!!おいしい〜」


 キーユの問いに、シンシアは頬に片手を当てて、とびきりの笑顔で答えるのだった。


「っ!!」


(ご、ごちそうさまです———!!)


 シンシアの嬉しそうな顔を見て、キーユはまだ何も口にしていないのに心の中ではそんなことを口走っていた。ほんのり頬を染めながらキーユは彼女に釘付けになるのだった。


「とってもおいしいです!!はぁ、幸せ〜」


 シンシアの何とも言えない仕草に、


「そ、それはよかった」


(その顔を見られて、僕も幸せです!天使か何かなのかな?この人は。気を抜いたら一気に天へ召されてしまうぞ、気をつけなければ。…いや、もぅいいか。彼女になら別に召されても)


 キーユはもはや何もかもどうでも良くなっていた。


「ん?キーユさん、どうかしました?ボーッとして」


「いや、ただただ可愛———っ、何でもありません。美味しそうに飲まれるな〜と思って」


 キーユは緩みそうになる顔を必死に引き締めながら、目の前の可愛らしいその人を、いつまでもいつまでも見ていたいと心から思うのだった…。


「そういえば、エストさんはあの後、大丈夫でしたか?」


「あぁ、はい、命に別状はないので。でも大事をとって今日は部屋で休ませています」


「すみません、ウチのフィーゼが」


「いえ、悪いのは僕の方ですから」


 “ ウチの ” と言うシンシアの物言いにやはり反応してしまうキーユだったが、涼しい顔で受け流してみせるのだった。


「フィーゼの大切なものに無礼を働いてしまったのです。怒るのは当然のことですよ」


 申し訳なさそうに頭を下げるシンシアに、キーユは首を左右に振る。


「本当に心から愛されているのですね、貴女は」


「っ、主として、ってだけですけど」



(私が誰かに愛される資格なんて、どこにもないのだから)



シンシアは心の中の奥底にそっとそんな言葉を落とすのだった。


「———、」


 困ったように笑うシンシアに、キーユは肯定も否定もしなかった。


「シンシアさん、一つ伺いたいのですが、」


 シンシアが一通りドリンクを味わったところで、キーユは問いかける。


「これまでに縁談のお話とかは来ているんですか?」


「ゴフッ、え、縁談?!…も、もちろん、ないわけではありません。私ももぅ16、成人の年ですし。それに、公女という立場でもありますから…」


 唐突な質問に、シンシアは思わずむせ返りそうになる。


「失礼ですが、聞いた話によると、東のジェへラルト公国の公子様が、貴女をめとりたいとか何とかほざいていらっしゃるのだとか?」


「ほざ…っ、どうしてそのことを———?!」


「僕も立場上、そういう政治的な話を気にせざるをえないので」


 さもありなんなことを涼しい顔でサラッと言ってのけるキーユだが、


(そりゃ、気になるにきまっているじゃないか!貴女のことなら特に…)


 心の中ではそんなことを呟いているのだった。真っ直ぐにシンシアを見据えるキーユ。シンシアは必死に頭の中で言葉を選び、ゆっくり口を開くのだった。


猶予ゆうよを、与えられています。私はお断りしましたが、両親がそう易々と受け入れるはずもなく。私が高等部を卒業する18になるまでに、心を決めるようにと」


 シンシアはそう言いながら、キーユの顔は見ずに飲み物の中身をストローでツンツンしている。


「っ、それじゃ、あと2年もないじゃないですか?!」


「仕方ありません。公女とはそう言うモノです」


 シンシアは困ったように力無く笑う。彼女はやはり、キーユを見ようとはしない。


「…じゃあ、今現在お付き合いされてる方はいらっしゃらないんですよ、ね?」


「っ、は、はい、もちろんいません」


「はぁ、良かった」


「ぇ?」


 戸惑いながらもはっきりと言ってのけたシンシアに、キーユはホッと胸を撫で下ろした。


「今まで恋人は?好きな人がいたことは?」


「…好きな、ヒト?」


「“ フィーゼ ”は?」


「っ?!」


 彼女が握っていたストローはカップの底に当たりグニャッと曲がる。


「な、なんでフィーゼが?彼は、その、従者、ですから…!」


(そうだよ…。フィーゼは私の従者なんだから、そんな風に見たことなんて…)


 突然フィーゼの名前が出てきて、心の中で焦りながらパッと顔を上げるシンシア。


「…そう、ですか」


(一瞬揺らいだのは気のせいだろうか?)


 フィーゼの話に揺らぐシンシアの姿が気にはなったが、キーユはあえて口にすることはしなかった。


「そ、それにしても、さっきのカフェの店員さん、勘違いも甚だしかったですね」


「勘違い?」


「僕たちのことをカップルだとか、貴女を彼女さん、とか。僕は全然いいですけど、シンシアさんにはとっても嫌な思いを———」


「っ、」


 気まずそうに言うキーユに、その時のことを思い出したのか、シンシアの頬はまた赤く染まっていく。


「嫌じゃ、ない、です」


「…ぇ」


 シンシアの言葉に、ピタッと動きを止めるキーユ。ふと彼が手にしていたカップの中の氷が外からの圧力にガリガリッと濁った音を立てる。


「そ、それは、どういうこと、でしょうか?」


(嫌じゃない、ってことは、それはつまり———)


 キーユは伺うようにシンシアの顔を見る。


「つまり、私は———」


「あれ、シンシア様じゃない?」


「っ?」


 シンシアの言葉を遮って突如別の声が聞こえた。


「やっぱりシンシア様だ!キーファン様も一緒に、このようなところで何をしてるんですか?」


 そこにはクラスの女子が数人珍しくシンシアに話しかけてきたのだった。こんなことはシンシアが学園に入学した初等部での数ヶ月以来、何年もなかったことだ。

 シンシアの体は普段より一層緊張で硬直していく。その顔から一瞬にして表情というものが消えていく…。


「あなた方は?シンシアさんになにかご用なのですか?」


「やだなぁ、ご用だなんて堅苦しい。私たちはシンシア様の初等部からのですもの。今だって一緒のクラスだし。友人に話しかけるのなんて、普通のことですよ」


「…友、人、ですか」


(普段はまるでその場にいないかのように無視を決めこんでいるくせに、恐れ多くもよくそんなことが言えたものだ。そばに従者が、フィーゼがいないとこんなに違うのか?)


 キーユは笑顔を見せてはいるものの、心の中ではそう言って、フィーゼが普段どれほど彼女を大切に護っているのかを思い知らされる。


(フィーゼからチラッとは聞いていた。シンシアさんと周りの人間との関係のこと。シンシアさんがフィーゼ以外の人間と喋ったのは、入学して最初の数ヶ月だけ。他人と話すことが苦手な彼女は、初めこそ周りの気遣いもあってみんなの輪に入れてもらっていたものの、シンシアはシンシアでなかなか他人に心が開けず、最終的にはパシリとしてしか扱われなくなり、とうとうフィーゼが救済に入ったそうだ。それからは、今の状態が確立してしまったと言っていたっけ…)


 心の中でぶつぶつと呟くキーユ。男子学生だけが受ける剣術や体術の授業の合間に、キーユとフィーゼは話をすることがあり、その時にシンシアの情報を仕入れているのだ。


「それ、何を飲んでおられたんですか?」


「あ、これ、この前発売されたばかりの新商品じゃ———?」


「え〜、シンシア様、甘い飲み物はお嫌いだって言ってたのに、あれ、うそだったんですか?」


「っ?!」


 シンシアはからかうような女子たちの言葉にビクッと肩を一つ跳ねさせる。自分の好きがわからない彼女は、きっと当時も周りに合わせてしまったのだろう。好きなものでも嫌いと言ってしまったようだった。

 緊張しきっている彼女は、俯いて小刻みに震えながら、誰とも目が合わせられない状態だ。 


「申し訳ありま———」


「うそじゃありませんよ。それは僕が飲んだものです」


「ぇ、」


 シンシアが震える声でそう言い切る前にキーユが遮って言葉を紡いだ。シンシアは目を丸くしながらやっと少し顔を上げた。


「そ、そうだったのですか…。キーファン様が、お一人で?」


「はい。新商品、2種類出てましたから、飲み比べしてたんです。男一人で甘いもの2つなんて、なんとなく気まずいので、シンシアさんにもお付き合いいただいていたのです。あなた方も新商品を試しにこられたのですか?どっちの味も美味しかったですよ」


「そ、そうですか」


 サラリと笑顔で答えるキーユに、女子たちは他になにも言えなかった。


「キーファン様とシンシア様は付き合っておられるのですか?」


「———っ、」


「ぇ?」


 一人の女子生徒の言葉に、シンシアとキーユは顔を見合わせてまたそらし合う。


「そ、そんなわけ———。公女殿下にそんな恐れ多い」


「だって最近キーファン様、シンシア様と一緒におられることが多いじゃないですか?みんな噂してるんですよ?公女殿下は婚約者がおられるにも関わらず、他の男に色目を使ってるって」


「———っ?!」


 女子生徒の心無い言葉に、シンシアは下唇を噛んで俯いてしまう。


「はぁ、やめろ…、」


 キーユはそっと低い声でボソッと呟く。


「キーファン様も気をつけた方がいいですよ?この子、こんなにおとなしくて清廉潔白で有名ですが、その実、地位をひけらかして男をたくさん侍らせて———」



“ ガン———ッ!! ”



「っ?!」


 激しく音を立ててこぶしをテーブルに振り下ろしたキーユに、そこにいた全員が一瞬で口を閉じる。



「そんなにこの方を貶めて楽しいか?

 それがあなた方が言う、友人に対してすることか?!」



 キーユの問いに誰一人、口を開く気配はない。


「ずっと不思議でたまらなかったが、公女殿下がクラスの誰とも会話をされない理由が、今ここでよ〜くわかった。本当に、話す価値もない、こんな人たちとは」


「ちょっ、キーファン様っ?」


「誤解です!私たちは真実を———」


 低い冷たい声で軽蔑した目で周りを伺い見たキーユ。慌てて言い訳を試みる女子たちだが、そんな言葉は彼の耳には届いていない様子だった。

 キーユは、ふと、目の前で震えながら小さく縮こまって項垂れるその人に、そっと目線を合わせて、



「行きましょう?“ シンシアさん ”」


「っ———」



 とびきりに優しい声で、穏やかな笑顔で彼女の名を呼ぶのだった。その声はスーッとシンシアの鼓膜を何よりも優しく震わせた。暗闇のどん底に叩き落とされたかような思いのシンシアに、眩く暖かい光が、優しく包み込むように差したかのようだった。

 キーユはサッと立ち上がって、そっとシンシアの前に手を差し伸べると、それに導かれるように彼女は何も言わず、恐る恐る、でもただ静かに、自分の手をそれに重ねるのだった。キーユはそのままシンシアを立たせてやると、


「ではみなさん、ごきげんよう」


 そう言って、そのまま彼女の手を掴み、指を“ パチンッ ” と一つ鳴らした。すると、2人は途端に姿を消してしまったのだった。


「っ、な、何?今の。消えた…?」


「“ 転移魔法 ” 、ってやつかな?」


「はぁ?!じゃあ、あの一瞬で、どっか別の場所に瞬間移動しちゃったって言うの?ってか、転移魔法って、時の魔法の一種だよね?ってことはキーファン様ってもしかして、帝国の人…??」


 時の国、帝国人が多く扱える時の魔法の一種、転移魔法を、キーユが使いこなしているのを目の当たりにした女子生徒たちは、ただただ呆気に取られるばかりなのだった。

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