第29話ー恋バナの行方ー

 ———キーユは両手にドリンクを持ってシンシアが座る席に向かった。



「お待たせしました。…ぁ、もしかして外、寒いですか?飲み物も冷たいものですし、やっぱり中に入りましょうか」


「大丈夫です。こちらの方が静かなので。キーユさん、静かな所がお好きだって、この前」


 覚えていてくださったのですかと言う少年の心には、ぽわんと温かいものが広がる。



「静かな場所は、聞こえるものが少なくてすむから、落ち着くんです」


 ボソッとこぼしたキーユの最後の言葉に、シンシアは小さく首をかしげたが、そのまま流すことにしたのだった。


 今は季節柄冬ということもあって、生徒たちは皆店の中で飲食を楽しんでいるようで、外のテラス席はガラ空き状態。閑散としている。耳を掠めるのは木々の葉が擦れ合う音や小鳥の声といった心地よいものだけだった。



「さぁ、どうぞ召し上がれ」


 キーユは持っていたドリンクをテーブルに置いて、片方をシンシアに渡す。


 それではお言葉に甘えて…と、少女は先ほど頼んだスペシャルカスタマイズのフローズンドリンクに口をつけた。


「っ?!」


 一口味わってパッと顔を上げる。


「フフッ、どうですか?」


 尋ねてはみるものの、顔を見ただけで答えはわかりきっていた。


「ん〜!!おいしい〜」


 シンシアは頬に片手を添えてとびきりの笑顔で答えるのだった。


「っ!!」


 そのなんとも言えぬ破壊力抜群の表情に、少年は自然とポカンと小さく口を開いて見惚れてしまう。


(ご、ごちそうさまです———!!)


 まだ何も口にしていないにも関わらず心の中でそう叫んでいた。


「とってもおいしいです!!はぁ、幸せ〜」


 普段滅多に見せない彼女の飛び切りの仕草に、必死に平静を装いながら、それはよかったと返すだけで精一杯の少年。


(その顔を見られて、僕も幸せです!)


 と思わず心の中でガッツポーズだ。

 全くこの人は、自覚はあるのだろうか?

 その天使のような微笑み。気を抜いたら一気に天へ召されてしまいそうな勢いだ。


(…いや、でも、まぁいいか。彼女になら別に召されても)


 キーユはシンシアのあまりの可愛さに、もはや何もかもどうでも良くなっていた。


「ん?キーユさん、どうかしました?ボーッとして」


 全く動かなくなったキーユの視線が気になって、やっと彼に向き直るシンシア。


「いや、ただ可愛———っ、

 

 何でもありません。美味しそうに飲まれるな〜と思って」


 キーユは緩みそうになる顔を必死に引き締めながら、目の前の可愛らしいその人を、いつまでもいつまでも見ていたいと心から思うのだった…。


「そういえば、エストさんはあの後大丈夫でしたか?」


「あぁ、はい、命に別状はないので。でも大事をとって今日は部屋で休ませています」


「っ…、もしよかったら私の魔法で———」


「大丈夫です、お気になさらず」


 少年はまぁまぁ、と前のめりの少女を宥める。

 それもそのはず。せっかくシンシアと2人きりになれた、謂わばデートのようなもの。誰かに邪魔をされてなるものかと、腹の底ではそんなことを考えていた。


「すみません、ウチの従者フィーゼが、」


「いえ、悪いのはこちらの方ですから」


 “ ウチの ” というシンシアの物言いにやはり反応してしまう。だが気づかれまいと涼しい顔で受け流してみせた。


「フィーゼの大切なものに無礼を働いてしまったのです。怒るのは当然のことですよ」


 申し訳なさそうに頭を下げるシンシアに、キーユは首を左右に振る。



「本当に心から愛されているのですね、貴女は」



「っ、」


 意外な発言が飛んできて、思わず耳を疑った。そして困惑したまま口を閉ざすシンシア。

 この人は一体何を言っているのだろう?と。

 フィーゼに心から愛されている?そんなこと絶対に “ ありえない ” と、そんな言葉しか頭に浮かんではこなくて、どう返したらいいのか、さっぱりわからない。


 フィーゼが私を気遣ってくれるのは、それは———


「私がただ主だから。それだけですよ」


 絞り出された言葉の後に困ったように笑うシンシア。


(私が誰かに愛される資格なんて、どこにもないのだから)


 心の中の奥底にはそっとそんな言葉を落とし込むのだった。

 そんな彼女に、そうですかと少年は肯定も否定もしなかった。


 その時シンシアが一瞬見せた曇った表情は、キーユの脳裏に色濃く焼き付いた。



「シンシアさん、一つ伺いたいのですが、」


 シンシアが一通りドリンクを味わったところで、キーユは問いかける。


「これまでに縁談のお話とかは来ているんですか?」


「ゴフッ、え、縁談?!」


 唐突な質問に、シンシアは思わずむせ返りそうになる。


「…も、もちろん、ないわけではありません。私ももぅ16、成人の年ですし。それに、公女という立場でもありますから…」



「失礼ですが、聞いた話によると、ジェへラルト公国東の国の公子様が、貴女をめとりたいとか何とかほざいてらっしゃるのだとか?」


「ほざ…っ、どうしてそのことを———?!」


「僕も立場上、そういう政治的な話を気にせざるをえないので」


 さもありなんなことを涼しい顔でサラッと言ってのけるキーユだが、


 そりゃ、気になるに決まってる。貴女のことならなおさら、と心の中ではそんなことを呟いているのだった。


 真っ直ぐに自分を見据える少年に、シンシアは必死に頭の中で言葉を選んで、ゆっくり口を開くのだった。


猶予ゆうよを、与えられています。私はお断りしたんですが、両親がそう易々と受け入れるはずもなく…。私が高等部を卒業する18になるまでに、心を決めるようにと」


 そう言いながら、キーユの顔は見れずに飲み物の中身をストローでツンツンしてみる。


「…。」


(猶予と言う名の心の準備期間、か。…とは言え———)


 キーユはポツリと心の中で呟くと一つ息をついた。


「でもそれじゃ、あと2年もないじゃないですか?」


 本当に貴女はそれでいいのですか?と聞きたいが声と勇気が出ない。


「仕方ありません。公女とはそういうモノです」


 シンシアは困ったように力無く笑う。彼女はやはり、キーユを見ようとはしない。


「…じゃあ、今現在は、お付き合いされてる方はいないんですよ、ね?」


「はい、もちろんいません!」


「はぁ、良かった」


 と胸を撫で下ろした少年。それが聞けたならひとまずは安心かと小さく全身の緊張を緩ませる。


「ぇ?」


 戸惑いながらもはっきりと言ってのけたシンシアに、キーユは心底ホッとした様子で胸を撫で下ろした。


「今まで恋人は?好きな人がいたことは?」


「…すっ、好きなヒト?!」


 こんな話、今まで誰かと、フィーゼともそんなにしたことがなく、思わず声が裏返るシンシア。


「“ フィーゼ ” は?」


「っ?!」


 彼女が握っていたストローの先端がカップの底にグッと押しつけられてグニャッと曲がる。


「な、なんでフィーゼが?彼は、ただの従者ですから…!」


 そうだ、ありえない。フィーゼはただ、従者なだけ。それ以上でも以下でもない。恋愛感情で見たことなんて一度も———。焦りながら首を左右に振る少女。


「…そう、ですか」 


 一瞬揺らいだように見えたのは気のせいだろうか?と、フィーゼの名前に動揺する彼女の姿が気にはなったが、キーユはあえて口にすることはしなかった。そして、話題も変えることにした。


「それにしても、さっきの店員さん、勘違いも甚だしかったですね」


 と苦笑いで言うキーユに、勘違い?と首をかしげる少女。


「僕たちのことをカップルだとか、シンシアさんを彼女さん、とか。僕は全然いいですけど、シンシアさんにはとても嫌な思いを———」


「っ、」


 気まずそうに言うキーユ。その時のことを思い出したのか、シンシアの頬はまた赤く染まっていく。


 …嫌じゃ、ない、です。と言葉を小さく絞り出した少女に、


 ぇ?と、声を漏らしてピタッと動きを止めるキーユ。ふと彼が持っていたカップの中の氷が、外からの圧力にガラガラッと音を立てる。


「ぁ、カップが———」


 と言うシンシアの言葉で、キーユはハッと、無意識にギュッと握り締め過ぎて少し内側に変形していたいたカップを、力を緩めてポコっと元の形に戻す。


「あの、シンシアさん、それは、どういうこと、でしょうか?」


 嫌じゃない、っということは、それはつまり———。

 キーユは伺うようにシンシアの顔を見る。


「えっと、その———」


「あれ、シンシア様じゃない?」


「っ?」


 シンシアの言葉を遮って突然別の声が聞こえて2人はそちらに顔を向けるのだった。


「やっぱりシンシア様だ!キーファン様も一緒に、このようなところで何をしてるんですか?」


 そこにはクラスの女子が数人珍しくシンシアに話しかけてきたのだった。こんなことはシンシアが学園に入学した初等部での数日以来、何年もなかったことだ。

 シンシアの体は普段より一層緊張で硬直していく。その顔からは一瞬にして表情というものが消えていく…。


「あなた方は?シンシアさんに何かご用ですか?」


 シンシアより先に口を開いたのはキーユの方だった。


「やだなぁ、ご用だなんて堅苦しい。私たちはシンシア様の初等部からのですよ?今だって一緒のクラスだし。友人に話しかけるのなんて、普通のことですよ」


 相手の口からさらさらと出てくるそんな言葉に、


「…友人、ですか」


 とだけ返した。


(よくそんな心にもないことを———。

 普段はまるで透明人間、もしくは空気みたいに、まるでその場にいないかのように無視を決めこんでいるくせに。

 そばに従者フィーゼがいないだけでこうも違うのか?)


 キーユは笑顔を見せてはいるものの、心の中でそう思った。フィーゼが普段どれほど彼女を大切に護っているのかを思い知らされる。


(フィーゼからシンシアさんと周りとの人間関係についての話は聞いていた。

 シンシアさんがフィーゼ以外と喋ったのは、この学園に入学して最初の数日だけ。

 他人と話すことが苦手な彼女は、初めこそ周りの配慮もあって、みんなの輪の中にいたものの、それでもなかなか心が開けず、最終的にはパシリとしてしか扱われなくなったそうだ。

 それを見兼ねたフィーゼがとうとう救済に入り、それからはずっと今のような状態が確立してしまったと、言っていたっけ———)


 心の中でぶつぶつと呟くキーユ。男子生徒だけが受ける剣術や体術の授業の合間に、キーユとフィーゼは話をすることがあり、その時にシンシアの情報を仕入れているのだった。


「それ、何を飲んでおられたんですか?」


「あ、これ、この前発売されたばかりの新商品じゃない?」


「え〜、シンシア様、甘い飲み物はお嫌いだって言ってたのに、あれ、ウソだったんですか?」


「っ?!」


 からかうような口振りの女子たちに、シンシアはビクッと肩を一跳ねさせる。自分のがよくわからなくなってしまっている彼女は、きっと当時も周りに合わせてしまったのだろう。

 好きなものでもと言ってしまったようだった。

 緊張しきっている少女は、俯いて小刻みに震えながら、誰とも目が合わせられない状態でいる。


「申し訳ありま———」


「うそじゃありませんよ。それは僕が飲んだものです」


 シンシアが震える声で言い終わる前に、キーユが遮った。


 少女は目を丸くしながらぇ?と、やっと少し顔を上げた。


「そ、そうだったのですか…。キーファン様が、お一人で?」


 周りはシンシア同様、驚いた様子を見せる。


「はい。新商品が2種類出ていたので、飲み比べしてたんです。男一人で甘いもの2つなんて、おっしゃるようになんとなく気まずくて、シンシアさんにもお付き合いいただいていたんです。

みなさんも新商品を試しに来られたのですか?どっちの味も美味しかったですよ」


 サラリと笑顔で答えるキーユに、


 そうですかと、女子たちは他になにも言えなかった。



「ところで、

 キーファン様とシンシア様は付き合っておられるのですか?」



「———っ!?」


「ぇ?」


 一人の女子生徒の言葉に、シンシアとキーユは顔を見合わせてまた逸らし合う。


「そ、そんなわけ———。

失礼ですよ?公女殿下にそんな恐れ多い…」


 キーユはチラッとシンシアを見ながら慌てて否定する。


「だって最近キーファン様、シンシア様と一緒におられることが多いじゃないですか?みんな噂してるんですよ?公女殿下は婚約者がおられるにも関わらず、


他の男に色目を使ってるって」


「っ?!」


 女子生徒の心無い言葉に、少女の眉尻はピクっと一瞬動き、下唇を噛んで俯いてしまう。それはキーユも一緒だった。


 彼はやるせなく息を吐き、


「———やめろ」


 と、いつになく低い声でボソッと呟く。


「キーファン様も気をつけた方がいいですよ?公女殿下はこんなにおとなしそうに見えて、清廉潔白を決め込んでおられますけど、その実、地位をひけらかして周りに男をたくさん侍らせ———」



“ ガンッ!! ”



「っ?!」


 彼女の言葉を遮って、激しく音を立てて持っていたカップをテーブルに降り下ろしたキーユに、そこにいた全員が一瞬で口を閉じた。



「そんなにこの方をおとしめて、はずかしめて楽しいか?


 それがあなた方が言う、に対してすることか?!」



 珍しく声を荒らげたキーユの問いに、誰一人、口を開く様子はなかった。


「ずっと不思議でたまらなかった。どうして公女殿下がクラスの誰とも会話をされないのか。その理由が、今ここでやっとわかった。

 本当に話す価値もない、こんな人たちとは」


 低い冷たい声で、鋭く尖った軽蔑した眼差しで周りを伺い見たキーユ。


「ちょっ、キーファン様っ?」


「誤解です!私たちは真実を———」


 慌てて言い訳を試みる女子たちだが、そんな言葉は彼の耳には一切届いていないようだった。


 キーユは、目の前でいまだ打ち震えながらうなだれるその人に、そっと目線を合わせた。



「行きましょう? “ シンシアさん ” 」


「っ———」



 キーユはそっと彼女の名を呼ぶのだった。

 

 その声はどこまでも朗らかで柔らかい声だった。それがスーッとシンシアの鼓膜を優しく震わせる。

 暗闇の深い深い奥底に、ドーンっと叩き落とされたかような少女に、眩く暖かい光が、優しく包み込むように差したかのようだった。


 キーユはサッと立ち上がって、そっとシンシアの前に手を差し伸べる。それに導かれるように彼女は何も言わず、恐る恐る、でもただ静かに、自分の手をその上に重ねるのだった。


 キーユはそのままシンシアを立たせてやると、


「ではみなさん、ごきげんよう」


 そう言って、そのまま彼女の手を掴み、指を “ パチンッ! ” と一つ鳴らした。

 すると2人は途端にその場から姿を消してしまったのだった。


「っ、な、何?今の。消えた…?」


「まさか、、ってやつ?」


「はぁ?!じゃあ、あの一瞬で、2人はどこか別の場所に瞬間移動しちゃったって言うの?」


「ってか、転移魔法って、時の魔法の一種だよね?ってことはキーファン様ってもしかして、帝国の人…??」


 時の国、クロノス帝国の民が多く扱える、時の魔法。その一つである転移魔法を、キーユが見事に使いこなしているのを目の当たりにした女子生徒たちは、ただただ呆気に取られるばかりなのだった。

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