第7話-冷えた眼差し-
7-1
———午後になり、シンシアは医務室から教室に戻って来た。しかしフィーゼがガッチリとガードを固めていたため、キーユが彼女と話せたのは放課後、フィーゼが教室を先に去ってからだった。
「あの。シンシアさん、もぅお身体は平気なのですか?」
「あぁ、キーユさん。…はい、ご心配をおかけしましたが、私はもぅ大丈夫です!」
(よかった。また私に声をかけてくださるんですね、貴方は)
遠慮がちに声をかけるキーユに、心の中でホッとしながら笑顔で答えるシンシア。
「キーユさんこそ、もぅお身体は大丈夫なのですか?」
「ぇ、僕?」
「昨日来られなかったのは、てっきり体調を崩されたのかと。
昨夜は特に冷えましたから」
「っ———」
「あ、また、治癒魔法で治しましょうか?大した効果はないかも知れませんが」
「…??」
(…あれ?)
何気ないシンシアの言葉に、キーユは違和感を覚える。
「シンシアさん、もしかして怒って、ます…?」
キーユはそう言いながら、恐る恐るシンシアを見るのだった。
「え? 何をですか?」
「何をって…、昨夜花火を一緒に観るという約束を、僕は破ってしまったから」
「でもそれは何か原因があったのでしょう?キーユさんは一切悪くありません よ。私が怒るだなんて滅相もないことです。どうぞお気になさらず」
若干ビクつくキーユとは対照的に、冷静に、穏やかに微笑みを浮かべて話すシンシア。まるでいつもの二人の立場が逆転しているかのようだ。
「っ…」
(いや気にするだろ———!!
なぜなのだろう…?シンシアさんは普段通りの穏やかな口調なのに、その言葉の一つ一つが、まるで鋭く研ぎ澄まされた美しい氷の刃のように、この胸をチクチクと突っついてくるかのような、このなんともいえない感覚は———??
以前図書館でも彼女に怒られたことはあったが、あの時のそれとはまた違う。とんでもなく静かな恐ろしさだ。今日のシンシアさん、可愛いけどちょっと怖い…)
キーユは心の中でそう言いながら、これがシンシアなりの感情の表し方なのかと、ただガクガクと打ち震えていた。シンシアの落ち着いた雰囲気が逆にキーユの恐怖心を煽っていく…。
「待たされることには、慣れていますから」
「っ、」
不意にポツリとそう呟いてどこか寂しそうに笑うシンシアに、キーユは目が離せなかった。
「そ、そうだ、シンシアさん、何かお詫びを。…何でも仰ってください!何か欲しいものや、したいことなどありませんか?僕が何でも叶えます!」
キーユは不意にブレザーの内ポケットから、全世界共通で唯一使用可能な黒色のカードをチラっと見せた。その色のカードを持った人は世界にも有数しかおらず、さすが帝国の皇子と言わんばかりだ。
「そんな、そこまで———」
「しないと、僕の気が治りません!」
キーユは真っ直ぐにシンシアを見つめる。
「キーユさん、私、もぅ怒ってませんから、お詫びとか、そういうのは必要ありません。午前中たくさん寝たら、自然と怒りなんてどこかに消えてしまいましたから」
「…っ、」
(あぁ、やっぱり相当お怒りだったんだな…)
キーユはシンシアの言葉に、心の中でそう言いながら苦笑いを浮かべた。
「っ、そうだ、それならカフェで何かご馳走させてください」
「そんな、本当にお構いなく———、」
「構わせてください。悪いことをしたのは僕の方なんですから、シンシアさんはこそお構いなく。…さ、行きましょう」
「っ、ちょ、キーユさんっ!?」
(…手が、)
キーユはさりげなくシンシアの手を取り、そのまま強引にカフェへ連れ出したのだった。シンシアは突然のことに驚きながらも、耳が赤く染まっていた。
「そう言えばシンシアさんはご存知ですか?最近、カフェにまた新しいメニューが増えたそうですよ」
「っ…らしいですね。クラスの女の子達が話してるのを聞きました」
「それでは、まだ召し上がってないのですね?良かったぁ。シンシアさんのお気にめすメニューがあると良いんですが…」
2人がそんな会話をしながらカフェテラスへ向かう途中、
「ちょっと見て!
キーファン様が、シンシア様のお手を…」
「どう言うこと?
お二人は、そんな仲なの?!」
「でもどうしてシンシア様が??」
周りの生徒達、特に女子たちからの目線を一気に集めることとなった。
一国の公女殿下と、どこからか現れたイケメン外部新学生。ただでさえ目立つ立場の2人、それもキーユはシンシアの手をとっている。そんな光景を目の当たりにして。周りが騒ぎ立てないわけがなかった。
「き、キーユさん、手———、」
「ん?どうかされましたか?」
「だから、手っ!」
「ん…? 手? 手が、何か?…っ、あぁ〜」
キーユはシンシアの言葉にやっと気付いたと言うように立ち止まった。
「申し訳ございません。これではエスコートになっていませんでしたね」
キーユは掴んでいたシンシアの手をいったん放す。
やっと解放されてシンシアが心底ホッとしたのも束の間、
「…。」
「っ…⁈」
キーユは改めて丁寧にシンシアの手を取り、何の迷いもなくその甲に口付けた。
“ キャー ”
その行為に、周りにいた女生徒は一斉にざわめく。ただでさえキーユは女生徒のファンが多いと言うだけに、こんなにも大胆な行動は火に油を注ぐ行為のほかの何者でもなかった。
「き、キーユさん?!」
(な、何して———、)
シンシアの頬は真っ赤に染まり、キーユはその顔に満足げに微笑むと、彼女の指の間に自らの指を絡めた。そのちょっとした行為も同様である。
「待って、ヘウン卿、シンシア様と恋人繋ぎを———」
「お二人は付き合ってるってこと??」
「ウソ、ヘウン卿が色んな人の告白を断り続けていた理由って、そういうことなの?」
2人を取り囲む人だかりの方々からそんな声が聞こえてくる。
「…あれ、みんな何を騒いでいるんでしょう?」
「っ…。」
(何って、あなたにですよ?キーユさん。もしかしてわざとですか?それに、どこか楽しそうにしていらっしゃるように見えるのは、私の気のせいですか?
みなさん、これは何かの間違い、勘違いなんです。だからどうか落ち着いて…)
シンシアはキーユや周りのギャラリーに言いたいことを心の中に呑み込みながら、気まずそうに周りを気にしている。
「キーユさん、は、早く、行きましょう!」
「はい、シンシアさん!」
シンシアはあまりの気まずさにキーユの手を引いて駆け出していた。その時のキーユの顔は、この上ない喜びの笑顔だったことは言うまでもなかった。
———そして2人はカフェテレラスを訪れていた。
「シンシアさんはどれにしますか?」
「え、えっと…、」
(手が気になって集中できないです、キーユさん)
カフェに着いてからも、キーユはシンシアの手を硬く握っている。放すつもりなどさらさらないと言いたいように。そんな2人をまた周りは騒ぎ立てていた。
(痛い。周りの視線が針のように突き刺してくる…。早く決めないと———)
シンシアは心の中でそう言いながら、周りの痛いほどの目線に晒されているこの状況から一刻も早く抜け出すために、焦りながら注文を決める。
「…あ、アレにします。上から、二番目の、」
「ん?どれですか?」
キーユは目線を合わせるようにシンシアの顔に自らのを近づける。
「っ———?!」
(ひゃぁ?!だから、近いですっ、キーユさん…)
シンシアのメニューボードを指す指は小刻みに震える。暫くしてレジカウンターで2人が注文する番がきた。
「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ?」
「えっと、あの上から二番目の———」
読み上げるのも一苦労な商品名に難儀しているキーユに代わって
「チョコチップバニラアイスのミルクティーフローズンを、お願いします!」
シンシアは並べられた言葉たちをまるで魔法の詠唱をするかのようにスラスラと口にする。それはもはやこの店に通い慣れたベテランの域にいるかのような風格だった。
「ぇ、シンシアさん??」
(普段物静かな方なのに、そんなの微塵も感じさせないほど、今日は流暢だ)
キーユが心の中でそう言うほど、今のシンシアは周りの目線に焦っていた。決して女子だからとか、こういうものが好きで日々チェックしているとか、そんなわけではない。ただ、早くここから離れたい一心のことだった。
「かしこまりました!早速新商品をご注文いただて、ありがとうございます。プラスのトッピングはどうしますか?」
「ぇ? 」
シンシアはそっと隣りのキーユの顔を窺い見る。
「…フフッ、良いですよ。何でも好きなようにカスタマイズしてください。
あ、全部乗せって言う手もありますね!」
「ぜ、全部乗せ?!」
夢のような言葉に、シンシアの表情は一気に明るく輝く。そんな彼女を見て、
「フフッ、今日は僕の奢りですから、どうぞ遠慮なく」
(フフッ、シンシアさん、目がキラキラしてる)
キーユも思わず笑みがこぼれる。
「っ…。
じゃあ、もう一個アイスと、チョコチップももう少し、あと、キャラメルソースをかけて、それに、クリームをたっぷりめで。それからそれから———」
と、あれよあれよとシンシアの口を突いて出てくる言葉たち。
(※シンシアはただ一刻も早くこの場を離れたいがために巻で言葉を発しているだけです)
「…っ」
(気のせいだろうか?さっきよりも早口になってる気が…)
キーユは心の中でそう言いながら、今のシンシアの姿に終始圧倒されてしまうのだった。
「…あ、キーユさんはどうします?」
「ぇ?」
気が付けば、シンシアはもう注文し終わったようだった。
「あぁ、僕は、…お、同じモノを」
と言う他なかった。
「フフッ、仲がよろしいんですね、お二人とも。美男美女のお似合いのカップルですね!」
「か、カップル?!」
笑顔で言う店員の突然の発言に、シンシアは火を吹くように顔が真っ赤になる。
(いやいやいやいや。そんな、一緒にいるキーユさんに失礼———)
シンシアは心の中でそう言うと、気がついたようにパッと彼の方を見た。
「…。」
不意にキーユと目が合ったが、キーユはただ何も言わずフワッといつものように微笑むだけだった。
「っ———」
(そ、それは、一体どういう感情なのでしょうか———???)
キーユの心が読めず、シンシアはただただ恥ずかしさのあまり俯いてしまうのだった。
「フフッ、彼女さん可愛いから、トッピング、ちょっとサービスしときますね!」
「…ぇ、あ、はぃ」
(可愛い言われた…。私なんかには勿体無い。…って、待って、今、か、彼女って———??)
言われ慣れていない言葉の嵐に、シンシアの思考はもう限界寸前だった。
「よかったですね、シンシアさん」
「…っ、」
耳元でキーユに囁かれ、パッと彼の方を見るシンシア。キーユは相変わらずさっきと同じように微笑むばかりだった。
(だからその笑顔は一体どう言う意味なの———??)
なおも計り知れないキーユに、シンシアは苦悶するのだった。
「シンシアさんは先に外で待っていてください。お会計を済ませて飲み物を受け取ったらすぐに行きます」
「は、はい、分かりました」
シンシアはキーユの言葉に頷くと、そそくさと先に外へ出て行ったのだった。
「…。」
(はぁ、少しはしゃぎ過ぎだな。手をつなげたことがこんなにも嬉しい、なんて…。シンシアさん、きっと驚かれてるはずだ。落ち着かないと)
キーユは心の中で呟くと、先程までシンシアとつないでいた手をボーッと眺めていた。
「はい、お待たせしました。彼女さんとごゆっくり」
「っ!?…あ、ありがとうございます」
キーユは照れ臭そうに店員にそう言うと、会計を済ませ、飲み物を受け取り、シンシアを追って外のテラス席に向かったのだった。
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