第7話-隠れていた本音-

第28話ーシンシアさんもやっぱり…ー

 ———午後になり、シンシアは医務室から教室に戻って来た。しかしフィーゼがガッチリとガードを固めていたため、キーユが彼女と話せたのは放課後、フィーゼが教室を先に去ってからだった。


 もうお身体は平気なのですか?と遠慮がちに声をかけるキーユに、


 はい、もう大丈夫ですよと笑顔で頷くシンシア。


 ———よかった。また私に声をかけてくださったと、ホッとする。それから、キーユさんはいかがなんですか?と続けた。


「ぇ、僕?」


「昨日来られなかったのは、てっきり体調を崩されたのかと。

 

 昨夜はから」


「っ———」


 シンシアの意味深な一言にキーユの眉尻はピクッと小さく動く。


「また魔法で治しましょうか?大した効果はないかも知れませんが」


 そんな何気ないシンシアの言葉なのに、


「…っ?」


 あれ?と、キーユは違和感を覚える。もしかして———


「シンシアさん、怒って、ます…?」


 キーユは恐る恐る少女を見るのだった。


「え? ですか?」


「何をって…、昨夜花火を一緒に観る約束を、僕は破ってしまったから」


「でもそれは何か原因があったのでしょう?キーユさんはよ。私が怒るだなんて滅相もないことです。どうぞお気になさらず」


 若干ビクつくキーユとは対照的に、冷静に、穏やかに微笑みを浮かべて話すシンシア。まるでいつもの二人の立場が逆転しているかのようだ。


「っ…」


(いや気にするだろ———!!

 それにこれは何なのだろう?シンシアさんは普段通りの穏やかな口調なのに、その言葉の一つ一つが、まるで鋭く研ぎ澄まされた美しい氷の刃のように、この胸をチクチクと突っついてくるかのような、このなんとも言いがたい感覚は———?!)


 少年はキュッと胸を押さえながら目の前の女の子に恐れおののいていた。


 以前図書館でも彼女に怒られたことはあったが、あの時のそれとはまた違う。とんでもなくだ。今日のシンシアさん、可愛いけどちょっと怖い…。キーユはそう思いながら苦笑いを浮かべる。

 これがシンシアなりの感情の表し方なのかと、ただガクガクと打ち震えていた。シンシアの落ち着いた雰囲気が逆にキーユの恐怖心を煽り立てる。



「本当に怒ってません。


 待たされることには、慣れていますから」



「っ———、」


 不意にポツリとそう呟いて笑うシンシア。それがどこか寂しそうに見えて、少年はぞわぞわと胸がざわつき、目が離せなかった。


「そ、そうだ、シンシアさん、何かお詫びを」


 突然のキーユの提案に、そんな、お構いなく、と驚いた顔を見せるシンシア。


「何でも仰ってください!何か欲しいものや、やりたいことなどありませんか?僕が何でも叶えて差し上げます!」


 キーユは不意にブレザーの内ポケットから、全世界共通で唯一使用可能な黒色に光るカードをチラっと見せた。その色のカードを持っているということは、世界に有数しかいない大富豪の証。さすが帝国の皇子と言わんばかりだ。


「そこまでしていただか———」


「しないと僕の気が治りません!」


 キーユは言葉を遮って真っ直ぐにシンシアを見つめる。


「キーユさん、私、本当にもう怒ってませんから、お詫びとか、そういうのは結構です。午前中たくさん寝たら、自然と怒りなんてどこかに消えてしまいましたから」


 穏やかに微笑みながら言うシンシアに、


 あぁ、やっぱり相当お怒りだったんだな…と、キーユは苦笑いを浮かべた。


「っ、そうだ、それならカフェで何かご馳走させてください」


「そんな、本当にお構いな———、」


「少しは構わせてください。悪いことをしたのは僕の方なんですから、シンシアさんこそお構いなく!…さ、行きましょう」


「っ、ちょ、キーユさんっ!?」


(…手が、)


 キーユはさりげなくシンシアの手を取り、そのまま強引にカフェへ連れ出したのだった。シンシアは突然のことに驚きながら、耳は赤く染まっていた。


「そう言えばシンシアさんはご存知ですか?最近、カフェにまた新しいメニューが増えたそうですよ」


「っ…らしいですね。クラスの女の子達が話してるのを聞きました」


「それでは、まだ召し上がってないのですね?ちょうどよかった。シンシアさんのお気にめすメニューがあるといいんですが…」


 2人がそんな会話をしながらカフェテラスへ向かう途中、


「ちょっと見て!キーファン様が、シンシア様のお手を…」


「どう言うこと?お二人は、そんな仲なの?!」


「でもどうしてシンシア様が??」


 周りの生徒達、特に女子たちからの視線を一気に集めることとなってしまった。


 一国の公女殿下と、どこからか現れたさすらいのイケメン外部新学生。ただでさえ目立つ存在の2人、しかもキーユはシンシアの手をとっている。そんな光景を目の当たりにして、周りが騒ぎ立てないはずがなかった。


「き、キーユさん、手———」


「ん?どうかされましたか?」


「だから、手を———」


 そろそろ放してくださいと言わんばかりに少女は恥ずかしそうに俯く。


「ん…?手が何か———?」


 あぁ、そう言うことかと、キーユはシンシアの言葉にやっと気付いたと言うように立ち止まった。


「申し訳ございません。これではエスコートになっていませんでしたね」


 これは失敬、と掴んでいた彼女の手をいったん放してやった。


 やっと解放されてシンシアが心底ホッとしたのも束の間、


「…。」


「ぇ…?!」


 今度はすっと目の前に跪くと、改めて丁寧に自分の手を取り、何の迷いもなく、彼はその甲に口付けたのだ。


 “ キャー!! ”


 その行為に、周りにいた女子生徒は一斉にざわめく。ただでさえキーユは女子生徒のファンが多いだけに、こんなにも大胆な行動は火に油を注ぐ行為に他ならなかった。


(な、何して———!?)


 シンシアの頬は一気に真っ赤に染まり、キーユはその顔に満足げに微笑むと、スッと立ち上がり、指の間に自らのを絡めた。そのちょっとした行為でさえ、周りは確実に煽られていく。


「待って、ヘウン卿、シンシア様と恋人繋ぎして———」


「お二人は付き合ってるってこと??」


「ウソ、キーファン様が色んな人の告白を断り続けていた理由って、そういうことなの?」


 2人を取り囲む人だかりの方々からそんな声が聞こえてくる。


「…あれ、なんだか周りが騒がしいですね。何かあったのかな?」


 不思議そうにチラッと辺りを見渡すその人に、シンシアは思わず目を丸くした。


 何かって、全部ですよ?キーユさん、と声に出さず目だけで訴える。


 もしかしてわざとなの?と彼の言動はもはや疑わざるを得ないほどだ。

 それにさっきからどこか楽しそうに見えるのだ。

 これはきっと気のせいではないはずだとシンシアは思うのだった。


(みなさん、これは何かの間違い、勘違いなんです!これはキーユさんがお詫びを込めての、いわば一時的なサービスのようなもの!だからお願いです。どうか、どうか落ち着いて———)


 シンシアは周りのギャラリーに言いたいことを心の中に呑み込みながら、気まずそうに周りを気にしている。そして、


 …そう、これはただのサービス。帝国では、皇子殿下この人にとっては挨拶のようなもの。勘違いしてはいけない———と、心の中で周りの誰より一番動揺している自分自身にそう言い聞かせるのだった。


「キーユさん、は、早く行きましょう!」


「はい、シンシアさん!」


 シンシアはあまりの気まずさに自ら少年の手を引いて駆け出していた。その時の彼の顔は、この上ない喜びに満ちた笑顔だったことは言うまでもなかった。




 ♢



「シンシアさんはどれにしますか?」


「え、えっと…、」


 それから2人はカフェテラスを訪れて、注文順を待ちながら一緒にカウンター上に設置されたメニューボードを眺めていた。しかし…、


 ダメだ。やっぱり手が気になって集中できないです、キーユさん———と、視線はメニューにあるものの思考がなかなかついて来ない。

 カフェに着いてからも、キーユは相変わらずシンシアの手を硬く握っている。放すつもりなどさらさらないと言いたいように…。

 そんな2人をまた周りは騒ぎ立てていた。


(痛い、痛過ぎる。周りの視線が針のようにチクチク突き刺してくる…。早く決めてしまわないと———)


 シンシアはそう思いながら周りの痛いほどの目線に晒されているこの状況から一刻も早く抜け出すために、焦りながら注文を決める。


「…キーユさん、私、アレにします。上から二番目の、」


「ん?どれですか?」


 メニューボードを指差す少女に、キーユは目線を合わせるように彼女の顔に自らのを近づける。


「っ———?!」


(ひゃぁ?!だから、近いですって、キーユさん…)


 シンシアの指は途端にプルプル震えだす。暫くしてレジカウンターからどーぞー、と呼ばれて2人が注文する番がきた。


「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ」


「えっと、あの上から二番目の———」


 読み上げるのも一苦労な商品名に難儀しているキーユに代わって、


「チョコチップバニラアイスのミルクティーフローズンを、お願いします!」


 シンシアは並べられた言葉たちをまるで魔法の詠唱をするかのようにスラスラと口にする。それはもはやこの店に通い慣れたベテランの域に達しているかのような風格だった。


「ぇ、シンシアさん??」


 まるで別人の彼女にキーユは目を見張る。普段物静かなその人が、そんな素ぶり微塵も感じさせないほどに今日は口がよく回る。


「…フフッ、そんな貴女もステキです」


 キーユの口からポロッと言葉が漏れる。今のシンシアはそれだけ周りの目線に焦っていた。決して女子だからとか、こういうものが好きで日々チェックしているとか、そんなわけではない。ただ、早くここから離れたい一心のことだ、と、彼女自身心の中で言い訳しながら…。


「かしこまりました!早速新商品をご注文いただて、ありがとうございます。プラスのトッピングはどうしますか?」


 ぇ? と、シンシアはそっと隣りのキーユの顔をうかがい見る。


「…フフッ、良いですよ。何でも好きなようにカスタマイズしてください。 あ、って言う手もありますね!」


「ぜ、全部乗せ?!」


 笑顔で頷く彼から飛び出した夢のような言葉に、シンシアの表情は一気に明るく輝く。

 いいの?そんなことして本当にいいの?!と、普段なら、もしこの場に一緒にいるのがフィーゼなら、絶対にしないであろう、できないであろうことに、ワクワクと小さな冒険心を抱く。


 そんな彼女を見て、


「今日は僕の奢りですから、どうぞ遠慮なく」


 と、柔らかく微笑むキーユ。


(はぁ、そんなに目をキラキラさせて、か、可愛いが過ぎる———。誰かカメラ持ってきて〜!!)


 心の中だがため息を吐いてしまうほど、その表情は締まりを忘れて緩みっぱなしだ。


「っ…。じゃあ、もう一個アイスを。あ、味はチーズケーキで。あとチョコチップももう少し。その上にキャラメルソースをかけて、それに、クリームもたっぷりめで。それからそれから———」


 と、あれよあれよとシンシアの口を突いて出てくる言葉たち。

(※あくまでシンシアはただ一刻も早くこの場を離れたいがために巻で言葉を発しているだけである)


「…っ」


 気のせいだろうか?さっきよりも早口になってる気がするのだ。さすが女の子、と言ったところか。彼女は普段からクールだが、やっぱりこう言うのは興味があるんだろうな。…フフッ、誰よりもちゃんとチェックしてたりして———と、そんなことを想像し、笑みが量産されていく。


「…あ、キーユさんはどうします?」


「ぇ?」


 気が付けば、シンシアはもう注文し終わったようだった。それからキーユは


「あぁ、僕は———、それでは、抹茶ラテの方で」


 と、2種類出ていた新商品の別の味を選んだのだった。


「フフッ、仲がよろしいんですね、お二人とも。美男美女のお似合いのカップルですね!」


「か、カップル?!」


 笑顔で言う店員の突然の発言に、シンシアは火を吹くように顔が真っ赤になる。


(いやいやいやいや。そんな、一緒にいるキーユさんに失礼———)


 シンシアはそう思いながら気がついたようにパッと彼の方を見た。


「…。」


 不意にキーユと目が合ったが、キーユはただ何も言わずニコッといつものように微笑むだけだった。


「っ———」


(そ、それは、一体どういう感情なのでしょうか———?! …え、え、なに?満更でもないとか、そういうこと?)


 キーユの心が読めず、シンシアはただただ恥ずかしさのあまり俯いてしまうのだった。


「フフッ、彼女さん可愛いから、トッピング、ちょっとサービスしときますね!」


「…ぇ?!あ、はぃ」


 店員の言葉にシンシアはサラッと返す。


(か、可愛い言われた…。私なんかにはもったいない。…って、待って、今、か、彼女って、えぇ———??)


 とは言え内心では言われ慣れていない言葉の嵐に、思考回路はショート寸前だった。


「よかったですね、シンシアさん」


「…っ、」


(ぇ、それはどっちの言葉を指して言ってます?)


 耳元でキーユに囁かれ、パッと彼の方を見るシンシア。キーユは相変わらずさっきと同じように微笑むばかりだった。


(だからその笑顔は一体どう言う意味なの———??)


 今もなお計り知れないキーユに、シンシアは苦悶するのだった。


「シンシアさんは先に外で待っていてください。お会計を済ませて飲み物を受け取ったらすぐに行きます」


 分かりましたと頷くと、シンシアはそそくさと先に外へ出て行ったのだった。


 それを視線だけで見送ると、キーユは手で目元を覆い、スッと俯く。

 少しはしゃぎ過ぎだと、一つ息をついて自分を制する。

 あの子があまりに可愛らしい反応をするものだから、ついつい調子に乗ってからかい過ぎてしまう。ただ手をつなげただけでも十分なのに。嬉しさにかまけてボロが出ないと良いが———。嗚呼、引かれてないだろうか?なんて気にしながらも、昂る自分の心を必死に落ち着けるキーユ。

 先程までシンシアとつないでいた手。まだ、少し温もりが残ったその手をボーッと眺めるのだった。


「はい、お待たせしました。とごゆっくり」


「っ!?…はい、ありがとうございます」


 キーユは照れ臭そうに店員にそう言うと、会計を済ませ、飲み物を受け取り、シンシアを追って外のテラス席に向かったのだった。



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