第27話ーフィーゼになった日ー

「それでは契約は成立ですね。…ではお嬢様、これより眷属の契りを交わす義を執り行います」


「…契りを交わす、義??」


 ダルクから発せられる聞き慣れない言葉に首を傾げるしかできないシンシア。


「お師匠様っ!!」


 半ば置いてけぼりの彼女を無視して話を進めるダルクに、雪色の少年は声を上げる。


「お前は黙っていろ!他でもない、お嬢様自ら契約なさると仰ったんだ。さぁ、お立ちください、お嬢様」


「っ…。」


 少年の声も虚しく、シンシアは立ち上がって少年と向き合う。


「ではまず、コレの名前を決めてください」


「名前?アウスジェルダじゃ…」


「それは精霊の総称で、個々を特定するモノではありません。お嬢様がシンシア様ではなく、“ 人間 ” 様と呼ばれるようなものです。 真名まなはそのモノ自身を表しまたそれを支配する。真名が貴殿の元にあればコレは貴殿に逆らうことはできません。貴殿がコレの主となり、コレを支配するために必要となります」


 なるほど…。シンシアはダルクに頷くと、雪色の少年に向き直って言葉を投げかける。


「あなたは、どんな名前がいい?」


 ぇ…?と言葉にならない声が漏れる。

 何故、俺に聞く———?

 突然の問いかけに、少年は困惑するしかなかった。当然だ。普通ではあり得ないことなのだから。


「ほぅ、それも精霊の意思を問うと?前代未聞ですな」


 ダルクも意表をつかれたといった表情だ。それを見て少し気まずそうにはしながらも、シンシアは続けた。


「だって、あなたが好きな名前が良いでしょう?何か好きな言葉とか、ない?」


 少年は呆然とポカンと口を開ける。バカなのか?コイツは———。ここでそんなことを口にすればたちまち師匠にドツカレそうな言葉が思わず口を突いて出そうになるのを懸命にこらえる。


 これから彼女に付き従う、眷属となる身の自分に、正直名前なんてどうでも良かった。そっちで好きに付ければそれで良いのに…。そう思いながら雪色の少年は、なおも不思議そうにシンシアを見つめるのだった。


「名前なんてあなたが好きに決めれば良い。俺はあなたの決定に従う」


「…ぇ、そんな。どうしよう」


 今まで何事も “ 決定権 ” というものを与えられたことがないシンシアは、丸投げ状態の言葉に戸惑ってしまう。


「…ワシは仕事に戻るゆえ、後のことはお嬢様とお前に任せる」


「ぇ、ちょっ、」


 頭を抱えるシンシアを見て、まだ時間を要すると悟ったダルクは、少年にを渡して部屋を出て行ってしまったのだった。 シンシアと雪色の少年、突如2人きりになった部屋。柱時計がチックタックと秒針を刻む音だけが小さく鳴り響いていた。


 それから数分が経った頃だった。


「よし、決めた」


 ようやくポツリと漏らされた言葉に、少年は改めて少女を見据える。


「“ フィーゼ ” 」


 その言葉は少年の全身にスーッと響き渡った。


「名前。 フィーゼって、呼んでも、良い?」


 目の前の彼女から躊躇いながらこぼれ落ちた小さく可愛らしい声は、ゆっくりと少年の名前を紡いだのだった。


「フィー、ゼ?それが、俺の名前…?」


 うん、とシンシアは頷く。


「どう言う、意味?」


「古い言葉で、“ 雪導き冬もたらす者 ”」


「ゆ、雪、みち、び…??えっと———?」


 人間の、しかも古い言い方がうまく聞き取れなかったのか、もごもごと戸惑う。少年は決して頭が弱いというわけではないが、人間に対する知識については乏しい方だった。


「ぁ…、簡単に言うとね、“ 雪を降らして、冬を連れて来てくれる人 ”って、意味。貴方の雪色の髪と瞳によく似合うと思って。…どう、かな?嫌、じゃ、ない?」


 不安そに彼の顔色を窺うシンシアだったが


「う〜ん、名前ってのがそもそも初めてだから、正直、嫌とかわからない」


「っ、そ、そっか」


 当の本人の微妙な反応に、シンシアも苦笑する。


「ちなみに名前、嫌って言ったらどうなるんだ?」


「そりゃ変えないと!あなただって嫌な名前で呼ばれ続けるくらいなら、好きな名前で呼ばれた方が良いでしょう?」


「あ、でも、それはダメ。名前が決められるのは一度きり。一度決めたら、もう二度と変えることはできない」


「っ、嘘っ?!何でそんな大事なこと、早く言ってくれないの??え〜…、どうしよう———」


 シンシアは思わず頭を抱える。名付けはその人の一生を左右するような重要な事柄だけに、やはり独断で決めてしまって良かったのか。とんでもないことをしでかしてしまったのではないかと、様々なことが頭をよぎるのだった。


「フフッ、そんな慌てなくても大丈夫だ」


 あまりに心配し過ぎて百面相な目の前の少女に、彼はフワッと笑ってその頭をポンポンと撫でる。


「フィーゼ、か…。今は馴染みがなくて、あまりしっくりきてないけど、きっとそれも時間の問題だ。あなたに呼ばれ続けていれば、だんだんと聞き慣れてくるものなんだと思う。だから、沢山呼んでくれ。貴女が初めてくれた、俺の、俺だけの名前を。俺が早くように」


 彼の柔らかい笑顔と口調に、シンシアは思わず目を奪われていた。無理もない。この屋敷の中でこんなにも穏やかな口調や笑顔を彼女に向ける者など、誰一人いなかったのだから。


「…フィー、ゼ?」


「もう一度」


「フィーゼ」


「もっと」


「っ…。フィーゼ、フィーゼフィーゼフィーゼフィーゼ!!」


「っ、」


(なんだろう。くすぐったい。でも、悪くない)


 フィーゼは、自分の名前を自覚するように、噛み締めるように、シンシアからもらった初めてで無二の自分の名を、ゆっくりと大事そうに自身の中へと落とし込んで仕舞い込んでいくのだった。


「フフッ、これでもう大丈夫。あなたの声も、自分の名前も、ちゃんと覚えた」


 これでちゃんと迷わず帰ってこられると、まるで家までの帰り道をやっとちゃんと覚えた子供のようにフィーゼは笑って見せた。


「そんな簡単なことでいいの?」


「簡単? 大事なことだ…。そして、コレも」


 そう言ってサッと跪くと目の前の少女は突然のことにただただ戸惑うばかりだ。


「手を出して?」


「うん…?」


 フィーゼは何もわかっていないシンシアの右手をとる。その瞬間、


「っ!!」


 シンシアは思わず一瞬手を離しそうになってしまったが、慌てて元に戻す。


 それはあまりにも冷た過ぎたのだ。まるで氷にでも触れられているかのように。季節はまだ “ 真夏 ” だと言うのに———。


 シンシアが若干パニックになるほど、フィーゼの手からは “ 温もり ” というものを感じなかった。


 やっぱり “ 精霊 ” だから?フィーゼは “ 人間じゃない ” から———?


 シンシアはそのことは心に留めるだけで口にすることは決してなかった。


 …すると、


「っ?!」


 2人を取り囲むように床に描かれた氷の結晶の形をした魔法陣が、青白く光りながら浮かび上がった。何?コレと、その状況にシンシアは思わず目を奪われる。


「これより、あなたと俺の、主従の、…眷属の契りを交わす義を、執り行います」


 ようやく全ての準備が整ったのか、フィーゼがたどたどしく言葉を紡いでいく。


「っ…」


(そういえばダルクさんが言ってたやつ…。これから、なにか儀式が始まるの?)


 向かい合って、急に人が変わったように、敬語でかしこまるフィーゼを不安そうに見つめる。


なんじ、我、冬の精霊、“ フィーゼ ” を、汝の眷属精霊として汝の側に置き、魔力の供給を許すことを、ココに誓ってくれますか?」


「…、ち、誓います」


「そして、俺が、“ あなたの従者 ”として、あなたの側で、あなたを守護することを、許してくれますか?」


「ぇ?」


(従者って…、これも、誓約の言葉?? )


 フィーゼの言葉に一瞬戸惑ったシンシアだったが、


「は、はい…、許し、ます?」


 答え方に迷いながら、首をかしげながらそう答えた。言質をとったと言わんばかりにフィーゼの口角は人知れず上向く。


「この言葉を以て、我、冬の精霊、“ フィーゼ ”は、…えっと、…あなたの、名前は?」


 言葉に詰まったフィーゼは、照れ臭そうに上目遣いでポツリと囁く。


「っ…、ぁ、ごめん、まだ名乗ってなかったね。私はシンシア。 シンシア・ロゼ・ル・クリミナードです」


 思い出したように、慌てて自己紹介するシンシア。


「シンシア…。とても良い響きだ」


 なんていう意味なのだろう?と名前の意味に考えを巡らせながらフィーゼは自然と笑みを浮かべる。


「っ、あ、あり、がとう」


 優しい口調ながら真っ直ぐに見つめて言うフィーゼに、シンシアは少し照れ臭そうに思わず目を逸らす。 初めてだったのだ。祖母以外に自分の名前を褒められたのは。嬉しさと戸惑いが心の中で渦巻くのだった。


「シンシア、様…、あの、こっちを向いて?儀式の途中だ」


「ぁ、ごめんなさい…」


 シンシアは照れながらも再びフィーゼの方を向く。


「えっと、…我、冬の精霊アウスジェルダ、“ フィーゼ ” は、シンシア・ロゼ・ル・クリミナードを、これより我が主とし、側で守護し、氷雪の加護を与え続けることを此処に誓う」


 フィーゼの言葉に、シンシアはとりあえずコクリと頷く。


「…それでは、“ あなたの一部 ” をいただきます」


「ぇ? 私の一部、って??」


 首をかしげる少女をよそに、フィーゼは先程ダルクに渡されたモノを取り出す。


「ナイフ…??」


 それは小さなナイフだった。


「ごめん、ちょっと痛いかもだけど、少しだけ、我慢して」


 フィーゼは差し出されているシンシアの右手の薬指の腹をナイフで少し切った。


「いっ…、」


 切れ目から流れ出る赤い血を


「———っ、」


 フィーゼはペロッと舐めとったのだった。


「フィーゼ、何して…?!」


 その瞬間、


「———っ!?」


 フィーゼの心臓は “ ドクンッ ”と1つ激しく脈打った。


(何だ ?コレ…。味わったこともない感情が、強制的に流れ込んで来る…。苦しい…)


 フィーゼは突然胸の辺りをギュッと掴んで、ガクッと片膝をつく。


「フィーゼ?!大、丈夫…?」


 シンシアはそんな彼を心配そうに見る。


「…っ!あぁ、平気。何ともない」


「何ともなくないよ。だって、…」


「…ぇ」


 シンシアの声でハッと我に返ったフィーゼ。その頬には次々と涙が伝っていく。


「あれ…、何で俺、泣いて…?」


 シンシアに言われて初めて、フィーゼは自分が泣いていることに気が付いたのだった。そんな彼の涙を、シンシアはそっとポッケに忍ばせていたハンカチを取り出して拭ってやるのだった。


「…。」


(そう言えば、お師匠様が言ってた。眷属契約をしたら、お互いの感覚全てを共有し合わなければならないのだと。 もし今流れ込んできた痛みや恐怖、不安といった感情が、全てこの子のモノなのだとしたら…、さっきのこの子の挙動全てに合点がいく。

 誰かの質問に対して、常に正解を言い当てなければならないと言う重圧。それゆえに自分の答えを口に出すことへの恐怖。あのメイドもクスクス笑ってて、この子を馬鹿にしているように見えた。…ハッ、一番近くにいるヤツらがあんなんじゃ、そりゃ恐怖だ。

 そんなモノにこの子は、常にさらされているって言うのか?それをいつも、ただ黙って耐えてるって言うのか?そんなのまるで———、)


「地獄じゃないか———」


 フィーゼは心の中に溢れかえる思いを、最後は言葉としてボソッと声にして吐き出した。


「…フィーゼ?」


 彼に何が起こっているのかわからず、ただ心配そうに彼を見つめるシンシアに、フィーゼもそっと目を合わせる。


「…。」


(目に映るモノ、人、全てがこの子の恐怖の対象なのだとしたら、守らなきゃ。


 

 俺がこの子を “ 護らなきゃ ” )



 フィーゼはじっとシンシアを見据えて、心の中でそう固く固く誓った。それからフィーゼは、不安げな表情を浮かべるばかりのシンシアを安心させるようにフワッと微笑むと、

 

「もう大丈夫だよ、“お嬢”。これから先、たとえどんなことがあろうとも、あなたは俺が必ず護るから。…この契約に、このフィーゼの名に掛けて誓う」


 はっきりとした口調で、そう言ってのけたのだった。


「…っ。うん。じゃあこの先、私は何も恐れるものはないね」


 シンシアはそんな力強う真っ直ぐな言葉に、ホッとしたように表情を緩めて、どこか嬉しそうに頷くのだった。


 その時確かに、シンシアの右手の甲とフィーゼの左胸に、しっかりと眷属契約の証の紋、氷の龍の紋章が青白く光って浮かび上がっていたのだった。


「俺は決してあなたを裏切らない。どんなことがあっても、俺だけはあなたの味方だ」


「…うん」


 フィーゼはそう言うと、ゆっくり頷くシンシアの手の甲、紋章の上に、そっと唇を重ねた。


 そしてそれが、まさにフィーゼがシンシアの眷属として契りを交わした瞬間だった。


 ————————————————————


 学園の医務室。


「フィーゼ、これだけは忘れないで。私は10年前のあの時、フィーゼと契約して、後悔なんてしてないよ」


「っ、お嬢…」


 シンシアはベッドに横になりながらも、穏やかな口調でフィーゼに語りかける。


「そりゃ初めは戸惑ったりしたよ?身の回りのことはずっと私一人で何とかしてたのに、急に全部やってもらうことになって…。申し訳なくて、それで後悔したことはあった。やってもらうことに慣れてなかったの。貴方の仕事を奪ってばかりで、たくさん困らせてたね」


「あの時は…、そうだったな。俺はいらないんだと、暗に言われ続けてるみたいで、いつ契約破棄されるかと、いつ見捨てられてしまうかと、毎日気が気じゃなかった」


「ごめんね」


 ボソッと吐露されたフィーゼの思いに、シンシアは謝る。


「だからだよね。いつからか私は貴方に勘違いさせちゃったんだと思う。ちゃんとやらなきゃって。ちゃんと、人間のように完璧に振る舞わなきゃって」


「っ———、」


(確かにそうかもしれない。あの時の俺は、お嬢の恥にならないようにと、そればかり考えてた。この子は一国の公女殿下なのだから。俺のせいでこの子の立場が悪くならないように、この子が悪く言われないようにと、必死だった。精霊だから、人間じゃないから、それを理由になんて、絶対したくなかったから———)


 フィーゼはシンシアの言葉から、心の中で呟きながら、改めて自分のことが知れた気がしたのだった。


「なぁお嬢、俺———」


「フィーゼはフィーゼのままでいてね」


(あの時、私が与え過ぎてしまったのなら、その代償は、私は甘んじて支払うから———)


 シンシアは心の中でそう言いながら、柔らかく微笑む。


「…お嬢?」


「スーっ、スー、」


 シンシアはとうとう、意識を手放してしまったのだった。


「ごめん。相当無理させたよな。俺が無茶苦茶に、好き勝手に力を使ったから…。今度は気をつけるから」


 フィーゼはそう言うと、シンシアの白くて柔らかい頬をそっと撫でる。


「…うん」


「っ?!」


「…スーッ、スー」


「なんだ、寝言か…」


 自分の言葉に寝言で返すシンシア。フィーゼは穏やかな顔で、彼女の頭を撫でるのだった…。

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