6-2

 ———教室から大慌てで医務室にシンシアを運んできたフィーゼ。


「ぁ、あの、お嬢———、友達が倒れて!えっと、その、…ち、ちょっと診てほしいんだけど?」


 医務室に入った途端、フィーゼの何処か辿々しい物言いが中に響き渡る。医務室に駐在している養護教諭を探すがなかなか見当たらない。腕の中に抱えるその人を早く楽にしてやりたいという思いと、慣れていない状況が相まって、彼をさらに焦らせる。


「ったく、誰もいないのかよ?!クソっ、どうすれば———。“ 雪解けの聖水 ”なんて高度なモン、俺には無理だし…」


 フィーゼはボソッと吐き捨てると、やるせなくため息をつく。彼が扱う氷雪の力にも、回復の効果がある力はないわけではない。“ 雪解けの聖水 ”というものがその一つだ。だが、回復や医療系の力にはそれだけ、緻密さ、丁寧さ、繊細さが要求される。そのようなたぐいは、攻撃系の力を扱うのを得意とするフィーゼにとっては苦手分野なのだ。


「落ち着いて———?」


「ぇ?」


 ふいに、腕の中から穏やかで落ち着いた、小さな声が聞こえた。


「大丈夫。ベッド、使わせてもらおう。先生が来たら、私から適当に説明しておくから」


「…、うん」


 フィーゼは消え入りそうなか細い声に導かれながら、シンシアをベッドに寝かしつけてそっとカーテンを引く。



 —————————



「…はぁ」


 フィーゼは目の前で眠っている主のベッド脇に座り、主の寝顔を見ながら自分自身に長い長いため息をついた。


(キーユは、お嬢の状態に気付いてた。あの焔の従者も、相手が氷だからと甘く見て本気を出していなかった———、そう思っていたが…違う。アイツは本来の力を思いのままに使ったら、主がどうなるかわかってるから、だからあえて力を抑えてたんだ。あの場にいた誰もがそんなことわかっていた。

 

 何もかもわかってなかったのは、だ…)


 先ほどのキーユの言葉がフラッシュバックされ、フィーゼの心にはドロドロと反省と後悔の言葉が次から次へとひっきりなしに溢れかえる。


「クソっ!!」


(何やってんだ俺…。いつもそうだ。一番護りたいものを、一番大切なものを、俺は一番に傷付けてしまう…。それも、無意識だから余計にタチが悪い———)


 フィーゼはギリっと奥歯を噛み締めながら、ただただ顔を歪ませるばかりだ。


「せっかく、お嬢の意思で加護を使わせることはないようにしてたのに。そうすれば、お嬢が代償を受けるリスクは0になると思っていたのに…。それが間違いだったとでも言うのか?」


 苦しそうにポツリポツリと言葉を吐露するフィーゼは、


(これじゃ俺の暴走の代償を、お嬢が受けてるみたいじゃないか———)


 心の中でそう呟いて、こぶしをガンッと太ももに振り下ろす。



【やったものは必ず返ってくる。善いことでも悪いことでも、必ず】



 不意にフィーゼの頭の中にそんな言葉が蘇る。


(昔、誰かにそんなことを言われた気がする。…そうだよな。 “ 目に見えないものは何をしても代償を支払う必要なんてない ” だなんて、誰が決めた? 誰が、決めた———?)


 フィーゼは心の中で溢しながら、胸のあたりをぎゅっと握って項垂れるしかなかった。


「…大丈夫だよ。ちょっと休めばすぐ良くなる」


「っ?!お嬢、気が付いたのか??」


 不意に空気を揺らしたシンシアのか細い声に、フィーゼはハッと現実に引き戻された。


「フィーゼ、もぅ、教室に戻って良いよ。授業始まっちゃう」


「っ、…いいや、ここにいる。いさせてくれ」


「でも———」


「そんなに俺がいたら困るのか?」


「っ…そんなことない、けど———」


私と一緒ココにいたら、貴方はとても苦しそうだから)


 シンシアは言葉を最後まで言うことはなく、途中でグッと飲み込んだ。


「なら何でいつも俺を遠ざけようとする?

 俺は貴女のそばにいたいだけなのに…。そんなにお嬢は俺のこと、」


(…嫌い、なのか??)


 フィーゼは力なくベッドに突っ伏し、肝心なところはシンシアには聞こえなかった。


「フィーゼ?」


(珍しく塩らしいなぁ——、じゃなくて、貴方は私の従者だから、主の側から簡単に離れられないだけ、だよね?)


 シンシアは心の中でそう言いながら、彼の言葉を立場上の意味と捉えていた。それからそっとフィーゼの頭を優しく撫でてやるのだった。


「ごめん。別に遠ざけたいわけじゃなくて、迷惑、かけたくないだけ」


「そう言われる方が迷惑だ!って、あ〜、もぅ、そうじゃなくて———。…ごめん、お嬢」


「フィーゼ?」


 突如謝られ、シンシアは目を丸くして首をかしげる。


「こうなったのは全て俺のせいだ。俺が好き勝手に力を使ったから、それだけお嬢の身体に負担がかかるってこと、何にも考えてなかった」


「…。」


(じゃあ、今みたいな立ち眩みが頻繁に起こるのは、貧血のせいだけじゃなかったんだ…)


 シンシアは長年の謎がやっと解けて腑に落ちたと言った表情だ。


「もう少しで焔に勝てるって、それを貴女の前で証明できることが嬉しくなって、つい、調子に乗った…」


「でもさっきのフィーゼ、すごかったよ?私も、氷は焔に勝てないと思ってたからハラハラしてたけど、そんな中でエストさんを圧倒してて、


 カッコよかったよ」



 いたずらっ子のように、そしてどこか彼を元気づけるように笑って答える主に、ホッとした表情を見せる従者。


「もちろん、普通に考えたら氷は焔には絶対勝てない。途端に溶かされてしまうからな。相性は最悪。…なら、それに勝つには、熱を奪えばいい」


「熱を、奪う?」


 シンシアはふと、フィーゼの方を見る。そんな彼は、まるで自分の秘密を相手に共有するかのように、自らが編み出した作戦をコソッと打ち明けるのだった。その顔はどこかしら嬉しそうにも見える。


「至って単純な話だ。アイツが生み出す熱を反転作用させる。つまり、急速冷凍してやったんだ」


(そのために、多大なる魔力を要したんだが…)


 付け足された言葉はフィーゼの喉奥にしまわれた。


「っ、じゃあ、エストさんがフィーゼの腕を掴んだ時のあの湯気は———」


「あれは湯気じゃない。の方だ。俺の氷が、アイツの焔を圧倒したってあかし


 そう言うとフィーゼは得意げに、


“ パチンッ ”


 と、指を一つ鳴らした。すると、


「うわぁ、綺麗…」


 小さな雪のカケラが、ゆっくりとシンシアの頭上から舞い降りてきた。


「陽の光に照らされて、まるで宝石みたい…」


 窓の外から差し込む光が、雪の結晶一つ一つををキラキラと輝かせる。それをシンシアは嬉しそうに手を添えて、溢さないように受け止める。


 フィーゼは何気ない自分の力を、嬉しそうに、大切そうに扱ってくれる彼女を、微笑ましく、眩しそうに見つめる。


「あれ?溶けない。普通雪ってすぐ溶けて無くなっちゃうのに…」


「その雪は普通の雪じゃなく、俺が作ったものだから。その雪はお嬢の手のひらの熱を奪って急速冷凍して形を保ってる。だから溶けることはない」


「っ?!すごい…。熱がある限り溶けない雪だなんて、不思議」


 思いもよらない現象に、シンシアは感服する。


「これでも信じられないか?氷が焔を圧倒するなんて」


「信じるよ。フィーゼがすごいってこと、私は誰よりもよく知ってるもの!」


「…っ、そ、そぅ」


 急に褒められたせいで、良い返しも見つからず、フィーゼはぶっきらぼうに一言返す。


「…ぁ、手、光ってる」


 ふと、自分の手の甲に氷の龍の紋章が青白く光っているのに気づくシンシア。


「俺がお嬢の力をもらって氷の力を使ってる証だ。…これくらいだったら、身体、何ともないか?」


「うん、大丈夫!綺麗だね…」


 シンシアは美しく光る手の甲を愛おしそうに見つめる。


「なぁ、お嬢?身体、辛かったらやめるけど、平気ならもう少し、あと少しだけ、話しててもいい?」


「…うん、いいよ」


(ちょっ、その上目遣いは反則だよ、フィーゼ…。時々そうやって子供みたいに甘えてくるんだから)


 シンシアは不意に彼に見上げられ、少し頬を赤くする。


「お嬢、その、ごめん。俺、上手くできなくて…。お嬢みたいに、“ 人間らしく ”できなくて、ごめんなさい。俺は何かあったらすぐに力に頼ってしまう。けど、貴女は違う。貴女は別に俺の力なんてなくても、この世界をちゃんと生きてるのに…」


「そんなこといちいち謝る必要ないよ。私だってそんな聖人君主みたいな立派な生き方しているわけでもなんでもないし」


(急にどうしたんだろう?もしかして、キーユさんと自分を比べてるのだろうか?やけにライバル視してる感じだし…)


 シンシアは俯くフィーゼを心配そうに見つめながら、彼の言葉から、心の中でそんなことを読み取っていた。


「私はただ、ズルいだけ」


「お嬢…?」


 聞こえるか聞こえないかの声でこぼされたシンシアの言葉は、キーユの耳には届かなかった。



「フィーゼ?私は別に、フィーゼに人間らしく振る舞ってほしいなんて、お願いした覚えはないよ?フィーゼはフィーゼのままで、十分ステキなの。だから、誰かのマネをするとか、誰かになろうとか、そんな無駄な努力、しなくて良い」


「お嬢…、」


「貴方は初めて出会った頃と何も変わらない。とっても綺麗な雪色をして、強くて、かっこよくて、それでいて誰よりも優しい———、私の、私だけの従者。それでいいの」


 シンシアはそう言って微笑みながらフィーゼの頬を両手で優しく包んだ。


「…っ」


 シンシアの背中越しにある窓から木漏れ日が差し込み、彼女をより一層輝かせて見せる。まるで、後光が差しているかのように…。



「…女神様みたいだ」



「ん?」


「ぁ、いや、何でもない」


(俺、急に何言って…)


 フィーゼはポツリと口から漏れてしまった言葉に自分でも恥ずかしくなり、思わず顔を逸らす。


「…ま、フィーゼは私と初めて会った時のことなんて、もぅ忘れちゃってるだろうけど」


「なっ、忘れるはずないだろ?!…あ、ごめん、大声出して」


 フィーゼは思わず声を荒らげ、そんな彼にシンシアはビクッと表情と体をこわばらせる。


「忘れない。あの時のことは、ちゃ〜んと覚えてる…」


(忘れられるはずがない。俺が自ら眷属けんぞくになりたいと本気で思えた唯一の人間と出会えた日だったのだから…)


 フィーゼは今度は穏やかな口調でそう言うと、心の中で呟きながら、改めてシンシアと初めて出会った日のことを思い出していた。



 ———10年前、クリミナード家の屋敷


 シンシアがフィーゼと初めて出会ったのは、彼女がこの学園の初等部に入学が決まって、ちょうど入寮する前日だった。とうとう屋敷を出ていけると、ホッとしていたのも束の間、突然メイドの1人がシンシアを呼びに来て、とある部屋に彼女を連れて行ったのだった。


 誰に、なぜ呼び出されたのか、コレから何が起こるのか、メイドからは何の説明も受けず、ただ薄暗い小さな部屋の中で不安そうに佇むシンシア。彼女を連れてきた当のメイドは暇そうに後ろに控えているだけだった。


 暫くして執事服を着た人物が2人入ってきた。1人は威厳のある老人、もう1人は、少し不安気な表情をした、シンシアと同い年くらいの男の子。 白髪で白髭の老人とは少し違って、少年は透き通るように美しい、雪にも似た真白の肌に、淡い雪色の髪と瞳をしていた。


「失礼致します、お嬢様。私はこのクリミナード家に古くから仕えております、執事長のダルク・セライドと申します。お嬢様はあまりお部屋の外に出られないため、お会いするのは本日が初めてですね」


「は、はい…」


 ダルクに淡々と言葉を投げかけられながらも、ガチガチに緊張するシンシアはただそう答えた。


「貴女のお婆様、ライル様にとても良く似ておられますな」


 セライド家は、代々クリミナード公爵家に仕える家柄で、このダルクも、シンシアの祖母、ライルが亡くなるまでは彼女に仕えていた。今はシンシアの父、現当主、クリミナード公王に仕えている。 白い髪を後ろで一本に束ね、長い白髭のお爺ちゃん執事だ。高齢ではあるものの、背筋はピンと伸び、まだまだ目付きは鋭く、左眼にはモノクルを付けている。

 

 普段彼は公王の従者であり、執事長室にいることが多いため、シンシアは会うのはこれが初めてだった。


「明日よりこのお屋敷を離れてクォンディリオ王立学園で寮生活を送られると伺いまして、公王様よりお嬢様へ贈り物を届けに参りました」


「お父様から、??」


 すると、ダルクは共に来たもう1人の人物を振り返る。背筋を伸ばしてスッと立つダルクの後ろに、ちょこんと控えるその男の子は、


「これ、隠れてないで前に出なさい!」


「っ…!?」


 厳しいダルクの声にビクッと肩をひと跳ねさせる。その声の厳粛さに、シンシアまでもがビクッと反応してしまう。ダルクに半ば引き摺り出されるように、男の子はシンシアの前に姿を現した。


「…。」


 雪色の美しい長い髪を、ダルクと同じ、後ろで一つに束ねている。俯いていてその表情はうまく読み取れない。


「…。」


かせを、している…?)


 確かに執事服を着ているその子は、両手両足に重々しく枷をはめられていたのだ。そしてそれは首にも。 枷に付いた鎖は全て初めの方で短く切断されているため、四肢は問題なく自由に動かせるようだ。しかし、そんな彼の姿は、まるで何か重たい罪を犯したのように、シンシアには見えた。


「…。」


(この子が、お父様からの“ 贈り物 ”…?)


 シンシアは心の中で呟きながら困惑する。


「お嬢様、貴殿にこの者がかな?」


「??」


 はじめ、ダルクが何を言ってるのか、シンシアにはわからなかった。


「…。」


 シンシアは答えに迷っていると、


「クスクス…」


 と、後ろから笑い声が聞こえた。


「っ…。」


 シンシアがこの屋敷で嫌いなものの一つ。


“ せせら笑い ”。またいつものように揶揄からかわれてるのではないかと、言いようのない不安が波のように押し寄せてくる。 わざわざ “ 見える ” のか聞くくらいだ。は “ 見えない ” なのだろう。

 

 ここはその理論に則り、“ 見えない ” と言うべきなのだろう。そうすればきっと、あのクスクス笑うメイドは笑わなくなるはずだ。しかし、そんなことを言ってしまったら、確かにそこにいるに対して、失礼なのではないだろうか?


「…。」


 ダルクの問いに一瞬で様々な思考を頭の中で駆け巡らせるシンシア。 嫌な汗を額に滲ませながら、人知れず唇を噛み締める。


「はぁ、貴殿はこんなな問いにも答えられないのですか?!」


「っ?!」


 わかりやすいため息と高圧的な口調は、シンシアの恐怖や緊張を更に煽り立て焦らせる。

 

 彼女は自分の意思に関係なく震え上がってしまっうのだった。


「フフッ、ダルク様、そんなにからかわれては、お嬢様がお可哀想ですよ…。ただでさえ屋敷の中でと言われているのに」


「っ、」


(やっぱり私、からかわれて————)


 嘲笑あざけわらうメイドの言葉に、シンシアは、と言わんばかりに心の中でそっと呟く。



「お前は黙っていろ!」



「っ…、も、申し訳ございません」


 ダルクの怒鳴り声にメイドは押し黙る。


「っ…」


 シンシアは更にわからなくなってしまった。からかわれているとわかっていながら正直に “ 見える ” と答えるべきなのか、それとも———


「…はぁ、はぁ」


 次第にシンシアの息が上がる。

 

 どちらの答えがでは正しいとされるのか、悩み悩みしても一向に答えが出せない。 シンシアを取り巻く激しい緊張と恐怖は、いよいよ彼女の呼吸を乱していく…。 彼女が何か異常をきたしているのは誰が見ても明らかだった。それにいち早く気づいたのが、声を上げたのが、だったのだ。


「…お師匠様、もうやめてください!この子が、辛そうです…」


「っ?!」


 質問の当人、雪色の少年が、苦しそうなシンシアを見兼ねてダルクに願い出る。


「…っ」


(やっぱり、私が見ている貴方は、ではないの?貴方は、そこに存在しているいるの…??)


 姿形はさることながら、はっきりと声まで聞こえる少年を見て、シンシアは心の中で問いかける。


お前もルビを入力…黙っていろ。私はお嬢様に聞いているのだ」


「っ!?」


 ダルクのその一言に、シンシアはハッとした。 ダルクがもう1人の人物の言葉を認識しているように聞こえたからだ。そして、


「あの、ダルク様、さっきから一体誰とお話しに?」


 一方のメイドはそんな言葉を口にしたのだ。


「っ、誰が勝手に喋っていいと言った?ワシの言うことが聞けないのならココから出て行け!」


「そんな、ダルク様?!」


 言葉を挟んだメイドは容赦なくダルクに追い出されてしまったのだった。



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