第6章-眷属契約-
6-1
次の日、シンシアとフィーゼが教室に行くと、
「…ぁ、キーユだ」
「っ!?」
まだ誰も来ていない静かな教室でキーユは机に突っ伏して寝入っていた。
「おぃ、何隠れてんだよ?」
「…いや、何となく?」
シンシアは気まずそうにパッとフィーゼの後ろに隠れる。
「寝てるから安心しろ」
「…フィーゼ、お花もらうね。私が花瓶の花と水、変えてくる」
「…へ? ぁ、おぃ!それは俺の仕事——」
シンシアはフィーゼが持っていた花束を奪い取って、花瓶を持って慌ただしく教室を出て行ってしまった。静まり返った教室で、フィーゼは自分の席とシンシアの席にカバンを置くと、
「…はぁ、起きてるな?お前」
フィーゼは自分の机に腰掛けて、いまだ机に突っ伏しているキーユに話しかけた。フィーゼの言葉にキーユはゆっくりと顔を上げる。
「な〜んだ、バレてましたか。おはようございます、フィーゼ。今日はやけに早いんですね」
「俺は教室の美化係をやってるもんで。月に1度、こうして早く来て花瓶の花を変えたりしてる。お嬢はそれに付き合って早く来てくれるんだ。…朝は勉強がはかどる、とか何とか言ってたかな」
「…フフッ、シンシアさんらしい、優しい口実だ」
(聞いてもいないのにお嬢様のことを教えてくれるなんて、ありがたい限りだ)
聞かれるでもなくただ独り言のようにシンシアのことを話すフィーゼに、キーユは心の中でそう言いながら、まだ微睡から抜け出せない顔で柔らかく微笑む。
「お前はここでお嬢を待ってたのか?」
「えぇ。昨日のお詫びをしなければと思って。君にも悪いことをしました。お嬢様と一緒に長い時間待っていたんでしょう?申し訳ありませんでした」
「あぁ、2時間な、2時間 !ったく、ナメてんのか?来れないなら来れないで、待ち合わせ時間に合わせて従者を遣わせるのが筋ってもんだろ?!」
「…お、おっしゃる通りです」
いまだご立腹のフィーゼに返す言葉もないキーユ。
「はぁ、殴るどころか殺し———、いや、これ以上は国同士の問題に発展しかねないから口は慎むが、それくらいの気持ちだ」
「…本当に、昨日は申し訳ございませんでした」
キーユはスッと立ち上がり、改めてフィーゼに深々と頭を下げるのだった。
「っ、謝罪なら俺じゃなくお嬢にだろ?!」
「ですが生憎、僕は避けられているようですし…」
「当前だ!」
フィーゼはこぶしをガンッと力強く机に振り下ろす。
「だいたい怒らない方がおかしい。良かったよ、あの子にも人並みに怒りの感情があって。普段は何でもかんでも許しちまうとんでもないお人好しだからな」
「…けど、君がついていながらなぜ途中で帰らなかったのですか?僕はてっきり———」
「帰れっかよ?!もちろん帰るように促したさ。今日もこの通り、朝が早いんでね。…けど、俺がいくら言っても聞かねぇんだよ。【キーユさんはきっと来る。今帰ったら行き違いになるから】って。【来るまで待ってる】って」
「…。」
(お嬢様…)
フィーゼの言葉から、キーユは苦しそうにその時のシンシアの様子を想像するのだった。
「俺の言うことよりお前の言うことを信じて、2時間だ。お前のよこした従者が時計塔に到着したのは。お前の所からはそんなに遠かったのか?あの時計塔は」
「…っ、いぇ、そんなことは———」
「アホ。ただの嫌味だよ。」
「…っ。本当に、申し訳ない」
(念のためとエストを向かわせて正解だった。まさか本当に待っていてくださるとは正直思っていなかった…)
キーユは心の中でそう言いながら、ただただ俯く。
「なぜ来なかったのか、理由も話さねぇのな」
「っ!?申し訳ない…」
キーユが言えるのはただそれだけで、フィーゼを見れないでいた。
「はぁ、まるで昨日のお前の従者を見ているようだ。肝心なことは何も言わずにただただ謝るだけ。もうそれは聞き飽きた。だから、ここではっきり言わせてもらう。
これ以上、“ お嬢に関わるな ”」
「…っ、」
その言葉に、キーユは目を丸くしながらパッとフィーゼを見る。
「これは忠告じゃない、警告だ。フッ、丁度良いじゃねぇか。お嬢もお前の女の従者から言われてたんだ。金輪際お前とは関わらないようにって」
「ケルティが、そんな余計なことを?」
「ま、お嬢はそれに従う気、サラサラないみたいだけど」
初めて知った事実に、キーユは戸惑うばかりだ。
「けど、昨日のことは流石に我慢ならん。お前の軽い口約束のせいで、お嬢は風邪をひくかもしれなかった。下手すれば凍傷にだって…」
「申し訳ございません、僕のせいで…。もぅ2度とこんなことはいたしません!絶対です、誓います!だから———」
「黙れっ!せっかく早起きして来たんだろうが、もういっぺん寝かせてやろうか?このヤロウ」
その瞬間、フィーゼは彼の胸ぐらを掴む。振り上げたこぶしには数多の氷の粒が集まっている。
と、そこに、
「フィーゼ?!…ちょっ、何してるの?!」
花瓶に新しい花を生けて戻って来たシンシアは、キーユとフィーゼの状況に目を丸くする。しかし、頭に血が上ったフィーゼは、もう止まらなかった。
フィーゼの拳は躊躇いなくキーユの顔面に向かって振り下ろされようとしていた。…と、そこに
「主っ!!」
潜んでいたエストがどこからか姿を現したかと思うと、
「やめろ、エスト!」
「っ?!」
そのままフィーゼの腕を背中に固定し、彼に馬乗りになって床に抑えつけたのだった。
「…くっそ、」
(動けねぇ…)
自分よりも大柄なエストにのしかかられ、フィーゼは身動きが取れない。無理もない。エストは帝国では腕の立つ騎士として皇族たちを日々守ってきたのだから。
「その氷で我が主を凍らす気だったか?残念だが俺は
「んだと?!テメェ。 って、熱っ!!」
「フィーゼ?!」
見ると、フィーゼの腕を掴むエストの手からは
“ ジュッ!!”
と言う音と共に湯気らしき白い蒸気にも似た煙が大量に昇っていた。
「エスト、フィーゼを放しなさい!今すぐに」
「主…、しかし———」
「僕は2度は言いません!」
「くっ…、」
キーユの冷たい声にエストはビクッと身体を強張らせると、渋々フィーゼから降りるのだった。それを確認したシンシアは、
「フィーゼ!!」
と、机に花瓶を置いて、慌てて彼に駆け寄るのだった。
「…大丈夫だ、お嬢。俺は何ともない。そんな泣きそうな顔すんな」
フィーゼはゆっくり起き上がると、そう言って不安そうな顔をするシンシアの頭をポンポンと撫でた。そこにキーユが歩み寄る。
「フィーゼ、手を出してください。火傷、したでしょう?すみません。エストは触れるもの全てを一瞬で焼き払うほどの火力を持っていますから」
「…。」
フィーゼはキーユに言われるままにブレザーの袖口をずらし、先程エストに力一杯掴まれた所を
「ん。」
とキーユに見せつける。…が、しかし、
「っ…??」
(火傷の痕が、ない…?どう言うことだ?蒸気が出てるのも見えたのに?普通なら、少しくらい赤くなっていても不思議じゃないはず。これは、一体———)
予想外の光景に心の中でそう言いながら、目を丸くするキーユ。それとは裏腹に、
「良かった。無傷だったんだね」
「ったりめぇだ。これくらいなんてことない。」
傷一つないフィーゼの腕を見てホッと胸を撫で下ろすシンシア。
「だって、煙出てたからビックリしたよ。黒焦げになったんじゃないかって」
「んな大袈裟…。…まぁ、普通の人間なら、あの熱だし、火傷どころじゃ済まなかったかもな。骨まで溶けて無くなってたかも。なんせ、あのペジャンティカの焔だからな」
と、フィーゼは白々しく大袈裟に答えるのだった。
「そんなに熱かったの?!」
「ん〜、まぁ、ちょっとだけ?」
「フィーゼ!?」
「大丈夫だって。ほら、よく見ろ。何ともないだろ?」
「それはそうだけど…」
(そういえば服もなんともない。てっきり、焦げてるものかと…)
シンシアが改めて見て驚いていた。エストが固く握っていたところはたしかに白い煙が上がっていたはずだが、フィーゼが着ている服には何の損傷も見当たらなかった。シンシアは不思議そうに見つめる。それだけエストは力を繊細にコントロールできるということを暗に示していた。
「…へへっ。驚いたか?お前の従者の力はこんなもんだ」
得意げなフィーゼに、キーユはパッとエストを見る。
「…っ」
その瞬間、エストはサッと首を左右に振る。一切手など抜いてはいなかった、と言いたいように。
「…なぁ、“ 氷は火に勝てない ”って誰が決めた?」
「何だと?!調子に乗るな———」
「エスト、」
「っ、」
憎たらしい言い方のフィーゼに突っかかりそうになるエストを、キーユは制する。
「知ってるか?氷は、水の “ 熱を奪って ” 生まれるんだ。…なぁ、そっちの焔の従者、手の感覚はもぅ戻ったか?俺は今でこそお前の熱でヒリヒリしてっけど、もうすぐ戻るぞ?」
「…っ、」
エストは怪しく笑うフィーゼの言葉に、表情を歪ませながらサッと手を後ろに隠す。
「…エストさん??」
「エスト、手を見せなさい」
「…っ」
シンシアとキーユから向けられる視線に、エストは一つため息をつき、観念したように、先程フィーゼの腕を掴んだ方の手袋を取った。
「っ?!何だ?これは———」
その有り様にキーユは目を丸くし、思わず声を漏らした。表れたエストの手は、指先から第二関節付近までが、あまりの冷たさに紫に変色していた。痛々しい様に、シンシアは苦しそうに両手で口を覆う。そんな彼女の手は、小刻みに震えていた。
「へぇ、もぅ氷は溶けたのか。さすが焔の精霊だけあって早いな。普通の人間ならまずこうは行かない」
「フィーゼ、エストさんに何したの?!」
「無鉄砲に俺に触れるとどうなるか、思い知らせてやったまでさ」
「…っ、」
フッと鼻で笑うフィーゼを、エストはキッと睨み見るのだった。
「なぁ、焔の従者、主の命に従ってすぐ俺から手を離したお前の判断は正しかったよ。あれ以上握ってたら、いくらお前でも今頃その5本の指、ないしは手ごと、
「貴様っ…、」
今はなす術もなくただその言葉通りに負傷部分に熱を集中させることしかできないエスト。
「フィーゼ、エストさんは———」
「大丈夫だよ、お嬢。
“ 氷の中は時間が止まる ”から」
「ぇ?」
「熱が完璧に行き渡れば止まってた時間は再び動き出す。すぐ元通りだ。氷は溶ければ痕もなにも残さない」
心配そうにエストを見るシンシアに、フィーゼはそんな言葉をかける。
「全くすごい力ですね。冷気が熱気に勝るなんて…。君がそれだけの力を発揮できるということは、君の力の源となる契約者は、相当の魔力を有していないといけませんね」
「?」
キーユの言葉にまだピンと来ていないフィーゼはポカンと首をかしげる。
と、その時、
「———っ」
「お嬢っ?!」
先程まで何ともなかった彼女の身体はそのままバランスを崩し、ゆっくりと床に吸い込まれていく。それをフィーゼは慌てて抱き止めるのだった。
「お嬢…?お嬢っ!!どうしたってんだよ、急に…」
既に気を失っているシンシアからは反応がない。突然のことでパニクるフィーゼに、
「何をしている?すぐにシンシアさんを医務室へお連れしてください!」
「はぇ?!」
「無理をさせ過ぎだ!君が加護を、力を思うままに使えるのは、主が君に常に魔力を与え続けているからです。魔力は湯水のように湧き出てくるわけじゃない。人1人が1日に生成できる魔力量なんてたかが知れている。それなのに君は———。君が力を使えば使うほど、契約者への身体の負担も大きくなるということを、もっと自覚してください!」
「…っ、」
キーユの厳しい言葉に、フィーゼは何も言い返せなかった。それからフィーゼはシンシアを抱えて、弾かれたように教室を飛び出し、医務室へ急いだのだった。
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