第6章-眷属契約-

第23話ー焔が氷に触れたらー

 次の日、シンシアとフィーゼが教室に行くと、


「…ぁ、キーユだ」


「っ!?」


 まだ誰も来ていない静かな教室でキーユは机に突っ伏して寝入っていた。


「おぃ、何隠れてんだよ?」


「…いや、何となく?」


 シンシアは気まずそうにパッとフィーゼの後ろに隠れる。


「寝てるから安心しろ」


「…フィーゼ、お花もらうね。私が花瓶の花と水、変えてくる」


「…へ?ぁ、おぃ!それは俺の仕事——」


 シンシアはフィーゼが持っていた花束を奪い取って、花瓶を持って慌ただしく教室を出て行ってしまった。静まり返った教室で、フィーゼは自分の席とシンシアの席にカバンを置くと、


「…はぁ、起きてるな?お前」


 フィーゼは自分の机に腰掛けて、いまだ机に突っ伏しているキーユに話しかけた。フィーゼの言葉にキーユはゆっくりと顔を上げる。


「な〜んだ、バレてましたか。おはようございます。今日はやけに早いんですね」


「俺は教室の美化係をやってるもんで。月に1度、こうして早く来て花瓶の花を変えたりしてる。お嬢はそれに付き合って早く来てくれるんだ。…朝は勉強がはかどる、とか何とか言ってたかな」


 聞かれるでもなくただ独り言のようにシンシアのことまで話すフィーゼに、


「…フフッ、シンシアさんらしいだ」


 そう言って小さく笑うキーユ。まだ微睡から抜け出せない顔で柔らかく微笑む。シンシアの新たな一面がまた知れて満足気だ。


「お前はここでお嬢を待ってたのか?」


「えぇ。昨日のお詫びをしなければと思って。君にも悪いことをしました。お嬢様と一緒に長い時間待っていたんでしょう?」


「あぁ、2時間な、2時間!ったく、ナメてんのか?来れないなら来れないで、待ち合わせ時間に合わせて従者を遣わせるのが筋ってもんだろ?!」


「…お、おっしゃる通りです」


 いまだご立腹のフィーゼに返す言葉もないキーユ。


「はぁ、殴るどころか殺しても———、いや、これ以上は国同士の問題に発展しかねないから口は慎むが、それくらいの気持ちだ」


「…本当に、昨日は申し訳ございませんでした」


 キーユはスッと立ち上がり、改めてフィーゼに深々と頭を下げるのだった。


「っ、謝罪なら俺じゃなくお嬢にだろ?!」


「ですが生憎、僕は避けられているようですし…」


「当前だ!」


 フィーゼはこぶしをガンッと力強く机に振り下ろす。その勢いで小さな氷のカケラが飛び散る。


「だいたい怒らない方がおかしい。良かったよ、あの子にも人並みに怒りの感情があって。普段は何でもかんでも許しちまうとんでもないお人好しだからな」


「…けど、君がついていながらなぜ途中で帰らなかったのですか?僕はてっきり———」


「帰れっかよ?!もちろん帰るように促したさ。今日もこの通り朝が早かったんでね。…けど、俺がいくら言っても聞かねぇんだ。キーユさんはきっと来る。今帰ったら行き違いになるからって。来るまで待ってるって」


「…お嬢様———」


 フィーゼの言葉から、キーユは小さく溢す。それから苦しそうに、もどこしそうにその時のシンシアに想いを馳せるのだった。


「俺の言うことよりお前の言うことを信じて、2時間だ。お前のよこした従者が時計塔に到着したのは。お前の所からはそんなに遠かったのか?あの時計塔は」


「…っ、いぇ、そんなことは———」


「アホ。ただの嫌味だよ」


「…本当に、申し訳ない」


 キーユはただ、返す言葉もなく俯いたまま謝罪する。念のためとエストを向かわせて良かったとやはり心から思った。まさか本当にあんな長時間待ってくれていたとは、さすがのキーユも正直思っていなかった。それが更なる罪悪感を煽る。


「なぜ来なかったのか、理由も話さねぇのな」


「っ———!?申し訳ない…」


 キーユが言えるのはただそれだけで、フィーゼを見れないでいた。昨夜のことはしかたなかったとはいえ、さすがに口にするのもはばかられた。


「はぁ、まるで昨日のお前の従者を見ているようだ。肝心なことは何も言わずにただただ謝るだけ。もうそれは聞き飽きた。だから、ここではっきり言わせてもらう。


 これ以上、“ お嬢に関わるな ” 」


「…っ、」


 その言葉に、キーユは目を丸くしながらパッとフィーゼを見る。


「これはじゃない、だ。フッ、丁度良いじゃねぇか。お嬢もお前の女の従者から言われてたんだ。金輪際お前とは関わらないようにって」


「ケルティがそんな余計なことを?」


「ま、お嬢はそれに従う気、サラサラないみたいだけど」


 初めて知った事実にキーユは戸惑うばかりだ。


「けど、昨日のことは流石に見過ごすわけにはいかない。お前の軽い口約束のせいで、お嬢は風邪をひくかもしれなかった。下手すれば凍傷にだって」


「申し訳ございません、僕のせいで…。もぅ2度とこんなことはいたしません!絶対です、誓います!だから———」


「黙れっ!せっかく早起きして来たんだろうが、もういっぺん寝かせてやろうか?このヤロウ」


 その瞬間、フィーゼは彼の胸ぐらを掴む。振り上げたこぶしには数多の氷の粒が集まりだしていた。


 と、そこに、


「フィーゼ?!…ちょっ、何してるの?!」


 花瓶に新しい花を生けて戻って来たシンシアは、キーユとフィーゼの状況に目を丸くする。しかし、頭に血が上ったフィーゼは、もう止まらなかった。


 フィーゼのこぶしは躊躇いなくキーユの顔面に向かって振り下ろされようとしていた。…と、そこに


「主っ!!」


 物陰に潜んでいたエストがどこからか姿を現したかと思うと、


「やめろ、エスト!」


「っ?!」


 そのままフィーゼの腕を背中に固定し、彼に馬乗りになって床に抑えつけたのだった。


「…くっそ、」


 自分よりも大柄なエストにのしかかられ、動けねぇ…とうめき声をあげる。無理もない。エストは帝国では腕の立つ騎士として有名で皇族たちを日々守ってきたのだから。


「その氷で我が主を凍らす気だったか?残念だが俺はペジャンティカ焔の精霊だ。氷は効かない。相手が悪かったな」


「んだとテメェ。って、熱っ!!」


「フィーゼ?!」


 見ると、フィーゼの腕を掴むエストの手からは


 “ ジュッ!!”


 という音と共に湯気らしき白い蒸気にも似た煙が大量に立ち昇っていた。


「エスト、フィーゼを放しなさい、今すぐに!」


「しかし———」


「僕は2度は言いません」


「っ———、」


 キーユの冷たい声にエストはビクッと身体を強張らせると、渋々フィーゼから降りるのだった。それを確認したシンシアは、


「フィーゼ!!」


 と、机に花瓶を置いて慌てて彼に駆け寄るのだった。


「…大丈夫だ、お嬢。俺は何ともない。だからそんな泣きそうな顔すんな」


 フィーゼはゆっくり起き上がると、そう言ってシンシアの頭をポンポンと撫でた。そこにキーユが歩み寄る。


「フィーゼ、手を出してください。火傷、したでしょう?すみません。ペジャンティカエストは触れるもの全てを一瞬で焼き払うほどの火力を持っていますから」


「…。」


 フィーゼはキーユに言われるままにブレザーの袖口をずらし、先ほどエストに力一杯掴まれた所を、


「ん、」


 とキーユに見せつける。…が、しかし、


「っ…??」


 キーユはその有り様に思わず目を見張る。それもそのはずだ。あまりにも綺麗過ぎたのだ。雪のように白い肌には火傷の痕などどこにも見当たらない。どう言うことだ?と改めて先ほど蒸気が出てるのも見えたそこを見つめる。普通なら少しくらい赤くなっていても不思議じゃないはずが、不思議なことに真っ白なのだ。


 予想外の光景に、これは一体———、と言葉をなくし戸惑うキーユ。それとは裏腹に、


「良かった。だったんだね」


 傷一つないフィーゼの腕を見てホッと胸を撫で下ろすシンシア。


「ったりめぇだ。これくらいなんてことない」


 フィーゼはドヤ顔でニッと歯を見せて笑った。


「だって、煙出てたからビックリしたよ。黒焦げになったんじゃないかって」


「…まぁ普通の人間ならあの熱だし、火傷どころじゃすまなかったかもな。へたすりゃ骨まで溶けて無くなってたかも。なんせ、あの焔の精霊ペジャンティカの焔だからな」


 と、フィーゼは白々しく大袈裟に答えるのだった。


「そんなに熱かったの?!」


「ん〜、まぁ、ちょっとだけ?」


 声を上げるシンシアに目を逸らしながらおどけながら答える従者。


「フィーゼ!?」


「大丈夫だって。ほら、よく見ろ。何ともないだろ?」


「それはそうだけど…」


(そういえば服もなんともない。てっきり、焦げてるものかと…)


 シンシアが改めて見て驚いていた。エストが固く握っていたところは確かに白い煙が上がっていたはずだが、フィーゼが着ている制服には何の損傷も見当たらなかった。シンシアは不思議そうに見つめる。それだけエストは力を繊細にコントロールできるということを暗に示していた。


「…へへっ、驚いたか?お前の従者の力はこんなもんだ」


 さも得意げなフィーゼに、キーユはパッとエストを見る。


「…っ」


 その瞬間、エストはサッと首を左右に振る。一切手など抜いていなかった、と言いたいように。


「…なぁ、“ 氷は火に勝てない ” って誰が決めた?」


「何だと?!調子に乗るな———」


「エスト、」


「っ、」


 憎たらしい言い方のフィーゼに突っかかろうとするエストを、キーユは制する。


「知ってるか?氷は、水の “ 熱を奪って ” 生まれるんだ。…なぁ、そっちの焔の従者、手の感覚はもぅ戻ったか?俺は今でこそお前の熱でヒリヒリしてっけど、もうすぐ戻るぞ?」


「…っ、」


 エストは怪しく笑うフィーゼの言葉に、クッと表情を歪ませながらサッと手を後ろに隠す。


「…エストさん??」


「エスト、手を見せなさい」


「…っ」


 シンシアとキーユから向けられる視線に、エストは一つため息をつき観念したように、先ほどフィーゼの腕を掴んだ方の手袋を取った。


「っ?!何だこれは———」


 その有り様にキーユは目を丸くし、思わず声を漏らした。現れたエストの手は、指先から第二関節辺りまでがあまりの冷たさに黒にも近い紫に変色していた。痛々しい様に、シンシアは苦しそうに両手で口を覆う。そんな彼女の手は、小刻みに震えていた。


「へぇ、もぅ氷は溶けたのか。さすが焔の精霊だけあって早いな。普通の人間ならまずこうは行かない」


「フィーゼ、エストさんに何したの?!」


「無鉄砲に俺に触れるとどうなるか、思い知らせてやったまでだ」


「…っ、」


 フッと鼻で笑うフィーゼを、エストはキッと睨み見るのだった。


「なぁ、焔の従者、主の命に従ってすぐ俺から手を離したお前の判断は正しかったよ。あれ以上握ってたら、いくらお前でも今頃その5本の指、ないしは手ごと、壊死えしして切り落とすハメになっていただろうからな。

 …安心しろ。精霊は人間と違ってそんなやわじゃない。それに、精霊のくせにお前なら、もう暫くしたら血の巡りも通常に戻るだろうよ」


「貴様っ…、」


 今はなす術もなくただその言葉通りに負傷部分に熱を集中させることしかできないエスト。


「フィーゼ、エストさんは———」


「大丈夫だよ、お嬢。


 “ 氷の中は時間が止まる ” から」


「ぇ?」


「…。」


 首をかしげたシンシアの陰でもう一人、キーユも静かに反応していた。


「熱が完璧に行き渡れば止まってた時間は再び動き出す。すぐ元通りだ。氷は溶ければ痕もなにも残さない」


 心配そうにエストを見るシンシアに、フィーゼはそんな言葉をかける。


「全くすごい力ですね。冷気が熱気に勝るなんて…。君がそれだけの力を発揮できるということは、君の力の源となる契約者は、相当の魔力を有していないといけませんね」


「?」


 感心するようでどこか意味深なキーユの言葉にまだピンと来ていないフィーゼはポカンと首をかしげる。


 と、その時、


「———っ」


「お嬢っ?!」


 先ほどまで何ともなかった彼女の身体はそのままガクッとバランスを崩し、スーッと床に吸い込まれていく。それをフィーゼは慌てて抱き止めるのだった。


「お嬢…?お嬢っ!!どうしたってんだよ、急に…」


 既に気を失っているシンシアからは反応がない。突然のことでパニクるフィーゼに、キーユははぁーっと深く息を吐き、こぶしをギュッと震わせながら必死に湧き出てくる感情をやり過ごしていた。


「何してる、君はお嬢様を殺す気ですか?」


「はぇ…?」


「シンシアさんを医務室へお連れしてください、今すぐに!」


 音もない静かな剣幕に、声にもならない間抜けた音が従者の口から漏れる。その情けない姿が更にキーユを煽った。


 一体何を考えている?

 彼女は君の主だろう———?!


 思わず口を突いて出そうになった言葉を懸命に喉の奥に押し込める。もし自分が同じ立場なら絶対にこんな失態は犯さないのにと、もどかしそうにまた、はぁーっと長い息を吐くキーユ。


「無理をさせ過ぎだ。君が加護を、力を思うままに使えるのは、主が君に常に魔力を与え続けているからです。魔力は湯水のように湧き出てくるわけじゃない。人1人が1日に生成できる魔力量なんてたかが知れている。それなのに君は———。君が力を使えば使うほど、主への、契約者への身体の負担も大きくなるということを、もっと自覚してください」


「…っ、」


 キーユの厳しい言葉に、フィーゼは何も言い返せなかった。それからフィーゼはシンシアを抱えて、弾かれたように教室を飛び出し、医務室へ急いだのだった。





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