5-4

 ———午後11:57、時計塔


「…うわぁ、吐く息が真っ白だね、フィーゼ」


「そうだな…」


 月明かりに、2人の息は白く照らされる。この国ではあまり見られない現象であり、その上、こんな時間に外出するのもあまりないのもあって、シンシアは楽しそうにフィーゼに話す。


「ってか、キーユ、まだ来てないみたいなんだが?本当に来るのかよ」


「来るよ!約束したんだから。きっと今向かってらっしゃるんだよ」


「どうだかねぇ…」


 待ち合わせ場所である時計塔の上に登ってキーユを待つシンシアとフィーゼ。


 と、その時、


「…ぁ、12時だ」


 眺めていた懐中時計の針が丁度、長い針と短い針が一つに重なったことを告げるフィーゼ。深夜ということもあってか、時計塔の鐘は音が鳴らないようだ。

 シンシアがキーユと約束した時間だ。しかし、当のキーユが現れる気配はどこにもない。

 

「…フィー」


「寒くないか?これも羽織っとけ」


「っ、ありがとう…」


 フィーゼは何か言おうとするシンシアの言葉を遮るように、自分が着ている上着をシンシアの肩にかけてやる。


「フィーゼは寒くない?」


「当然。お嬢よりも丈夫にできてるからな」


「フフッ、そうだね。フィーゼは私たちと違って、から」


「ハッ、なんだよ、その言い方…」


「ぇ?」


(あれ、怒っ、た??…私、また何か余計なことを言ったのだろうか———)


 ボソッと吐き捨てられたフィーゼの言葉に、シンシアは心の中でそう言いながら目を伏せる。


「…ま、間違ってはないけど。俺はアウスジェルダ冬の精霊だから、こういう気候には強いってだけ」


 フィーゼは主の姿に何か察したのか、慌てて付け加えるのだった。


「フィーゼは、モントレー雪国出身だものね」


 少し緊張気味に伺うように言うシンシアに、


「っ…、あぁ、これくらい余裕だ!」


 それを包み込むようにとびきりの笑顔で応えてやるのだった。


「…。」


(よかった、フィーゼ、笑ってくれてる…)


 その笑顔を見て、シンシアはホッと強張った表情を少し解くのだった。


 それから5分…。さらに15分…。30分…。待てど暮らせどキーユが現れることはなかった。それどころか、時間が時間なのもあり、他の誰1人、出歩いている気配もない。


「おい、まだ来ないのかよ。もしかして騙されたんじゃないのか?アイツにとっての社交辞令を間に受けちまったとか」


 いい加減痺れを切らし始めるフィーゼ。


「こう言っちゃアレだけど、キーユって、相当モテるだろ?」


「ぇ? …そりゃ、あのルックスだし、物腰柔らかくてとっても紳士だし、いつも女子に囲まれてはいるけど…。どうしたの?今更」


 フィーゼの言葉の意味がわからずシンシアは首をかしげる。


「“ 女の扱いに慣れてる ”ってことだよ」


「———っ?!」

 

「こう言っちゃ何だが、女を落とす手口なんて幾らでも持ち合わせて———」



「キーユさんのこと、そんなふうに言わないで!」



 珍しく声を荒らげるシンシア。普段はあまり見られない光景に、目を丸くしながら思わず一歩たじろぐフィーゼ。


「来るよ、来てくれる。だってキーユさんは、いつどんな時でも、私をもの」


(進学式の時、そのあと成績表を見ていた時、仮面舞踏会の時…。どれほどたくさんの生徒たちがいる中からでも、そのどこか懐かしい優しい声で、私の名前を呼んでくれた。ちゃんと私を見つけ出してくれた。だから———)


 シンシアは心の中でそう言いながら、胸に手を当てて今までのキーユとのことを思った。


「…とはいえ、アイツは初めから怪しかった。信用に足る相手じゃない。俺たちにガンガン嘘ついてたこと、もぅ忘れたか?言っとくがアイツは大嘘つきだぞ?」


「ウソつき…?」

 

「初めて会った時、身分を偽ってた。爵位なんて持ってないとか言ってたけど、本当はあのクロノス帝国の皇太子殿下で…。まぁ、それは、立場が、立場ゆえ、仕方ないことだったんだろうが…。それにお嬢は知らないと思うけど、アイツ放課後———」


「いろんな女子生徒のところへ毎日毎日取っ替え引っ替え向かっている、のでしょう?」


「っ、知ってた、のか?」


 言葉を遮りながら放たれたシンシアの言葉に、フィーゼは目を丸くした。


「みんなが噂してるのは知ってる。うまく喋れないってだけで、私にだってちゃんと耳はついてる。みんながどんな話をしてるのか、いやでも聞こえてる。…けど、それはあくまで噂。私は実際に見たわけじゃないから、真相はわからない。勘違いかも知れない。鵜呑みにしてはいけない」


「…っ」


 ごもっともな主の意見に少し反省するフィーゼなのだった。


「…。」

 

(とはいえ、今日だって、キーユさんは常に命を狙われてることを隠された。けど、それはきっと皇太子殿下だから…。やっぱり、お立場上の問題があるからで…。それ以外にも、さっきフィーゼが言ってた噂のこと、キーユさんが探しているお嬢様のこと、契約しているエストさんていう精霊さんのこと…、まだまだ彼に対して腑に落ちないことはいくつもある)


 考えれば考えるほどキーユのことを何も知らないことに、シンシアは人知れず肩を落とすのだった。


 フィーゼが持つ懐中時計は、約束の時間から既に2時間過ぎた、午前2時を指そうとしていた…。


「お嬢、今日はもぅ帰ろう。これ以上こんな寒い所にいたら、風邪どころじゃすまなくなる」


「フィーゼは先に帰ってて?私はもう少し待ってるから」


「ふざけるな!貴女を置いて帰るなんて、んなことできるか?!それこそ従者の名折れだ」


「今帰ったら、もしかしたらキーユさんとすれ違っちゃうかも知れない。そうなったら悪いし…」


「はぁ…」


(ったく、アイツのことになるとやけに必死なんだよな。…いけすかねぇ)


 フィーゼがいくら部屋に戻るように促したところで、シンシアは頑なに首を縦に振らず、フィーゼは心の中でそう言いながら大きくため息をつくのだった。


 と、その時、



 ヒュー、…ドーンっ‼︎



 と言う大きな爆発音とともに、暗い夜空が昼間のように明るくなった。よく見ると、そこには大輪のまばゆい花が咲いた。


「っ⁈っるさ。何だアレ、何か爆発したのか? 大丈夫か?お嬢。耳、痛くなかった?」


 フィーゼは咄嗟にシンシアの耳を自分の両手で塞いでやっていた。


「うん、フィーゼが塞いでくれたから平気。ありがとう。

 …まさか、あれが、“ 花火 ” ?!」


「ふぇ?!あれが…?? 照明弾かと思った」


 と、下から


殿〜!!」


「っ?」


「何だ?」


 シンシアのことを呼ぶ声が聞こえた。


「フィーゼ、降りてみよう」


「あ、あぁ…」


 2人は時計塔の下に降りると、そこには外套に身を包んだエストが1人立っていた。


「誰だ?お前」


 さりげなくフィーゼはシンシアを庇うように彼女の前に出る。


「…もしかしてあなたが、さん、ですか?」


「っ、はい。お初にお目にかかります。クリミナード公女殿下」


 エストは外套のフードをとって、シンシアに深々と頭を下げた。彼もキーユの婚約者、シャルロッテと同じく南の国、サリンドラ王国出身で、肌はシャルロッテより少しだけ濃い小麦色の肌をしており、焔の精霊ぺジャンティカが持つ、火色の髪と瞳を持つ少年だ。


「いや、ダレ?」


「キーユさんが契約している、を操る従者さん。私で言う、フィーゼみたいな人」


 コソッと聞くフィーゼに、シンシアもコソッと答えた。


「ふぅん…、コイツがキーユの護衛か。…契約してるって、コイツ精霊なのか?それもときたか」


(なるほど、さすが皇子殿下。ちゃんと精霊まで従えていらっしゃったか。まだまだいろんな嘘や秘密を隠し持っていそうだな)


 フィーゼは心の中でそう言いながら、呆れ顔でため息混じりに吐き捨てるのだった。


「…初めまして。俺はキーファン様の従者、エスト・ジャン・ヴァークレーと申します」


「初めまして。シンシア・ロゼ・ル・クリミナードです。こっちは私の従者のフィーゼ・セライドです」


「どぉも」


 2人は丁寧に一礼し合い、それにつられてぶっきらぼうにフィーゼも軽く頭を下げた。


「公女殿下、我が主からの伝言です。


 【今宵は一緒に花火を観ることができません。】 


 と」


「そう、ですか…」


 シンシアはぎこちなく微笑む。頭のどこかではわかっていたものの、いざ言葉にして伝えられて、残念そうな表情を浮かべる。


「遅いっ!!」


「っ?!」


「フィーゼ…」


 突然声を荒らげるフィーゼに、エストの肩がビクッと跳ねる。


「お前の主は我が主と何時に会う約束をされていた?」


「…確か、午前0時かと」


「ハッ確かって。…で、今何時だ?」


「っ、」


「フィーゼ、もぅいいから…、」


 シンシアは小声で言いながらフィーゼ服の裾をちょんちょんっと小さく引っ張る。


「帝国の皇子殿下の従者を名乗っておいて、時計の文字盤さえ読めないか?武術しか習ってこなかったただの騎士殿か?…なら教えてやるよ。午前2時だ」


「っ、」


「フィーゼ、もぅやめて、」


 シンシアはなおも小声でフィーゼを止めるが、彼は聞く耳を持っていなかった。


「さてここで問題です。お前らはどれくらい、ここで我が主をお待たせしてしまったでしょうか?」


「そ、それは———」


「2時間だ!!…その時間がどれほどの長さかくらいは、いくら頭まで筋肉でできてるお前でもわかるだろう?」


「っ、も、申し訳ございま———」


 フィーゼに凄まれるままに頭を下げるエストだったが、


「お前が謝るのか?」


「え?」


 言い終わる前に遮られてしまった。エストは恐る恐る伺うようにフィーゼを見上げる。


「これほどまでに我が主をお待たせしたんだぞ?それを、従者の謝罪一つですませる気なのかと聞いてる!…ハッ、まったく、それが帝国式の礼儀だというのか?!」


「っ…、」


 そう怒鳴り声を上げたフィーゼ。主に対する非礼な扱いに、フィーゼの我慢も限界に達していた。彼の周りで降る雪、足元に積もる雪が、一瞬にして氷に変わったのを、エストはただただ目を丸くしながら見つめていた。よく見ると、その氷はエストの足元ぎりぎりにまで及ぼうとしており、エストはそっと後ずさる。


「もぅやめなさい!フィーゼ」


「っ、」


 怒りに満ち溢れたフィーゼの感情がそのまま心に流れ込んでくるのか、苦しそうに、しかし懸命に彼を止めるシンシア。そんな彼女に、フィーゼはやっと口を閉じた。


「本当に、申し訳ございません、公女殿下」


「いえ、私は———」


「お前、まだ俺が言いたいことを理解していないようだな。お前の主はどうしたんだ?っつってんだよ! そんなにがお高いのか?!帝国の皇太子殿下ってお方———」


「フィーゼっ!!」


 頭に血が昇る従者の怒号を懸命に途中で止める主。


「申し訳、ございません…」


 もはやそれしか言いようがなく、頭が上げられないエスト。


「エストさん。ごめんなさい、もう大丈夫です。キーユさんは、貴方の主様は、きっと、体調を崩されたのでしょう?」


「…っ?!」


 フィーゼとは打って変わって落ち着いた穏やかな口調で話すシンシアに、エストは真実を答えられない自分に嫌気が差していた。


「我が主は、…その、今日は、大変申し訳ありませんでしたと、そう、申しておりました」


「分かりました。貴方の主様にはくれぐれもお大事になさってくださいと、そうお伝えください。…あと、姿感謝いたします」


「え?」


 シンシアの言葉に、エストはパッと彼女を仰ぎ見た。


「貴方はあまり、人前に出られるのは得意でないと、貴方の主様から伺っていますので」


「っ?!」


 その言葉に、


 【エストは恥ずかしがり屋さんなのです】


 キーユのそんな言葉を思い出したエスト。


「…。」


(嗚呼、主があんなふざけた紹介するから…。とはいえ感謝するだと?何言ってるんだ?この人…。いくら帝国相手といえど、彼女の従者同様、こんな無礼な扱いにブチギレてもおかしくないのに。お人好しのどが過ぎ過ぎている…)


 エストはシンシアの寛大さに脱帽する。


「公女殿下、一介の従者なんかに感謝だなんて、もったいなきお言葉です。それに、あれは我が主が勝手に申し上げたこと。すぐ誇張して言う癖があるので」


「そうなんですか?…フフッ、でも、お会いできて良かったです。さっきの花火は、貴方が?」


「…はい」


 そう言うと、エストは


 “パチンっ”


 と一つ指を鳴らした。


 すると、


 エストの指の隙間からカラフルで小さな花火が一瞬現れ、彼の手元を鮮やかに照らして消えた。


「うわぁっ、凄いっ!!」


「これくらい、大したことありません」


「大したことないならなぜこんなに待たせた?!」


「コラコラ、もう言わないの!」


 いまだご立腹なフィーゼを優しく宥めるシンシア。


「…とても綺麗なものを見せていただいて、ありがとうございました。主様にも宜しくお伝えください。…行こう、フィーゼ」


「…ぇ?ぁ、あぁ」


 シンシアはそう言うと、スッとフィーゼの前に出て先に歩き出すのだった。その後を慌ててフィーゼもその後に続くのだった。


「…。」


 深々と頭を下げるエストの横を通り過ぎて、2人は部屋へ戻って行ったのだった。



 ————その頃、キーユの寝室では、



「…っ、」


 ベッドの上、隣りで少し乱れた格好で眠るシャルロッテに、フワッとシーツを掛けてやるキーユ。その寝顔を見ながら、額に張り付いた前髪を丁寧に整えてやる。自分は脱ぎ捨てた寝巻きを羽織り直し、そっとベッドを抜け出して窓辺に立つ。少しだけカーテンを開けて、外の景色に目をやる。


「…お嬢様」


 窓に小さく爪を立ててやるせなく顔を伏せるキーユ。

 遠くで、パタンっと、入り口のドアが閉じた音が聞こえて、慌てて寝室を出るのだった。



 —————————————



「エスト、」


「主…? ただいま戻りました」


 キーユは帰ってきたエストを慌てて出迎える。


「おかえりなさい。お嬢さ、…いや、何でもありません。時計塔にはでしたか?」


「…いいえ、いらっしゃいました。」


「は?」


 ゆっくりと落ち着いて言うエストを、キーユは目を丸くして見つめた。


「時計塔には2人。公女殿下が従者を連れて貴方様がお越しになるのを雪が降る寒空の下、ずっと待っておられました」


「そんな…、」


(フィーゼは止めなかったのか?こんな雪の中、さぞ寒かっただろうに…)


 キーユは心の中で呟きながら苦しそうに大きくため息をつく。


「公女殿下に主が来られない旨をお伝えすると、分かりましたと一言仰って、従者を連れて部屋に帰られました」


「そう、ですか…」


(約束の時間は当に過ぎていたのに、待っていてくださったのか…)


 キーユは寝巻きの胸元をギュッと握って項垂れた。


「すみません、君に行かせてしまって。そもそも、僕が言い出したこと。本当は僕がいかなければいけないところを———。きっと、さぞお怒りだったでしょう」


「えぇ。従者には散々いびられました。一体何を考えているのかと。一国の姫君にこのような無礼を働くなど、以ての外。これが帝国の礼の尽くし方か、と」


「フッ彼が言いそうなことだ」


 エストに散々怒鳴りつけるフィーゼの姿が容易に想像できて、苦笑いを浮かべながらそっと息を漏らすキーユ。


「しかしながら、公女殿下は終始穏やかでいらっしゃいました」


「っ…」


「挙句、俺に、とまでおっしゃってくださる始末で、」


「感謝?」


「主、俺のこと、公女殿下に、“ 恥ずかしがり屋 ” だと仰ったでしょう?だから、人前が苦手なのによく伝えに来てくれたと…」


「っ…、フフッ、それで感謝すると?」


 シンシアらしい言葉に、キーユは思わず吹き出す。


「はい。あんなお方、俺、今まで見たことありません。優しく微笑んでくださって…。本当は寒くて辛かったはずなのに…。嫌味のひとつも溢されない」


「…それが出来るのが、お嬢様なのですよ」


「主…?」


 キーユはまるで全てを分かりきっているかのような口ぶりで、だからこそとてもやるせなく切なく呟く。


「ですから、せめてものお詫びにと、だけはお見せいたしました」


「———?」


 エストの言葉に首をかしげるキーユに、エストは


 “パチンっ”


 と、一つ指を鳴らし、先程シンシアとフィーゼに見せたのと同じことをキーユの前でもやって見せた。


「小さい火花が、色とりどりに…、美しいですね。これをお見せしたと?」


「きっと、疑問に思われるでしょうから。なぜ今日、あの時間に花火なんか見られるのかと。公女殿下、コレをご覧になって綺麗だと、仰ってくださいました」


「…そう、ですか」


(はぁ、花火、一緒に見たかったな)


 キーユはその場に行けなかったことを深く残念そうに、心の中で小さく呟くのだった。


「大丈夫ですか?主。顔色が優れないようですが…」


「っ、2時間をお待たせてしまったことを思うと、どうしても…。すみませんが、薬を用意してくれますか?今宵は自力で眠れそうにない」


「…かしこまりました」


 困ったように力無くフワッと笑う主に、エストはそう言って、ケルティの所へ薬をもらいに行くのだった。

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