4-3

 ———キーユの部屋。


「おかえりなさいませ、キーファン様」


「ただいま戻りました」


 部屋に戻ると、ケルティが彼を出迎えた。キーユは定位置になっている1人掛けのソファに腰掛け、いつものように本を開いた。そこには先ほどのいちょうの葉が挟まれており、キーユの表情は思わずフワッと緩む。


「お茶です、どうぞ」


「あぁ、ありがとうございます」


 いつものようにキーユは何の疑いもなく紅茶を口に運ぶ。


「んぐっ、」


 一口口にしただけでコトっとカップをソーサーに戻すキーユ。その眉間には一瞬しわが寄ったのを、ケルティは見逃してはいなかった。


「また公女殿下にお会いに?」


「僕が誰と会おうが、貴女には関係ないでしょう?」


「ま、私もそこまで興味があるわけではないですが。…っその手、いかがなされたんですか?!」


 売り言葉に買い言葉の会話をしていて、ふと、ケルティの目に入った、ハンカチが巻かれた主の右手。その瞬間彼女の顔色は一変する。


「…あぁ、だけです。大したことではありません」


「はぁ?!また性懲りも無く“ 時の力 ” を?なら大したことあるじゃないですか!?大アリですよ!今すぐ見せてください!」


「大丈夫です。ちゃんと治療は受けましたから」


 そう言うと、キーユは彼女に見せるつけるようにハンカチを解いた。


 と、その瞬間、


「…あれ?」


 キーユは何か違和感を覚えた。


「キーファン様、親指の所、真っ赤じゃないですか?!」


 白地の手袋が親指の所だけ真っ赤に染まっていることに目を丸くするケルティ。


「…。」


 ケルティの声など耳に入っていないかのように。キーユはただ恐る恐る親指があるはずの場所に左手を添える。


「っ…?!」


…??)


 キーユの手は何度も何度も確かめるように、親指の所を摘む。


(嘘だろ?!あの時の激痛は何だったんだ??あれは間違いなく時の痛みだった———)


 キーユは慌てて手袋をめくってその内側を確かめる。


「…キーファン様、大丈夫なのですか??」


「はい。今は、全く痛みもなにも感じない」


 あんなに痛々しかった手は、何事もなかったかのように元通りに治っていたのだ。


「どう言うことですか?神の力を私利私欲のために使ったら、何かしら身体に傷が付くって…」


 ケルティはさりげなく主の左眼をそっと盗み見る。


「…っ、えぇ、貴女の言う通り、さえお構い無しに、ね。」


 そんな彼女の行動などお見通しと言うように、わざとらしく前髪を掻き上げ、潰れた左眼を見せつけるかのように晒すキーユ。シンシアがキーユの瞳に覚えた違和感はまさにコレだった。何者かに大きく抉られたような傷跡が、左瞼の上に痛々しく刻まれていた。暗闇でフィーゼが朧に目にした物だ。


で、この濁った左眼にはもぅ何も映らない」


 自嘲気味に言うキーユの左瞼がスッと上がると、光を失った瞳があらわになる。


「っ、」


 痛々しいその姿に、思わず目を背けるケルティ。


「神からたまわりし力は神の御意志のままに、他者を慈しむ、で使わなければ、その反動が“ 代償 ”としてその身に降りかかる。何度かクロノスの力を使ってみて分かりました。使った程度によって代償の重みも違う。無茶をすればするだけ、力に対する望みの度合いが大きければ大きいほど、身体への損傷も激しい」


「ですから、いつも口を酸っぱくして申し上げているではありませんか。無闇矢鱈に力を使わないでくださいと…。例え私が薬師であっても、止められるのは痛みだけです。それは完治じゃない。必ずは残ります」


 ケルティはため息混じりに主を諌めるのだった。


「今回ばかりは仕方ありませんでした。この力を使わなければ、あの子が苦しむことになりましたから」


「あの子…?そういえばこの女物のハンカチ…、公女殿下のものですね?」


「…はい、ご名答です」


 少し気まずそうに答えるキーユ。


「それで、キーファン様は何に力を使ったのですか?」


「“ 時を戻しました ”。と言っても世界のじゃない。彼女のの、ですけど」


「はあ?!では、公女殿下のということですか?!」


「いやぁ、こればっかりはどうしようもなく」


 へへへ、とキーユは力なく笑って誤魔化す。


「笑い事ではありませんよ、キーファン様…。いつも言ってるではありませんか。クロノス神の時の力は他の四大元素の力とは違うと。物理的な、目に見える力じゃないゆえに、扱いが一番難しく、一番魔力と精神力を使う。そして、他のどの力よりも、代償を受けやすいのだとか。これは、世のことわりを歪めてしまうのですから当然といえば当然ですが…。

 まったく、他者の過ごした時間を改ざんするだなんて、どうしてまたそんな無茶なことを?」


「いやぁ、公女殿下との話の流れで味覚が無くなったことがバレてしまって…。そうしたら仮面舞踏会の日に飲んだ甘いワインのせいだってのも芋づる式にバレて…。となったらやっぱりアレは毒だったんじゃないかって、この世の終わりみたいな哀しい顔をされるので…、つい、」


「ついって、」


 気まずそうに肩をすくめる主に、ケルティは大きなため息をつき、そっと眼を伏せる。


「ケル、まさかとは思いますが、貴女が言ったのですか? 毒が入ってたって」


「っ…、申し訳ございません。口が滑って、つい…」


「ついって…。まぁ、そういうことだから——」


「だから記憶を捻じ曲げて “ 嘘を真実にした ” 、そういうことですか? 大方、初めから毒なんて入っていなかった。ワインに酔ってしまったという嘘を、本当に酔ってしまっただけなのだと、そういう記憶を埋め込んで、 “ 真実 ” にしてしまった、そうなのでしょう?」


 ケルティの言葉にキーユは苦笑いで応えた。


「っ、はぁ、貴方と言う人は…、」


(公女殿下が罪悪感を抱かなくてすむように、そういうご配慮だったのでしょう?とはいえそれは、代償を支払ってまでしてなすべきことですか?)


 ケルティは心の中で呟きながらお人好しなキーユを複雑そうに身やるのだった。


「ほんと、やってられませんよね。僕は人助けをしただけ、クロノスの願いを叶えてやっているだけなのに…。目も、腕も脚も、その他身体の内臓、ありとあらゆる所、望むものを惜しみなくアイツにくれてやったというのに」


「そうやって代償を受けると言うことは、貴方の力の使い方が、クロノス神の思うところではないと言うことです。他にやり方があったと言うことを示唆しさされているのでは?」


「それは僕にとって不本意です。僕にだって僕のやり方がある」


「はぁ、そうですか…」


 突っぱねる主に呆れながらため息を漏らす従者。

 

「しかしながら、どうやって今回の代償を回避なさったのですか?一応代償は受けて、その後、傷が完治したと言うことなんですよね?治療を受けたとおっしゃっていましたが。一体誰に?」


「あぁ、それですが。シンシアさんのお力、なのだと思います」


「公女殿下の…?しかし、いくら風の民の公女殿下であられようと、魔法でできることにも限界がありましょうに。仮に上級の魔法さえも扱えるお方だったとしても、代償で受けた傷を完璧に治すのなんて無理な話です」


(それこそ、神の力に、神のご意志にあだなす行為。そんなことできるはずがない。できないから、キーファン様をはじめ、契約をした者は代償を受けるのだから…。もしそれができるとしたら、それは———)


 ケルティはシンシアが計り知れない力を持つ可能性を秘めていることに、目を丸くしながら心の中で呟く。


「あの方はそれほどに強大な魔力をお持ちだと?…フッ、さすが公爵家のご令嬢。さぞかし高貴な血を受け継がれておいでだということ、でしょうか…?」


「これはただの仮説ですが、公女殿下はおそらく、の力を使われたのかと」


「っ、風の神の力を?!…ぁ、すみません」


 キーユの言葉に思わず大きな声を出すケルティ。


「僕がクロノスの時の力を使って彼女の記憶を書き換えたことで、この赤く染まった所、右手の親指が持っていかれたはずだったところを、お嬢様の、イェティスの癒しの風が、この通り完治させてくれた。そう考えるのが妥当でしょう」


「っ、て、見られたのですか?!代償の有り様を…、まぁ、そうですよね。ここに公女殿下のハンカチがあるということは、そういうことですよね」


「いや、手袋のお陰で知らぬ間に怪我をした、くらいにしか。まさか親指がなくなっているなんて思わないでしょうし。そんなモノ、お嬢様のような特に繊細な方には絶対に見せられませんから」


「…はぁ、そうですか。 それにしても、仮に公女殿下がイェティス神の力を使われたとして、代償さえも掻き消してしまえるなんて…、そんなことまでできるのでしょうか?」


(神から受ける代償、いわば罰を、神の力で帳消しにしたとでもいうの?!)


 ケルティはまだまだ半信半疑だ。


「それだけお嬢様の想いが強ければ、不可能とは言い切れないのかも知れません。私利私欲のためではない願いは、神の願いそのもの。力を更に倍増させる」


「だから、ですか?」


「え?」


「気付いておられなかったのですか?味覚、戻ってますよね?」


「っ、はぇ?!」


「さっき紅茶を口にされた時、渋い顔をされていました。貴方が味覚を失われてから、毎回濃いお茶を出し続けていたんです。いつか気付いてくださるだろうと。それに、いつもは最後まで飲み干されるのに、今日は一口しか口にされなかったので…。」


「…っ」


 キーユはケルティの言葉に慌てて紅茶を口にする。


「——苦っ‼︎…本当だ。味が、分かる」


(っ、嘘だろ。毒を口にしてから、舌が痺れて何も感じなかったのに。時の力を使ったから?…いや、違う。時の力でいじったのはお嬢様の記憶だけ。僕がワインを飲んだ事実までは書き換えたわけじゃない。だから、これは———)


 キーユはある答えに辿り着く。


「っ、キーファン様…、これは、」


「これはきっと、“ お嬢様の慈悲 ” です」


「公女殿下の、…?」

 

「僕の傷を治したいと言う彼女の願いが、指どころか、毒の後遺症まで消し去ってくださった、と言ったところでしょうか」


(はぁ、本当なら僕がお守りしなければならないのに、逆に助けられてしまうなんて)


 キーユは少し残念そうに、しかし嬉しそうに椅子にもたれ直した。


「でしたら今回クロノス神から受けた代償は、全てを見越してのことだったのでは?」


「ぇ?」


 ケルティの言葉に、キーユは改めて彼女の方を見る。


「公女殿下のお力をキーファン様にお伝えするため、あえて時の力を使わせ、代償をお与えになったのでは?」


「…、ハッ。だったらイェティスもろともムカつきますね。何が時の神は全知全能。現在・過去。未来、全てを見通せるだ? 全く、そういうことは契約者の僕にも共有してほしいものです。まるでやつらの手のひらの上で踊らされているかのようだ」


「フフッ。全ては神の御意志のままに、ということでは」


「…はぁ、マジでムカつく」


 ケルティの言葉に、キーユはそう言って吐き捨てた。


 その次の日から、欠席がちだったキーユは、やっと授業に出るようになったのだった。


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