第17話ー風がかき消したものー

 ———キーユの部屋。


「おかえりなさいませ、キーファン様」


 部屋に戻ると、ケルティが主を出迎えた。


 ただいま戻りましたと、キーユは定位置になっている1人掛けのソファに腰掛け、いつものように本を開いた。そこには先ほどのいちょうの葉が挟まれており、キーユの表情は思わずフワッと緩む。


「お茶です、どうぞ」


「あぁ、ありがとうございます」


 いつものようにキーユは何の疑いもなく紅茶を口に運ぶ。


 しかし、


 んぐ…っ、と一瞬眉間にしわを寄せると、一口口にしただけでコトっとカップをソーサーに戻してしまった。その様子を従者は見逃してはいなかった。


「また公女殿下にお会いに?」


「僕が誰と会おうが、貴女には関係ないでしょう?」


「ま、私もそこまで興味があるわけではないですが」


 売り言葉に買い言葉な会話をしつつ、

 …っ、その手、いかがなされたんですか?と、ふとケルティの目に、ハンカチが巻かれた主の右手が映った。その瞬間彼女の顔色は一変する。


「…あぁ、だけです。大したことではありません」


「はぁ?!また性懲りも無く “ 時の力 ” を使ったのですか?なら大したことあるじゃないですか、大アリですよ!今すぐ見せてください!」


 ケルティは大慌てで薬箱を取りに体を翻す。


「大丈夫です。ちゃんと治療は受けましたから」


 そう言って彼女を制しながら、キーユは見せるつけるようにハンカチを解いた。


 と、その瞬間、


「…あれ?」


 キーユは何か違和感を覚えた。


「キーファン様、親指のところ真っ赤じゃないですか?!」


 白地の手袋が親指の所だけ真っ赤に染まっていることに目を丸くするケルティ。


「…。」


 ケルティの声など耳に入っていないかのように。キーユはただ恐る恐る親指があるはずの場所に左手を添える。


「っ…、ある———?!」


「ある?」


 主がポツリと溢した声に、ケルティは首をかしげた。


 。いや、当然か。ハンカチが巻かれていたんだ。っ、いや、待て、当然なものか。なんで———?!

 と、キーユは何度も何度も確かめるように、親指の所を撫でたり摘んだりする。


 一体あの時の激痛は何だったんだと。あれは間違いなく時の痛みだった———と、キーユは慌てて手袋をめくってその内側を確かめる。そして確信した事実にゆっくりと力無く息をついて俯く。


「…キーファン様、大丈夫なのですか??」


 心配そうなケルティに主はうん、うん、と小さく頷く。


「今は、全く痛みもなにも感じない」


 あんなに痛々しかった手は、何事もなかったかのように元通りに完治していたのだ。


「どう言うことですか?神の力を私利私欲のために使ったら、何かしら身体に傷が付くって…」


 そう言ってケルティはさりげなく主の左眼をそっと盗み見る。


「…っ、えぇ、あなたの言う通り、さえお構い無しに、ね」


 そんな彼女の行動などお見通しと言うように、わざとらしく前髪を掻き上げ、潰れた左眼を見せつけるかのように晒すキーユ。シンシアが先ほどこの瞳に覚えた違和感はまさにコレだった。何者かに大きく抉られたような傷跡が、左瞼の上に痛々しく刻まれていた。仮面舞踏会の後に暗闇でフィーゼが朧に目にした物だ。


で、この濁った左眼にはもぅ何も映らない」


 自嘲気味に言うキーユの左瞼がスッと上がると、光を失った瞳があらわになる。


「っ、」


 痛々しいその姿に、思わず目を背けるケルティ。


「神からたまわりし力は神の御意志のままに、他者を慈しむ、で使わなければ、その反動が “ 代償 ” としてその身に降りかかる。何度かクロノスの力を使ってみてわかりました。力の程度によって代償の重みも変わってくる。無茶をすればするほど、それだけ身体への負担も損傷も激しい」


「ですから、いつも口を酸っぱくして申し上げているではありませんか。無闇矢鱈に力を使わないでくださいと…。例え私が薬師であっても、止められるのは痛みだけです。それは完治じゃない。必ずは残ります」


 従者はため息混じりに主を諌めるのだった。


「今回ばかりは仕方なかったのです。この力を使わなければ、あの子が苦しむことになりましたから」


 力なく笑いながら、そっと顔を背ける少年。


 あの子…?と首をかしげる従者。


「そういえばこの女物のハンカチ…、公女殿下のものですね?」


「っ、…はい、ご名答です」


 少し気まずそうに、観念したようにキーユは答えた。


「それで、キーファン様は力を使ったのですか?」


「“ 時を戻しました ”。と言っても世界のじゃない。彼女のの、ですけど」


「はぁ?!では、公女殿下の記憶をいじったということですか?!」


 思わず声を上げて呆れ返った従者に、


「いやぁ、こればっかりはどうしようもなく」


 へへへ、とキーユは力なく笑って誤魔化す。


「笑いごとではありません、キーファン様…。いつも言ってるではありませんか。クロノス神の力は他の四大神が司る四大元素力とは違うと。物理的な、目に見える力ではないゆえに、扱いが一番難しく、一番魔力と精神力を使う。そして、他のどの力よりも、代償を受けやすいのだとか。これは、世のことわりを歪めてしまうのですから当然といえば当然のことですが…。

 まったく、他者の過ごした時間を改ざんするだなんて、どうしてまたそんな無茶なことを?」


「公女殿下との話の流れで味覚が無くなったことがバレてしまって…。そうしたら仮面舞踏会の日に飲んだ甘いワインのせいだってのも芋づる式にバレて…。となったらやっぱりアレは毒だったんじゃないかって、この世の終わりみたいな哀しい顔をされるので…、つい、」


「ついって、」


 気まずそうに肩をすくめる主に、ケルティは大きなため息をつき、そっと眼を伏せる。


「ケル、まさかとは思いますが、あなたが言ったのですか?毒が入ってたって」


「っ…、申し訳ございません。つい口が滑ってしまって…」


「フッ、あなたもつい、ですか。

 まぁ、そういうことだから——」


「だから記憶を捻じ曲げて、

 “ 嘘を真実にした ” 、そういうことですか?」


 そう言った従者からスーッと目を逸らす主。


「大方、初めから毒なんて入っていなかった。ワインに酔ってしまったという嘘を、本当に酔ってしまっただけなのだと、そういう記憶を埋め込んで、 “ 真実 ” にしてしまった、そうなのでしょう?」


 その言葉にキーユは苦笑いで応えた。


 っ、はぁ、貴方と言う人は…と従者は大きくいため息をついた。


 主の頭の中など手に取るようにわかった。きっと、公女殿下が罪悪感を抱かなくてすむようにという、そういうご配慮だったのだろう。とはいえそれは、そんな代償を支払ってまでしてなすべきことなのであろうか———?


 ケルティはどこまでもお人好しなキーユを複雑そうに見やるのだった。


「ほんと、やってられませんよね。僕は人助けをしただけ、クロノスの願いを叶えてやっているだけなのに、こんな仕打ちを受けるとは」


 キーユはやるせなく言葉を吐き捨てる。


 これまでだって目も腕も脚も、その他身体の内臓、ありとあらゆる所、望むものを惜しみなくアイツにくれてやったというのにと自嘲する。


「そうやって代償を受けるということは、貴方の力の使い方が、クロノス神の思うところではないということです。他にやり方があったということを示唆しさされているのでは?」


「それは僕にとって不本意です。僕にだって僕のやり方がある」


「はぁ、そうですか…」


 チクリと刺さる言葉をあっさりと突っぱねる主に呆れながらため息を漏らす従者。

 

「しかしながら、どうやって今回の代償を回避なさったのですか?一応代償は受けて、その後、傷が完治したということなんですよね?治療を受けたとおっしゃっていましたが、一体誰に?」


 あぁ、それですかと、少年は戻ってきた右親指に触れながら、シンシアさんのお力、なのだと思いますと少しだけ言葉尻を濁した。


 公女殿下の…?と従者は目を丸くする。


「しかし、いくら風の民の公女殿下であられようと、魔法でできることにも限界がありましょうに。仮に殿下が上級の魔法さえ扱えるお方だったとしても、代償で受けた傷を完璧に治すのなんて、無理な話です」


 と主の言葉に首を左右に振る。


 それこそ、神の力に、神のご意志にあだなす行為だ。

 そんなことができるはずがない。できないから、キーファン様をはじめ、見えないモノと契約をした者は代償に苦しめられ、下手をすれば殺される。

 なのに、そんな世のことわりをも捻じ曲げてしまえるほどの力が、公女殿下にはあるのかと、従者は、シンシアが計り知れない力を持つ可能性を秘めていることに、目を丸くしながら動揺するのだった。


「あの方はそれほどに強大な魔力をお持ちだと?…フッ、さすが公爵家のご令嬢。さぞかし高貴な血を受け継がれておいでだということでしょうか…?」


「これはただの仮説ですが、公女殿下はおそらく、の力を使われたのかと」


「っ、風の神の力を?!…ぁ、すみません」


 キーユの言葉に思わず大きな声を出すケルティ。


「僕がクロノスの時の力を使って彼女の記憶を書き換えたことで、この赤く染まった所、右手の親指は、奪われていたはずだった。だが、今はこうしてここにある。

 これはきっと、お嬢様の、イェティスの癒しの風が、この通り完治させてくれた。そう考えるのが妥当でしょう」


「待ってください!失ったものまで元通りに治してしまうだなんて、それはもう…」


 風の力が時の力と似た働きをしたということじゃ———?いやいや、そんなことあり得ない。それこそ、世の理を捻じ曲げる行為だ。時の力、クロノスにしかできないことを、イェティスが、あんな華奢でひ弱な少女がやってのけたとでも言うのか?!

 そんなこと、絶対にあり得てはいけない———と、ケルティはグッと息を呑む。


 それはもはや、この世界の均衡をも壊しにかかるほどの大事である。


 呆れ果てながらこの日何度目かのため息をつくケルティ。


「…仮に公女殿下が風の神イェティスの力を使われたとして、代償さえも掻き消してしまえるなんて…、そんなことまでできるのでしょうか?」


 神から受ける代償、いわば罰を、神の力で帳消しにしたとでもいうのかと、ケルティはまだまだ半信半疑だ。


「それだけ力を使う者の想いが強ければ、強いほど不可能とは言い切れないのかも知れません。私利私欲のためではない願いは、神の願いそのもの。力を更に倍増させる」


 だから、ですか?と、従者はあることに気がついていた。


 え?と首をかしげる主。


「気付いておられなかったのですか?味覚、戻ってますよね?」


「っ、はぇ?!」


 従者の言葉に、主は目を見張った。


「さっき貴方が紅茶を口にされた時、渋い顔をされていました。実は味覚を失われてから、毎回濃いお茶を出し続けていたんです。いつか気付いてくださるだろうと。それに、いつもは最後まで飲み干されるのに、今日は一口しか口にされなかったので…」


「…っ」


 キーユは慌てて再び紅茶を口にする。


「——苦っ!!…本当だ。味が、分かる」


 まだ信じられないと言った様子でカップをただぼーっと眺める少年。


 無理もない。毒を口にしたその時から、舌が痺れて何も感じなていなかったのだ。時の力を使ったからか?…いや、違う。時の力でいじったのはあの子の記憶だけ。自分がワインを飲んだ事実までは書き換えたわけじゃない。だから、これは———


 キーユは息を呑みながら、ある答えに辿り着く。


「っ、キーファン様…、これは、」


「これはきっと、“ お嬢様の慈悲 ” です」


 公女殿下の、…?と従者は首をかしげる。

 

「僕の傷を治したいという彼女の願いが、指どころか、毒の後遺症まで消し去ってくださった、と言ったところでしょうか」


 キーユは目を閉じて胸の辺りをキュッと握った。


 本当なら自分が少女を守ってしかりなのに、逆に助けられてしまうなんて———と、少し残念そうに、しかし嬉しそうに椅子にもたれ直した。


「でしたら今回クロノス神から受けた代償は、全てを見越してのことだったのでは?」


 ケルティの言葉に、キーユは、え?と、改めて彼女の方を見る。


「公女殿下のお力をキーファン様にお伝えするため、あえて時の力を使わせ、代償をお与えになったのでは?」


「…、ハッ。だったらイェティスもろともムカつきますね。

 何が時の神は全知全能。現在・過去・未来、全てを見通せるだ?

 全く、そういうことは契約者の僕にも共有してほしいものです。まるでやつらの手のひらの上で踊らされているかのようだ」


「フフッ。全ては神の御意志のままに、ということでは?」


「…はぁ、ほんとムカつく」


 ケルティの言葉に、キーユはそう言って吐き捨てた。


 その次の日から、欠席がちだったキーユは、やっと授業に出るようになったのだった。


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