第18話ー祝福と加護ー
—— 一方、部屋に戻ったシンシアは、
「はぁ、鳴ってよかった…」
ホッとしたように笛を取り出してキュッと握ると、
風の神様、ありがとうございました。あの方の傷を癒してくださって———と、心の中でそう囁くのだった。
…その瞬間、
「——っ、」
「お嬢っ!!」
バランスを崩してそのまま床に崩れ落ちる所を、慌てて駆け寄ったフィーゼに抱き抱えられていた。
「おぃ、大丈夫か?!」
「うん、平気。ありがとう、フィーゼ」
シンシアは力なく微笑んだ。
「ちょっと失礼」
フィーゼはそう言うとシンシアをそっと抱え上げ、ベッドへ向かう。
「ちょっ、フィーゼ、下ろして!?もぅ大丈夫だから、別にベッドに横にならなくたって———」
「そんな状態で言っても何の説得力もない。…もしかして、吹いたのか?笛」
「ふぇ?」
「さっき触ってたから」
「——っ、うん。話したことあったっけ?この笛を吹くとね、その後、とっても良いことが起こるの」
フィーゼに強制的に寝室のベッドに下ろされて、丁寧にシーツを掛けてもらうシンシア。フィーゼに笛を見せるが、はいはいどーもと、彼はその小さな手を自分の手に優しく包み、そのままふかふかのシーツの中へゆっくり導く。
「良いことがあったとしても、当の貴女が立っていられないほどになってりゃ、本末転倒じゃねーか」
「えへへ…本当だね。でも良かった…」
「どんな良いことがあったんだ?」
優しい口調で尋ねるフィーゼは、ベッドに腰掛けてシンシアを見下ろして尋ねる。
「あれ、聞いてくれるの?珍しい」
そう言っていたずらっ子のようにニヤリと笑うシンシアに、
「あーもぅいいです」
と面倒くさそうにフィーゼはそっぽを向くのだった。
「あ、待って、嬉しくて、つい…。お願いだからめんどくさがらないで。
キー、あ、いや、友人の怪我が治ったの!」
“ 友人 ”。主のその言葉に肩だけピクッと反応させる従者。
「皇子殿下、怪我したのか?」
「ちょっ、誰もキーユさんのことだなんて」
「お嬢の友人なんて、アイツしかいないだろ?」
「酷い…。ま、事実だから何も言い返せないけど」
楽しそうに話すシンシアとは裏腹に、フィーゼは面白くなさそうに彼女を見ずに話す。
「…ごめん、フィーゼにとっては、つまらない話だね」
「っ…、あ、いや、違っ、」
寂しそうに笑うシンシアに、やってしまったと罰が悪そうに慌てて取り繕うフィーゼ。そんな彼の顔を見て、
「フフッ、なぁんて。…ビックリした?泣いたと思った?」
と、悪戯っ子の笑みを見せるシンシアに、
「…はぁ、マジでめんどくせぇ。今度こそもぅいい。後は一人でごゆっくり」
フィーゼは大きく溜息をつくと、今度こそスッと立ち上がった。
「あ、待って、ごめんって…。フィーゼ、ほら、顔見せて」
「は?」
「いいから、こっちを向いて?」
シンシアはもう一度座れと言わんばかりに、先程フィーゼが座っていた所をポンポンっと叩いた。
「…。」
主が言うことにはとことん逆らえない性分の彼は、黙って渋々従う。
「フィーゼは、
「あぁ。そうだけど?」
一直線上に2人の視線が交差する。一点の穢れも知らないような真白な雪色の瞳が、シンシアのターコイズブルーの瞳に映り込む。
「いつ見ても本当に綺麗だね。雪がそのまま、貴方の瞳になったみたい…」
優しい目で囁かれる主の言葉に、
「ハッ、気色悪いの間違いでしょうよ」
と、相変わらずのひねくれた返事で嘲け笑う従者。
「もぅ、せっかく褒めてるのに。…ねぇ、フィーゼは氷の魔法を使う時、いつも詠唱しないよね?指を一つ鳴らすだけで」
「…ま、これは魔法じゃないからな」
シンシアに言われるがままにフィーゼは、“ パチンッ! ” と一つ指を鳴らした。すると、
「うわぁ!」
何もない空中から、はらはらとゆっくり粉雪が舞い降りてきた。
「これは加護だ。俺自身の力なんだから、詠唱なんて必要ない」
「やっぱりすごいな、フィーゼの力は」
シンシアは嬉しそうに宙に消えていく雪のカケラに手を伸ばす。
「力を使うには、詠唱の代わりに指を鳴らすの?」
「あぁ。神や精霊といった、見えないものと契約した場合、契約者だって指を鳴らせば契約した神や精霊の力を使うことができる」
「じゃあ、私にもフィーゼみたいに雪や氷が出せるってこと?」
と、シンシアはワクワクしながら指を構えた。
「…っ」
その様子に、初めてのことでどうなるかとフィーゼも思わず息を呑む。
…と、その瞬間、
【ハス…】
と、微かに空気が掠れるような小さな音が聞こえた。その音は、先ほどのフィーゼのそれには到底及ばないものだ。
「・・・、あれ?」
思わず固まる目を丸くしてシンシア。
当然ながらその後に何も起こらない。
起こったことと言えば、
「…フフッ、アハハハッ」
必死に堪えようにもそれが叶わなかった、フィーゼの笑い声が部屋中に響いたことだった。
「…っ」
こんなにも楽しそうに、そして無邪気に腹を抱えて笑い転げる彼を見て、
へぇ、こんな顔をして笑うんだね、あなたは…と、自分がこんなにも笑われているにも関わらず、思わず凝視してしまう。
「アハハハッ…、なんだよ、さっきの。下手くそ過ぎんだろ!」
よっぽど可笑しかったのだろう。ハスって…。クククッ、と言いながら、とうとう目尻には涙が滲み出していた。
「そ、そこまで笑わなくても…」
と、さすがにこんなに笑われて、シンシアは恥ずかしさがあとから湧き上がってくるのだった。
でも良かった。そんな顔もできるようになったんだね。こんなに穏やかなあなたの顔見たの、初めてかもしれない———と、感情が豊かになっていくフィーゼに、シンシアは嬉しさを覚えていたのだった。
「さっきは初めてやったからダメだっただけ。もっと練習して、上手に鳴らせるようになったら、私だってフィーゼみたいに———」
「できるだろうけど、お嬢はそんなことしなくていい。俺がこうしてそばで護ってやってるだろう?今までだってそうしてきた。貴女は何もせずに、ただ俺に護られてさえいれば、それでいい」
———嗚呼、そうか。これが
「ありがとう、フィーゼ」
(…ということは、さっきキーユさんといる時、目を閉じていた時に聞こえたあの音が、指を鳴らす音だったなら、キーユさんもフィーゼみたいに目に見えない存在と契約しているってことだ。
そして指を鳴らした後に大怪我を負ったということは、あれは、代償を負ったということ。
私が目を閉じている間、キーユさんは一体何をしたんだろう———?)
シンシアはフィーゼの話から、改めてキーユが何か魔法とは違った、加護や祝福といった、契約者しか使うことが許されない特別な力を使ったということだけは推測できたのだった。
「ねぇフィーゼ、代償って、そんなに苦痛を伴うものなの?」
「え?…そりゃ、力を正しく使わないヤツへの、一種の天罰みたいなもんだからな。お嬢はまずそんなことにはならんから安心しろ」
「ふぇ、なんで?」
不安そうな顔の主を安心させるように、従者は幼子を宥めるように優しく彼女の頭を撫でる。
「さっきも言ったろう?貴女は何も気にせず、ただ俺に護られていればそれでいいって。
つまりは俺の力を使うか使わないかは貴女じゃなく、俺自身が決める。
代償を受けるのは契約者が力の使い方を間違えた時だ。
自分で自分の力を使うのに、正しいも間違いもないだろう?」
と、どこかドヤ顔な従者。
「あ〜、なるほど。さすがフィーゼ、頭いいね…」
と言って、シンシアはうんうんと納得するのだった。
(ちょっとズルい気もするけど、そうか、それがあなたのやり方か…。
私は最初から、貴方と契約したあの時から、もうずっと、貴方に護られていたんだね)
そう思いながら、心に温かいものがぽわぽわと広がっていくのを感じた。
「フィーゼが従者になってくれて、よかった。いつもありがとう」
改めてシンシアはフィーゼと契約したことにそっと感謝するのだった。
そんな主の言葉にフィーゼはくすぐったそうにそっぽを向いた。しかし、その口角は明らかに上を向いているのを、シンシアには見えていた。
「本当、あの時、師匠に拾われてよかった」
フィーゼが言う師匠とは、クリミナード公国の公王、シンシアの父親の従者である、ダルク・セライドのことだ。
「俺は
俺は人一倍物覚えが悪いから、毎日のように鞭で打たれてたけど———」
「それは、執事になるためには必要なこと?」
そうやって毎日痛めつけて、恐怖で支配して、逆らう気力も体力も与えないようにしていたのだろうか?と、苦しそうに笛と一緒に胸の辺りを握りる。
そんな少女を見て、
なんで貴女がそんな顔…と、困ったように力なく笑うフィーゼ。
「この前フィーゼの眷属紋を見た時、フィーゼの身体、いっぱい傷があったから」
「言ったろ?あれは俺のせい。物覚えが悪い俺への罰だ。貴女が気にすることじゃない」
従者は…はぁ、と一つ息を漏らす。
だから過去を話すのは苦手だ。今まで彼女から何度か聞かれたことがあったが、いざ話すとほら、やはりこうなる。そうやって、泣きそうな顔をする———と、苦笑いしかできない。
「もぅ全然痛くも痒くもねーよ。…確かめてみっか?」
「ぇっ!?」
フィーゼはシンシアの手を掴み、自分の傷に触れさせる。
「ほら、この通り、何ともないだろう?」
「っ…、」
「あぁ、だからもぅ泣くなって」
「…だって」
ふと見たシンシアの目からは次々と雫が溢れ出していた。
「俺は、別にこの傷を憎らしく思ったことなんて一度もない。これは従者になるための修行の賜物だ。この傷があったからこそ、こうして貴女と出会えたし、貴女の従者、フィーゼ・セライドとしての俺でいられるのだから。
だからこれは、俺が俺でいられる証。
お嬢が泣くことなんて、何一つとしてないんだ。…って、お嬢、何して?!」
「…っ」
ふと気がつくと、シンシアはむくっと起き上がり、突如笛を咥えて息を吹きかけていた。
しかし、
プス——っ
と息だけが抜ける音しか聞こえてはこない。
「あれ、何で鳴らないの? どうして?」
「…。」
シンシアは何度も何度も笛に息を吹き込むが、先ほどキーユの怪我を癒す時に鳴ったあの綺麗な音色は、一切聞こえない。
「ねぇ、鳴って?…お願い、鳴ってよ」
「それを鳴らしてどうする気だ?」
「お願いするの!風の神様に。フィーゼの傷を消してって」
「風の神———?
おいおい、とうとう気でも触れたか?」
「っ?!違っ、さっきだってこれで、キーユさんの怪我を治していただいたんだから!」
懸命に言うシンシアに、俄には信じがたいことでフィーゼは困惑の表情を浮かべる。
「確かその笛を吹いたら、良いことがあるって言ってたけど———、…それ、氷翠石か?」
「うん。お婆様の形見なの。
「風の神が、笛に宿る…??」
そう言って、首をかしげる。
見えない存在がモノに宿るなんて、ましてや契約もなしに人間に力を貸すなんてこと、聞いたこともないと、シンシアの胸元で輝く氷翠石の笛を不思議そうに眺める。
「とはいえ、さっき鳴らなかったよな…?」
「ゔ…、お婆様が言うには、その時じゃないと鳴らない、って」
「“ その時 ”…?」
「本当に助けを必要とする時。私だけじゃ、どうにもならない時。
きっと今の場合はもうフィーゼの傷は治ってるから、風の神様は応えてくれないのかも。私はその傷が消えることを願ったけど、それは、叶えられないみたい」
シンシアは残念そうに俯く。
「そうか。一筋縄では行かないんだな、風の神ってのは」
と、少しおどけたように言うフィーゼ。
いや、違うか。イェティスの風は癒しの風。傷は治せても、消せない、ということか。
傷を無かったことにできるのは恐らくこの世の
いくら他の4つの神が偉大だといえど、結果は覆せない。
そう考えると、笛が鳴らない、イェティスが応えられないというのも頷ける、かと、そんな考えを一人、頭の中で巡らせていたのだった。
「キーユさんの時は確かに鳴ったのに…」
「仕方ねぇよ。いくら神様でも、出来ないことだってあるってことさ」
フィーゼはそう言いながらシャツを着直す。
「ごめんね、フィーゼ…」
「よせ、お嬢が謝ることじゃない。むしろ、ホッとしてる。だってこれは、努力の証だから。それが消えるってことは、あんなに過酷だった時間が全て無かったことにされるってことだ。まぁ、コレ見てお嬢がさっきみたいになるのはそりゃヤダけど、やっぱ、惜しい…」
「フィーゼ…」
フィーゼは力無くフワッと笑って見せるのを、シンシアただ見つめていた。
それからだんだんとシンシアの瞼は重たくなってきて、静かに眠りに落ちたのだった。
「…お休み、お嬢。もぅ何も気にせず、ゆっくり休め」
フィーゼはシンシアの髪を撫でると、
その額にそっと自分のを重ねて熱がないこともちゃんと確認してから部屋を後にしたのだった。
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