第5章-焔の精霊-
5-1
季節は12月、雪がチラつく季節となった。
「うわぁ、雪だぁ…」
人がまばらな放課後の図書館で、シンシアは窓に手を添えて雪が舞い降りるのを嬉しそうに眺める。…と、その手の隣りに、
「っ?!」
シンシアより少し大きい手が寄り添うように現れた。
「…降って来ましたね、雪」
「っ、キーユさん?」
その手はキーユのもので、振り返ると彼も窓の外を見ていた。いつしか2人は、放課後はココで一緒に過ごすことが日課のようになっていた。
「雪、嬉しいですか?」
「はい。この国は降るだけで、積もりにくいから…。雪が降ると何だかワクワクするんです。もしかしたら積もるんじゃないかって。…まぁ、滅多にないんですけど」
「そうなんですね。積もったら、フィーゼはきっとうんざりするんだろうな」
「フィーゼ…??」
「はい。彼は北の、モントレーの出身でしょう?雪は見飽きてるんだとか」
「フフッ、フィーゼとそんな話をしたんですか?」
(良かった、2人とも仲良しになって)
シンシアは心の中でそう言うと、どこかホッとした顔でキーユの話に耳を傾ける。
「えぇ、剣術の授業の合間とかに少し。彼、夏は人一倍弱いけど、逆に冬は人一倍強いらしいです」
「…確かにそうかも。フィーゼ、全然風邪ひかないんですよ?やっぱり生まれ育った土地の気候によって、身体の作りもそれに対応しているのかもしれません。」
「フフッ、またフィーゼのこと、わかったらお教えしますね」
「…っ、フフッ、はい。ありがとうございます」
2人はそう言って微笑み合うのだった。
—————————
「…ヘクシッ」
ちょうど同じ頃、フィーゼは一つくしゃみをした。
「おっかしいな、風邪か?いやいや、北国出身の俺に限って冬に風邪とか有り得ねぇ。…こりゃ誰か噂してんな? あ、雪降ってる」
(お嬢、喜ぶだろうな)
部屋でシンシアの帰りを待つフィーゼも、テーブルを拭きながら主と同じように窓の外で舞う雪をボーっと眺めていた。
そして、
「…ぁ、お嬢が帰って来るまでに暖炉に火、焚いとくか」
と、そそくさと準備を始めるのだった。
—————————
「そう言えば、ずっと気になっていたんですが、キーユさんは従者を側に付けないのですか?いつもケルティさんの姿が見えないのですが…」
(帝国の皇子殿下なのに、護衛をつけなくて大丈夫なんだろうか?)
シンシアは首をかしげながら心の中で呟く。
「あぁ、ケルはフィーゼ同様、部屋の仕事を主にやってもらってます。まぁ、あともう1人、エストという従者が側に付いてはいるのですが。」
「エストさん、と仰るんですね。…どこにいらっしゃるんですか??」
「あ———、彼はとっても “ 恥ずかしがり屋さん ” なのです」
「っ!!」
キーユはシンシアの耳元でヒソっと囁く。
「…っ」
少し離れた所で身を隠すキーユの従者、エストは主の言葉に思わず吹き出しそうになっていた。
「…。」
(誰が恥ずかしがり屋さんだ?!ったく言いたい放題だな。側に張り付いているのは邪魔だろうから気を遣って離れた所に身を隠してるってのに…)
エストは心の中でブツブツと呟く。彼は人並み以上の視力を持ち、読唇術まで会得しているのだ。そんな彼には、どんなにひそひそ声で話していたとしても、会話の中身は彼には筒抜けなのである。
「フフッ、だから、いつも見えない所で僕を見守ってくれているんです」
「そうなんですか」
微笑むキーユの背後や頭上など、さり気なく視線だけで探してみるシンシア。
「そう簡単には見つかりませんよ。彼、かくれんぼだけは得意なので」
「…っ」
( だけはってなんだよ、だけはって。それが仕事なんだっつの)
心の中で思わず突っ込むエスト。今にも身を隠していたことなど忘れて出ていきそうな勢いだ。
「フフッ、本当にお上手なんですね。こんな素人では到底見つけられません」
「私が幼い頃なんて悲惨でしたよ?私が鬼で、彼が隠れた日にゃ到底見つかるはずもなく…」
「でしょうね…。それで、どうやって見つけたんですか?」
「…途中でバックれてやりました」
「えぇ!?」
キーユから飛び出したまさかの言葉にシンシアは愚か、遠くに潜んでいるエスト本人もおったまげていた。
「フフッ、そしたら彼、次の日に泣きながらようやく出てきたんです…」
「つ、次の日?そ、それはそれは…」
(お気の毒に…)
シンシアは苦笑いで心の中でその言葉を呟いた。
——————
「…っ?!」
(やっぱりアレはそう言う事だったのか…)
エストは幼い頃のトラウマの真祖が判明して、思わず目を閉じた。そして再び目を開けると指を構え、
“パチンっ”と一つ指を鳴らしたのだった。
——————
「熱っ!!」
「キーユさんっ?!」
キーユは急に右手の甲を押さえると共にガクッと膝を折った。
「…。」
(くっそ、エストめ、やったな?)
キーユは心の中で吐き捨てる。
「キーユさん、大丈夫ですか?」
シンシアがキーユの方を見ると、彼の右手の甲辺りからは煙のようなものが一筋あがっていた。
「大丈夫です、問題ありません。どこかから火の粉が飛んできたのかも。ハハっ誰か焚き火でもしてるのかな?」
「火の粉?焚き火??」
意味が理解できずシンシアが首をかしげている間に、キーユは笑いながらキリッと一瞬背後を睨み付けた。
「っ…」
その突き刺す視線に、エストはビクッと肩を一跳ねさせるだった。
「…キーユさん、手、光って…」
シンシアは不意に、キーユの右手の甲が手袋越しに紅く光っているのを目にする。
「ぇ?っ、いや、これは…」
キーユは慌てて手を隠そうとする。
…が、
「…私と同じですね」
「ぇ?」
シンシアのその言葉に手を止める。
「私も、…あれ、今は出てないな。フィーゼといる時は出てたのに」
「…っ、フィーゼと、いる時?」
シンシアはキーユに自分の右手の甲を見せるが、そこには何も浮かび上がっていなかった。
「もしかして、キーユさんも、誰かと契約しているんですか?」
「っ?!」
シンシアからまさかそんな言葉が出てくるとは思わず、キーユは目を丸くして一瞬動きを止めた。
「…えぇ、まぁ。これはエストと眷属契約した証です。どうして、契約のことを?もしかして、シンシアさんも誰かと契約を?」
「私は、フィーゼと眷属契約を結んでいます」
「っ?!」
シンシアの言葉に、キーユは一瞬耳を疑った。そして、そっと彼女から目を逸らすのだった。
(フッ、誰が普通の人間だと?とんだ大嘘つきが)
キーユは以前フィーゼが言った言葉を思い出しながら、心の中でそう吐き捨てていた。
「その光っているもの、契約の証の紋章ですよね?フィーゼが言うには、
「…そうですか。その紋章で、お2人は繋がっているのですか」
そうこぼしたキーユは、ちゃんと笑ってはいたが、その声はどこか弱々しかった。
(そうか。だとするとヤツの正体は、氷雪を司る精霊、アウスジェルダ。
キーユは冷静にそんなことを頭の中で考えていた。
それから落ち着いた2人は、再び窓の外に目を向ける。
「そうだ、シンシアさん、今宵は雪よりも面白いものが見られそうですよ?」
「ぇ?」
「シンシアさんは花火ってご存知ですか?」
「…確か、南の国、サリンドラ王国の名産品ですよね?真夏の夜空に大輪の花が咲くって、本で読みました。私はまだ一度も見たことはありませんが」
「なら今宵、きっと見られると思いますよ」
「ぇ、この季節にですか?!本当だとしたらすごく楽しみです。」
そう嬉しそうに笑ったシンシアにキーユは微笑み返しながら、
「大丈夫です。僕の予想は滅多に外れないので…」
「っ!!」
不敵な笑みでエストがいる方を再び見やるのだった。
「…。」
(うわーめっちゃ見てくるやんこの人。分かってんだろーな?って目でめっちゃ見てくるやん…。何? さっきちょっと力を使ったこと、根に持ってはんのか?あ〜怖いよぅ…)
エストは迫り来る悪寒に打ち震えていた。
と、その時、
「主っ!!」
「ぇっ?!」
「お嬢様、ちょっと失礼っ!!」
突然キーユはシンシアに勢いよく覆いかぶさってきたのだった。
「え?き、キーユ、さん…??」
(ちょっ、なに?何?ナニ?? 主って、キーユさんのこと?)
心の中でそう言いながら、いきなりのことで頭が混乱するシンシア。すぐ目の前に迫るキーユの胸板。シンシアは本棚を背に、まさにキーユに壁ドンされているような状態となっていたのだった。と、そのすぐ後に
カーンっ‼︎
と、金属と金属が激しくぶつかり合う、鈍くて甲高い音がキーユの背中越しに響いた。
「ぇ、何?今の音…」
(キーユさんの後ろに、誰か、いる…??)
突然のことで、シンシアは状況が全く飲み込めていない。
「大丈夫、気にしないで。虫が飛んできただけです」
「…ムシ?」
(虫と言うより、ナイフみたいな物がとんできたように見えたけど…?)
しれっと言うキーユに、シンシアは驚きながら心の中でツッコむ。
シンシアの目を一瞬掠めたのは、小型のナイフのようなものが勢いよく飛んで来ていて、そこに何処からともなく現れた誰かが、そのナイフを持っていた小刀か何かで弾き落としている光景だった。
「主、怪我は?」
「さっき君に突き飛ばされたお陰でこの通り、無傷です」
キーユは顔だけ後ろを振り向き、返事をする。彼の後ろにいたのは外套を身に纏った彼の従者、エストだった。シンシアが見た誰かとはまさに彼のことで、エストは飛んで来たナイフと主との間に割って入り、持っていた小型の剣でそれを弾き落としたのだ。その際、主の背中を咄嗟にシンシアの方へドンッと突き飛ばしたのだった。
「ご無事なら何より。俺はこのまま刺客を追います」
「えぇ、任せます」
エストはそう言って、地面に落ちたナイフをさり気なく回収して姿を消したのだった。
「…」
(ぇ、え?今、しれっと“ 刺客 ”って聞こえたんだけど、気のせいじゃない、よね??)
シンシアは心の中でそう言うと、キーユたちが話しに耳を疑いながら、不安気に彼を見上げた。不意に2人は目が合い、シンシアを安心させるようにキーユは優しく微笑んだ。
「今のがエストです。あ、僕の背中越しでよく見えませんでしたよね…。言った通り恥ずかしがり屋さんなので、誰かに見られるのを酷く嫌がるんです。今度はちゃんと挨拶させますね」
「あの、それよりキーユさん、貴方、まさか——」
(誰かに命を狙われている??)
シンシアは怖くて咄嗟に言葉を途中で呑み込む。
「ん?僕なら大丈夫です。もう先程の手の痛みは引きましたから」
「っ、そうではなく、…ぁ、いや、それも心配ですが、その、」
「あぁ、虫のことですか?ご安心を。今エストが外に逃しに行ってますから。少ししたら戻って来ますよ」
「…そぅ、ですか」
シンシアは“ 刺客 ”と言う言葉が気にはなったが、はぐらかすキーユを思ってか、それ以上は追求しないことにしたのだった。ちょっとした騒ぎではあったが、いつも2人がいる図書館の奥のこの場所は人が滅多に立ち寄らないので、幸いにもこの騒ぎに気づく生徒は周りにはいなかったのだった。
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