第5章-焔の精霊-
第19話ー恥ずかしがり屋さんの従者ー
季節はとうとう雪がチラつく時期となった。
「うわぁ、雪だぁ…」
人がまばらな放課後の図書館で、シンシアは窓に手を添えて雪が舞い降りるのを嬉しそうに眺めていた。その手の隣、触れるか触れないかの距離に、降って来ましたね、雪、とシンシアより少し大きい手が寄り添うように現れた。
「っ、キーユさん?」
その手はキーユのもので、振り返ると彼も窓の外を見ていた。いつしか2人は、放課後はココで一緒に過ごすことが日課のようになっていた。
「雪、嬉しいですか?」
「はい。この国は降るだけで、積もりにくいから。雪が降ると何だかワクワクするんです。もしかしたら積もるんじゃないかって。…まぁ、滅多にないんですけど」
少女にそうなんですねと返事をすると、積もったら、フィーゼはきっとうんざりするんだろうなと、ポロッと溢した。
フィーゼ?と、意外にもキーユから彼の名前が出てきてシンシアは首を傾げた。
「彼は
「フフッ、フィーゼとそんな話をしたんですか?」
意外と2人ともうまくやっているんだと、シンシアはどこかホッとした顔でキーユの話に耳を傾ける。
「剣術の授業の合間とかに少し。彼、夏は人一倍弱いけど、逆に冬は人一倍強いらしいです」
「確かにそうかも。フィーゼ、全然風邪ひかないんですよ?やっぱり生まれ育った土地の気候によって、身体の作りもそれに対応しているのかもしれません」
「フフッ、またフィーゼのこと、わかったらお教えしますね」
「…っ、はい、ありがとうございます」
2人はそう言って微笑み合うのだった。
—————————
「…ヘクシッ!」
ちょうど同じ頃、部屋で仕事をしていたフィーゼは一つくしゃみをした。
「おっかしいな、風邪か?いやいや、北国出身の俺に限って冬に風邪とか有り得ねぇ。こりゃ誰か噂してんな?」
部屋でシンシアの帰りを待つフィーゼはテーブルを拭きながら、グスッと鼻をすする。そしてふと、窓の外で雪が舞っているのが目に入り、あ、雪だ…。と、ボーッと眺める。
お嬢、喜ぶだろうなと、楽しそうに微笑む主の顔を思い浮かべながら、フィーゼはクスッと笑みをこぼすのだった。
そして、
「…ぁ、お嬢が帰って来るまでに暖炉に火、焚いとくか」
そう言いながら、そそくさと準備を始めるのだった。
—————————
「そう言えば、ずっと気になっていたんですが、キーユさんは従者を側に付けないのですか?いつもケルティさんの姿が見えないのですが…」
シンシアはそう言いながら首をかしげた。
帝国の皇子殿下なのに、護衛をつけなくて大丈夫なんだろうか?と、いつも周りが手薄な彼を心配そうに見る。
「ケルにはフィーゼ同様、部屋の仕事を主にやってもらっています。まぁあともう一人、エストという従者が側に付いてはいるのですが」
「エストさん、と仰るんですね。…どこにいらっしゃるんですか??」
シンシアはきょろきょろと周りを見渡すが、それらしき人は見えない、いや、今までそんな人がキーユのそばにいたのは見たことがなかった。
あ〜、えっと…、と、キーユはシンシアに近づくと、
そっとその耳元で、
「彼はとっても “ 恥ずかしがり屋さん ” なのです」
ヒソっとそう囁くのだった。
「っ———?!」
その行為に思わずシンシアはビクッと肩を一つ跳ね上げる。
「…っ」
その様子を少し離れたところから身を潜めて見ていた彼の従者、エストは、主の言葉に思わず吹き出しそうになっていた。
(ちょぉ待て、誰が恥ずかしがり屋さんや?!ったく言いたい放題か!
側に張り付いてんのは邪魔やろうから、こっちは気ぃ遣って離れたとこに身を隠したってるってのに…)
エストは心の中でブツブツと呟く。彼は人並み以上の視力を持ち、読唇術まで会得しているのだ。そんな彼には、どんなにひそひそ声で話していたとしても、会話の中身は彼には筒抜けなのである。 ちなみに彼は
「フフッ、彼はいつも見えない所で僕を見守ってくれているんです」
と言う彼の言葉を、そうなんですか〜、と聞き流しつつ、さり気なく視線だけで、微笑むキーユの背後や頭上など、彼の従者を探してみる少女。
そんな彼女を、
「そう簡単には見つかりませんよ。彼、かくれんぼだけは得意なので」
そう言ってキーユは可愛らしそうに眺めるのだった。
「…っ」
(だけはってなんや、だけはって。こちとらそもそもそれが仕事やちゅーねん!)
心の中で思わず主にツッコむエスト。今にも身を隠していたことなど忘れて、2人の前に出ていきそうな勢いだ。
「フフッ、本当にお上手なんですね。こんな素人では到底見つけられません」
シンシアは感服と言った様子だ。
「幼い頃なんて悲惨でしたよ?私が鬼で、彼が隠れた日にゃ到底見つかるはずもなく…」
「それでは、降参を?」
少女の言葉にまさか、と、吐き捨てたキーユ。
「途中でバックれてやりました」
キーユから飛び出したまさかの言葉にシンシアは愚か、遠くに潜んでいるエスト本人もえぇっ?!とおったまげていた。
「フフッ、そしたら彼、次の日に泣きながらようやく出てきたんです」
「つ、次の日?!」
「真面目なんですよ。日付が変わる前に、そもそも陽が落ちた時点で気づくでしょうに、普通」
それはそれはお気の毒に…、と、シンシアは苦笑いで心の中で呟きながら、エストを労うのだった。
——————
(やっぱりアレはそういうことやったんか…)
エストは幼い頃のトラウマの真相が判明して、ため息混じりに手で目を覆った。そして再び手をずらして目を開けると、意を決したようにそっと指を構え、
“ パチンッ! ” と一つ指を鳴らしたのだった。
——————
「熱っ!!」
「キーユさんっ?!」
キーユは急に右手の甲を押さえると共にガクッと膝を折った。
くっそ、エストめ、やったな?とキーユは渋い顔つきで心の中で吐き捨てる。
「大丈夫ですか?一体何が?」
シンシアがキーユの方を見ると、彼の右手の甲の辺りからは煙のようなものが一筋上がっていた。
「大丈夫です、問題ありません。どこかから火の粉が…」
「火の粉?」
キーユの言葉の意味が理解できず、まさか誰かが火の魔法を使った———?と、さりげなく周りを見渡すシンシア。
その間にキーユは笑いながらキリッと一瞬背後を睨み付けた。
「っ…!!」
その突き刺す視線にエストはビクッと肩を一跳ねさせて全力でそっぽを向くのだった。
「あれ、キーユさん、手、光って———」
シンシアはふと、キーユの右手の甲が手袋越しに紅く光っているのを目にする。
「ぇ?っ、いや、これは…」
キーユは慌てて手を隠そうとする。…が、
「…私と同じですね」
というシンシアの言葉に、え?と動きを止める。
「私も、…あれ、今は出てないな。フィーゼといる時は出てたのに」
「フィーゼと、いる時?」
シンシアはキーユに自分の右手の甲を見せるが、そこには何も浮かび上がっていなかった。
「もしかして、キーユさんも、誰かと契約しているんですか?」
「っ?!」
シンシアからまさかそんな言葉が出てくるとは思わず、キーユは目を丸くして一瞬動きを止めた。
「…えぇ、まぁ。これはエストと眷属契約した証です。どうして契約のことを?もしかして———」
「私はフィーゼと眷属契約を結んでいます」
「っ?!」
シンシアの言葉にキーユは静かに息を呑んだ。そしてゆっくりと彼女から目を逸らすのだった。
おいおい誰が普通の人間だと?と、キーユは以前フィーゼが言った言葉を思い出していた。
まったく、飛んだ大嘘つきが———と、心の中でそう吐き捨てて、苛立ったようにギリッと奥歯を噛むのだった。
「その光っているもの、契約の証の紋章ですよね?フィーゼが言うには、
「…そうですか。その紋章でお二人は繋がっているのですか」
そう溢したキーユは、ちゃんと笑ってはいたがその声はどこか弱々しかった。
(氷の華の中に龍の紋章。だとすると大方ヤツの正体は、氷雪を司る精霊、アウスジェルダか。そうか、だから氷雪の魔法が得意だと———。ってことは、
キーユは冷静にそんなことを頭の中で考えていた。
それから落ち着いた2人は、再び窓の外に目を向ける。
「そうだ、シンシアさん、今宵は雪もさることながら、もっと面白いものが見られそうですよ?」
雪よりも面白いもの?と目の前の少女はそっと首を傾げた。
「シンシアさんは花火ってご存知ですか?」
「…確か、南の国、サリンドラ王国の名産品ですよね?真夏の夜空に大輪の花が咲くって、本で読みました。私はまだ一度も見たことはありませんが」
「なら今宵、きっと見られると思いますよ」
「ぇ、この季節にですか?!本当だとしたらすごく楽しみです」
そう嬉しそうに笑ったシンシアにキーユは微笑み返しながら、
「大丈夫です。僕の予想は滅多に外れないので…」
不敵な笑みでエストがいる方を再び見やるのだった。
「っ!!」
(うわぁ、アカン、目ぇ合ってもた。
貴方のその笑顔が一番怖いねんて———。
ってかなんやねん、花火て。俺か?俺に花火上げろってか?)
エストは迫り来る悪寒に打ち震えていた。
と、次の瞬間、
「———っ?!」
彼は飛び出していた。
「主っ!!」
従者の叫び声が聞こえた。それを合図に、
「ちょっと失礼っ!」
「っ?!」
突然キーユはシンシアに勢いよく覆いかぶさってきたのだった。
「え?き、キーユさん…??」
ちょっ、なに?主って、キーユさんのこと?と、いきなりのことで頭が混乱するシンシア。気づけばすぐ目の前に迫るキーユの胸板。シンシアは本棚を背に、まさにキーユに超密着壁ドンされているような状態となっていたのだった。そのため、視界も塞がれている状態だった。
そんな目の前の少年の背中越しに
カーンッ!!
と、金属と金属が激しくぶつかり合う、鈍くて甲高い音が響いた。
(ぇ、何?今の音…。キーユさんの後ろに、誰かいる…??)
突然のことで、シンシアは状況が全く飲み込めていない。胸元でもぞもぞと動くシンシアに、
「大丈夫、気にしないで。虫が飛んできただけです」
と穏やかな口調でキーユは声をかけてやるのだった。
「…ムシ?」
(虫と言うより、ナイフみたいな物が飛んで来たように見えたけど…?)
しれっと適当なことを言うキーユに、シンシアは驚きながら心の中でツッコむ。
キーユが庇ってくれる前にシンシアの目を一瞬掠めたのは、小型のナイフだった。それが勢いよく迫ってくるところに、何処からともなく現れた誰かが、そのナイフを、持っていた小刀か何かで弾き落としている光景だった。
「主、怪我は?」
「さっき君に突き飛ばされたお陰で無傷ですよ」
キーユは顔だけ後ろを振り向き返事をする。彼の後ろにいたのは外套で身を包んだ彼の従者、エストだった。シンシアが見た誰かとはまさにその人のことで、エストは瞬時に飛んで来たナイフと主との間に割って入り、自らの小型の剣でそれを弾き落としていたのだ。その際、主の背中を咄嗟にシンシアの方へドンッと突き飛ばしたのだった。
「それは何より。俺はこのまま刺客を追います」
「えぇ、任せます」
エストはそう言って、地面に落ちたナイフをさり気なく回収して姿を消したのだった。
(ぇ、え?今、しれっと刺客って聞こえたんだけど、気のせいじゃない、よね??)
キーユたちが話しに思わず耳を疑いながら不安気に彼を見上げた。不意に彼と目が合う。キーユはシンシアを安心させるように優しく微笑んだ。
「今のがエストです。あ、僕の背中越しでよく見えませんでしたよね…。言った通り恥ずかしがり屋さんなので、誰かに見られるのを酷く嫌がるんです。今度はちゃんと挨拶させますね」
「あの、それよりキーユさんってまさか——」
(誰かに命を狙われている??)
シンシアは怖くて咄嗟に言葉を途中で呑み込む。
「ん?僕なら大丈夫です。もう先程の手の痛みは引きましたから」
「そうではなく、…ぁ、いや、それも心配ですが、その———」
「あぁ、虫のことですか?ご安心を。今エストが外に逃しに行ってますから。少ししたら戻って来ますよ」
「…そぅ、ですか」
シンシアは “ 刺客 ” という言葉が気になったが、あくまではぐらかしたそうなキーユに、それ以上は追求しないことにしたのだった。
ちょっとした騒ぎではあったが、いつも二人がいる図書館の奥のこの場所は、人が滅多に立ち寄らないので、幸いにもこの騒ぎに気づく生徒は周りにはいなかったのだった。
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