第16話ー力を正しく使うということー
「っ…あれ、私、どうして…?」
指が鳴る音が聞こえたのは覚えてるんだけどなと、少しほうけている頭を必死に起こしながら、目の前の景色をきょろきょろと見渡していた。
「…フフッ、少しうつらうつらしていらっしゃったので。眠たいようでしたら、もぅお部屋に戻られますか?送って行きます」
「いぇ、大丈夫です!———あれ、カフェラテが、2つ?」
ふと手元に目を落とすと、両手にカフェラテを持っていることに戸惑いが隠せない。
「さっき一緒にカフェに行った時にフィーゼにもと、2つ買われていましたよ?」
「…っ、そうでしたっけ?何でだろう、あまりよく覚えてないな」
そう、なのかな?本を読もうとしていたから、片手には当然本を持っていて、カフェラテは1つしか持てない。
いくらフィーゼにと言っても、自分が持てないほど買うはずは———と、意識はぼんやりとしていながらも、頭の中は冷静にそんなことを考えていた。
「少し、疲れているのでは?なおさら早くお部屋に———」
「いえ、本当に大丈夫ですから」
「でも、冷める前にフィーゼに届けてあげたほうが良いのでは?」
「———あぁ、それも、そう、ですね」
頭の中の疑問を表に出すことはせず、隣の彼の適当な言葉をうんうんと頷きながら受け入れていた、そんな時だった。
「あれ?キーユさん、手袋が———」
「ぇ…?」
ふと目に入ったキーユの右手。彼はいつも両手に手袋をしているのだ。まるで執事に戻った時のフィーゼのように。その白い手袋の右親指の所が、見事に真紅に塗り潰されているのに気がついた。
「———っ!?」
キーユは焦る思いとは裏腹に、涼しい顔を全く崩すことなくスッと背後へ手を隠す。
「まさか怪我を?!いや、でもいつ?どこで———?
すみません、今まで全然気づかなくて…」
少年の明らかに怪しい行動が気にはなったが、それよりも———。
そこまで大胆に赤く染まっていては、平気でいられるはずがないのはずだ。そんなこと、どんなに他人の感情の移り変わりに疎い自分でもわかった。それなのにこの人は、苦悶の表情を見せるどころか、微笑んで見せるものだから、思わず勘違いしてしまいそうになる。本当に大丈夫なのではないかと錯覚してしまいそうになる。
「いぇ、全然大したことでは…。こんなの、怪我の内にも入りませんから」
声を出しながらキーユは自覚する。痛みに引っ張られて若干息が上がってしまっていることに。そして密かに一つ息を漏らした。
(はぁ、ったく、見せしめか?傷はいくら付けても構わない。だが頼む。どうか簡単には彼女に見えない所にしてくれ)
嫌な汗も滲み出す中、心の中でただ祈った。隠した手は燃え上がる程の激痛を帯びていた。それをグッと奥歯を噛み締めることで必死にやり逃す。
「見せてください、キーユさん。早く手当しないと」
「アハハ、大袈裟ですよ。これくらい大丈夫。放っておけばすぐ治———」
「何言ってるんですか?!ダメです、絶対!」
「———っ」
普段大人しいシンシアが珍しく声を荒らげ、呆気に取られてしまう。
「あ、ごめんなさい、大きな声出して。でもお願いです、見せてください」
終始シンシアに圧倒されるままにキーユは渋々右手を前に出した。
こんなに血がっ———?!と、ことの有り様をまじまじと見て少女の顔は次第に顔色は青ざめていく。
落ち着いてください、本当に大丈夫ですから、と、途端に表情を歪める彼女を必死に宥める。
これはただ、力を正しく使わなかった代償。今回は親指の一本ですんで良かったと言ったところか。嗚呼、だが参ったな。これではもぅ指が鳴らせないと、まるで他人ごとのように冷静にそんなことを考えていた。
「キーユさん、恐れ入りますが、私が良いと言うまで少し目を閉じていてくださいませんか?」
はぇ?と、彼女の言葉に声にならない声が漏れる。
あれ、この台詞、さっき僕がそっくりそのままお嬢様に言ったような…?と、先ほどの自分が彼女に対してした発言を思い出していた。
だが、おかしい。彼女はさっきのことは覚えていないはずなのに———。キーユは不思議そうにゆっくりとシンシアを見上げる。
「お願いします、すぐ終わりますから。これは…そう、おま———」
「フフッ、おまじないでもかけてくださるのですか?」
「っ?!」
言わんとしたことが先に言い当てられてしまって、目を丸くして押し黙る少女。冗談で言ってみたことが当たってしまい、気まずそうに目を逸らすキーユ。
2人の間には奇妙な空気が流れる。
「これは、その、はい。い、痛みを取る、 “ おまじない ” です」
キーユの言葉を気にしていながらも、あたかも気にしていないような素ぶりを懸命に装いながら、平静に、しかしたどたどしく言葉を紡ぐシンシア。
「あぁ、なるほど…。優しく、お願いしますね」
そんな彼女が可愛らしくて少し戯けたように言うと、それ以上は何も聞かずにそのまま目を閉じた。
そんな彼の様子にホッとして、
「はい、もちろん。痛くも痒くもありません。何も恐れることはありませんよ」
そう囁くように優しく声をかける少女。首から下げていたペンダントを、そっと制服の内側から取り出す。そのトップには、公国で唯一採掘される秘宝、
「…。」
風の神様、どうかお願いです。この方の痛みを、傷を、全て取り除いて差し上げてくださいと、静かに目を閉じて笛をキュッと握る両手に力がこもる。
以前この方に助けていただいたのです。そのご恩を、ここで返したいのです。だからどうか、力をお貸しください———。
シンシアは、どうか鳴りますようにと強く願った。そしてゆっくりと目を開けると、静かに息を吹き込んだ。
すると、
「〜♪」
綺麗な音色が優しく鳴り響く。以前図書館でも鳴った、あの音だ。
「…っ?!」
(何だ?この音———)
キーユは突然聞こえた優しい音に、思わず目を開けてしまいそうになる衝動をグッと抑える。
すると音に導かれるかのように、何処からか風が吹き、キーユの手を優しく包むのだった。
暖かい…。これは、“カゼ ” ———?キーユは違和感を覚える手に、目の前の少女には気付かれない程度に微かに目を開く。
あんなにも燃え上がるほどの激痛が、風に吹き消されて行くかのように、瞬く間に消え失せて行く…。
(癒しの風…?けどこれは、以前彼女が施してくださったような、一般に使われる魔法と呼ばれる類の力をも遥かに凌ぐもの。ただの魔法ではこんなにも迅速に、完璧に、こんな激痛は消せはしまい。
まさかこれが
キーユは今起こっている奇怪な現象を、戸惑いながらも冷静に頭の中で分析するのだった。
少しして風は治まり、笛の光も音も消えていた。
「キーユさん、…キーユさん?もぅ目を開けても大丈夫ですよ?」
「…。」
シンシアがトントンっと彼の肩を叩き、キーユはゆっくり目を開けた。
「…いかがですか?手、まだ痛みますか?笛が鳴ってくれたから、きっと血は止まったと思うんですが」
ふえ?と首をかしげる少年に、
「あ、いぇ、なんでもありません!」
シンシアは慌ててそっぽを向いた。
「フフッ、もぅ大丈夫です。一つ聞きたいんですが、コレ、は?」
ふと手元を見ると、赤く染まった親指のところに、手袋の上からハンカチが巻かれていた。
「おまじないを込めました。痛くなくなったら外してください。
不恰好で申し訳ないです。部屋に戻られたらケルティさんに巻き直してもらってください」
「っ、ありがとうございます」
手袋がここだけ赤いと他人の目からは異様に映るだろう。だから目隠しにとハンカチを?
嗚呼、本当に貴女という人は———
少年は心がぽわぽわと温かい何かに包まれていくのがわかった。
「本当にお優しいのですね」
「え…?」
キーユの心の声は、ポツリと外に漏れ出していた。
「あ、いぇ、なんでもありません。そう言えば目を閉じている時、優しい笛の音が聞こえた気がしたのですが、それですか?」
しまい忘れていたのであろう、彼女の胸元で揺れる氷翠石の笛を指差した。
「え?…ぁ、コレは———」
何でもありませんと、シンシアは慌てて笛を両手で包み込むが時すでに遅し。もうすでに見られてしまった後なので、今さら隠しても仕方がないことではあった。
「コレは、鳴らないので…」
鳴らない?と少年は首をかしげる。とは言っても、先ほど確かに笛の音が聞こえた。近くで他の誰かが鳴らした別物だったとは思えない。
「コレは笛の形をしていますが、この通りで———」
シンシアが試しに笛に息を吹き込んでみると、
【プス———】っと、ただ息が抜ける音しかしない。
「…ね?石でできてるからか、鳴らないんです」
「そう、ですか…」
イェティスが好きな色だったから、きっとあれはそうなのかと思ったが———。
なら、さっき聞こえた美しい音色は何だったんだ?と、キーユはただただ首をかしげる。
「キーユさんに聞こえたのは、きっと、鳥の
目の前の少女は少し戯けたようにへへへっと答える。
鳥の囀り…。少年は顎の下あたりに拳を当てて少し考える素ぶりをしてから、
…あぁ、なるほど、ではそうかも知れませんね。と、フワッと笑って見せた。
とても優しい、心地良い音が聞こえたのですが。シンシアさんにも聞こえましたか?と続ける。
さ、さぁ、どうだったでしょう…。と、わざとらしく首をかしげるのその人。
私はハンカチを巻くのに夢中だったから、よく聞いてませんでしたと力無く笑った。
懸命に誤魔化したくて、でもそれが早口という裏目に出ながら、必死に言葉を紡ぎむ彼女。
そんな姿に、フフッ、相変わらず嘘が下手なお方だ…。と、小さく息だけが漏れた。嘘をつかれるのもそうだが、つくのはもっと苦手な方———。
そう微笑ながら目の前の少女をただ見つめていた。
「やっぱり貴女は、誰よりもお優しい…」
そんな言葉が、またキーユの口から思わず溢れ出ていた。
何かおっしゃいましたか?とキーユを見つめる少女に、。
「いいえ、何も。きっと鳥の囀りかなにか聞こえたのでしょう」
戯けながらキーユがフワッと微笑むと、
先ほどの自分の物言いをそっくりそのまま返されてしまったシンシアは、照れ臭そうに目を逸らした。
「…さて、そろそろ部屋へ戻りましょうか。風が冷たくなってきました」
「そうですね。そろそろ戻りましょう」
そう言って2人は部屋へ戻って行ったのだった。
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