第4章-時の太子と風の公女-

第15話ーいちょう並木の下でー

 ——季節は秋。


 学園内の木々が、色とりどりに紅葉する、そんな今日この頃だ。仮面舞踏会が終わって3日が過ぎようとしていた。 シンシアは図書館にキーユがいないことを確かめると、この日は気分を変えて外で本を読もうと、学園の中庭にあるカフェテラスへ向かっていた。


「うわぁ、綺麗…」


 途中、黄金に輝くいちょう並木が出迎える。時々ひらひらと風に乗って舞い降りるそれが、いつぞや図書館で見た蝶々を思い出させる。


「まるでの髪の色みたい」


 思わず口にしてしまった。だがその瞬間どこか寂しい気持ちになる。最近になって特にその機会が増えたように思う。今や思い出すこともできない遠い記憶の片隅に見え隠れする面影。

 フィーゼが従者として自分の前に現れる前に、一緒にかくれんぼをして遊んでくれたその人。心の底でははっきりと覚えているのだろうが頭で確信が持てない。それなのにもはや癖のように口にしてしまう自分自身に少女は思わず苦笑した。


「本当に美しいですね」


「ふぇっ?!」


 突然声がして少女は声にもならない声を上げて慌てて振り返った。


「お、皇子殿下っ?!」


「おぅっ———!!」


 突然シンシアに声をかけたその人は大慌てでシーっと自分の口の前に指を一本立てた。


「あ、ごめんなさい!つい…」


 そうだった。彼が帝国の皇子殿下っていうのはトップシークレットだったと、シンシアは慌てて自分の口を手で塞ぐのだった。最近不覚にも知ってしまった彼の大きな秘密。クラスの誰も知らない、自分だけが知る事実。それが自然と心を温かく満たしていた。

 そんな皇子殿下ことキーユその人は、今日も従者も誰も連れずに、無防備に1人、静かにいちょうを眺めていたのだった。


「それにしてもキーユさんはどうしてここに?」


 首をかしげる少女の問いに、



「とても綺麗だったので」



 そう一言だけ返って来た。


 言葉も視線もあまりにも真っ直ぐだったから、目が離せなくなる。心臓が無駄に張り切って仕事をしてしまう。

 けど、違う。彼の言葉が向けられた対象は———。

 

「ぁ、あぁ!そうですよね。ここのいちょう並木、毎年とっても綺麗なんですよ!私も思わず見とれちゃって」


 どこかに飛んでいきそうになっていた思考を急いで現実に引き戻すシンシア。


「えぇ、僕も見とれていました。いつ声をかけようかと、迷うくらいに」


「…え?」


 意味深にも聞こえた声に振り返った先に見えた彼の顔は、柔らかく微笑んでいた。


 そんな彼の髪の色も、思えばこのいちょうみたいに綺麗な黄金色だ。風に揺れてますますキラキラして見える。まるで行き場をなくしたモノを優しく導いてくれる光みたいに———。


 シンシアはただぼーっとキーユに目を奪われるのだった。


「…さん、シンシアさん?」


「っ!?…は、はい!!」 


「大丈夫、ですか?ご気分が優れませんか?」


「大丈夫です!…あ、」


「?」


 我に帰ったシンシアはキーユを見て一瞬止まる。そんな彼女にキーユは首をかしげた。


「キーユさん、ちょっと失礼します…」


「は、はい」


 シンシアは背伸びをして手を伸ばすが少し届かないようだ。キーユはその行動の真意がわからずただじっと、この目の前の可愛い人に見惚れるだけだけのキーユ。


「あの、すみません、少しかがんでいただけますか?」


「…っ、はい。こう、ですか?」


 キーユはシンシアの前にスッと跪き彼女を上目遣いに見る。不意に吹いた風が目の前の少年の前髪を舞い上がらせ、顔全体を無防備に晒した。


(あれ?左眼———)


 ふと、いつも前髪で隠れて見えなかったキーユの左眼があらわとなり、その違和感に気付くシンシア。彼の左眼はまるで何かに抉られたかのような、見るに耐えない深い傷が刻まれていた。気付けば吸い込まれるようにそこから目が離せなくなっていた。


「シンシアさん?」


「っ、あ、すみません」


 キーユの声で我に帰ったシンシアは慌てて彼の髪に引っかかっていた、いちょうの葉を取ってやった。


「…これ、ついてたので」


「———っ、ありがとうございます。取ってくださって」


 お礼を言ったキーユは、そのまま手を差し出し、それにまるで導かれるように、少女は何の疑いもなくそこに小さなやわい手を重ねた。


「ん?」


「ん?」


 思ってたのと違う行動に戸惑うキーユ。そしてなぜ手を差し伸べられたのか、その行動の意図が見えないシンシア。その二人の視線が交差する。


「シンシアさん、いちょうの葉それ、僕にいただけませんか?」


「ぇ———っ?!」


(そ、そういうこと?!だから手を?ぇ、バカなの?私。いつものクセで思わず自分の手を———) 


 キーユの言葉で全てを理解したシンシアは、慌てて手を引っ込めた。そして一人恥ずかしさで消えて無くなってしまいたくなるほどに項垂れていた。


「でも、こんなの他にもいっぱいありますし。ほら、今も落ちてきて——」



「僕は、がいいです。…それが、ほしい」



 キーユはまっすぐシンシアを見据えてそう告げた。

 ダメですか?と伺うように言う彼の顔はどこかか弱い子犬のように見えて、少女の心のどこかでキュンっという音が鳴ったのが聞こえた。


「もちろんです。どうぞ」


(なにかこの葉にこだわりでもあるのだろうか?)


 シンシアはキーユの言葉に首をかしげながらも、今度こそその手に、いちょうの葉をちょこんと乗せてやるのだった。


「うわぁ、ありがとうございます」


 キーユはそれを見てとても嬉しそうに、愛おしそうに微笑む。


「…。」


(キーユさん、今すごく優しい顔してる。絵に描いて残しておきたいくらいに)


 シンシアは不意に見せた極上に穏やかな表情を見せるキーユに、静かに胸を高鳴らせていた。それからキーユは受け取ったいちょうの葉を脇に抱えていた本に挟む。


しおりにするのですか?」


「こうしておけば、今日この時をそのままおけますから」


「??」


 彼の言葉の意味はよく分からなかったが、それ以上は追求しなかった。


「ぁ、その本」


 胃腸の歯を挟んでパタンと閉じられた本に書かれた題名がたまたま目に入った。


「ご存知なのですか?」


「はい!幼い頃一緒に読んだことが——」


 あれ、でも誰と読んだんだっけ…?お婆さま?

 不思議だ。キーユさんと一緒にいると、覚えていないはずの昔のことが断片的にだけど蘇ってくる。あの人の、ことも———。

 胸に手を添えて、閉ざされた昔の記憶の欠片にまたそっと触れるのだった。


「…シンシアさん、どうかされましたか?」


「ぁ、いぇ、何でもありません…」


 ボーッと動かなくなる彼女に心配そうに声をかけるキーユ。シンシアは慌てて首を横に振るのだった。


 それから2人は近くのカフェテラスで飲み物を買って、ベンチに腰掛けた。


「そういえばキーユさん、お身体はもぅ大丈夫なのですか?」


「ぇ?…あぁ、はい。さすがにもうアルコールも抜けましたから。すみません、お見苦しい姿を見せてしまって…」


 シンシアは仮面舞踏会でキーユが体調を崩してしまったことを気にかけていた。


「あの時は助かりました。私の代わりに飲んでくださったのでしょう?あのワイン。本当に、ありがとうございました」


「そんな礼など…。貴女はまだ成人して間もない。きっと酒に慣れていないと思ったんです。フィーゼだって進んで貴女に酒を飲もせるようなことはしないでしょうから。だから貴女のドリンクを取りに行っていたのでしょう?給仕係が配っていたのはワインばかりでしたから」


「…そんなところまで見ていらっしゃったのですか?」


 給仕係からワインを受け取る前、フィーゼがドリンクを取りにその場を離れたことを思い出していた。それを遠くからキーユは見ていたらしい。


「…」


(一体いつから、キーユさんは私に気づいていたのだろう?)


 確かに仮面をしていたはずなのにと、シンシアは言葉を外には出さないものの隣に座る少年を不思議そうに見据えるのだった。


「あれからフォード卿は?もぅ貴女にちょっかいは出していませんか?」


「はい…。幸か不幸か、私を避けてくださるようになりました」


「ハハハ、それならよかった」


 笑いながら、安心したようにホッと息をつくキーユ。


「あの時、一体彼に何を?」


 ずっと気になっていたことを口にしたシンシアに、キーユはフッと小さく口角を上げてこう口にした。



「身の程をお教えしたまでです」



 その声は普段にも増して低く冷たく鼓膜を震わせた。


「貴女は公女殿下ですから、いくら仮面を付けていようが軽んじた扱いを受けることは絶対に許されません。伯爵風情がそう易々と手を出していいお方ではない」


「———私はそんな、誰かに敬われるような立派な存在ではありません」


 シンシアは少し照れくさそうにそして少し困ったように、手持ち無沙汰に先ほど買ってきたカフェラテを口にする。きっと謙遜からの言葉だろうが、少し寂しく聞こえてしまうキーユ。


「キーユさんは召し上がらないのですか?カフェラテ。早く飲まないと冷めてしまいますよ?

  …あ、もしかしてこういうの苦手でした?私に付き合って買わせてしまったならすみません!私、今すぐブラック買い直して来ま———」


「お待ちください!シンシアさん」


 慌てて店に戻ろうとするシンシアの腕を、キーユは咄嗟にパッと掴んだ。


「大丈夫ですから、落ち着いてください。ただ、その…、


 “ が、よくわからなくて ” 」


「ぇ?」


 その一言でやっと動きを止めて、シンシアはまたキーユの隣にゆっくりと腰を下ろした。


「でもあの時、仮面舞踏会の時はワインが甘過ぎるって———。まさかあの後からってことですか?」


「ぇ?!…ぁ〜、えっと、」


 たどたどしく言葉を探しながら、そうだ、彼女は意外と鋭かったんだった…と重要なことを思い出す。ポロッと漏らしてしまった一言に詰められることになり、キーユは表情を少し歪ませる。


「やっぱりアレはだったってことですか?もしかしてそれで舌が痺れて———」


「毒っ?!…あ、いや、」


 しまった、完全に墓穴掘った…と、頭で汗が噴き出るのに気づかないふりをしながら、あからさまに彼女から目を逸らす。


「やっぱり酔われてたんじゃなかったんですね?

 そんな…、どうしよう、私のせいで———」


「待ってください、決して貴女のせいでは…、」


(まいったな、どうすれば…)


 ため息混じりに焦るキーユの前で、少女の表情は途端に苦しそうに歪んでいく。

 彼女にそう言う顔をさせたくなくて精一杯振る舞ってたつもりが、たった一言の失言で全て水の泡となってしまうなんて———。自分の失態にクソ!と静かに拳を握る。

 こうなったら致し方ないかと、意を決したキーユはそっとシンシアに向き直った。


「シンシアさん、少しだけ目を閉じていてもらえませんか?少しだけ、僕が良いと言うまで。大丈夫、何も怖くありません。ほんの一瞬です」


「別に構いませんけど、一体何を?」


 急にどうしたのかと目をパチクリさせるシンシア。


「少しだけ、を掛けるだけです」


「おまじない…?ではなく?」


 まさか彼の口からそんな可愛い言葉が出てくるなんて…と思いもよらなかった意外な発言に笑みがこぼれてしまっていた。


 とは、生まれながらに魔力を持ったものが扱える、地水火風、四大元素を元とした力を操る能力のことだ。

 この世界ではほとんどの人間、特に爵位も持たない、貴族ではない一般庶民は、ほぼほぼ魔力を持っていないため、魔法を扱えるのは身分の高い者、その中でも生まれつき魔力を持ったものに限られている。

 とは、絵本などで出てくる、を指して使われる言葉だ。魔力を持たず、魔法を知らない、扱えない人たちがイメージしやすいように、子供にも理解しやすいようにと、多くは絵本などでよく記される呼び方だった。


「そう、これは魔法ではなくおまじないです。ご安心ください。痛くも痒くもありません。ただシンシアさんの苦しみを取り除くためのもの」


「苦しみを、取り除く…??」


「また目を開けたら、貴女の苦しみは全て取り除かれていますから。だから、何も恐れることはありません」


 シンシアはキーユの言葉をよく理解できないながらも、ただ言われるがままに目を閉じた。それを見届けたキーユはひとつ息をつく。


「っ…。」


(キーユさんは一体何を言っているのだろう?そして一体何をしようとしているのだろう?)


 視界が消えた中、彼の言動に若干の不安や疑念を抱きながらもそのまま身を任せる。

 そんなシンシアを目の前に、顎のあたりに拳を添えて難しい顔を浮かべるキーユ。


(さて、どの “ 時間を ” か?

 

 さっき僕が失言した3分前?…いや、違う。仮面舞踏会の日、そもそも僕とお嬢様が会っていないことにすれば?


 …それは嫌だ。


 一緒に踊る約束をした。結局踊れなかったけど、そもそもの約束を破ったことにはしたくない。ならどうする———?)


 頭の中で必死に自問自答を繰り広げたのち、とうとうたどり着いた答えでキーユは


“パチンッ!”


 と一つ、指を鳴らすのだった。


(申し訳ございませんお嬢様。これは完全に僕の我儘です…。罰は甘んじて受けますから、どうぞ恨まないでください)


 罪悪感を抱きながらも、表情を立て直し、トントンっとその肩を叩いた。それにつられてシンシアはゆっくり目を開けたのだった。

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