第4章-時の太子と風の公女-

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——季節は秋。


 学園内の木々が、色とりどりに紅葉する、そんな今日この頃だ。仮面舞踏会が終わって、3日が過ぎようとしていた。 シンシアは図書館にキーユがいないことを確かめると、今日は気分を変えて外で本を読もうと、学園の中庭にあるカフェテラスへ向かっていた。


「うわぁ、綺麗…」


 途中、黄金に輝くいちょう並木が彼女を出迎える。


「フフッ、まるで、の髪の色みたい。…って、私ったらまた、誰のことを言ってるんだろう?」


 遠い記憶の片隅に見え隠れする、あの人。心の底では覚えているのだろうが、確信がない。シンシアはいつもの口癖に苦笑するのだった。


「美しいですね」


「ふぇっ?!」


 ふと、声がしてシンシアは慌てて振り返った。


「お、皇子殿下っ?!」


「おぅっ———!!」


 シンシアに声をかけた相手は大慌てでシンシアに向けて自分の口の前に指を一本立てた。


「…あ、ごめんなさい!つい」


(この人が帝国の皇子殿下っていうのはトップシークレットだった…)


 シンシアは心の中でそういうと慌てて自分の口を手で覆うのだった。 


 そこにいたのはキーユで、従者も連れずに1人静かにいちょうを眺めていたのだった。


「それにしてもキーユさんはどうしてここに??」


「いやぁ、とても綺麗だったので」


「ぇ…っ、ぁ、あぁ!そうですよね。ここのいちょう並木、毎年とっても綺麗なんですよ!私も思わず見とれちゃって」


「僕も見とれていました。いつ声をかけようかと、迷うくらいに」


「…え?」


 振り返って見たキーユの顔は柔らかく微笑んでいた。


「…。」


(そう言えばキーユさんの髪の色も、このいちょうみたいに綺麗な黄金色…。風に揺れてますますキラキラして見える。優しく導いてくれる光みたいに…)


 シンシアは心の中で呟きながら、ただぼーっとキーユを眺めるのだった。


「…さん、シンシアさん?」


「っ!?…は、はい!!」 


「大丈夫、ですか?ご気分が優れませんか?」


「大丈夫です!…あ、」


「?」


 シンシアはキーユを見て一瞬止まる。そんな彼女にキーユは首をかしげた。


「キーユさん、ちょっと失礼します…」


「は、はい」


 そう言うとシンシアは背伸びをして、手を伸ばすが、少し届かないようだ。


「キーユさん、すみません、少しかがんでいただけますか?」


「…っ、はい。こう、ですか?」


 キーユはシンシアの前に跪き、スッと彼女を上目遣いに見る。不意に吹いた風が、キーユの前髪を舞い上がらせ、顔全体を無防備に晒した。


「…。」


(あれ? 左眼…、)


 ふと、いつも前髪で隠れて見えなかったキーユの左眼があらわとなり、その違和感に気付くシンシア。


「シンシアさん?」


「っ、あ、すみませんっ」


 キーユの声で我に帰ったシンシアは、慌てて彼の髪についていた、いちょうの葉を取ってやった。


「…これ、ついてたので」


「あぁ、ありがとうございます。取ってくださって」


 お礼を言ったキーユは、そのまま手を差し出し、シンシアはまるで導かれるように何の疑いもなくそこに自分の手を重ねた。


「ん?」


「ん?」


 思ってたのと違う彼女の行動に戸惑うキーユ。そしてなぜ手を差し伸べられたのか、その行動の意図が見えないシンシア。その二人の視線が混ざり合う。


「シンシアさん、いちょうの葉それ、僕にいただけませんか?」


「ぇ?———っ?!」


(そ、そういうこと?!だから手を? バカなの?私、いつものクセで思わず自分の手を———) 


 キーユの一言でシンシアは慌てて手を引っ込めた。そして一人恥ずかしさで項垂れていた。


「ぁ、でも、こんなの他にもいっぱいありますし。ほら、今も落ちてきて——、」



「僕は、がいいです。…それが、ほしい」



「…っ、」


 キーユはまっすぐシンシアを見据えてそう告げた。


「えぇ、もちろん。どうぞ」


(なにかこの葉にこだわりでもあるのだろうか?)


 シンシアはキーユの言葉に首をかしげながらも、今度こそその手に、いちょうの葉をちょこんと乗せてやるのだった。


「うわぁ、ありがとうございます」


 キーユはそれを見てとても嬉しそうに、愛おしそうに微笑む。


「…。」


(キーユさん、今すごく優しい顔してる。絵に描いて残しておきたいくらいに)


 シンシアは不意に見せた極上に穏やかな表情を見せるキーユに、静かに胸を高鳴らせていた。それからキーユは受け取ったいちょうの葉を脇に抱えていた本に挟む。


しおりにするのですか?」


「えぇ。こうしておけば、今日この時をそのままおけますから」


「??」


 シンシアには彼の言葉の意味はよく分からなかったが、それ以上追求はしなかった。


「ぁ、その本、」


「ご存知なのですか?」


「はい!幼い頃読んだことが——」


(あれ、でも、誰かと一緒に読んでた気がする…。でも誰と?お婆さま、かな?不思議だ。キーユさんと一緒にいると、覚えていないはずの昔のことが断片的にだけど蘇ってくる)


 シンシアは心の中でそう言いながら、また閉ざされた昔の記憶のかけらに思いを馳せるのだった。


「…シンシアさん?どうかされましたか?」


「っ、ぁ、いぇ、何でもありません…」


 それから2人は近くのカフェテラスでカフェラテを買って、ベンチに腰掛けた。


「そういえばキーユさん、お身体はもぅ大丈夫なのですか?」


「ぇ?…あぁ、はい、さすがにもうアルコールも抜けましたから。すみません、お見苦しい姿を見せてしまって…」


 シンシアは仮面舞踏会でキーユが体調を崩してしまったことを心配していた。


「いぇ、あの時は助かりました。私の代わりに、飲んでくださったのでしょう?あのワイン。本当に、ありがとうございました」


「そんな、礼など…。貴女はまだ成人して間もない。きっと酒にも慣れていないと思ったんです。フィーゼだって進んで貴女に酒を飲もせるようなことはしないでしょうから。だから貴女のドリンクを取りに行っていたのでしょう?給仕係が配っていたのはワインばかりでしたから」


「…そんなところまで見ていらっしゃったのですか?」


 シンシアは給仕係からワインを受け取る前、フィーゼがドリンクを取りにその場を離れたことを思い出していた。


「…」


(一体いつから、キーユさんは私に気づいていたのだろう?)


シンシアはその言葉を外には出さず心に留めたのだった。


「あれからフォード卿は?もぅ貴女にちょっかいは出していませんか?」


「はい…、幸か不幸か、私を避けてくださるようになりました」


「ハハハ、それならよかった」


「あの時、一体彼に何を?」



「身の程をお教えしたまでです」



「え?」


そう言ったキーユの声は普段にも増して低く冷たくシンシアには感じた。


「貴女は公女殿下ですから、幾ら仮面を付けていようが、軽んじた扱いを受けることは絶対に許されません。伯爵風情がそう易々と手を出していいお方ではないのです」


「…っ、私はそんな、誰かに敬われるような立派な存在ではありません」


 シンシアは少し照れくさそうにそして少し困ったように、手持ち無沙汰にカフェラテを口にする。彼女なりの謙遜を彼女の可愛らしさと受け止めながら、キーユは優しい笑みで見つめるのだった。


「キーユさんは召し上がらないのですか?カフェラテ。早く飲まないと冷めてしまいますよ? …あ、もしかしてこういうの、苦手でした?私に付き合って買ってくださってたならすみません!私、今すぐブラック買い直して来ま———」


「お待ちください、シンシアさん、」


 慌てて店に戻ろうとするシンシアの腕を、キーユは咄嗟に掴んだ。


「大丈夫ですから、落ち着いてください。


 ただ僕は…、その、


 “ が、よく分からなくて ” 」


「…ぇ?」


 シンシアはその一言で、やっと動きを止めて、またキーユの隣りに座った。


「でも、あの時、仮面舞踏会の時はワインが甘過ぎるって、

 …まさか、あの後からってことですか?」


「ぇ?!…ぁ〜、えっと、」


(そうだ、彼女は意外と鋭かったんだった…)


ポロッと漏らした一言に詰められるキーユ。心の中でそう溢した。


「やっぱりアレはだったってことですか?だから、もしかして舌が痺れて———、」


「毒っ?!…あ、いや———」


(しまった、完全に墓穴掘った…)


 キーユは頭で汗が噴き出るのに気づかないふりをしながら、あからさまにシンシアから目を逸らした。


「やっぱり、酔われてたんじゃなかったんですね? そんな…、どうしよう、私のせいで———」


「待ってください!決して貴女のせいでは…、」


(まいったな、どうすれば…)


 焦るキーユの前で、シンシアの表情は途端に苦しそうに歪んでいく。


「…。」


(ったく、何やってるんだ僕は。彼女にそう言う顔をさせたくなくて、精一杯振る舞ってたつもりだったんだが。あー、ここで全て水の泡なんて…、クッソ、やらかした…)


 キーユは眉間に皺を寄せて、さきほど自分が口にした一言を悔いる。


「…。」


(こうなったら、 今は致し方ない、か)


 意を決したキーユはそっとシンシアに向き直った。


「シンシアさん、少しだけ、目を閉じててもらえませんか?少しだけ、僕が良いと言うまでです。大丈夫、何も怖くはありません。ほんの一瞬ですから」


「別に構いませんけど、一体何を…?」


 急にどうしたのかと目をパチクリさせるシンシア。


「少しだけ、を掛けるだけです」


「おまじない…?ではなく?」


(キーユさんの口から、そんな可愛い言葉が出てくるなんて…)


シンシアは心の中で囁きながら彼の口から出た意外な言葉に小さく笑った。


 この世界ではほとんどの人間、特に爵位も持たない、貴族ではない一般庶民は、ほぼほぼ魔力を持っていないのだ。魔力を持った者は地水火風、四大元素を元とした力を操る能力を、多かれ少なかれ持っている。それは一般的には広くと呼ばれている。とは、絵本などで出てくる魔法によく似たものを刺して使われる言葉だ。魔力を持たず、魔法を知らない、扱えない人たちがイメージしやすいように、子供にも理解しやすいようにと、多くは絵本などでよく出てくる呼び方だった。


「そう、これは魔法ではなくおまじないです。でもご安心ください。痛くも痒くもありません。ただシンシアさんの苦しみを取り除いてくれるもの」


「苦しみを、取り除く…??」


「大丈夫。また目を開けた時、貴女の苦しみは全て取り除かれていますから…」


 シンシアはキーユの言葉をよく理解できないながらも、ただ言われるがままに目を閉じた。それを見届けたキーユは彼女の額のあたりに手をかざす。


「っ…。」


(キーユさんは一体何を言いているんだろう?そして一体何をしようとしているの?)


 キーユの言動に若干不安や疑念を抱きながらもシンシアはそのまま彼に身を任せる。


「…。」


(さて、どの“ 時間を ” か…?さっき僕が失言した3分前?…いや、違う。仮面舞踏会の日、そもそも僕とお嬢様が会っていないことにすれば?


 …っ、


 それは“ 嫌だ ” 。一緒に踊る約束をした。結局踊れなかったけど、約束を破るようなことはしたくない。なら、どうする———?)


 頭の中で必死に自問自答を繰り広げたのち、たどり着いた答えでキーユは


“パチンッ”


 と一つ、指を鳴らすのだった。


(申し訳ございませんお嬢様。これは完全に僕の我儘です…。

 

 罰は甘んじて受けますから、どうぞ恨まないでください)


 それからキーユはトントンっと優しくシンシアの肩を叩き、それにつられてシンシアはゆっくり目を開けた。

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