第14話ー優しい嘘ー
「失礼ながらお嬢様は我が主とどういったご関係なのでしょうか?」
どうって…、と、ケルティの言葉に戸惑いながら、
「お、お友達、です」
とシンシアは懸命に言葉を選びながら話す。
「お部屋に連れ込むほどの、ですか?」
ケルティの思いもよらない言葉に、ぇ?!と目を丸くして固まってしまう主を見て、
「おいっ!」
と眉間に皺を寄せたフィーゼが低い声で声を上げる。
いい加減調子に乗るなと言いたげに目の前のケルティを牽制した。
そんな従者の傍で、連れ込むだなんて、そんなこと———と、言い淀む少女。
俯いて膝の上に置いた手でスカートをキュッと握る主。その目は宙を泳いで定まらない様子だ。それを居た堪れなく見つめる従者。
「はぁ、いい加減口を謹んでいただきたい。このお方はこの国の———」
と、ため息混じりに言いかけるが、
「公女殿下、なのでしょう?そんなこと言われずともよく存じ上げておりますとも」
とケルティに遮られてしまう。
「それなら———」
「そんな高貴なお方が、部屋に男を連れ込んで、破廉恥だとは思わないのですか?知らなかったとはいえ、相手は帝国の皇子殿下だったのですよ?」
「———っ、」
シンシアはまだ頭が上げられない。
「お前、ホントにいい加減にしろよ?!」
「それとも、公女殿下なら何をしても許されるとでも?」
「黙れっ!!
さっきから聞いてりゃ無礼にもほどがある!
帝国の皇族だからと調子に乗りやがって。ウチの主だって、このクリミナードの公女殿下、姫君なんだぞ?!」
とうとうフィーゼは我慢できなくなり、主の代わりに声を荒らげた。
「ちょっ、やめなさい、フィーゼ」
慌ててフィーゼを制するシンシア。
もぅ、ホントやめて!姫だなんて…、そんな、恥ずかしいでしょうが!普段絶対そんなこと言わないクセに…と、従者から飛び出した聞き慣れない言葉に慌てふためく。その顔を恥ずかしさのあまり火が出るのではないかと言うくらい真っ赤に染まっていた。
「全く、よく吼える番犬だこと」
「んだと?!お望みとあらば噛みついてやってもいいんだぞ?」
売り言葉に買い言葉と言ったところか。フィーゼは腕組みしながら、なおもケルティを睨み付け、わざと歯が見えるように口だけニカッと口角だけ上げて見せる。
「オマケに口も悪いときた。一体どんな教育をされていらっしゃるのやら」
「っ、」
ケルティの言葉に相変わらずケロッとしている従者の代わりに主の方が気まずそうに肩をすくめる。
「それならお前こそ。
上の者への口の利き方を、主に、帝国の皇子殿下に教わらなかったのか?それとも、帝国人というだけで、例えその身が従者であっても、従属国への態度はそんなんで許されるとでもいいたいのか?!」
主を侮辱され、怒りが頂点に達しようとしているフィーゼを、もぅやめなさいと懸命に制するシンシア。
「申し訳ございません。これまでの我が従者の非礼の数々、深くお詫び致します」
と頭を下げるのだった。
「お嬢…、」
なぜあなたがそこまで、と、自分の代わりに主に謝罪させてしまうことへの罪悪感と不甲斐なさが混在してモヤモヤして目を伏せるフィーゼ。
「しかしながら、」
まだ言葉を続けようとする主に、ピクッと反応する。
「彼を、我が従者を悪く言うことだけはおやめください」
そう真っ直ぐ冷静にケルティに言葉を返している主を目の当たりにして、少年の心の中にじんわりと暖かいものが広がっていく。
「私のことはいくら
けど、あなたの主を私の部屋へ招待したのは、他ならぬ私です。私が勝手にしたこと。我が従者には何の非もありません。ですから———」
「…っ」
ケルティは懸命に訴えかけるシンシアに怪訝そうな顔をしてスッと目を逸らして押し黙ったのだった。
「申し訳ございませんでした。あなたの大切な主を、私は———。それだけのことを言われるのは、主のことをとても大切にされていることの裏返し、なのでしょう?あなたは彼が、主のことが大好きなんですね」
「は?」
この人は一体何を言っているのだろう?と、予想外の言葉が飛び出してきたことにケルティは少し頬を赤らめながら戸惑う。
「それなのに…、申し訳ありませんでした。この通りです、どうかお許しください」
シンシアは深々と頭を下げる。
「お嬢っ!」
もうやめてくれ、貴女が謝ることじゃないと、心苦しく少女を見つめることしかできない従者。
こんなに近くにいるのに、さっきから護るどころか護られている。迷惑ばかりかけている…。一体自分は何のためにここにいるのかとやるせなくこぶしを握る。手のひらには爪がグッと食い込むほどに。
「おわかりいただけたのなら何よりです。それでは金輪際、我が主とは関わらないでいただけますね?」
「ぇ、…それは———、」
圧が強いケルティの念押しに、答えに迷うシンシア。その目線は行き場をなくして宙を彷徨い、ゆらゆら揺れている。
「おいおい、主を部屋まで運んでもらっといてその言い草はねーだろ?
帝国のヤツらは俺たち公国人よりも礼儀というものを何も知らないようだな?!」
「っ…」
フィーゼの言葉に、そっぽを向くケルティ。
フィーゼ…と、主は従者を制しながら、
「そう言えば皇子殿下が召し上がったワインには、その…、毒が、入っていたんですよね?」
と、遠慮がちに問うてみる。
シンシアの言葉にケルティは、あっ、と何か気まずそうに、少し間を開けてから、
「フッ、まさか、そんな話を間に受けたのですか?
公女殿下は意外とウブでいらっしゃるのですね」
と、慌ててそう言葉を紡いだのだった。
「え?」
「っ?」
突然のケルティの切り返しにシンシアとフィーゼは目を丸くして困惑する。
「毒なんてほんの冗談ですよ。どこぞの小説でもあるまいし」
そう言いながら、
ケルティは仮面舞踏会でのミスをここで取り返そうとしていたのだった。
「ぇ、毒ではなかったのですか?…では、キーユさんは———」
と言いかけるシンシアに、
「「 少し酔っ払っただけです 」」
ケルティともう1人、他の声が一緒に答えを返した。
「ぇ…?」
「っ?!」
その場にいる皆が目を丸くした。
「あ、主っ!?」
そのもう1人とは、まさに渦中のその人、キーユだった。
ケルティは慌ててパッと席を立って主に一礼すると、こちらへ…と、主に肩を貸しながら、先ほど自分がいた席に彼を導いた。
「恐れ多くも公女殿下の御前に腰掛けるとは、随分と良いご身分になったものですね、ケルティ」
穏やかな笑顔でチクリッと刺すキーユの言葉に、
「っ、申し訳ございません、キーファン様…」
先程とは打って変わって罰が悪そうに縮こまるケルティ。
「あ、違うんです、私が掛けてくださいと言ったんです!ですから、その人は悪くはありません」
そんな2人を見て、シンシアは慌てて割って入ったのだった。
「公女殿下…?」
何をおっしゃって———?と咄嗟に自分を庇ってくれたシンシアにまた驚かされる。それからすぐに我に帰り、
「っ、す、すぐ、主のお茶を用意いたします」
と、気まずさから逃げるように奥へと消えていったのだった。
「…。」
「…。」
突然の沈黙に俯いたり、目を逸らし合うシンシアとキーユ。そんな中、少女は彼の顔を密かに盗み見ていた。
「…。」
(さっきの仮面姿も素敵だったけど、素顔の方がやっぱり——)
「綺麗…。 ぁ———、」
「…何が、ですか?」
シンシアは思わず心の声が漏れており、慌てて口元を手で覆う。
「す、すみません。皇子殿下のお顔が、とてもお美しくて…」
「…っ」
そんなことを惜しげもなく言ってしまうシンシアをキーユは可愛らしく思いながら、
「フフッ、シンシアさんは本当に、何も変わっておられませんね」
そう笑って答えるのだった。
変わってない、とは?と首をかしげる少女に、
「ぁ、いや、何でもありません」
と、キーユはただ微笑むだけだった。そんな2人のやり取りを見ながら、
「まだ寝てなくても大丈夫なのですか?皇子殿下」
とこ憎たらしい口ぶりで言葉を発するフィーゼ。
「はい、もぅ十分休めましたから。
意外ですね、フィーゼが心配してくれるなんて」
さりげなく殿下呼びするフィーゼに、眉一つ動かさず淡々と答えるキーユ。
「ハッ、意外、ね…。それだけの口を叩けるなら、もう心配ないですね」
ポツリと漏らしたフィーゼの言葉に、キーユは恐れ入りますといつもの笑顔を返したのだった。
———その頃、奥のキッチンでは…、
「ったく、何が十分休めた、よ。私が余計なこと言わないように心配で出てきたくせに…」
と、シンシアとキーユの会話にケルティが聞き耳を立てていた。
「お前が余計なことを口走ったら主の面目は丸潰れだからな。でも、まさかお前が、主と同じことを口走るとは。…毒のこと、咄嗟に誤魔化したのは、良い判断だったと思うぞ」
「エスト…」
そこにはもう1人、男性の従者、エストがいた。彼は
フィーゼのように常に主の隣りに控えるのではなく、見えない所から彼を見守っている。
今回はケルティがいるからと、舞踏会までは同行していなかったようだ。
「代わりに毒を飲んでお嬢様を救った、だなんて説明した所で、キーファン様はきっと喜ばないもの。そんなこと聞いたら、公女殿下はさらに罪悪感に
ケルティはシンシアに真実が伝えられないもどかしさに、顔を背けた。
「仕方ないさ。俺たちは飽くまで従者だ。“ 公女殿下を護りたい ”、それが主の望みなら、俺たちはそれを叶えるべく動くだけ。だろ?」
「だとしても、心配くらいさせてほしい。私たちはあの方の従者なのだから」
「ま、そうだな…」
2人はそう話ながら、これまたシンシアとはまた別の厄介な主に苦笑したのだった。
———応接室ではシンシアとキーユが談笑していた。
「殿下がご無事なら、良かったです。お酒、弱いならわざわざ飲まなくても…」
「…っ」
シンシアが “ 殿下 ”と口にする度に、キーユの表情は少しずつ確実に曇っていく。
とうとう痺れを切らしたのか、はぁと一つ息をつき、ねぇ、シンシアさん、と一度彼女を制した。
「さっきケルティ…、我が従者から何処まで聞きましたか?」
「ぇ…?」
「貴女の口から“ 殿下 ”だなんて…。今までそんな呼び方ではなかったでしょう?」
その言葉にあぁ…とシンシアは声を漏らした。
「貴方様がクロノス帝国の第一皇子様だと言うことを、お聞きしたもので」
「っ?!」
キーユは目を見張った。そして少し残念そうに息をつく。
どうやら “ 第一皇子 ” の言葉も、殿下同様NGワードだったようだ。
「ったく、私がいない所で、余計なことばかり話したのだな」
ため息混じりに肘置きに恥をついてこめかみ辺りで頭を支えるキーユ。
やるせなく目は閉じられ、眉間には少しシワが刻まれている。
「…。」
「っ———、な、何か…?」
ふと気付くとシンシアが意外そうな顔をして彼を見ていた。
「…いえ、殿下は普段僕って仰ってるから。皇子様の時は、一人称は私なんだなと思って」
そんな細かな変化でも聞き逃さない少女に
意表を突かれたように、へ?と力なく声が漏れる彼。そんな2人のやり取りに、思わずフフッと吹き出す従者を、キーユはパッと見やる。
「おっと失礼」
そう答えるフィーゼに、何も言わずシンシアに向き直るキーユ。
「…申し訳ございません。時々、ふと出てしまうのです。帝国では私と言っていたもので」
改めてツッコまれた自分の癖に、少し照れ臭そうにそう言った皇子の頬は、少し赤らんでおり、シンシアはそれを可愛らしく思うのだった。
…と、そこに、
「お茶をお持ち致しました。お嬢様の分は冷めてしまいましたので、ここで入れ替えさせていただきます」
ケルティがティーセットを持って現れた。
「あ、ありがとうございます」
とお礼を言うシンシアを尻目に、丁寧な手つきで2人のお茶を用意するケルティ。
「でも、何度も聞いてしまってすみませんが、本当に、お酒に酔っただけなのですよね?もぅ、大丈夫なのですよね?あれは、“ 毒 ” じゃなかったんですよね?」
自分自身を安心させたいのもあり、これでもかというくらい念入りに確認するシンシア。
「毒———、フフッ、はい、わたし…、いや、僕はもぅ大丈夫です。ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした」
「…っ、良かった、本当に、良かったです。皇子殿下に何ともなくて」
彼の言葉にやっと安心できたのか、少女の声は若干震え、その目尻には涙が溜まっていた。
「っ———?!」
(…なぜ、こんなことで泣く?)
感極まる目の前の少女を、彼は不思議そうに眺めていた。
「これでやっと部屋に帰れます。長居して申し訳ございませんでした」
「いえ、こちらこそ、わざわざ部屋まで来ていただいて…。お話できて、とても楽しかったです」
「…では、また」
「はい。また…」
それからシンシアはフィーゼに連れられて部屋へ帰って行ったのだった。
♢
——ドサッ
「キーファン様っ?!」
シンシアたちが去ったのを見送った途端、キーユはその場に崩れ落ち、ケルティは慌てて抱き起こす。
はぁ、はぁ…とさっきとは打って変わって荒い息遣いで苦しそうな表情の少年。その額や首筋にはじわじわと汗が滲んでいる。
「キーファン様、やはりまだ寝ていなければ…。貴方は本当は酔っ払ったわけではないのですから」
「ハハッ、良かった。君の薬が、お嬢様たちが帰られるまでもってくれて」
「…キーファン様」
相変わらず口が減らないこの主をケルティはため息混じりに見つめながら、エストに手伝ってもらい、寝室に戻したのだった。
♢
——シンシアの部屋
「さ、もぅ休め、お嬢。すぐに着替え用意すっから」
「うん、ありがとう、フィーゼ…」
シンシアは部屋に戻ると着替えてそのままベッドにダイブしたのだった。
「ねぇ、フィーゼ?キーユさんってきっと、優しいを通り越して、お人好しなんだろうね…。フフッ、まるで———」
「まるでフィーゼみた〜い、ってか?」
「違うよ」
「違うんかーい!」
即座にツッコまれ、アタ〜っと手で目を覆うフィーゼ。
「…じゃあ誰だよ?」
「誰、だろう?」
「はぁ??」
フィーゼはシンシアの予想外の切り返しに困惑する。
「私、さっき誰を思い出したんだろう?」
俯く少女のベッド脇に従者は一つ息をついて腰掛けた。
「…思い出せないなら、無理に思い出さなくていい。きっと、思い出したくない記憶なんだ。だから———」
「うん、そうだね、ありがとう。だから、そんな顔しないで…?」
「ぇ、」
ふとシンシアが見たフィーゼの顔は、彼自身気づかないほど、とてもとても切なそうな表情をしていたのだった。
「っ、今日は色々あって疲れたろ?もぅゆっくり休め」
「…うん、ありがとう。おやすみ、フィーゼ」
「あぁ、おやすみ…」
フィーゼはそのままシンシアの顔を見ずにそっと部屋を後にしたのだった。
♢
フィーゼが出て行き、静かになった寝室で少女はただボーッと天井を仰ぎ見る。そして先ほどの従者の顔を思い返す。
彼は昔のことを思い出すのを酷く嫌がっているようなのだ。昔の話をしようとすると、途端に不安そうな顔をする。それを見る度に、なんだか悪いことをした気持ちにさせられてしまう。
もしフィーゼより前に、本当に自分に従者がいたんだとしたら———?
そんなことに思いを巡らせてみるが、やはり具体的なイメージがわかず、首を左右に振る。例えそんな人がいたんだとして、その人のことを思い出したとしても、今の自分に従者を変える気なんてさらさらないのに…と、シンシアどこか寂しそうに一つ息をつくのだった。
そんなシンシアの耳に、
【お嬢様…】
「…っ!?」
ふと、幼い自分を呼ぶ優しい声が聞こえたような気がした。
「…誰、なんだろう。あの優しい声は…」
だが今日一日色んなことがあり過ぎて疲れ切ったシンシアは考えるより先に睡魔の方が勝ってしまい、その懐かしい声に包まれるように、その日は眠りにつくのだった。
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