2-5

 その夜シンシアは部屋に戻ってフィーゼのお茶を嗜んでした。別れ際が気まずかったので、なかなか言葉が出ない2人。しかし、その沈黙をまず破ったのはフィーゼの方だった。


「…会えたのか?アイツと」


「っ…うん、会えたよ。やっぱりお部屋じゃなくて図書館にいらしたの。キーユさん本当に図書館がお好きみたい」


「…そうか」


 そう言って自作のマカロンを出してやるフィーゼ。


「あ、マカロン?!作ってくれたの?」


「食べたいって、言ってた、から」


「うわぁ、ありがとう」


 照れ臭そうに言うフィーゼに、シンシアは嬉しそうに微笑む。


「フィーゼはやっぱり優しいね」


「っ、」


 その言葉にはきっと、“ 従者として ”という枕詞が付くのだろう? と、フィーゼは声には出せない胸の内を、押し殺すのに必死なのだった。


「そういえばね、気になることがあって…」


「気になること?キーユのこと、で?」


「ううん。の話。フィーゼは多分、分からないと思う。私がこの学園に来る前の、クリミナードの屋敷でのことだから」


「…っ」


 “ 過去 ” その言葉に、フィーゼはピクッと反応する。


「私、フィーゼに会う前にも、かもしれない」


「っ!?」


 その言葉にフィーゼの動きは止まる。


「…おい、待て、キーユに何吹き込まれた?」


「ぇ、何でキーユさんが出てくるの?」


「っ、あ、いゃ、何でもない…」


 フィーゼは慌てて押し黙った。


「…。」


(まさか、な。アイツがこの前、妙なこと言ったから。お嬢の記憶を改ざんするとか、奪うとか)


 フィーゼは心の中で呟きながら、一つ息をつく。


 彼の表情は一瞬にして不安に歪み、その胸の鼓動は、異様な速度で脈打っていたのだった。


「…それでね、その、従者の人、男の人で、背が高くて、髪が長くて、後ろで一本に結んでるの。ぼんやりとだけど、その人に遊んでもらってる光景を思い出し———」


「そんなはずないだろっ?!」


「っ?!」


 シンシアの言葉を掻き消すような勢いで、突然フィーゼが声を荒らげた。


 シンシアの体はビクッと一つ跳ねる。


「…ぁ、悪い、大声出して」


 途端に怯えた表情に変わるシンシアに、フィーゼは慌てて謝り、彼女をなだめるのだった。


「さっきの俺の前に従者がいたって話だけど、そんなはずないよ。俺の師匠、屋敷の執事長から、お嬢はずっと1人だったって聞いてるし。屋敷では誰も味方がいなくて、いつも1人で泣いてたって…。そもそも従者がいたなら、今ココに俺はいないだろ?」


「…た、確かに」


 何気に説得力のあるフィーゼの言葉に、シンシアはぎこちなく頷くのだった。


「それに、仮にそんな従者がいたとして、その従者はお嬢を、主をほっぽって、一体今何処で何やってんだよ?」


「屋敷、かな…?まだ従者をしてるのかも」


「っ…。そうだとして、お嬢は会いたいのか?ソイツに」


「ぇ?」


 いざそう言われると、考え込んでしまうシンシア。 そこできっぱり “ No ” と言わない主に、フィーゼはもどかしさを感じつつ、スッとシンシアに向き直った。


「お嬢、よく聞け。良くも悪くも、今、貴女の従者はこの “ 俺 ” だ!その背が高くて髪が長いヤツじゃない。その証拠に、こうしても交わしてる」


「ちょっ、フィーゼ、何して…」


 フィーゼはシャツのボタンを外して左胸をシンシアに見せつけるようにあらわにする。


「っ…」


 彼の身体には、シンシアの従者になる前、その準備段階としての英才教育の一環として受けてきた折檻の痛々しい古傷が刻まれている。シンシアは苦しそうに思わずそれから目を逸らしてしまう。そして、


「ちょっ、フィーゼ?」


 フィーゼはシンシアの右手を取り、左胸のそばに押し付けた。


「っ⁈」


(フィーゼの、鼓動…。何だか少し早く感じるのは、気のせい?)


 シンシアは心の中で呟く。


 シンシアは手のひらに熱が帯びると同時に、フィーゼから伝わる少し早い鼓動を感じた。


「ほら、お嬢、よく見て?」


「…??」


 少しすると、フィーゼの左胸とシンシアの手の甲に青白く光る龍の紋章が浮かび上がって来た。繊細な雪の結晶の中心に龍が描かれた紋章だった。


「っ⁈ 何? これ…」


(“ 氷の龍 ”…? 綺麗…)


 目を丸くしながらも改めて自分の目の前に手の甲をかざして思わず見惚れるシンシア。


「共鳴してるんだ。お互いの紋章が」


「紋章…、共鳴…??」


眷属紋けんぞくもん、俺がだって証だ」


 フィーゼはシンシアをまっすぐに見据えて言う。


「っ⁈いつからこんな———」


「貴女と俺が初めて出逢った日、

 

 俺が貴女の従者になった日、


 俺は貴女のを貰っただろう?」


「…あぁ、確か、そうだったね」


(私が初めてフィーゼと出逢った時、主従の、眷属の契りを交わすために必要なんだとかって、ナイフで少し切った人差し指の血を、フィーゼが舐め取ったんだった…)


 心の中でそう呟くシンシアは、当時のことを思い出し、今更ながら赤くなるのだった。


「それで俺は貴女の眷属となった。主と全てが繋がった証、眷属契約の証として、

 こうして同じ紋章が、お互いの身体に現れる」


「…っ」


「この紋章で、俺は貴女の全てを共有してる。今、貴女は何を考えてるのか。今どんな感情なのか。喜んでるのか、怒ってるのか、哀しいのか、はたまた楽しいのか…」


 フィーゼはシンシアの手を解放すると、いまだ胸に現れている眷属紋に大切そうに触れる。


「っ⁈…そんなのずるいよ!」


「ずるい?」


「だって、フィーゼにばっかり私のことがわかって、私はフィーゼのこと何もわからない…。不公平だよ!」


「あのなぁ、お嬢にだって同じように俺の状態は共有されてる」


 戸惑うシンシアに、呆れながら話すフィーゼ。


「嘘だよ! 私は


「はぇ?今、なんて?!…?」


「うん」


 シンシアの言葉にフィーゼは目を丸くして、動けなくなった。


「今まで、一度たりともか?」


「一度たりともだよ!だって、フィーゼが何考えてるかとか、今だってわからないもん」


「はぁ〜?!」


 シンシアの言葉はフィーゼの心にグサっと突き刺さる。


「…。」


(ちょっと待て、あり得ねぇ、あり得ねぇ、あり得ねぇ!!まさかお嬢が、ここまで鈍いヤツだったなんて…。そもそも、俺はお嬢にとってそこまで魅力がねぇってことか?いや、凹むどころの話しじゃねぇぞ、コレ…)


 押し黙ったフィーゼは、心の中でブツブツと言葉を量産させていく。


 そして一通り自分の頭と決着がついたフィーゼは、


「はぁ〜…」


 と、深く、長いため息をついたのだった。


 「なら、意識しろ…」


「ぇ?」


 不意に溢れたフィーゼの声はとても小さくか弱いものだった。


「俺の感情を読み取れるように常に俺の一挙手一投足、全てを意識しやがれ、この野郎!」


「…な、何でそんなこと。言ってることが無茶苦茶だよ」


 唐突なフィーゼの言葉に戸惑うシンシア。 はたから見ると、とんでもなく小っ恥ずかしいことを言っているはずだが、今のフィーゼにはお構いなしだった。


「そりゃ…、俺だって不公平だ!俺のじゃない、貴女の感情ばっか流れ込んで来て、ドギマギさせられっぱなしで…、でもそれはじゃなくて…。俺ばっかり貴女に振り回されてる。不公平極まりない!」



「っ、そ、それはフィーゼが従者だから———」



「貴女はまたそんな言い草で片付けるのか?!」



「っ!?」



 フィーゼはそう言って、苦しそうに背後の壁をドンっと殴った。

 

 その瞬間だった。


「…っ」


(あれ?…何、コレ。胸が、モヤモヤする)


 シンシアは心の中でそう言いながら、 急に締め付けられるくらいに苦しくなる胸元をキュッと握ってしゃがみ込んだ。


「っ、お嬢っ?!」


 慌ててフィーゼもひざまずき、シンシアに目線を合わせながら彼女を気遣う。


「はぁ、はぁ…、」


(胸が、苦しい…。何かが強制的に身体の中に流れ込んでくる。

 不安?恐怖?いや違う。

 怒り…にも似てるけど、これもちょっと違う。


 もっと息苦しいもの。

 

 もどかしさ?ううん、これは、哀しみ?寂しさ…?)


 荒い息遣いでシンシアは心お腹に流れ込んでくる、今まで味わったこともない感情を懸命に整理していた。


「っ…」


「お嬢っ?!」


 気付けば、シンシアの目からは止めどなく涙が溢れ出ていた。


「な、何で泣いて??…あぁ、ほら、こっち向け」


「…ふぇ、フィーゼ、」


「フッ、なんて顔してんだよ、貴女は…」


 フィーゼは慌てて手袋を取ってシンシアの頬に手を寄せ、親指でその涙を優しく拭ってやる。


「急にどうしたってんだ?情緒不安定か?」


「うぅ、分かんない…」


「フッ、自分のことなのに分かんないのか?」


「だってぇ…」


「ったく、仕方ねぇなぁ…」


(いや待て。まさか、お嬢、俺の感情を読み取って…??)


 不意に現れたシンシアの意変にフィーゼは何かに気づいた。


「お嬢、」


 フィーゼはもう一度シンシアを見る。


「…何?」


 今だに彼女の目からは涙が絶えない。


「…。」


(いや、まさか、な。…っ、でも、もしそうなら、どんだけ繊細なんだよ、俺のご主人様は)


 フィーゼは心の中でそう言いながら困ったように笑いながらシンシアを見る。


「…。」


(いや、違う。…なのか?


 普段意識すればするほど、いや、むしろ逆か。


 無意識の内に他人の感情を、人一倍感じ取ってしまうのだとしたら、貴女が鈍いのは、他人を必要以上に避けているのは、あえて他人の感情を感じ取らないようにしようとした結果…? だから、眷属である俺の感情も———)


 フィーゼは心の中でそう言いながら、出会ってから今までの主の行動を分析していた。


「…お嬢、俺が悪かった。もぅ意識しろとか、変なこと言わない」


「フィー、ゼ?」


 フィーゼはシンシアの頭にポンと優しく手を乗せる。


「分かったか?

 

 それが俺が抱いてる


 だ」


「っ?!」


(これが、フィーゼの———?)


 シンシアは改めてフィーゼを見据える。そんなフィーゼもシンシアを見ながら、


「…。」


(…少しだけでも良い。少しだけでも伝わったなら、今はそれで充分だ。)


 心の中で呟きながら、フワッと微笑んだ。

 

 普段何も気付いていないシンシアに、少し仕返し出来た気がして、フィーゼは少しスカッとした気持ちだった。


 「…」


「っ、あれ、急に胸のつかえが取れたような…」


「フフッ、そうか、なら良かったな」


「フィーゼ、何でそんなに嬉しそうなの?」


「ふぇ? …気のせいだろ」


 フィーゼはシンシアから目を逸らしながらも、そう言って小さく微笑むのだった。



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