第3章-仮面舞踏会-

第10話ーダンスのお相手ー

 ———それから数日後、


 今宵は進学生同士懇親会も兼ねた、学園行事の中でも1、2を争うほど人気のイベント、仮面舞踏会が開催される。学年毎に開催日は異なり、この日は16歳で成人を迎えた高等部1年生の生徒たち、いわば若い大人たちの宴が催されていた。


 そんな中、“ コンコンッ ”とドアがノックされ、ドア越しにフィーぜはシンシアに声をかける。


「どうだ?お嬢、準備出来たか?」


「うん、もぅ入っていいよ」


 その声に、フィーゼはメイクルームのドアを開けた。


「っ…」


 そしてそのまま言葉をなくして固まってしまった。

 

 扉の向こうには瞳の色より少し淡いターコイズブルーの美しいドレスを身に纏った主がいた。珍しく髪をアップにして装飾品を髪や耳、腕や指などに煌びやかに身につけている。


 嗚呼、そうだった。この人はこの国の公女殿下、姫さんなんだ…と、普段とはまた違う佇まいの主に、従者は何も言わずに立ち尽くす。

 いつもは意識の内から消えてしまっているが、目の前のこの人と自分の立ち位置というものがこうも違うことに、こう言う場は、これでもかと言うほどわからせてくる。突き付けてくる。

 手前がこの人の隣に立っていられるのは、ただただ、この人の従者だから。本当にそれだけなのだと———。


「あ、フィーゼも仮面付けてる!…フフッ、その衣装も王子様みたいでカッコいいよ!」


「おぅっ?!———そ、そりゃ、ど〜も…」


(ったくこの人は、そんな言葉を惜しげもなく…。やめろ、恥ずかしさで死んじまうだろーが!)


 メルヘンチックな言葉に思わず心の中で叫び散らす。少女にとっては最高の褒め言葉を送っているつもりだろうが、当のフィーゼにとっては恥ずかしさのあまりすぐさまこの場から逃げ出したい思いだ。

 幸いなことに仮面を付けているので主に顔が赤く火照っているのを悟られないだけが唯一の救いだった。


「ねぇねぇ、私は?…どぅ、かな?」


 少し照れくさそうに上目遣いでドレスの裾をピッと持ち上げて見せるシンシア。


「…。」


 あぁ、可愛いよ。可愛いに決まってらー!こんなに美しい貴女をけなすようなやからがいたら即座に氷漬けにしてやる!そんな言葉を彼女のように惜しげもなく口にできたらどれほどよいだろう。だがそれほど簡単に、素直に口というものは動いてくれないもので…。

 従者は直立不動で黙り込み、目の前の少女にただただ目を奪われるばかりだった。

 痺れを切らした彼女がなんか言ってよ、と不安そうにボソリと溢してしまうほどだ。


 それに急かされるように慌てて


「きき、き、綺麗だ———」


 と、やっとの思いで声帯をキュッと震わせる少年。あまりに言い慣れていない言葉なだけに、カミカミのグダグダになってしまったのは言うまでもない。

 その時の彼の顔は明らかに赤く染まっていたから、恥ずかしそうに口元を手の甲で隠しているものだから、そんな彼が可愛いと思う間もなく、もらい泣きならぬもらい照れをしてしまったシンシアは自ら目を逸らしてしまった。


 ウソでしょ?!と戸惑う少女。絶対、“ 馬子にも衣装だな ” とか言ってからかわれると思っていただけに、予想外に素直だった従者の言葉に、動揺を隠せないでいたのだ。


「…。」


(フィーゼ、顔真っ赤…。もぅ、照れるくらいなら言わなきゃいいのに———)


 従者の様子を困ったように見つめながら心の中で呟くシンシアだったが、それでもちゃんと言葉にしてくれた彼の優しさと勇気に、仮面の奥の表情は確かに緩んでいた。今まで抱いていた緊張がフッと解けた気がしたのだった。…と、その時、


「…っ」


(あれ、胸が、熱い。何だかドキドキして…。これ、もしかして、フィーゼの———?)


 不意に自分とはまた別モノの何かがスーッと心に流れ込んで来る違和感を覚え、戸惑いながらパッと従者を見る。


「あぁ〜もぅ、ほら、行くぞ」


 と、いまだに目のやり場に困ったような素ぶりでぶっきら棒に腕を差し出して来る従者。やはり主の顔までは見られないままでいる。


 シンシアはそんな可愛らしい彼にうん、と頷き、少しぎこちなく手を預けて、彼のエスコートのもと、会場へ向かうのだった。



 ———そして二人は大広間へと足を踏み入れた。



「うわぁ、みんな凄いなぁ…」


 会場の女子生徒達は、貴族の令嬢の名の元に、この日のために新調した色とりどりのドレスや煌びやかな装飾品をその身に纏い、思い思いに着飾っている。その輝きに思わず目が眩んでしまうほどだ。1人でも多くの高貴な家柄の男子生徒の目を惹くために、仮面の下に隠した瞳はさぞ血走っていることだろう。


 水面下で早くも静かに繰り広げられている見えない戦いに、公女は思わず圧倒されてしまう。


(毎年のこととは言え、苦手だな、こういうの…)


 心の中でそう呟きながら賑わう会場に、無意識のうちにフィーゼの腕にかける手に力が入ってしまっていた。そんな彼女の心の内を察してか、


「安心しろ、公女殿下に敵う令嬢なんてどこにもいやしない」


「っ…!」


 ポツリと耳元でフィーゼはそう囁くのだった。その言葉と行為にシンシアの耳は自然と赤く染まっていく。それをどこか満足そうにフィーゼは眺めるのだった、


「お嬢、ちょっと待っててくれ。飲み物とって来る」


 そう言ってその場を離れるフィーゼを見送ると、シンシアは1人、壁の方に避け、皆が踊るのを傍観していた。


「ダンスかぁ。小さい頃はこういう華やかな場所に憧れてよく練習してたっけ。ま、結局上手くはならなかったけど…」


 ボソッと呟きながらただボーッと物思いにふける。


 そんな中、ドリンクをどうぞと給仕係にドリンクを手渡され、…あぁ、ありがとうございますとシンシアはあまり考えずに受け取る。

 フィーゼが取りに行ってくれてるけど、まぁ、いっか…とそのままグラスを口のほうへ傾けようとした、その時だった。何やら手元に違和感を覚えたのは。


「…あれ??」 


 よく見ると、さっき手渡されたグラスが手元から消え去っているではないか。


「ったく、だから目を離すなって言ってあったのに」


「ぇ?」


 ふとそんな言葉が聞こえたかと思うと、彼女の目の前では、


「…プハッ、このワイン、甘いから女性でも飲みやすそうですね。とは言え少し甘過ぎやしないか?」


 1人の男子生徒が先程シンシアの手から奪い取ったグラスの中身を飲み干した所だった。驚きのあまり言葉を失い固まるシンシア。


「っ…??」


(待って、この声———)


 その声には覚えがあったシンシアは思わず目の前の仮面の人を見る。すると彼は近くに控えていた従者らしき者に何か言ってグラスを手渡すと、シンシアに向き直った。


「…失礼、


 あまりにも “ 美しかった ” もので」 


「ぇ———?」


 唐突な言葉にシンシアはドキッとする。


「よく熟した、美しい色だと思ったら、やはり年代物のワインですね、良いお味でした」


「…あぁ、


 シンシアは恥ずかしそうに思わずポツリと溢した。


 ん?と小さく首をかしげる目の前の人。


 あ、いぇ、何も…とシンシアは慌てて取り繕うのだった。そんな少女にクスッと小さく微笑みながら、それでは、僕はこれでと、その人は軽く一礼する。


 あ、はい…とシンシアもつられて軽い会釈をしてから、その後ろ姿を見送る。


「やっぱり人違い?

 なんで私なんかに声を———?」


 思い当たる声ではあったものの、あっさりその場を去られてしまったので、先ほどの彼はきっと人違いだったのだと、シンシアは思うことにしたのだった。


 そうこうしている間に、一曲終わってしまっていた。


 それを見計らってか、ある人物がシンシアの方へと歩みを進めていた。


 そんなことなど露知らず、


 フィーゼ、まだかな?もっと静かな場所に行っていようと、その場を離れようとした、その時だった。



「私と踊っていただけますか? “ クリミナード嬢 ”」



「っ…?」



 突如、何者かにガシッと腕を掴まれたのだった。


(キーユさん?!…の声じゃなかった。明らかにフィーゼでもない)


 明らかに自分には絶対に危害を加えないはず人物の声ではなかった。途端にシンシアの胸は不安と恐怖でキリキリと悲鳴を訴えだしていた。




 ♢



 シンシアが好きそうなドリンクを選んで持ち帰ろうとしたその時、


「っ?!」


 不意に胸に激痛が襲った。


 突如乱れていく呼吸に混乱しながら、胸を抑えるフィーゼ。この痛みは自分のものじゃない。だったら誰のものなのか考えずともわかった。


「お嬢———?」


 振り返るが、これほどまで人がごった返していたらさすがにすぐに見つけ出すのは困難だった。


 何があった?誰かに声をかけられて動揺してる?それだけならいいんだが———。


 普段は爪弾きにされて見向きもしない周りに油断していた。きっと今宵もそうだと。しかし、仮面というものは実に厄介で、普段の立場や見た目を全て包み隠してしまう。相手がシンシアだと知らずに近付いてくる者もいるということをそこまで想定できていなかった。


 心配性な従者は、くそっ…、と詰まっていた息を一つ吐き捨てると、不安そうに揺れる自分のモノとは違う感情を訴える胸にそっと手を添えながら急いで主の姿を探しに戻るのだった。




 ♢



 ひとまず落ち着かないととシンシアは懸命に乱れていく心を抑え込むことに励む。


(そうだ、この声もしかして、フォード伯爵家のご子息———?)


 シンシアは心の中でそう呟きながら、話し方の癖と声の特徴から、その人が誰なのか推測する。


「失礼ですが、どちら様でしょうか?」


 念のため震える声で確認するシンシア。そんなことよりそろそろ手を放してほしい。まるで逃がしはしないと言うように力強く握られた腕が痛い。


 さりげなくシンシアは手を解こうとするが、いくら温室育ちのひ弱な貴族の子息といえど、相手はさすがに男。そう簡単にはいかない。


「これはこれは、相手の正体を聞くだなんて、仮面舞踏会にはあるまじき、無粋な質問ですね、クリミナード嬢」


「…だったら、なぜ貴方は私が何者かご存じなのですか?」


 相手のウザったい返しに、若干苛立つシンシア。だが、恐怖の方が優って、相変わらず声は少し震えている。


「そりゃ、見れば分かりますとも。階級によって身に付けることが許される装飾品の種類は違ってきますから。

 さすがに勲章を身に付けるのは控えられたようですが、貴女様のその氷翠石ひすいせきの耳飾り、それは我が国でしか採取できない秘宝。侯爵か公爵家の者しか身につけることを許されていない。

 そして極め付けは異様なほどに純白なその肌と、白にも近い黄金に輝く美しい髪」


「っ…」


 しまった、うかつだった…と、シンシアは慌てて自分の髪に触れる。彼女の髪は他国出身の母親似で、ハイライトが入ったようにとても明るい白金の色をしていた。光に照らされてより一層美しく輝いている。その髪色は金色が主流のクリミナードの人間の中では珍しい色だった。


「今更隠すまでもないでしょう?そんな淡い色で輝く美しい髪は、貴女様を置いて他に存じ上げません、さぁ、早くこちらへ」


「やめてください。私は貴方と踊るだなんて一言も———」


 嫌だ、助けて———と、まるで何かに祈るように、縋るように心の中で強く願うシンシア。…と、そこに



「女性1人おとすのに、えらく手こずっておいでですね」



「っ…、」


「誰だ?!貴様っ」


 突然、別の誰かが2人の間に割って入って来た。シンシアは思わず縋るようにその人を見つめる。


「っ、貴方は、先ほどの———」


 その人は先ほどシンシアから奪ったドリンクを飲み干した人物だった。


「嫌がる女性にしつこくつきまとうほど見苦しいものはない。いい加減やめてくれないか?



 憐れに見えるぞ?」



「何っ?!」 


「…っ」


(この人の声、もしかして———) 


 言い争う二人を見つめながら、シンシアが声の主にピンときた時、その人は仮面の下でフワッと微笑んでいたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る