第11話ーあまりにも無粋な質問ー
「貴様、誰に向かって物を———」
「分からない人だなぁ。それでは回りくどい言い方はやめて、端的に申し上げるといたしましょう。
“ とっとと彼女からその汚い手を離せ ”」
「んなっ?!」
その人はまるで虫ケラでも見るような目で相手に言葉を吐くと、サッとシンシアに向き直った。そしてその耳元で、
「今だけは貴女に触れてしまうご無礼を、どうかお許しください」
と、囁くのだった。
ぇ?と目を丸くする彼女の肩をそっと抱き寄せ、そのままトンっと、フォード卿の肩を突き飛ばしたのだった。
「ぁ、」
バランスを崩し後ろによろけたフォード卿。その拍子にシンシアから手を離してそのままドテンっと尻餅をついてしまったのだった。
イダっ!と濁声を漏らす彼。
「あらら、何と体幹の弱いこと。もう少し鍛えておかなければ将来足腰が大変なことになりますよ?」
呆れ顔でフォード卿を見下ろしながらその人は言った。
「黙れっ!!何と無礼な!貴様一体何者だ?!」
見下ろされながら、というのがよっぽど気に食わなかったのか、フォード卿は慌てて立ち上がってその人に食ってかかった。
その荒々しい大きな声にシンシアはたじろいでしまう。そんな彼女を気遣いながら、
「僕が何者か、ですか?」
と若干面倒くさそうに首をかしげる彼。
「…。」
それについてはシンシアも興味があり、フォード卿とともに次の言葉を待った。
「…フッ、それは、この仮面舞踏会には “ あまりに無粋な質問 ” 、なのでは?」
何っ?!とフォード卿は眉間に皺を寄せて言い淀むのだった。
そんな二人のやり取りに、シンシアは先ほど強張ってしまった表情がフワッと緩み、思わず小さくフフッと笑い声をこぼす。
まるでついさっきのシンシアとフォード卿の会話のデジャビュを見ているかのようだ。
「っ…」
そんな彼女の様子を見て少しホッとするその人。
「わ、笑うなっ!!…貴様、彼女の前でよくも舐めたマネを」
「舐めたマネ?滅相もない。僕は貴方の真似をしただけですから。
…ぁ、っということは、あなたの言動そのものが、舐めたマネ、ということになりますね」
と、あえて戯けて振る舞うその人の言動は、
「クククッ…」
またもやシンシアの笑顔を引き出した。
「っ、か、彼女はこれから私と踊るんだ!邪魔しないでいただきたい」
フォード卿は必死に心を落ち着けながら、
(3 、)
心の中でそっと数を数えだす。
「その彼女がここまで嫌がっておいでなのです。しつこい男は嫌われますよ?」
突き放した言い方をするその人の目は、まるでゴミでも見るかのように冷ややかだった。
「っ、」
フォード卿は彼の言葉を苦虫を噛み潰すかのような表情でやり過ごしながらも、心の中は冷静に努める。
( 2 …、フッ、何とでも言え。だが残念だったな、これでクリミナード嬢は———)
フォード卿は次に何が起こるのか手に取るように分かっているかのように不的な笑みを浮かべる。
( 1…!!)
フォード卿はパッとシンシアの方を見た。
…が、相変わらず少女はあっけらかんとしている。
「おぃ、なぜだ?!」
狙いが外れたのかフォード卿は動揺を隠せないようでグッとシンシアの顔に近付く。
「ぇ、なぜって?」
突如声を荒らげながら距離を詰めてくる彼を、だから近いって、とのけ反りながら訝しげに見るシンシア。
「なぜとは?
まるでこれから彼女に何が起こるかを、知っていたような口ぶりですね」
「ぇ?」
シンシアを庇うように、そっと彼女の前に出るその人。
「ち、違っ、貴様には関係ない。
…こうしていてもらちが空かない。さぁ、クリミナード嬢、私とこちらへ」
「ちょっ、やめてください!」
いよいよ強行突破に踏み切ったフォード卿は、隙を見て再びシンシアに腕を伸ばし、無理矢理にでも連れ出そうとする。
「…。」
その彼の足をスッと自分の足に引っ掛けるその人。
「ぉわっ?!」
またもバランスを崩したフォード卿は、思わずシンシアから手を離してその場に今度は両手を突いて倒れ込む。
「…おっと、これは失敬。貴方より足が長いもので」
「っ、貴様、いい加減にしろ!私を誰だと心得る?我が家は由緒正しき伯爵家だぞ?!先ほどよりの無礼の数々、万死に値する!」
散々コケにされてとうとう逆上した彼は呆気なく己の身分をバラしてしまうのだった。
その様子に、
「…まったく、品位のかけらもないな」
とボソッと溢すその人。その顔は相変わらず汚い者でも見るようなドン引きした怪訝な表情だ。
だからお前みたいな無駄に爵位をひけらかす低俗な貴族は嫌いなんだとため息をつく。
「万死だと?それはこっちの台詞だ、世間知らずのバカ坊ちゃん」
「んな"っ?!」
その人はスッとしゃがみ込み、小太りなフォード卿の首が埋まる蝶ネクタイをガシッと掴むと、グイッと自分に引き寄せて彼にこう耳打ちした。
「そろそろ身の程を
「っ、んだと?!…っ、ぐ、苦しい」
苦し紛れにフォード卿の目に映ったのは、その人の親指がその腰に携える剣の
「こ、こんな所で剣を?!貴様、一体何考えて———」
「あぁ、この後のお前の返事次第で、僕は何をしでかすかわからない。だからよ〜く聞け。命が惜しくば、二度と彼女に近づくな。
いいか?私は二度は言わない」
「っ?!」
その人のひどく冷たい低い声は、フォード卿を震え上がらせる。
「いくらバカなお
「っ、さっきから人のことをバカやら無能やらと…、き、貴様、本当に一体何者なんだ?!」
「ったく、仕方ないなぁ。これは貴方だけへの大サービスですよ?」
その人は目元を隠す仮面をそっと持ち上げてフォード卿にだけ見える角度でチラッと素顔を覗かせた。
「っ、お前は、この前の外部入学の…??爵位も持たない貴様ごときが何を———」
「バカ、声がでかい!あの子に聞こえるだろうが?!何のためにお前にだけ顔を晒したと思っている?」
「ぐ、ぐるじぃ…」
その人はいまだ掴んでいるフォード卿の首根っこをさらに締め付ける。
「お前の言う通り、私はあいにくこの国の爵位は持ち合わせていないが、… “ コレ ” でわかるだろう?」
その人は何かをフォード卿にだけ見えるように示した。
「っ、それは———?!」
それを見たフォード卿は目を見開き、そのまま大人しくなったのだった。
「彼女に何を飲ませようとしたかは知らないが、アレは私が処理した」
「何っ?!まさか貴方様がアレを口にされたのですか?!」
「その様子だと、やはりあのワインに何か仕込んでいたようだな」
「っ!!」
その人はフォード卿をキッと睨みつける。
「早く手を打て。さもなくば、さっき見た通りお前はこのまま国賓級殺しにもなりかねない。いくら地位をひけらかす伯爵家のボンボンであっても、私を殺してしまったらどうなるか…。バカでも無能でもないのなら、わかるだろう?」
「っ…?!」
フワッと微笑んだかと思うと、その人はパッとフォード卿から手を離すと、フォード卿はそのまま地面に尻餅をつくのだった。しかし先ほどとは違い怒鳴り散らすどころか、その顔はみるみる青ざめていく。
そして慌てて近くに控えていた給仕係に、
「おい、貴様、このお方に例の飲み物をお持ちしろっ!今すぐにだ!」
と、急を命じるのだった。
「…。」
フォード卿を見下ろすように佇むその人だったが、
「っ、おっと———」
「危ない!」
不意にバランスを崩し、よろけた所を咄嗟にシンシアが手を取り支えてやるのだった。
「大丈夫ですか?」
「…ぁ、ありがとうございます、シンシアさ…、あっ、」
咄嗟にそう溢してしまったその人は、慌てて手で口を覆う。
「っ?!」
それで、その呼び方で確信した。
「やっぱり貴方は———、」
「っ———」
次の言葉を言うのを妨げるようにその人はサッと彼女の唇の前に柔らかい笑みで人差し指を立てた。
「…。」
(ぇ、仮面舞踏会だから、ってこと?でも貴方は確かに私の名を———)
シンシアは彼の行動にピタリと止まったまま動かない。その間に彼の様子を伺い見ると、なんとも不可解だった。目の前のその人の汗がすごいことになっているのだ。この会場はそんなに暑くないはずなのに、異様なほど額からポタポタと滴り落ちてきていた。
「…もう放していただいて大丈夫ですよ」
「ぁ、手、すみません!」
彼の声かけに、我に帰ったシンシアは、慌てて彼から掴んでいた手を離した。
それから、彼はフォード卿に
「…さて、貴方にはここでお誓いいただこう。
“ もぅ二度とこちらのお嬢様には近付かない ” と」
冷たい声で改めて告げる。
「触れることはおろか、気安く名前を呼ぶことも許さない。わかったな?」
「…。」
俯くフォード卿。
「返事はどうした?」
「あ、あの…、別に名前を呼ぶくらいは…」
「お嬢様、こういうものはケジメというものが大切なのです」
「っ… 」
その人は口調だけは優しく、そっとシンシアを
「もし誓えないと言うのなら…」
そう言って、剣の柄に手をかけた、その時、
「わ、わかりました、誓います、誓いますとも!だからお願いです、殺さないでください!!」
フォード卿は大慌てで彼に懇願したのだった。そんな彼の姿を前に、
「…。」
(あのフォード卿がここまで…。この人、さっき彼に何を言ったの?)
シンシアは心の中でそう言いながら、ただただ目を丸くするばかりだ。
「…さ、お嬢様。さっさとこんな所離れ———」
と、彼は言い終わる前に、そのままガクッと崩れ落ちるように膝を折った。
「…ぇ、ちょっと?!」
「はぁ、はぁ、」
「大丈夫ですか?さっきからひどい汗ですけど…、」
シンシアも慌てて屈み、激しく息が乱れた彼と目線を合わせる。 その隙にと、フォード卿は慌ててその場を逃げるように群衆の中に紛れて行ったのだった。
「あれ?…ぁ、ホントだ、こんなに汗を。どうりで暑いと思った。秋口とは言えど、まだまだ夏の暑さが残っていると言うのに。ハハハ…、少し暖房の効かせ過ぎでは?」
その人はシンシアに言われて初めて気が付いたかのように自分の額に触れて実感した。
「そうかも、知れないですね」
必死にこの状況を誤魔化したいのであろう彼の心の内を悟ってか、困ったように笑いながら咄嗟に話を合わせてみたシンシアだったが、
「…。」
(そんなはずない。今だって、ほんの少し肌寒いくらいだ。それにこの人、肩で息をするくらい、苦しそう…??)
彼の言動にシンシアは不安そうに彼を見る。
「これ、使ってください」
そう言って彼にハンカチを差し出すと、
「…あ、すみません、ありがとうござ———」
「っ?!」
言い終わる前に、その人の身体はゆっくりとシンシアの方に傾いた。
「ちょっ、大丈夫ですか?!…っ、“ キーユさん ”!!」
シンシアは咄嗟にその名を叫んで、抱き抱えるような形で彼を胸元で受け止めた。
「はぁ、はぁ…」
「ねぇ、キーユさん、大丈夫ですか?!」
シンシアは必死に呼びかけながら、まだ自分の手に残るハンカチで彼の額や首から流れ落ちる汗を拭ってやる。周りには多くの野次馬が集まり、2人は途端に注目の的となった。もはや会場はダンスどころではなくなってしまったのだった。
…と、そこに、
「どけっ!」
「どいてくださいっ!」
と言う、野次馬を掻き分ける2つの声が2人のもとへ駆けつけて来た。
「…はぁ、はぁ、遅い、ですよ、待ちくたびれました」
「キーユさん?」
その人は駆けつけた人物に苦しそうに声をかけた。
「申し訳ございません、調合に少々お時間をいただきました」
そこに駆け付けてきたのは、フォード卿が命じた給仕係ではなく、先程彼がシンシアから奪ったドリンクを飲み干した際、グラスを受け取っていた人物だった。
そしてその隣りには、
「大丈夫か?!お嬢」
「フィーゼ…、キーユさんが、キーユさんが———!!」
血の気が引いた顔をしたフィーゼもいた。
「キーユ?…コイツが?仮面をしてるのになぜわかる?」
「声も、ほのかに香る香水の匂いも…、間違いない。キーユさんだよ!」
「香水って…、」
(やけに詳しくご存じなこって…)
自信を持って言う主に、たじろぐフィーゼ。
「どうしよう、キーユさんが死んじゃう…」
「ちょっ、落ち着け、お嬢」
シンシアは涙目ながらにフィーゼに訴えかける。
「お嬢様、申し訳ございませんが、これを主に、」
「え⁈ …は、はい」
(主ってことは、この人が、キーユさんの従者? )
シンシアは従者から小さな小瓶を受け取る。
「アンタ、お嬢に何渡して?!」
「我が主は見ての通り1人では薬を飲める状態にありませんので」
「大丈夫だよ、フィーゼ。薬を飲ませるだけだから」
「っ、」
主に宥められ、グッと感情と言葉を抑えこむ従者。
「キーユさん、お薬が来ました。どうぞ飲んでください…」
シンシアは主と呼ばれるその人の口元へ、先程渡された小瓶を持っていく。
「…はぁ、はぁ」
「…。」
だが、自力ではもう飲む気力もないと言った様子のその人に、シンシアは小瓶に入った薬を自らの口に含み、彼の口へ流し込んだのだった。
「…っ、」
その行為に、野次馬たちは一斉に騒ぎ立てる。それは目の前にいるそれぞれの従者も例外ではなかった。
「お嬢様っ?!」
「お嬢っ、何を———?!」
「大丈夫です。困った時はお互い様だって、祖母が教えてくれましたから」
「…。」
((そういう問題では…))
フィーゼたち周りの人間は心の中で総ツッコミした。
薬を飲んだことを確認したシンシアは、彼の口元を親指で拭ってやる。
「これでキーユさんは大丈夫なんですよね?」
「えぇ、安静にしていれば、問題ないかと」
「良かったぁ。では、すぐに彼をお部屋へ!」
「かしこまりました。お嬢様ももぅお部屋へお戻りください。こんなにギャラリーが大勢いては、踊るもなにもないでしょうから」
「え、でも、」
彼の従者からの言葉に、言い淀むシンシア。
「そうだな。帰るぞ、お嬢」
「フィーゼ、私も一緒に——」
「主のことなら心配無用です。先程お嬢様が飲ませてくださった解毒剤がすぐに効いてくるはずですので」
「げ、解毒剤?まさかあのワイン、毒が入ってたんですか?!」
「っ、」
(しまった———、)
せっかく主がシンシアに気付かれることなく、スマートに解決しようとしていたところを、自らバラしてしまった従者。
「…あの、キーユさんは誰がお部屋に?」
「っ、、それは、私が、」
「大丈夫ですか?女性お1人で、男性を運べますか?」
「…っ」
言い淀む彼の従者。
「もし良かったら、私の従者を使ってください」
「はぇ、俺?!」
寝耳に水といったように思わず声を上げるフィーゼ。
「お願いフィーゼ、力を貸して」
「——ったく、しゃあねぇなぁ…」
突然の要望に、フィーゼは頭を抱えながら渋々頷く。
「恐れ入ります。…本来なら、お嬢様はお部屋にお戻りになるのが一番なのですが、こればっかりはいたしかたありません。お願いできますでしょうか」
「わかりました…。フィーゼ、よろしくね」
「…あいよっと」
フィーゼは息絶え絶えの彼をおんぶする。
「では行きましょう」
「はい…」
シンシア達は従者に連れられてキーユの部屋へと向かったのだった。
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