3-2
「貴様、誰に向かって物を———」
「分からない人だなぁ。それでは回りくどい言い方はやめて、端的に申し上げるといたしましょう。
“ さっさと彼女からその汚い手を離せ ”」
「んなっ?!」
その人は突如冷淡な口調で言い放つと、
「今だけは貴女に触れてしまうご無礼をお許しください」
「ぇ?」
シンシアの耳元でそっと囁くと、彼女の肩を抱き寄せ、トンっと、フォード卿の肩を突き飛ばしたのだった。
「ぁ、」
バランスを崩し、後ろによろけたフォード卿はその拍子にシンシアから手を離してそのまま尻餅をついてしまったのだった。
「痛っ、」
「あらら、何と体幹の弱いこと。もう少し鍛えておかなければ将来足腰が大変なことになりますよ?」
「黙れっ!!何と無礼な!貴様一体何者だ?! 」
見下ろされながら話されるのがよっぽど気に食わなかったのか、フォード卿は慌てて立ち上がってその人に言葉を投げた。
「僕が何者か、ですか?」
「…。」
(うん、それは私も早く知りたい…)
頭に血がのぼり怒鳴り散らすフォード卿。大きな声にシンシアは怯えながらも、彼女も一緒にその人の次の言葉を待つ。2人の注目が集まる中、
「…フッ、それは、この仮面舞踏会には“ あまりにも無粋な質問 ” 、なのでは?」
「何っ?!」
サラッと返した彼に、フォード卿は言い淀む。
「フッ、」
先程のシンシアとフォード卿の会話のデジャブのようで、シンシアは先ほどの強張った表情が緩み、思わず小さく笑い声をこぼす。
「っ…。」
それを見て少しホッとするその人。
「わ、笑うなっ!!…貴様、彼女の前で舐めたマネを、」
「舐めたマネ? 滅相もない。僕は貴方の真似をしただけですから。…ぁ、っと言うことは、貴方の行動そのものが舐めたマネ、と言うことになりますね」
「クククッ…」
あえて戯けて振る舞うその人の言動は、またもやシンシアの笑顔を引き出す。
「っ、か、彼女はこれから私と踊るんだ!邪魔しないでいただきたい」
(3 、)
フォード卿は必死に心を落ち着けながら、心の中で数を数えだす。
「その彼女がここまで嫌がっておいでなのです。しつこい男は嫌われますよ?」
突き放した言い方をするその人の目は、まるでゴミでも見るかのように冷ややかだった。
「っ、」
( 2 …、フッ、何とでも言え。だが残念だったな、これでクリミナード嬢は…)
「…。」
( 1…!! )
「っ…」
フォード卿はパッとシンシアの方を見た。…が、相変わらず彼女はあっけらかんとしている。
「おぃ、なぜだ?!」
「ぇ、なぜって?」
狙いが外れたのかフォード卿は戸惑うばかりだ。声を荒らげるフォード卿を、訝しげに見るシンシア。
「なぜとは?まるで、これからお嬢様に何か起こるかを知っていたような口ぶりですね」
「ぇ?」
思わず身構えるシンシアを庇うように、そっと彼女の前に出るその人。
「ち、違う、貴様には関係ない。…こうしていてもらちが空きません。さぁ、クリミナード嬢、私とこちらへ」
「ちょっ、やめてください!」
強行突破に踏み切り、隙を見て再びシンシアに腕を伸ばし、無理矢理連れ出そうとするフォード卿。
「…。」
その彼の足をスッと自分の足に引っ掛けるその人。
「おわっ?!」
またもバランスを崩したフォード卿は、思わずシンシアから手を離してその場に倒れ込む。
「…おっと、これは失敬、貴方より足が長いもので」
「っ、貴様、ふざけやがって!私を誰だと心得る?先程よりの無礼の数々、万死に値するぞっ?!」
「それはこっちの台詞だ、バカ坊ちゃん」
「んな"っ?!」
その人はスッとしゃがみ込み、フォード卿の蝶ネクタイをガシッと掴むと、グイッと自分に引き寄せて彼にこう耳打ちした。
「そろそろ身の程を
「っ、んだと?!…ぐ、く、苦しい」
苦し紛れにフォード卿の目に映ったのは、その人の親指は腰に携える剣の
「こ、こんな所で剣を?!おまっ、一体何考えて———」
「あぁ、この後のお前の返事次第で、僕は何をしでかすか分からない。だからよ〜く聞け。命が惜しくば、二度と彼女に近づくな。
二度は言わない」
「っ?!」
その人のひどく冷たい低い声は、フォード卿を震え上がらせる。
「いくらバカなお
「っ、さっきから人のことをバカやら無能やらと…、き、貴様、本当に一体何者なんだ?!」
「ったく、仕方ないなぁ。これは貴方だけへの大サービスですよ?」
その人は目元を隠す仮面をそっと持ち上げてフォード卿にだけに見える角度でチラッと素顔を覗かせた。
「っ、お前は、この前の外部入学の…??爵位も持たないお前が何を———」
「バカ、声がでかい!お嬢様に聞こえるでしょうが。何のためにお前にだけ顔を晒したと思っている?」
「ぐ、ぐるしい…」
その人はいまだ掴んでいるフォード卿の首根っこをさらに締め付ける。
「お前…、貴方の言う通り、僕はあいにくこの国の爵位は持ち合わせていないが、…“ コレ ”でおわかりですか?」
その人は何かをフォード卿にだけ見えるように示した。
「っ、それは———?!」
それを見たフォード卿は目を見開き、そのまま大人しくなったのだった。
「彼女に何を飲ませようとしたかは知らないが、アレは僕が処理した」
「何っ?!まさか貴方様がアレを口にされたのですか?!」
「その様子だと、やはりあのワインに何か仕込んでいたようだな」
「っ!!」
その人はフォード卿をキッと睨みつける。
「早く手を打て。さもなくば、さっき見た通り貴方はこのまま国賓級殺しにもなりかねない。いくら地位をひけらかす伯爵家のボンボンであっても、僕を殺してしまったらどうなるか…。バカでも無能でもないのなら、わかりますよね?」
「っ…⁈」
フワッと微笑んだかと思うと、その人はパッとフォード卿から手を離すと、フォード卿はそのまま地面に尻餅をつくのだった。しかし先ほどとは違い怒鳴り散らすどころか、その顔はみるみる青ざめていく。
そして慌てて近くに控えていた給仕係に、
「おい、貴様、
このお方に例の飲み物をお持ちしろっ!今すぐにだ!」
と、急を命じるのだった。
「…。」
フォード卿を見下ろすように佇むその人だったが、
「っ、おっと———」
「危ない!」
不意にバランスを崩し、よろけた所を咄嗟にシンシアが手を取り支える。
「大丈夫ですか?」
「…ぁ、ありがとうございます、シンシアさ…、あっ、」
「っ?!やっぱり貴方は———、」
「っ———」
「っ?! 」
その人はシンシアが何か言うのを妨げるようにサッと彼女の唇の前に柔らかい笑みで人差し指を立てる。
「…。」
(ぇ、仮面舞踏会だから、ってこと?でも貴方は確かに私の名を———。
っ、それよりこの人、汗、すごい。ココ、そんなに暑くないはずなのに)
シンシアは彼を見て、ふと、違和感を覚えた。
暫くして、
「…もう放していただいて大丈夫ですよ」
「ぁ、手、すみません !」
彼の声かけに、我に帰ったシンシアは、慌てて彼から掴んでいた手を離した。
それから、彼はフォード卿に
「…さて、貴方にはここでお誓いいただこう。“ もぅ二度とこちらのお嬢様には近付かない ”と」
冷たい声で改めて告げる。
「触れることはおろか、気安く名前を呼ぶことも許さない。わかったな?」
「…。」
俯くフォード卿。
「返事はどうした?」
「あ、あの…、別に名前を呼ぶくらいは…」
「お嬢様。こう言うものはケジメが大切なのです」
「っ… 。」
その人は口調だけは優しく、そっとシンシアを
「もし誓えないと言うのなら…」
そう言って、剣の柄に手をかけた、その時、
「わ、わかりました、誓います、誓いますとも!だからお願いです、殺さないでください!!」
フォード卿は大慌てで彼に懇願したのだった。そんな彼の姿を前に、
「…。」
(あのフォード卿がここまで…。この人、さっき彼に何を言ったの?)
シンシアはただただ目を丸くするばかりだ。
「…さ、お嬢様。さっさとこんな所離れ———」
と、彼は言い終わる前に、
「…ぇ、ちょっと、」
そのままガクッと崩れ落ちるように膝を折った。
「はぁ、はぁ、」
「大丈夫ですか?さっきからひどい汗ですけど…、」
シンシアも慌てて屈み、激しく息が乱れた彼と目線を合わせる。
その隙にと、フォード卿は慌ててその場を逃げるように群衆の中に紛れて行ったのだった。
「あれ?…ぁ、ホントだ、こんなに汗を。どうりで暑いと思った。秋口とは言えど、まだまだ夏の暑さが残っていると言うのに。ったく、少し暖房の効かせ過ぎでは? ハハハ…」
その人はシンシアに言われて初めて気が付いたかのように自分の額に触れて実感した。
「そうかも、知れないですね」
必死にこの状況を誤魔化したいのであろう彼の心の内を悟ってか、困ったように笑いながら咄嗟に話を合わせてみたシンシアだったが、
「…。」
(そんなはずない。今だって、ほんの少し肌寒いくらいだ。それにこの人、肩で息をするくらい、苦しそう…??)
彼の言動にシンシアは不安そうに彼を見る。
「これ、使ってください」
そう言って彼にハンカチを差し出すと、
「…あ、すみません、ありがとうござ———」
「っ?!」
言い終わる前に、その人の身体はゆっくりとシンシアの方に傾いた。
「ちょっ、大丈夫ですか?!…っ、“ キーユさん ”!!」
シンシアは咄嗟にその名を叫んで、抱き抱えるような形で彼を胸元で受け止めた。
「はぁ、はぁ…」
「ねぇ、キーユさん、大丈夫ですか?!」
シンシアは必死に呼びかけながら、まだ自分の手に残るハンカチで彼の額や首から流れ落ちる汗を拭ってやる。周りには多くの野次馬が集まり、2人は途端に注目の的となった。もはや会場はダンスどころではなくなってしまったのだった。
…と、そこに、
「
「退いてくださいっ!」
と言う、野次馬を掻き分ける2つの声が2人のもとへ駆けつけて来た。
「…はぁ、はぁ、遅い、ですよ、待ちくたびれました」
「キーユさん?」
その人は駆けつけた人物に苦しそうに声をかけた。
「申し訳ございません、調合に少々お時間をいただきました」
そこに駆け付けてきたのは、フォード卿が命じた給仕係ではなく、先程彼がシンシアから奪ったドリンクを飲み干した際、グラスを受け取っていた人物だった。
そしてその隣りには、
「大丈夫か?!お嬢」
「フィーゼ…、キーユさんが、キーユさんが———!!」
血の気が引いた顔をしたフィーゼもいた。
「キーユ?…コイツが? 仮面をしてるのになぜわかる?」
「声も、ほのかに香る香水の匂いも…、間違いない。キーユさんだよ!」
「香水って…、」
(やけに詳しくご存じだことで…)
自信を持って言う主に、たじろぐフィーゼ。
「どうしよう、キーユさんが死んじゃう…」
「ちょっ、落ち着け、お嬢」
シンシアは涙目ながらにフィーゼに訴えかける。
「お嬢様、申し訳ございませんが、これを主に、」
「え⁈ …は、はい」
(主ってことは、この人が、キーユさんの従者? )
シンシアは従者から小さな小瓶を受け取る。
「アンタ、お嬢に何渡して?!」
「我が主は見ての通り1人では薬を飲める状態にありませんので」
「大丈夫だよ、フィーゼ。薬を飲ませるだけだから」
「っ、」
主に宥められ、グッと感情と言葉を抑えこむ従者。
「キーユさん、お薬が来ました。どうぞ飲んでください…」
シンシアは主と呼ばれるその人の口元へ、先程渡された小瓶を持っていく。
「…はぁ、はぁ」
「…。」
だが、自力ではもう飲む気力もないと言った様子のその人に、シンシアは小瓶に入った薬を自らの口に含み、彼の口へ流し込んだのだった。
「…っ、」
その行為に、野次馬たちは一斉に騒ぎ立てる。それは目の前にいるそれぞれの従者も例外ではなかった。
「お嬢様っ?!」
「お嬢っ、何を———?!」
「大丈夫です。困った時はお互い様だって、祖母が教えてくれましたから」
「…。」
((そういう問題では…))
フィーゼたち周りの人間は心の中で総ツッコミした。
薬を飲んだことを確認したシンシアは、彼の口元を親指で拭ってやる。
「これでキーユさんは大丈夫なんですよね?」
「えぇ、安静にしていれば、問題ないかと」
「良かったぁ。では、すぐに彼をお部屋へ!」
「かしこまりました。お嬢様ももぅお部屋へお戻りください。こんなにギャラリーが大勢いては、踊るもなにもないでしょうから」
「え、でも、」
彼の従者からの言葉に、言い淀むシンシア。
「そうだな。帰るぞ、お嬢」
「フィーゼ、私も一緒に——」
「主のことなら心配無用です。先程お嬢様が飲ませてくださった解毒剤がすぐに効いてくるはずですので」
「げ、解毒剤?まさかあのワイン、毒が入ってたんですか?!」
「っ、」
(しまった———、)
せっかく主がシンシアに気付かれることなく、スマートに解決しようとしていたところを、自らバラしてしまった従者。
「…あの、キーユさんは誰がお部屋に?」
「っ、、それは、私が、」
「大丈夫ですか?女性お1人で、男性を運べますか?」
「…っ」
言い淀む彼の従者。
「もし良かったら、私の従者を使ってください」
「はぇ、俺?!」
寝耳に水といったように思わず声を上げるフィーゼ。
「お願いフィーゼ、力を貸して」
「——ったく、しゃあねぇなぁ…」
突然の要望に、フィーゼは頭を抱えながら渋々頷く。
「恐れ入ります。…本来なら、お嬢様はお部屋にお戻りになるのが一番なのですが、こればっかりはいたしかたありません。お願いできますでしょうか」
「わかりました…。フィーゼ、よろしくね」
「…あいよっと」
フィーゼは息絶え絶えの彼をおんぶする。
「では行きましょう」
「はい…」
シンシア達は従者に連れられてキーユの部屋へと向かったのだった。
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