第12話ーこの国に来た理由ー

 ———キーユの部屋


「っ…、あれ、どこだ?ココ」


 キーユは暗い部屋で目を覚ました。


「…何処って、ご自分の部屋さえお忘れですか?」


「っ、ケル、ティ…」


 突然声がしてそちらを向くと、執事服に身を包んだケルティと呼ばれる女性が燭台片手に部屋に入って来ていた。先ほど舞踏会の会場に解毒剤を持ってきた人物だ。


「まさか、貴女がここまで?」


「まさか。に運んでいただきました」


 思わず目を見張る主に、女の力で運ぶのはいささか無理がありますよと息をついた。


「別の方って、一体誰が?」


「貴方がの、クリミナード公女殿下の従者です。確かお名前は———」


「っ、フィーゼが?!」


 思わず食い気味に答えてしまった。嘘だろ?!2人がこの部屋に———?目をゆらゆら泳がせながらそっと俯く。


「あぁ、そうです、確かフィーゼとおっしゃっておいででした」


 燭台をベッドのローテーブルに置きつつ、思い出したように言う従者。


「はぁ、ケルティ、…その、言っておきますがお気に入りは余計です。誤解を招くような言い方はやめてください」


「あら、違うのですか。心得ておきます」


 なんだ、聞こえていたのか。先ほど流されたので聞き落とされたかと、と白々しく淡々とした様子で答える彼女に、キーユはため息をつく。


「っ…、それより公女殿下は?」


 従者のことはわかったが、その主の話が出て来ていないことに気付いたキーユは慌てて聞き返す。


 まったく貴方という人は———、とため息混じりに溢す従者。ご自分がこんな目に遭われてもなお、あの方の心配ですか?と呆れ顔だ。


「…ご無事ですよ。今は隣りの部屋にいらっしゃいます」


 隣り?…では帰ってはいないのかと、どこかホッと表情を緩める主わ冷ややかな目で見つめる。


「お帰りになるように申し上げたのですが、キーファン様のことを大層心配されて、“ おそばに居たい ”、と、つい先程までこちらのお部屋にいらっしゃいました。しかしながら貴方はなかなかお目覚めになられませんし、隣りの部屋にご案内した次第です」


「っ…。僕を心配して?…さっきまで、ココに?」


 従者の話に、キーユの心はまたそっと暖かくなる。そう言えば、と、ベッド脇のシーツが少し皺になっていることに気づくキーユ。


 ジーッとそこだけを見つめる主に、


 はぁ…。そうです。そちらに腰掛けておいででした。とゆっくり頷く従者。


「ぁ、触れても無駄だと思いますよ?先程と言っても15分以上も前の話です。恐らく温もりはもう残っておりませんから」


「っ…!!」


 思わず伸ばしかけていた手を、パッと引っ込めるキーユ。その耳がこっそり真っ赤になっていたのを、従者だけは見逃していなかった。


「あの、ケルティ、一つ聞くんですが、僕、その、あなたの解毒剤、どうやって飲みました…?」


「…。」


 恐る恐るそう伺う主。どうにもおかしいのだ。あの時、もう意識はほぼほぼ手放しかけていたはず。自力で飲めるような状態ではなかったことは確実に自覚していた。


 次の自分の言葉を待って息を呑む主に、ケルティはまた一つ大きく息をついた。


「覚えていらっしゃらないんですか?公女殿下が丁寧に貴方に飲ませてくださいましたよ。でね」


「はぇ?!」


(え、今何て?!

 く、口移して、ぇえ———っ?!)


 ケルティにきっぱりと言い放たれた言葉に、キーユは声にならない声を漏らして、そっと自分の唇に指を添える。その顔はわかりやすくじわじわ赤く染まっていくのだった。


「…自分で聞いておいて自分で照れるの、やめてもらっていいですか?」


「違っ、あの時は意識が朦朧としてたから、記憶も曖昧で…、だから、その、」


 冷たい視線でケルティにツッコまれて、慌てて言い訳じみた言葉を懸命に並べるキーユ。


「…。」


 一応確認しておきたかった、と?まぁ、なんともお可愛らしいこと、と目の前の主に呆れながら声にはせずに吐き捨てる従者。


「そうですか、お嬢様が、そんなことまで…」


 あ〜、もぅ、本当に一体何が狙いなんだ?公女殿下。やめてくれ!別の意味でまた熱が上がってしまうじゃないか———と、キーユは居ても立っても居られず、そばにあった枕をギュッと抱きかかえてそこに顔を埋める。


「…はぁ。1人盛り上がってるとこ大変恐れ入りますが、公女殿下いわく、“ お互い様 ”、だそうですよ?」


 少し気まずそうに話すケルティの言葉にキーユは、え…?とスッと枕から顔を上げる。


「 “ 困った時はお互い様 ” だ、と」


 ケルティはにと話したことだったが、それがまさにシンシアが言いそうな言葉だったためか、


「…っ、フフッ、公女殿下がそんなことを?」


 またあの子はそんなことを———と、キーユは朗らかに笑った。主のそんな顔つきが珍しいのか、ケルティはため息を一つついて口を開いた。


「…あの、キーファン様?貴方がどこの誰を好きになろうが私が口を出す権利はどこにもありませんが———、」


「ちょっ、好、き…、って、誰が誰を?!」


 聞き捨てならない言葉にキーユはパッと従者を見る。


「はぁ、今更何をおっしゃるんですか。貴方がクリミナードの公女殿下をですよ。もぅいちいち言わせないでくださいよ」


 貴方も人が悪い…と、面倒くさそうな渋い表情でいまだ真っ赤な主に答えるケルティ。


「っ?!ちょっ、僕が公女殿下を、好———、悪ふざけはやめてください!そんな恐れ多いこと…。本気で怒りますよ?!百歩譲って僕は目を瞑れますが、公女殿下に失礼です!あなたは命が惜しくないのですか?!」


「キーファン様こそ、お妃様がいらっしゃるにも関わらず、そのお立場なら、他の国の姫君さえも手に入るとお考えなのですか?」


「っ、だからやめてください!そんな言い方。それに、あの人はまだ内定しただけ。正式には妃に決まったわけじゃいない」


「だとしてもやめません。キーファン様、今一度思い出してください。貴方が何のためにこの国に来られたのか。それは、風の魔法を、特に傷病に効く “ 癒しの魔法 ” を学ぶためでしょう?ご自身の傷や病をご自身で癒せるように、と」


「…っ」


 従者の厳しい言いように返す言葉もないキーユ。


「私たち帝国の者が扱う “ 時の魔法 ” は治癒系統にはあまり適していない。全くないわけではありませんが、ほとんどが上級のものばかりで扱いが難しく、魔力の消費も激しい。そもそもそれらを自在に扱える者が著しく少ない」


「だから帝国は、あなたのような薬師や、医師たちが重宝される。薬の調合や手当は人の手でするもの。知識を、頭を使うだけで魔法を使うわけではないから魔力や体力を消費することもない」


「えぇ、そうです。我々医療に精通した者は、莫大な魔力も体力も必要ない。ただ薬学や医学の知識をココに入れておけばそれでいい。お陰様で、宮中や国を守る宮廷魔術師並みにお給金も弾んでもらってますしね」


 ケルティはニヤリとほくそ笑みながら親指と人差し指をつなげてコインの形を作る。


「けど、キーファン様はそれをあまり良しとしていないのでしょう?医療に精通した者たちは皆、否応なしに宮中に取られてしまいますから、良質な医療を受けられるのは皇族を始めとした宮中の者だけ。

 ただでさえ貴重な町医者にかかるには、莫大な金がかかってしまう。貧しい民はまず医療を受けられない。疫病なんて蔓延でもしたら、民はまず助からないでしょう。国の根幹をも揺るがす緊急事態となってしまう。

 それゆえ、こちらで風による癒しの魔法を学び、祖国へその技術を持ち帰り、民たちに広めるために、わざわざ風の国、クリミナード公国に留学されたのでしょう?四大元素の中で、は特に癒しの効力が強いからだと。立派なことではないですか。

 決してこの国に妃候補を選びに来られたわけではないはずです。くれぐれも目的を見失わないでください」


「…はぃ」


 従者に諌められたキーユは、力無い返事をして、さりげなくスッとベッドを抜け出るのだった。


「どちらへ?」


「っ!?」


 人知れず隣りの部屋へ向かおうとする彼の腕をグッと掴んで引き留める。


「…ちょっと、トイレ、に」


「御手洗はそちらではありませんよ。そっちは、公女殿下とその従者がいらっしゃるお部屋ですが?」


「あぁ、そうか、こっちだった。アハハ、ま、間違えた…」


 白々しく笑うキーユの頬は赤く染まっていた。


「フフッ、そうですか。まだ頭が正常に回っておられないようですので、もう暫く横になっておられた方がよろしいのでは?」


「も、もぅ、大丈夫ですっ!」


「…これだけは言っておきますが、を飲まれたんですよ?貴方は。いくら貴方が訓練によって毒慣れした体だと言っても、毒は毒です。実のところ、今のお身体の具合はいかがなのですか?」


「…、症状としては、はマシになってきました。さすが殿ですね。あれほど微量の液体から、あんな短時間で解毒薬を調合くださるとは、恐れ入ります」


 キーユはフワッと微笑むと、深々とケルティに頭を下げるのだった。


「宮廷薬師を舐めないでいただきたいものですね。貴方が死ねば私の首が飛ぶのですから、そりゃ必死こいて調べますよ」


「アハハ、左様で」


 主に向かってなんて言い草だ…と乾いた笑いで返す。


「で、どんな毒が?」


「マナヤカリですね。ワインが異様に甘かったのは恐らくそれです」


「マナヤカリ…、と言うと、睡眠薬?…あぁ、どうりで舌がよく痺れると思った」


 キーユは思わず苦笑いを浮かべる。マナヤカリとは、どこの国にも生息しており、すみれのように紫色の美しい花を咲かせる植物で、その根っこを煎じて薬として使われることが多い。


「普段は不眠の治療薬として使われることが多いですが、一歩量を誤れば、痺れや発熱を引き起こし、全身麻痺の身体にもなりかねない代物です。大方、公女殿下に飲ませて、薬が効いてきた所で部屋に連れ込む算段だったのでしょう」


「ったく、あのバカが考えそうなことですね。あの場でもしお嬢様が口にされていたらと思うと、…ゾッとする」


 苦虫を潰したようにギリッと奥歯を噛み締める主に、


 それは私の台詞です!とすかさず従者は返した。


「貴方の意識が朦朧とした時はゾッとしましたよ。どうしてあんな無茶なことを?一歩間違えれば死ぬ所だったんですよ?!」


 いい加減にしてくださいと言わんばかりの勢いだ。


「アハハハ…。別に構いません。それであの子が助かるのなら、この命、例えどうなろうとも———」


「黙ってください!」


 なおも失言を重ねる主に、従者は声を荒らげる。


「っ」


(あれ〜、僕、一応この人の主なんだけどな)


 従者が主に向けて放ってはいけない言葉が飛び出し、キーユはまたも苦笑いだ。


「正気ですか?!あの方はキーファン様の一体何なのですか?!想い人でもなければ、ほんの数日前に初めてお会いした方なのでしょう?そんな方に命をかけるだなんて、どうかしてます!」


「そんな方って、」


「そんな方です!いいですか?貴方は帝国人なのですよ?ここはクリミナード公国。我がクロノス帝国の従属国です。本当なら敬われなければならないのです。それなのに貴方は———」


「ケルティ、ここはクリミナード公国です。帝国ではありません。この国の姫君が危険に晒されそうなのに、見過ごせるわけがないでしょう?従属国なら尚更ですよ。いわば、親が子を守るようなものですよ」


「何言ってるんですか?!」


 せっかくの主の言葉が従者のその一言で返されてしまうのだった。


「まぁまぁ、何はともあれ僕は助かったんだからいいじゃないですか」


「たまたま助かったようなものです!」


でね」


「っ?!」


 そのなんとも食えない一言に、ケルティは次の言葉を出しそびれる。


「大丈夫です。たとえ僕が死にそうになっても、こんなに必死こいてそれを阻止してくださる優秀な薬師がいるのですから」


「キーファン様っ!」


「僕を殺さないでくださいね?ケルティ」


「っ、まったく、貴方と言う人は…」


 いたずらっ子のように微笑むキーユに、ケルティは大きくため息をついて目を覆うのだった。


「まぁ、ろれつもそれほど気にならないし、それだけ喋れるんだったら問題ないでしょう。思考もちゃんとしているようですし、明日には全快するはずです。…では、ごゆっくりお休みください!」


 畳み掛けるようにズバズバと言ってのけたケルティは、そのままキーユの部屋を後にしたのだった。


「…。」


 その場に残されたキーユは、圧倒されてしばらく動けないのだった。


 そして、やっと一人きりになったキーユは、先ほど止められてできなかったシーツの皺をそっと撫でるのだった。


「お嬢様…。貴女が僕を護ってくださったのですか———?」


 キーユはそう言って、再び自分の唇に手を這わせるのだった。そして耳を真っ赤にさせながらやはりまた枕に顔を埋めるのだった…。

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