3-3
———キーユの部屋
「っ…、あれ、どこだ? ココ」
キーユは暗い部屋で目を覚ました。
「…何処って、ご自分の部屋さえお忘れですか?」
「っ、ケル、ティ、」
突然声がしてそちらを向くと、執事服に身を包んだケルティと呼ばれる女性が燭台片手に部屋に入って来た。先ほど舞踏会の会場に解毒剤を持ってきた人物だ。
「まさか、貴女がここまで?」
「まさか。別の方に運んでいただきました」
「別の方って、一体誰が?」
「貴方がお気に入りの、
クリミナード公女殿下の従者です。確かお名前は———」
「っ、フィーゼが?!」
(嘘だろ?!2人がこの部屋に…??)
キーユは心の中でそう言いながらそっと俯く。
「あぁ、そうです、確かフィーゼと仰っておいででした」
「はぁ、ケルティ、…その、言っておきますがお気に入りは余計です。誤解を招くような言い方はやめてください」
「あら、違うのですか。心得ておきます」
白々しく答える彼女に、キーユはため息をつく。
「っ…、それより公女殿下は?」
「まったく、貴方という人は。ご自分がこんな目に遭われてもなお、あの方の心配ですか? …ご無事ですよ。今は隣りの部屋にいらっしゃいます」
「隣り?」
「えぇ。もうお帰りになるように申し上げたのですが、キーファン様を大層心配されて、“ おそばに居たい ”、と。
つい先程までこちらのお部屋にいらっしゃいましたが、貴方はなかなかお目覚めになられませんし、隣りの部屋にご案内した次第です」
「っ…。さっきまで、ココに?」
そう言えば、と、ベッド脇のシーツが少し皺になっていることに気づくキーユ。
ジーッとそこだけを見つめる主に、
「はぁ…。そうです。そちらに座っておいででした。触れても無駄だと思いますよ?先程と言っても15分以上も前の話です。恐らく温もりはもう残っておりませんから」
「っ…!!」
思わず伸ばしかけていた手を、パッと引っ込めるキーユ。その耳がこっそり真っ赤になっていたのを、従者のケルティだけは気付いていた。
「あの、ケルティ、一つ聞くんですが、僕、その、君の解毒剤、どうやって飲みました…?」
「…。」
恐る恐る伺う主に、ケルティは一つ大きく息をついた。
「あら、覚えていらっしゃらないんですか?
公女殿下が丁寧に貴方に飲ませてくださいましたよ。口移しでね」
「はぇ?!」
(え、今、何て?!…く、口移しって、ぇえ?!)
ケルティにきっぱりと言い放たれた言葉に、キーユは声にならない声を漏らして、そっと自分の唇に指を添える。その顔はじわじわ赤く染まっていくのだった。
「…自分で聞いておいて自分で照れるのやめてもらっていいですか?」
「違っ、あの時は意識が朦朧としてたから、記憶も曖昧で…、だから、その、」
冷たい視線でケルティにツッコまれて、慌てて言い訳じみた言葉を並べるキーユ。
「…。」
(一応確認しておきたかった、と?まぁ、なんともお可愛らしいこと)
目の前の主に呆れながら心の中で吐き捨てる従者。
「…そうですか、お嬢様が、そんなことまで———」
(あ〜、もぅ、本当に一体何が狙いなんだ?公女殿下。やめてくれ!別の意味でまた熱が上がってしまうじゃないか———)
キーユはいてもたってもいられず、そばにあった枕をギュッと抱きかかえてそこに顔を埋める。
「…はぁ。1人盛り上がってるとこ大変恐れ入りますが、公女殿下いわく、“ お互い様 ”、だそうですよ?」
「え…?」
ケルティの言葉にキーユはスッと枕から顔を上げる。
「“ 困った時はお互い様 ”だ、と」
「…っ、フフッ、公女殿下がそんなことを?」
(またあの子はそんなことを———)
ケルティは念のためにと話したことだったが、それがまさにシンシアが言いそうな言葉だったためか、キーユは朗らかに小さく笑った。主のそんな顔つきが珍しいのか、ケルティはため息を一つついて口を開いた。
「…あの、キーファン様?貴方がどこの誰を好きになろうが私が口を出す権利はどこにもありませんが———、」
「ちょっ、好、き…、って、誰が誰を?!」
「はぁ、何をおっしゃってるんですか。貴方がクリミナード公国の公女殿下をですよ。もぅいちいち言わせないでくださいよ。貴方も人が悪い…」
途端に真っ赤になる主に、面倒くさそうな渋い表情で答えるケルティ。
「っ?!…ちょっ、僕が、公女殿下を、好———、悪ふざけはやめてください!そんな恐れ多いこと…、本気で怒りますよ?!百歩譲って僕は目を瞑れますが、公女殿下に失礼です!貴女は命が惜しくないのですか?!」
「キーファン様こそ。お妃様がいらっしゃるにも関わらず、そのお立場なら、他の国の姫君さえも手に入るとお考えなのですか?」
「っ、だからやめてください!そんな言い方。それに、あの人はまだ内定しただけ。正式には妃に決まったわけじゃいない」
「だとしてもやめません。キーファン様、今一度思い出してください。貴方が何のためにこの国に来られたのか。それは、風の魔法を、特に傷病に効く“ 癒しの魔法 ”を学ぶためでしょう?ご自身の傷や病をご自身で癒せるように、と」
「…っ」
従者の厳しい言いように返す言葉もないキーユ。
「私たち帝国の者が扱う“ 時の魔法 ”は治癒系統にはあまり適していない。全くないわけではありませんが、ほとんどが上級のものばかりで扱いが難しく、魔力の消費も激しい。そもそもそれらを自在に扱える者が著しく少ない」
「だから帝国は、貴女のような薬師や、医師たちが重宝される。薬の調合や手当は人の手でするもの。魔法を使うわけではないから魔力や体力を消費することもない」
「えぇ、そうです。我々医療に精通した者は、莫大な魔力も体力も必要ない。ただ薬学や医学の知識を
ケルティはニヤリとほくそ笑みながら親指と人差し指をつなげてコインの形を作る。
「けど、キーファン様はそれをあまり良しとしていないのでしょう?医療に精通した者たちは皆、否応なしに宮中に取られてしまいますから、良質な医療を受けられるのは皇族を始めとした宮中の者だけ。
ただでさえ貴重な町医者にかかるには、莫大な金がかかってしまう。貧しい民はまず医療を受けられない。疫病なんて蔓延でもしたら、民はまず助からないでしょう。国の根幹をも揺るがす事態となってしまう。
それゆえ、こちらで風による癒しの魔法を学び、祖国へその技術を持ち帰り、民たちに広めるために、風の国、クリミナード公国に留学されたのでしょう?四大元素の中で、風は特に癒しの効力が強いからだと。立派なことではないですか。
決してこの国に妃候補を選びに来られたわけではないはずです。くれぐれも目的を見失わないでください」
「…はぃ」
従者に諌められたキーユは、力無い返事をして、さりげなくスッとベッドを抜け出るのだった。
「どちらへ?」
「っ!?」
人知れず隣りの部屋へ向かおうとする彼の腕をグッと掴んで引き留める。
「…ちょっと、トイレ、に」
「御手洗はそちらではありませんよ。そっちは、公女殿下とその従者がいらっしゃるお部屋ですが?」
「あぁ、そうか、こっちだった。アハハ、ま、間違えた…」
白々しく笑うキーユの頬は赤く染まっていた。
「フフッ、そうですか。まだ頭が正常に回っておられないようですので、もう暫く横になっておられた方がよろしいのでは?」
「も、もぅ、大丈夫ですっ!」
「…これだけは言っておきますが、毒を飲まれたんですよ?貴方は。いくら貴方が訓練によって毒慣れした体だと言っても、毒は毒です。実のところ、今のお身体の具合はいかがなのですか?」
「…、症状としては、全身の痺れはマシになってきました。さすが宮廷薬師殿ですね。あれほど微量の液体から、あんな短時間で解毒薬を調合くださるとは、恐れ入ります」
キーユはフワッと微笑むと、深々とケルティに頭を下げるのだった。
「宮廷薬師を舐めないでいただきたいものですね。貴方が死ねば私の首が飛ぶのですから。そりゃ必死こいて調べますよ」
「アハハ、左様で」
(主に向かってなんて言い草だ…)
キーユは苦笑いで心の中で呟いていた。
「で、どんな毒が?」
「マナヤカリですね。ワインが異様に甘かったのは恐らくそれです」
「マナヤカリ…、と言うと、睡眠薬?…あぁ、どうりで舌がよく痺れると思った」
キーユは思わず苦笑いを浮かべる。マナヤカリとは、どこの国にも生息しており、すみれのように紫色の美しい花を咲かせる植物で、その根っこを煎じて薬として使われることが多い。
「普段は不眠の治療薬として使われることが多いですが、一歩量を誤れば、痺れや発熱を引き起こし、全身麻痺の身体にもなりかねない代物です。大方、公女殿下に飲ませて、薬が効いてきた所で部屋に連れ込む算段だったのでしょう」
「ったく、あのバカが考えそうなことですね。あの場でもしお嬢様が口にされていたらと思うと、…ゾッとする」
「それは私の台詞です!貴方の意識が朦朧とした時はゾッとしましたよ。どうしてあんな無茶なことを?一歩間違えれば死ぬ所だったんですよ?!」
「アハハハ…。別に構いません。それであの子が助かるのなら、この命、例えどうなろうとも———」
「黙ってください!」
「っ」
(あれ〜、僕、一応この人の主なんだけどな)
従者が主に向けて放ってはいけない言葉が飛び出し、キーユはまたも苦笑いだ。
「正気ですか?!あの方はキーファン様の一体何なのですか?!想い人でもなければ、ほんの数日前に初めてお会いした方なのでしょう?そんな方に命をかけるだなんて、どうかしてます!」
「そんな方って、」
「そんな方です!いいですか?貴方は帝国人なのですよ?ここはクリミナード公国。我がクロノス帝国の従属国です。本当なら敬われなければならないのです。それなのに貴方は———」
「ケルティ、ここはクリミナード公国です。帝国ではありません。この国の姫君が危険に晒されそうなのに、見過ごせるわけがないでしょう?従属国なら尚更ですよ。いわば、親が子を守るようなものですよ」
「何言ってるんですか?!」
せっかくの主の言葉が従者のその一言で返されてしまうのだった。
「まぁまぁ、何はともあれ僕は助かったんだからいいじゃないですか」
「たまたま助かったようなものです!」
「貴女のおかげでね」
「っ?!」
その一言に、ケルティは次の言葉を出しそびれる。
「大丈夫です。たとえ僕が死にそうになっても、こんなに必死こいてそれを阻止してくださる優秀な薬師がいるのですから」
「キーファン様っ!」
「僕を殺さないでくださいね?ケルティ」
「っ、まったく、貴方と言う人は…」
いたずらっ子のように微笑むキーユに、ケルティは大きくため息をついた。
「まぁ、ろれつもそれほど気にならないし、それだけ喋れるんだったら問題ないでしょう。思考もちゃんとしているようですし、明日には全快するはずです。…では、ごゆっくりお休みください!」
畳み掛けるようにズバズバと言ってのけたケルティは、そのままキーユの部屋を後にしたのだった。
「…。」
その場に残されたキーユは、圧倒されてしばらく動けないのだった。
そして、やっと一人になったキーユは、先ほど止められてできなかったシーツの皺をそっと撫でるのだった。
「お嬢様…。貴女が僕を護ってくださったのですか?貴女の風が…」
キーユはそう言って、再び自分の唇に手を這わせるのだった。そして耳を真っ赤にさせながらまた枕に顔を埋めるのだった…。
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