2-3

 それから数日経つがキーユはとうとう教室にも姿を現さなくなっていた。


「キーユさん、具合悪いのかな?」


「さぁな。けど、授業に出てこないってことはそういうことなんじゃね?」


 放課後、鞄に荷物を詰め終わったフィーゼは席を立つ。それを見計らって、


「…ねぇ、キーユさんのところにお見舞いに行こうか?」


 とシンシアは提案するが、


「やめとけ。既にクラスの女子全員門前払いをくらってるんだ。行っても無駄」


 それはあっさりフィーゼに却下されてしまう。


「けど…、あ、フィーゼが作ったケーキを持って行こうよ!それ食べたらきっとキーユさん元気になるよ!この前、部屋にいらした時も美味しいって喜んでたし」


「…おぃ、聞いてたか?門前払い。部屋には入れねぇの」


「でも、私とフィーゼなら———」


「アイツが直接出てくる保証はどこにもねぇだろ?ってか、お嬢、そもそもキーユがどこの寮に住んでるのかわかってるのか?」


「…っ」


 フィーゼの言葉に、シンシアはハッと口を閉じる。この学園の寮は爵位ごとに棟が別れているが、当のキーユの、ヘウンという家名は、依然どの爵位なのか判明していない。…そう、はっきりとはわからないのだ。彼が一体どの棟に住んでいるのか。


「…でもフィーゼ、門前払いってさっき言ってた。みんなは知って———」


「あれは、ただの言葉の綾ってヤツ…。そう言えば素直に諦めてくれるかと思って」


「最っ低〜」


「ごめんって。…でも、わからんのに行きようもないだろう?」


「…。」


 その言葉には返しようがないシンシア。俯いてしまう彼女に、フィーゼは一緒に部屋に戻るように促す。…が、


「フィーゼは先に帰ってて。私はに行くから」


「はぇ、また図書館?」


 シンシアの言葉にフィーゼは呆れ顔だ。


「今日は会える気がするの、キーユさんに。だから———」


「お嬢、それ毎日言ってる。ってか、最近変だぞ?今までそんなに誰かに執着することなかったのに、なぜアイツにはそんなに構う?そんなにこだわる?」


「…っ」


(そういえば、なぜなんだろう?)


 フィーゼにいざそう聞かれて、シンシアは自問自答する。


「きっと、初めてだったから。何の意図も打算もなく、私なんかに声をかけてくれた人は」


 そう言ったシンシアの顔はとても穏やかで柔らかくて、フィーゼは思わず見惚れてしまっていた。


「それにキーユさんはいつも丁寧に私の話に耳を傾けてくださる。それが嬉しい、んだと思う」


「っ、それなら俺だって———」



「だってそれは、フィーゼが私の、でしょう?」



「っ、」


 シンシアの一言に、フィーゼは一瞬言葉を失った。


「おぃ、それ本気で言ってんのか?」


「ぇ?」


「俺がお嬢の従者だから仕方なく貴女に世話を焼いてる、そう言いたいのか?」


 フィーゼの声は普段より低くシンシアに響いた。


「…ぇ、でも、そう、でしょう??」


「っ…。はぁ、そっか。貴女の胸の内はよ〜く分かった」


「ぇ、ちょっ、フィーゼ?」


 フィーゼはそのまま顔を伏せてスッとシンシアの隣を通り過ぎていく。


「お嬢は何も分かってない。せっかく俺が、俺が貴女の———」


「私の、なに?」


 突如言い淀んだフィーゼは、


「…もぅいい」


「待ってよ、フィーゼ!」


 シンシアの言葉を聞かずそのまま放課後の教室を後にしたのだった。


「フィーゼ、一体何を言おうとしたの?」


 シンシアはフィーゼの背中を見送りつつ足は図書館へ向かったのだった。



 —————————

 

 図書館に到着したシンシアは、脇目も降らずただ一直線にとある目的地を目指す。それは以前、金色の蝶々が導いたキーユを見つけた場所。幾重にも並ぶ本棚の奥の奥。滅多に人が立ち寄らないような、難しい分厚い本が数多収められた区域で、館内でも一際物静かな場所。…が、しかし———、


「…今日もいない、か」


 キーユの姿は今日も見当たらない。シンシアはあれから毎日ここへ通っているが、キーユとはまだ会えないままだ。


「やっぱり、お部屋で休まれてるのかな」


 シンシアが諦めて踵を返したその時、


「———っ、」


 彼女の前を、ゆらゆらとあの金色の蝶々が横切って行ったのだった。そちらに目を奪われていると、



「シンシアさん?」



「っ?!」


 背後から彼女がよく知る、そして一番聞きたかった声がして咄嗟に振り返るのだった。


「キーユ、さん…?」


 そこにはシンシアが一番会いたかった、キーユその人が片腕に本を抱えて目を丸くして立っていた。



(やっと、見つけた…)



 心の中でそう呟いて心底ホッとするシンシア。



(やっと、会えた…)



 トクンットクンッと高鳴る鼓動を噛み締めるシンシアがキーユの顔を見るのは、実に10日ぶりのことだった。


(キーユさん、なんだか疲れた顔してる。それに前お会いした時より少しお窶れになったようにも見える)


 シンシアは心の中でポツリと呟く。会えない間のキーユの変化にシンシアは敏感に反応していた。


(ねぇ、キーユさん?そんなになるまで、一体今まで、どこで、何をして———?)


 聞きたいことは胸の内に留まるだけで、言葉にする勇気まではこの時は持ち合わせていなかった。 何も言えずただじーっとキーユの顔を見ることしかできないシンシアに、キーユは、



「——やっと見つかってしまいましたね」



 困ったように、でもどこか嬉しそうにそう彼女に告げるのだった。まるでシンシアの心の声が聞こえたかのように…。


「…っ」


(もしかして私、心の声、漏れてた?)


 シンシアはハッと口元を手で覆い隠す。そして同時にハッと気がつくと、もうそこには金色の蝶々の姿はどこにもなかった…。


 シンシアはキーユに心の内を見透かされたようで途端に恥ずかしくなったのか居ても立っても居られず、慌ててその場を駆け出そうとした。



「待って、行かないで…!」



 キーユは咄嗟に彼女の腕を掴み、それを阻止した。


「シンシアさん。書き置き、見てくださったのでしょう?」


「…っ!?」


 その言葉に、シンシアはやっと動きを止めた。いまだブレザーのポケットに入っているキーユの書き置きをそっと握る。


「申し訳ありません、何日も来れなくて。どうかお願いです。貴女の心に閉じ込めてた言葉を僕に聞かせていただけませんか?」


 キーユの声はとても穏やかで、優しくて、落ち着いていた。シンシアはその声に自然と緊張を解かれていく…。すると、彼女の中に押し込められた言葉が、そっと外に溢れ出す。


「どう、して…?どうして急にいなくなったりしたんですか?」


「っ…」


「今までどちらにいらしたのですか?心配するじゃないですか。音もなく急にいなくなられては———」


「…。」


(心配、してくださっていたのか…??こんな僕のことを———?)


 キーユは一瞬耳を疑いながら、シンシアから目が離せなくなる。そんな彼の心の中には、ほんわり温もりが灯るのだった。


「私、ずっと探してたんですよ?キーユさんに会いたくて、ずっと———」


「シンシア、さん…」


(ちょっ、ま、待ってくれ、なんだその可愛い言い草は?!ぇ、え?今のは空耳か?…いや、貴女の言葉を聞かせてくれと言ったのは僕の方だが…。わざとか?わざとなのか?僕を煽って一体どうするつもりなんだ?貴女は)


 シンシアのあまりにドストレートな言葉に、怒られているはずのキーユはただただ赤面する。


「一体今まで、どこで何をしていらっしゃったんですか?この前せっかく見つけたと思ったら、またすぐいなくなって———っ、そんな姿になるまで10日間も一体何を?!」


「…ん?そんな姿?」


(そんな言われるほど、今の僕は酷い顔をしているのか?———ぇ、そんなに??)


 シンシアの言葉をにわかには受け入れられないキーユに、彼女はブレザーの内ポケットから小型の手鏡を取り出して、そこにキーユの顔を写した。


「うわ〜」


(こりゃ酷い。これが、僕…? やっぱりあんなハイペースで力を使うとダメだな。体への反動が半端ない)


 キーユは心の中でそう言うと、苦笑いしながら改めて鏡の中の酷い有様の自分の顔に、言葉を失う。


「と、とにかくそこに座ってください」


「は、はい!」


 シンシアはピッと床を差し、キーユは言われるがままにその場に腰を下ろした。その傍らにシンシアもしゃがみ込む。そして目を閉じると、彼に手をかざし、治癒魔法を施してやるのだった。


「シンシアさん、それ、詠唱破棄ですか?」


「ぇ?…はい。一応、ココは図書館ですので、静かにやらないと。この前やった時はそれを忘れてて…」


「フフッ、周りへの配慮も素晴らしい。さすがシンシアさんだ」


 詠詠唱破棄と呼ばれる、詠唱抜きで魔法を発動させること自体高度な技だが、それをそんな理由でなんなくやってのけるシンシアにキーユは驚くとともに笑いを漏らした。シンシアが意識を集中させる手のひらの周りには、次第にターコイズブルーの光とともに優しい風が生まれる。そしてその風が、キーユの体全体を優しく包み込み、彼が受けたダメージを和らげていく。


 風が凪いだ時にはもう、キーユはすっきりと健康体の人の顔つきになっていた。


「ありがとうございます、シンシアさん。また貴女に助けられてしまいましたね」


「気にしないでください。これくらいしか、私は人の役に立てるものがありませんから」


「そんな、十分じゃないですか。こんなに素晴らしい力をお持ちだなんて、さすが風の国の姫君です。なんなら、これからは会うたびにその魔法をかけていただきたいくらいです」


「はぇ?!」


 そう言って褒めちぎるキーユに、褒められ慣れてないシンシアは、途端に顔を赤くさせて照れ臭そうに目を伏せる。


(それって私と会うたびに、どこか怪我をして来るって言ってるようなものでは?!キーユさん、とびきりの笑顔で何言って———)


 シンシアはキーユのとんでも発言にたじろぐのだった。



「キーユさんは、


 もっとご自分を大事にしてください」



「———っ、」


(…嗚呼、また、怒られてしまった)


 キーユは心の中でそう言うものの、どこか嬉しそうに微笑む。


「もっと自分を大事に、か…。そうですね、肝に銘じます」


 シンシアの言葉にキーユは笑顔で答えるのだった。


「そう言えばキーユさん、ブレザー、着てない…?」


「あぁ、どこかに置き忘れて来てしま———」


「やっぱりアレ、キーユさんのだったんですね?この前、帰り際に私の肩にかけてくださったんですよね?…私の部屋でちゃんとお預かりしてます。またお返ししますね」


 言葉を遮って食い気味に話すシンシアにキーユは目を丸くしつつ、


「っ…」


(わざわざ持って返ってくださっていたのですね。てっきり捨て置かれたのかと思っていた)


 シンシアの丁寧な対応をしてくれていたことにホッと彼女を見るのだった。


「そういえばシンシアさん、この前は先に帰ってしまってすみませんでした。肩、痛くなかったですか?」


「っ、この前のあれは、やっぱり夢じゃなかったんですね?良かった」


「ユメ…?」


 ホッと胸を撫で下ろすようにポツリと零したシンシアにキーユは首をかしげた。


「キーユさんが寝惚けて私を抱きしめてきたり、」


「し、シンシアさん?!」


(やめてくれ、あの醜態を思い出させないで…)


 突然シンシアの口から飛び出した言葉に、キーユは途端に小刻みに震えながら心の中で願う。


って呼んだり、あと、って…」


「っ…、」


(あ〜、やはり一部始終を覚えておられるのか。…うん。できればアレは夢であってほしかった)


 シンシアの言葉にまた消えてしまうのではないかと言うほどにどんどん縮こまっていくキーユ。


「あれ、キーユさん??」


 そんなキーユの姿に、シンシアは改めて彼の方を見た。


 「ねぇ、キーユさん、教えてください。お嬢様って、やっと見つけたって、一体どう言うことなんですか?」


 シンシアは何も臆することなく、またキーユに胸の内を打ち明けていた。


「っ、それは———、」


 しかし、この時ばかりはキーユは珍しく言い淀んだ。そんな彼を見て、


「…ぁ、すみません、私、また余計なことを。すみません、忘れてください。」


(また、だ。なんでも聞かせてくれと言う言葉に、調子に乗ってしまった。人が聞かれたくないことを、書かれて嫌なことを、考えもなしにズカズカと口走ってしまう…)


 シンシアは“ またやってしまった… ” と言うようにクッと顔を歪めて、下唇を噛む。せっかく彼から与えてもらった勇気と勢いを、自らの手で一気に手放してしまったかのようだった。


「…すみません、俯かないで?どうぞ顔を上げてください。ちゃんとお話ししますから」


「っ…」


 キーユは一つ息をついて渋々腹を括ったのだった。シンシアは穏やかな口調で言うキーユに、申し訳なさそうに顔を上げる。そしてそのまま床に腰を下ろそうとすると、


「あ、ちょっと待って、」


 と、キーユに慌てて止められる。


「やっぱり、向こうの席に座りましょう。シンシアさんの服が汚れてしまいますし」


「いぇ、大丈夫です、ココで。キーユさんが落ち着く場所なのでしょう?それにココなら、誰からも見つかりませんし」


 キーユの言葉に、そう言って悪戯っ子のように笑うシンシアに、


「———っ、…えぇ、そぅですね」


 キーユもそっと頷き、微笑んだ。

 さりげないシンシアの気遣いが、キーユの心をまた一つ、暖かくさせたのだった。

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