第7話ー溢れ出たものー
それから数日経つがキーユはとうとう教室にも姿を見せなくなっていた。
そんなとある放課後だった。
「キーユさん、具合悪いのかな?」
心配そうに呟く主に、さぁなと塩対応の従者は、授業に出てこないってことはそういうことだろうとそそくさと鞄に荷物を詰め終わって席を立つ。それを見計らって、
「…ねぇ、キーユさんのところにお見舞いに行こうか?」
とシンシアは提案してみる…が、
「やめとけ。既にクラスの女子全員門前払いをくらってるんだ。行っても無駄だ」
せっかくのそれもあっさり一蹴されてしまう。
「けど———。ぁ、フィーゼが作ったケーキを持って行こうよ!それ食べたらきっとキーユさん元気になるよ!この前、部屋にいらした時も美味しいって喜んでたし」
「おぃ、聞いてたか?門・前・払・い。部屋には入れねぇの」
意外にも諦めが悪い少女にフィーゼはため息混じりに振り返る。
「でも、私とフィーゼなら———」
「アイツが直接出てくる保証はどこにもねぇだろ?ってかお嬢、そもそもキーユがどこの寮に住んでるのかわかってるのか?」
「…っ」
フィーゼの言葉に、シンシアはハッと言葉をなくす。この学園の寮は爵位ごとに棟が別れているが、当のキーユの “ ヘウン ” という家名は依然どの爵位なのか判明していない。…そう、はっきりとはわからないのだ。彼が一体どの棟で生活しているのか。
「…でもフィーゼ、門前払いってさっき言ってた。みんなは場所を知って———」
「あ、あれは〜、ただの言葉の綾ってヤツ…。そう言ったら素直に諦めてくれるかと思って」
そっぽを向きながらもごもごと答える従者に、最っ低〜と言葉を投げつける主。その眉間には珍しく皺が寄っていた。
「ごめんって。…でも、わからんのに行きようもないだろう?」
「…。」
それには何も返しようがく、悔しそうに口を尖らせ、ぷぅ、と頬を膨らませて俯いてしまう少女。それを見て、へぇ、今日は珍しくガキっぽいことをする、と彼女らしからぬ行為に従者は思わず目を丸くする。
普段感情を押し殺して生きるのが当たり前になっているシンシアが、他人の言葉にこうも食い下がったり、駄々をこねるような真似をするのはとてもレアなことなのだ。
今まで異常なまでに落ち着き過ぎていた彼女が、最近になってだんだんと年相応に、いやそれ以上に子供じみていく…。従者は目の前の少女の変化に違和感を覚える、と言うよりも戸惑っていた。そんな姿を見せ出したのは明らかにキーユが現れてからだということにも少なからず気付いていた。
意外すぎる主の仕草に一瞬揺らぎそうになるのを懸命に理性で押さえつけて、一緒に部屋に戻るように促す従者。…が、しかし、
「フィーゼは先に帰ってて。私は図書館に行くから」
と、スパンと断られてしまう。
「はぇ、また図書館?」
思わず口から飛び出した言葉に、飽きないねぇと、付け加えて、少年はつまらなそうな顔をするのだった。
「今日は会える気がするの、キーユさんに。だから———」
「お嬢、それ毎日言ってる。ってか、最近変だぞ?今までそんなに誰かに執拗に干渉することなんてなかったのに、なぜアイツをそんなに構う?そんなにこだわる?」
「…っ」
そういえば、なぜなんだろう?と、いざそう聞かれて、シンシアは改めて自問自答する。
「きっと初めてだったから。何の意図も打算もなく、私なんかに声をかけてくれた、唯一の人———」
そう言った少女の顔はとても穏やかで柔らかくて、従者はあまり見せない彼女のそんな顔に何も言わずただ見惚れてしまっていた。
「それにキーユさんはいつも丁寧に私の話に耳を傾けてくださる。それがなによりも嬉しい、んだと思う」
「っ、それなら俺だって———」
「だってそれは、フィーゼが私の従者だから、でしょう?」
「っ?!」
シンシアの一言に、フィーゼはそのまま言葉を失った。
それからハッと息を吐き捨て、
それ、本気で言ってんのか?と、いつもより低くなった声のトーンでボソッと溢す。
先ほどとは明らかに様子が変わった従者に、主は、ぇ?と小さく首をかしげる。
「俺はお嬢の従者だから、仕方なく世話を焼いてる、貴女はそう言いたいのか?」
やはり低いまま、低空飛行に落ち着いている彼の声は、どこか黒いモヤをまとって主の耳に、心に、やけにビリビリと響く。
嗚呼、また何か無意識のうちに余計なことを口走ってしまったのかと、少女は後悔に打ちのめされ、目の前の彼をうまく見られなくなっていた。
何を間違えたのだろうか。何が彼を怒らせてしまったのだろうか。モヤっとさせてしまったのだろうかと不安と焦りがシンシアの心をじわじわと侵食していく。でも、いくら考えてもその理由がわからない。
「だって、そう、でしょう———?」
思わず震え上がってしまう少女は、怯えた顔で従者を伺い見ることしかできなかった。
その上目遣いは従者をドキッとさせるどころかむしろ、少女にそんな顔をさせてしまった罪悪感で居た堪れなくさせていた。
“ フィーゼが私の従者だから——— ”
何も間違ったことは言っていない。しかし、心がそれだけでは満足してくれなかったのだ。
10年も共にしているこの子と自分の関係性が、たったその一言で片付けられてしまったことへの虚しさ、もどかしさ、やるせなさ、そして寂しさ———。
まるで絵の具のように一つ一つ色を持った様々な感情が、パレットの上に無造作に絞り出され、黒にも似たよくわからない色へとぐちゃぐちゃに混ぜ合わされたかのような感覚に襲われた。
少年は一つ力なく息をつくと、
そうか、それが貴女の心の内かと、そっと主から顔を逸らす。
「お嬢は何もわかってない。せっかく俺が、俺が貴女の———」
「私の、なに?」
突如言い淀んだ従者は、もぅいい、と続きは諦めてスッとカバンを肩に引っかけ主の隣を通り過ぎる。
「待ってよ、フィーゼ!」
主の言葉を聞かず振り返ることもないまま、従者は教室の外へ消えていった。
「一体何を言おうとしたの?」
シンシアは解せない従者の心に表情を歪ませながらその背中を見送ることしかできなかった。
それから俯いて一つ息をつくと、その足は彼を追いかけるのではなく、やはり図書館へ向かったのだった。その途中、廊下の窓にはいつしか数多もの雨粒が打ち付けているのだった。
—————————
図書館に到着したシンシアは、脇目も降らずただ一直線にとある目的地を目指す。それは以前、金色の蝶々が導いたキーユを見つけた場所。幾重にも並ぶ本棚の奥の奥。滅多に人が立ち寄らないような、難しい分厚い本が数多収められた区域で、館内でも一際物静かな場所。…が、しかし———、
「…今日もいない、か」
キーユの姿は今日も見当たらない。シンシアはあれから毎日ここへ通っているが、キーユとはまだ会えないままだ。
やっぱりお部屋で休まれてるのかなと、シンシアが諦めて踵を返したその時、
「———っ、」
彼女の前を、ゆらゆらとあの金色の蝶々が横切って行ったのだった。そちらに目を奪われていると、
「シンシアさん?」
「っ?!」
背後から彼女がよく知る、そして一番聞きたかった声がして咄嗟に振り返るのだった。
「キーユ、さん…?」
そこにはシンシアが一番会いたかったその人が本を携えて目を丸くして立っていた。
(やっと、見つけた…)
心の中でそう呟いて心底ホッとするシンシア。思わず彼に目を奪われたまま、その場から動けなくなる。
(やっと、会えた…)
その姿を見た瞬間、先ほど教室で受けたダメージで虫の息だった鼓動は、徐々に活力を取り戻すように、トクンットクンッと力強く脈打ち出す。それをホッと噛み締めるシンシア。
彼女がキーユの顔を見るのは、実に10日ぶりのことだった。
少年の顔はこの時もどこか疲れたように見えた。それに前会った時より少し窶れになったようにも見える。たった10日しか経っていないというのに、そんな小さな変化でも敏感に感じ取っていた。
(ねぇ、キーユさん?そんなになるまで、一体今まで、どこで、何をして———?)
聞きたいことは胸の内に留まるだけで、言葉にする勇気までは持ち合わせてはいなかった。何も言えずただ心配そうにじーっと目の前の彼を見ることしかできない少女に、当の彼は、
「——やっと見つかってしまいましたね」
少し困ったように、でもどことなく嬉しそうに溢すのだった。まるでシンシアの、“ やっと見つけた ” という心の声が聞こえたかのように。
「…っ」
もしかして無意識に声に出してしまっていたのだろうかと少女は焦って口元を手で覆う。そして思い出したように辺りを見渡すが、もうそこには金色の蝶々の姿はどこにもなかった。
心の内を彼に見透かされたようで、照れ臭さから途端に居ても立っても居られず、慌てて踵を返してその場を駆け出そうとするシンシア。
「行かないでっ!」
キーユは咄嗟に華奢な腕を掴み、それを阻止した。
「書き置き、見てくださったのでしょう?」
「っ!?」
少女は何も言わずにやっと動きだけ止めた。いまだブレザーのポケットに大切に入れてあるそれを密かに握る。
「申し訳ありません、何日も来れなくて」
キーユの声はとても穏やかで、優しくて、落ち着いていた。シンシアはその声に自然と緊張を解かれていく…。するとどうだろう。堰を切ったように彼女の中に押し込められていた言葉が、次第に外に溢れ出していくのだった。
「どう、して…?どうして何日もいらっしゃらなかったんですか?」
「っ、それは———」
ちょっとやることがあって、と彼は後頭部をぽりぽり掻きながら力なく笑う彼。
「心配するじゃないですか。音もなく急にいなくなられては」
「…ぇ、」
心配してくださっていたのか?こんな僕のことを———?と、一瞬耳を疑いながらも、キーユは少女から目が離せなくなる。
「私、ずっと探してたんですよ?キーユさんに会いたくて、ずっと———」
「僕に、会いたくて…?」
(いやちょっと待ってくれ!なんだその可愛い言い草は?!ぇ、え?これは空耳か?まさか、夢オチってやつじゃないよな?)
次々に飛び出してくるあまりにどストレートな言葉に、多分自分は怒られているはずなのだが、ただただ困惑すると共に赤面する。
「この前せっかく見つけたと思ったら、またすぐいなくなって———、そんな姿になるまで、10日間も一体何をされてたんですか?!」
「…ん?そんな姿?」
そんな言われるほど酷い顔をしているのか?と、自身をキョロキョロと見渡しながらペタペタと頬に触れてみる。
そんな彼を見て、少女は黙ってブレザーの内ポケットから小型の手鏡を取り出して、そこにその人の顔を写した。
「っ、うわ〜」
(こりゃ酷い。やっぱりあんなハイペースで力を使うとダメだな。体への反動が半端ない)
キーユは鏡の中を見つめて、ポカンと口を開けたまま苦笑いした。
そこには頬がこけて、目の下にはクマができた酷い有様の自分が写っていたのだ。
「と、とにかくそこに座ってください!」
「は、はい!」
ピッと足元を差され、言われるがままにその場に腰を下ろした。その傍らに彼女もしゃがみ込む。そしてそのまま目を閉じると、自分に手をかざし、治癒魔法を施そうとしているようだった。
「シンシアさん、それ、詠唱破棄ですか?」
「ぇ?…はい。一応、ココは図書館ですので、静かにやらないと。この前はそれを忘れてて…」
と、照れくさそうに服の内側にしまってある笛の辺りを片手で握る。
ここは図書館の奥ということもあって、小さくだが笛を鳴らしても気付かれることはなかったのだ。
「フフッ、周りへの配慮もちゃんと忘れずに…、さすがシンシアさんだ」
詠唱破棄と呼ばれる、詠唱抜きで魔法を発動させること自体高度な技だが、それをそんな理由でなんなくやってのける少女にキーユは驚くとともに笑みを溢した。シンシアが意識を集中させる手のひらの周りには、次第にターコイズブルーの光とともに優しい風が生まれる。そしてそれが彼の体全体を優しく包み込み、受けたダメージを和らげていく。
しばらくして風が凪いだ時にはもう、キーユはすっきりと健康体の人の顔色に戻っていた。
ありがとうございます。また助けられてしまいましたねと、少年は深々と頭を下げる。
「助かるだなんてそんな…、気にしないでください。これくらいしか、私は誰かの役に立てるものがありませんから」
と困ったように自信なさげに微笑む彼女に、
「十分じゃないですか。こんなに素晴らしい力をお持ちだなんて、さすが風の国の姫君です。なんならこれからは、会うたびにその魔法をかけていただきたいくらいです」
と褒めちぎる少年。
褒められ慣れてないシンシアは、途端に顔を赤くさせて照れ臭そうに目を伏せる。
しかし彼の言葉をよくよく考えると、ある疑問が浮かび上がった。
(それって私と会うたびに、どこか怪我をして来るって言ってるようなものでは?)
とびきりの笑顔で、この人は何を言って———と、少女はそう思いながら彼のとんでも発言にちょっと引いてしまうのだった。
「キーユさんは、
もっとご自分を大事になさってください」
「———っ、」
また、怒られてしまったと、少し調子に乗った自分の発言を反省しつつも、どこか嬉しそうなキーユ。
肝に銘じますと素直に頷くのだった。
「そう言えばキーユさん、ブレザー、は…?」
辺りを見渡してもそれらしきものが見当たらず、もしかしてとシンシアは彼に聞いてみる。
「あぁ、アレならどこかに置き忘れて———」
「やっぱりアレ、キーユさんのだったんですね?」
とぼける彼の言葉を遮って、食い気味に話すシンシアに、キーユは、え?と少し驚いた表情を浮かべた。
「あの時、帰り際に私の肩にかけてくださったんですよね?
大丈夫です。私の部屋でちゃんとお預かりしてますので、後日お返ししますね」
あぁ、持って返ってくれていたのかと、予想外の言葉に少しだけ目を丸くしながらも、ありがとうございますと微笑むキーユ。
てっきり捨て置かれたものと思っていたので、仕立て直しも検討していたため、シンシアがそうやって丁寧な対応をしてくれていたことにホッと息をつく。
「そういえばこの前は先に帰ってしまってすみませんでした。肩、痛くなかったですか?」
「っ、この前のあれは、やっぱり夢じゃなかったんですね?良かった」
「ユメ…?」
ホッと胸を撫で下ろすようにポツリと零したシンシアにキーユは首をかしげた。
「キーユさんが寝惚けて私を抱きしめてきたり、」
「っ、し、シンシアさん?!」
(ちょっ、やめてくれ、あの醜態を思い出させないで———)
突然少女の口から飛び出した言葉に、途端に小刻みに震えながら心の中で願う。
「お嬢様って呼んだり、あと、やっと見つけたって…」
「っ…、」
(あ〜、やはり一部始終を覚えておられるのか。…うん。できれば僕もアレは夢であってほしかった)
シンシアの言葉にまた消えてしまうのではないかと言うほどに、彼はどんどん縮こまっていく。
「ねぇキーユさん、教えてください。お嬢様って、やっと見つけたって、一体どう言うことなんですか?」
シンシアは何も臆することなく、再びキーユに胸の内を打ち明けていた。
「っ、それは———」
しかし、この時ばかりはキーユは珍しく言い淀んだ。そんな彼を見て、
「…ぁ、すみません、私、また余計なことを———。ごめんなさい、忘れてください」
(だめだ、無意識に調子に乗ってしまった。人が聞かれたくないことを、聞かれて嫌なことを、考えもなしにズカズカと———。私、最低だ)
シンシアは “ またやってしまった… ” と言うようにクッと顔を歪めて、下唇を噛む。せっかく彼のおかげで少しづつ手にしてこられた勇気を、今ここで自らの手で一気に手放してしまったかのようだった。
「シンシアさん、どうぞ顔を上げてください。ちゃんとお話ししますから」
「っ…」
これ以上は逃れようがないと悟った少年は、一つ息をついて渋々腹を括ったのだった。シンシアは穏やかな口調の彼に、申し訳なさそうに顔を上げる。そして改めて彼の隣に座り直そうとすると、
「あ、ちょっと待って———」
と、慌てて止められる。
「やっぱり、向こうの椅子に座りましょう。シンシアさんの服が汚れてしまいますし」
「いぇ、大丈夫です。ココ、キーユさんが落ち着く場所なのでしょう?」
少年の言葉にシンシアはそうサラッと言ってのける。
ココなら、誰に見つかることもないでしょうしと、少し悪戯っ子のように笑うのだった。
そんな彼女に、えぇ、そうですねとキーユもそっと頷き、微笑んだ。
さりげない彼女の気遣いが、キーユの心をまた一つ、ぽわぽわと暖かいものを広げていくのだった。
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