2-2

 それからシンシアは思いついたようにボソボソと魔法の詠唱を始めた。それは昨日フィーゼに施した治癒魔法、癒しの風の詠唱だった。すると、シンシアを含めそれを抱き抱えるキーユの周りをゆるやかな風が優しく包み込むのだった…。



「ん、僕、寝てたのか? っ、そういえば体が軽くなった気が———。今まで疲労や倦怠感で重ダルかったのに、なぜ?」


 ふと、重たい瞼を開いたキーユはすぐに今までとは違う体の変化に気づいた。そして、これまたあることに気づく。


「ヒっ———?!」


 キーユは声にならない声を静かに上げた。彼の目の前には何と、あのシンシアがいるではないか?!しかもその彼女をガッチリ抱き締めているのは間違いなく自分の腕で…。


「ぇ、え?な、なんで…??」


 今の状況をうまく飲み込めず、パニックなキーユ。


(なんでこんな所にお嬢様が?!てか、え?な、なんで僕が、

 

 抱きしめて———??)


 思いもよらない光景に思わず発狂しそうになるのを、キーユは懸命に堪えながら心の中で言葉を漏らした。


「…っ⁈」


 必死に思考回路を巡らせて、キーユはある答えを導き出した。


「ぇ…、ちょっ、待っ———?!」


(嘘だろっ? アレは、のはずじゃ…??)


 どうやら先ほどシンシアにした行為は全て彼の夢の中の出来事だと思っていたらしい。だが、それこそ夢のような話だったのだ。


 現実を知ってしまったキーユは、



(…詰んだ )



 頭は真っ白になり、ただうなだれるしかなかったのだった。


(嗚呼、誰でもいい、今すぐ僕を殺してくれ…)


 心の中で懇願するキーユに、もはや何かを考える余裕さえ残っていなかった。



「…あ、あの〜」


「ぇ…?」


「お目覚めですか?キーユさん」


 キーユがもぞもぞ動き出したのに気づき、彼の腕の中にいるシンシアが上目遣いでそっと彼を見上げ、視線が重なり合う2人。


「っ⁈」


(いや、近っ! ちょっ、待って、その目は反則だろ… )


 キーユは手で口元を覆いながら、慌てて顔を逸らす。その頬はほんのり赤く染まっていた。


「あれ、キーユさん、顔が赤く———」


「なってません!これは、その、貴女の、」


(貴女のせいです、シンシアさん)


 キーユは心で呟きながらシンシアから顔を逸らす。 


「ふぇ? 私?


 …ぁ、そうだ、体はもう平気ですか?ココで貴方を見つけた時、だいぶお疲れのよように見えたので」


「っ、もしかして、シンシアさんですか?僕に何かしてくださいました?」


「えぇ、少し。昨日フィーゼにしたものの応用です。ちょっとは楽になったんじゃないかと」


「どうりで…。ありがとうございます。起きた瞬間体が軽くて、びっくりしました」


(まるで、魔力の供給を受けたかのようだった)


 キーユはシンシアの力に驚くとともに、自分の手のひらを見つめながら心の中で呟くのだった。


「ぁ、あの、すみませんキーユさん、そろそろ腕を…」


「へ? …ぁ!! も、申し訳ございません、僕」


 苦笑いのシンシアに、キーユは慌ててシンシアを解放するのだった。そして2人は横に並んでちょこんと座る。暫くの沈黙と気まずい空気が包む中、キーユは自らの過ちにずっと顔を伏せてうずくまっていたのだった。


「あ、あの、」


 まずシンシアが口を開いたかと思うとその途端、


「た、大変申し訳ございません!!」


「ちょっ、え、キーユさん?!」


 キーユは額を床に付けて全力でシンシアに土下座する。


「やめてください! そんな———」


「ダメです!貴女様は一国の公女殿下なのに、そんなお方に僕は———」


(なんて大罪を犯してしまったんだ。死罪だって免れないぞ…)


 自分で改めて言葉にしてキーユの顔はみるみる青ざめていく。


「ちょっ、顔を上げてください。きっと寝ぼけていたのでしょう?仕方ありませんよ」


(そりゃまぁ、結構ビックリはしたけど…)


 シンシアは頬をポリポリかきながら苦笑いで答えるものの、先程のキーユを思い出してまた少し顔を赤くした。


「そういえばシンシアさんこそ、お顔が赤いです。熱でもあるんじゃ——」


 渋々顔を上げたキーユだったが、心配そうにシンシアの顔を見上げる。


「ぇ?!ぁ、い、いぇ、これは…、これは貴方の…」


(貴方のせい…)


 シンシアは最後まで言葉にせずに、そっとキーユから目を逸らす。


「ぇ、僕が何かしましたか??」


「っ、したけど、してません!」


「はぃ??」


 シンシアはとうとう俯いてしまい、その耳は赤く染まっていた。そんな彼女を見て、


「…フフッ、可愛い」


 ポツリと呟いたキーユの言葉は、あまりに小さ過ぎてシンシアには届かなかった。


「では、私はそろそろ行きますね」


「ぇ?」


「え?」


 不意に声が漏れたキーユに、彼を見るシンシア。だが、声が声が漏れていたことにキーユ自身も驚いているのだった。


「…行くって、どこへ?」


(おぃ待て、僕は一体何を言って———)


 頭より心の声が先行して口から出ることに、戸惑うキーユ。


「ぇ?…あぁ、お昼寝の邪魔になっては申し訳ないので、私は部屋へ戻ります。キーユさんはどうぞごゆっくり」


 シンシアはスッと立ち上がると彼に一礼してその場を去ろうと歩き出す。


「ぁ、待っ、」


(行かないで———)


 今度はキーユの心の声が体を動かしていた。


「ふぇ…??」


 その場を離れようとするシンシアの袖を、キーユは咄嗟に掴んでいたのだった。予想外の行動にまたもや驚かされてしまうシンシアは、目を丸くしながら立ち止まる。


「…ぁ、す、すみません」


(本当に、僕はどうしてしまったんだろうか)


 キーユは自分自身でも思いがけない行動に、心の中で呟きながら慌てて手を引っ込める。そんな彼が一瞬見せた表情から何かを察したシンシアは、


「ではもう少しだけ、一緒にいてもいいですか?」


「ぇ…?」


 そう言ってまたキーユの隣に腰を下ろした。


「どう、して…?」


 シンシアの言動に目を丸くするばかりのキーユ。


「何だかそんなお顔をされていたような気がしたので」


「っ…」


 シンシアの言葉は、キーユの心にじんわり温かいものが広げていくのだった。


「申し訳、ございません。」


「そんな、謝らないでください。私がそうしたいからしているだけですから」


 シンシアはそう言ってキーユに微笑むとともに、


(さっきの顔には覚えがある。私がフィーゼとまだ出会って間もない頃、私がかたくなに従者なんていらないって言ってた、あの頃のフィーゼの顔だ)


 心の中でそう呟く。


 先ほど見たキーユの行動に、いつしかシンシアは、10年前、彼女がまだ6歳の頃、フィーゼが自分の従者になったばかりの頃のことを思い出していた。

 

(あの頃のフィーゼは、いつ私に捨てられるのかと毎日不安そうに怯えてた。今思えば、私は彼に何て残酷なことをしていたんだと申し訳なくなる。 そしてある日、彼の感情を爆発させてしまったんだ)


 シンシアは人知れずため息を一つついて目を伏せた。 


【ヤダ…、嫌だ。お願いだからココに、貴女の側にいさせて…。俺、なんでもするから、だから———】


 フィーゼにとっての居場所はシンシアしかいないという中で、いつそれが失われるか分からない状態を、来る日も来る日も行き来していた彼の心は、ある日とうとう限界を迎えてしまったのだ。


(あの頃のフィーゼは、まるで大切な誰かに置き去りにされたことがあったかのようだった。そして、さっきのキーユさんはそんな、大きな不安や恐怖に怯えたをしていたように見えた)


 かつてのフィーゼと今目の前のキーユがどこか近しいものに思えて、シンシアはどこか後ろ髪引かれる思いがあったのだった。


「…そういえばキーユさんは、いつも放課後はこちらへ?最近はいつも授業が終わると早く教室を出てしまわれるから、気になって」


「ぇ?」


(僕のこと、気にしてくださっていたのか?)


 心の中で呟きながら、思わずそのままシンシアを見つめてしまうキーユ。その顔は明らかに嬉しそうにフワッと緩んでいた。


「キーユ、さん?」


「あ、いや、放課後は、そ、そう、ですね…、えっと…」


(放課後は誰かからの告白のために、毎日色々な所に呼び出されているなんて、シンシアさんには言えないしな———。もちろん全て断ってるけど)


 キーユは心の中でそう言いながらシンシアからすーっと顔を背ける。


「もしかしてここでいつもお昼寝されてるんですか?…寝不足?」


「え?…あぁ、はい、最近ついついしてしまって」


 困ったように笑うキーユ。


「夜ふかしって、何かあるのですか?…もしかして、その本、ですか? 見るからにとっても分厚そうですね!そんなに面白いなら、私も読んでみようかな。どんな本なんですか?」


 シンシアは先程キーユのお腹の上に乗っていた本を指さす。


「あ〜、いや、これは、ただの辞書です」


 食い気味に話すシンシアに、キーユは困ったように笑いながら申し訳なさそうに答える。


「ジショ??…あぁ、あの辞書。へぇ、キーユさんは勉強熱心、なのですね。さすがは、学年首位…」


 予想外の答えにシンシアは半ば戸惑いながら言葉を絞り出した。


「…って、すみません、私、矢継ぎ早に、色々と」


(そういえば私、何でキーユさんにこんなに聞いて———?!フィーゼにだってこんなことしないのに)


 いざ我に帰ったシンシアは心の中でそう言いながらも、疑問をちゃんと表に出して発言できている自分自身に驚き、戸惑ってもいた。


「別にかまいません。シンシアさんからこんなに話しかけてくださって、僕はとても光栄ですよ。フフッ、少しは僕に興味がわきましたか?」


 そう戯けて返すキーユに、シンシアもホッとしたのかフワッと表情を緩めるのだった。


「…けど、なんだか不思議です。シンシアさんとこうして一緒にいると、自然と眠気が」


「え?」


(やっぱり、キーユさん寝不足だから…?)


 シンシアはそっとキーユの方を見る。

 

「ふわぁ。何でだろう? シンシアさんといると、安心する。とても、落ち、つ———」


 キーユはそのままひとつ欠伸をすると、シンシアの肩に頭を預けてスッと眠りに落ちた。


「え、キーユさん? 嘘、今のでまた寝ちゃったの?」


 シンシアは戸惑いながらもそーっと彼の寝顔を盗み見る。


「…フフッ寝顔、可愛———」


(っ?! いやいや、何言ってんだ、私…)


 不意に溢れてしまった言葉に、シンシアは心の中で自分に突っ込みながら、慌てて口元を手で覆うのだった。肩に乗っかる優しい重みは、変わらず穏やかに寝息を立てている。


 シンシアはホッと一つ息をついた。


(私といると、安心する、だなんて———。わかってるんですか?そんな言葉をかけてくださったのは、後にも先にも、キーユさん、貴方が初めてなんですよ?…そっか。そんな言葉をかけてくださると、こんな気持ちになるんですね。初めてで上手く言葉にできないけど、)


「ありがとうございます。キーユさん…」


(こんな気持ちを教えていただいて)


 シンシアは心のなかに湧き上がる慣れない感情に泣きそうになりながら、ただひたすらにそれを噛み締めるのだった。


 そんな彼女のことを知ってか知らずが、相変わらず穏やかな寝息を立てる、まるで全てを委ねてくれているような無防備な寝顔に、



「おやすみなさい」



 シンシアは柔らかい口調でそう囁くと、健やかに寝息を立てるキーユの方に、そのまま自分自身も少し遠慮がちに、ちょこんと身を委ねるのだった。



 ———数時間後、


「…ょう、おぃ、起きろ、お嬢っ」


「…ん?フィーゼ?」


 シンシアがふと目を開けると、屈んだフィーゼが自分に手を差し伸べている姿があった。


「ぇ、どうしたの?こんな所で」


「どうした?はこっちの台詞だ。いつまでたっても帰ってこないと思ったら、こんな所で何してんだ?」


 帰りが遅いシンシアを心配して、フィーゼが迎えに来たのだった。


(はぁ〜、ったく、見つけるのにどんだけ苦労したと思ってんだよ)


 フィーゼはため息混じりに心の中でそんなことを突っ込みながら

 

「もうすぐ図書館ココの閉館時間だぞ?」


「ぇ、もぅそんな時間?!」


 あまりにも時間が経ち過ぎていたことにシンシアは目を丸くした。


「こんなに深く寝こけちまうなんて珍しいな。よっぽど日向ぼっこが気持ちよかったのか?こんな人気もないベストポジションまで見つけて」


「っ、ううん。日向ぼっこというより、かくれんぼ、かな」


 小さく笑うシンシアに、フィーゼは首をかしげた。


「…ってか、それ、誰のだ?」


「ぇ?」


不意にシンシアの肩から彼女のではないブレザーがハラリと落ちる。


「なんだ?…男モノ?」


フィーゼはシンシアの手前にしゃがみ込み、訝しげにシンシアより明らかにオーバーサイズのそれを掴み上げる。


「もしかしてそれ、キーユさんの…??」


「はぁ?キーユなんてどこにいんだよ?」


「え?」


 シンシアが確かに感じていた心地良い右肩の重みは、今はもぅどこかに消えてしまっていた。


「…先に帰っちゃった、の??」



(貴方はいつも私の前から音もなく消えてしまう…)



 シンシアはどこか寂しそうに、誰が聞くこともない心の声でそっと呟いた。


「アイツ、さっきまでココにいたんか?」


「うん。一人でお昼寝されてたの。そこに私がたまたま通りかかって、」


「一緒に寝てたのか?!」


「ちょっ、フィーゼ、その言い方なんかイヤラシイ」


「バッ!?———そんなこと言うお嬢のがイヤラシイわ!」


まさかの主の返しに、フィーゼの方が照れて頬を赤らめてしまった。


「ちょっと肩を貸してあげてただけ」


「はぁ?!肩を貸しただー?!」


「ちょっ、フィーゼ、声が大きい!」


「…んぐっ、」


シンシアは慌ててフィーゼの口に両手を添えて塞いだ。


「わかってるの?ここは図書館なんだよ?!大声出しちゃダメ!」


シンシアはコショコショ声でフィーゼを制する。フィーゼはうんうんと黙って何度か頷くと、口の前にあるシンシアの手を掴み、そっとどける。


「わかったから、もぅ帰るぞ」


そう言って立ち上がると、シンシアに手を差し伸べて立たせてやるのだった。


 それからフィーゼはパッとシンシアから手を離して歩き出す。片腕には先ほど拾い上げたブレザーがかかっている。


「ん…?」


 シンシアは不意に自分のブレザーのポケットに手をつっこむと、あるものが手に触れた。


「…何だろう?コレ」


 そっと取り出すと、それは小く折られた紙切れだった。


「…。」


【 ありがとうございました。お陰様でとてもよく眠れました。またココでお会いしましょう。 キーユ 】


 紙には丁寧で綺麗な字でそう記されていた。


「キーユ、さん…」


(フフッ、ちゃんと、ココに一緒にいたんですよね?)


 シンシアは自分の手とフィーゼの腕にキーユ残されたキーユの欠片をホッとしながら眺めると、フィーゼに連れられてそのまま部屋に戻ったのだった。




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