第6話ーこれはきっとあなたのせいー

 それからシンシアはいつも首にかけているペンダントを服の内側から取り出した。トップには小さな笛が付いている。それはシンシアの瞳の色と同じターコイズブルーに光り輝く、クリミナードこの国の秘宝、氷翠石ひすいせきを打ち砕いて作られた一級品だ。

 シンシアはキュッとそれを両手の中に握り、静かに目を閉じて心の中で祈りを囁く。それから再び目を開けると、笛にそっと息を吹きかけるのだった。

 すると、彼女を含めそれを抱き抱えるキーユの周りをゆるやかな風が優しく包み込むのだった———。



「ん、僕、寝てたのか? っ、そういえば体が急に軽くなった気が———。今まで疲労や倦怠感で重ダルかったのに、なぜ?」


 重たい瞼を開いたキーユはすぐに今までとは違う体の変化に気づいた。そして、これまたあることに気づく。


「ヒッ———?!」


 キーユは声にならない声を静かに上げた。彼の目の前には何と、あのシンシアがいるではないか。しかもその彼女をガッチリ抱き締めているのは間違いなく自分の腕で———。


「ぇ、え?な、なんで…??」


 今の状況をうまく飲み込めず、パニックなキーユ。


(なんでこんな所にお嬢様が?!てか、え?な、なんで僕が、

 

 抱きしめて———??)


 思いもよらない光景に思わず発狂しそうになるのを、キーユは懸命に堪えながら心の中で言葉を漏らした。


「…っ?!」


 必死に思考回路を巡らせて、キーユはある答えを導き出した。


「ぇ…、ちょっ、待っ———?!」


(嘘だろっ?アレは、のはずじゃ…??)


 どうやら先ほどシンシアにした行為は全て彼の夢の中の出来事だと思っていたらしい。だが、それこそ夢のような話だったのだ。


 現実を知ってしまったキーユは、



(———詰んだ )



 頭は真っ白になり、ただうなだれるしかなかったのだった。


(嗚呼、誰でもいい。今すぐ僕を殺してくれ…)


 心の中で懇願する彼に、もはや何かを考える余裕さえ残っていなかった。



「…あ、あの〜、お目覚めですか?キーユさん」


「ぇ…?」


 キーユがもぞもぞ動き出したのに気づき、彼の腕の中にいるシンシアが上目遣いでそっと彼を見上げ、視線が重なり合う2人。


「っ?!」


(いや、近っ!ちょっ、待っ、その目はダメだ、反則です———)


 キーユは手で口元を覆いながら慌てて顔を逸らす。その頬はほんのり赤く染まっていた。


「あれ、キーユさん、顔が赤く———」


「なってません!これは、その、貴女の、」


(貴女のせいです、シンシアさん)


 心で呟きながらどうにか息だけを外に逃した。


 ふぇ?私?と、ぽやんと首をかしげる腕の中の可愛い人。


「…ぁ、そうだ、体はもう平気ですか?ココで貴方を見つけた時、だいぶお疲れのように見えたので」


「っ、もしかして、シンシアさんだったのですか?僕に何かしてくださいました、よね?」


 はい、少し。と今はもう服の内側に戻された笛の辺りに触れながらシンシアは頷いた。


「以前フィーゼにしたものの応用です。ちょっとは体、楽になったんじゃないかと」


「どうりで…。ありがとうございます。起きた瞬間体が軽くて、びっくりしました」


(まるで、を受けたかのようだった)


 キーユはシンシアの不思議な力に驚くとともに、自分の手のひらを見つめながら心の中で呟くのだった。


「ぁ、あの、すみませんキーユさん、そろそろ腕を…」


「へ?…ぁ!!申し訳ございません、僕、」


 困ったように笑う少女に、キーユはいまだ腕の中に閉じ込めるその人を慌てて解放するのだった。そして2人はちょこんと横に並んで座る。暫くの沈黙と気まずい空気が包む中、キーユは自らの過ちにずっと顔を伏せてうずくまっているのだった。


「あ、あの、」


 まずシンシアが口を開いたかと思うとその途端、


「大変申し訳ございませんでした!!」


「ちょっ、え、キーユさん?!」


 キーユは額を床に付けて全力でシンシアに土下座したのだった。


「うぇ?!いゃ、ちょっ、やめてください! そんな———」


「ダメです!貴女様は一国の公女殿下なのに、そんなお方に僕は———」


(なんて大罪を犯してしまったんだ。死罪だって免れないぞ…)


 自分自身で改めて言葉にしたキーユはみるみる顔を青ざめさせていく。


「ちょっ、顔を上げてください。きっと寝ぼけていたのでしょう?仕方ありませんよ」


(そりゃまぁ、結構ビックリはしたけど…)


 シンシアは頬をポリポリかきながら苦笑いで答えるものの、先程のキーユを思い出してまた少し顔を赤くした。


「そういえばシンシアさんこそ、お顔が赤いです。熱でもあるんじゃ——」


 渋々顔を上げたキーユだったが、心配そうにシンシアの顔を見上げる。


「ぇ?!ぁ、い、いぇ、これは…、これは貴方の…」


(貴方のせい…)


 シンシアは最後まで言葉にせずに、そっとキーユから目を逸らす。


「ぇ、僕が何か———」


「したけど、してません!」


「はぃ??」


 シンシアはとうとう俯いてしまい、その耳は赤く染まっていた。そんな彼女を見て、


「…フフッ、可愛い」


 柔らかい笑みでポツリと呟いたキーユの言葉は、あまりに小さ過ぎてシンシアには届かなかった。


「では、私はそろそろ行きますね」


「ぇ?」


「え?」


 不意に声が漏れたキーユに、彼を見るシンシア。だが、声が漏れていたことに自分自身も驚いているのだった。


「…行くって、どこへ?」


(おぃ待て、僕は一体何を言って———)


 頭より心の声が先行して口から出てしまったことに、戸惑うキーユ。


「ぇ?…あぁ、お昼寝の邪魔になっては申し訳ないので、私は部屋へ戻ります。キーユさんはどうぞごゆっくり」


 シンシアはスッと立ち上がると彼に一礼してその場を去ろうと歩き出す。


「ぁ、待っ、」


(行かないで———)


 今度はキーユの心の声が体を動かしていた。


「ふぇ…??」


 その場を離れようとするシンシアの袖を、キーユは咄嗟に掴んでいたのだった。予想外の行動にまたもや驚かされてしまうシンシアは、目を丸くしながら動きを止める。


「…ぁ、す、すみません」


(本当に、僕はどうしてしまったんだろうか)


 キーユは自分自身でも思いがけない行動に、心の中で呟きながら慌てて手を引っ込める。そんな彼が一瞬見せた表情から何かを察したシンシアは、


「ではもう少しだけ、一緒にいてもいいですか?」


 そう言って朗らかな顔でキーユを振り返った。


 その瞬間だった———。

 突如窓から吹き込んだ風が、カーテンをフワッと舞い上がらせたかと思うと、そのままシンシアの柔い髪をフワッと巻き上げていく。その隙間から差し込んだ日の光は、シンシアの白にも近い白金の髪とターコイズブルーの瞳をより一層輝かせて見せた。


 そんな光景に、目を奪われないはずがなかった。目の前に佇み優しく微笑む姫君は、そっと躊躇いなく再び少年の隣に寄り添う。


 キーユはただぼーっとその人の行動を目で追うだけだった。


「どう、して…?」


「何だかそんな顔をされていた気がしたので」


「っ———、」


 シンシアの言葉は、キーユの心にじんわり温かいものが広げていくのだった。


「申し訳、ございません」


 こんな子供じみたわがままに付き合っていただいて、と気まずそうに目を逸らすキーユ。


「そんな、謝らないでください。私がそうしたいからしているだけですので」


 シンシアはそう言ってキーユに微笑む。そして顔をそっと逸らして一つ息をつく。


 先ほど自分を見上げてきた少年の顔には、どこか覚えがあったのだ。

 それは10年前、まだ6歳の頃、フィーゼが自分の従者になったばかりの頃だ。彼と出会う前は従者もおらず身の回りのことは全て自分でやっていたため、いざ彼が従者となっても、その必要性が見出してやれないでいたのだ。

 

 そんな中、自分に心を開く素ぶりを全く見せない主に、存在価値が見出せないこの状況で、いつ切り捨てられてしまうかと、従者はそれはそれは気が気ではなかった。

 今思えば、彼に何て残酷なことをしていたんだと、シンシアは静かに心を痛めた。

 彼にとっての居場所は彼女しかないという中で、いつそれが失われるか分からない不安定な状態を、来る日も来る日も揺れていた彼の心。ある日それは、とうとう悲鳴をあげてしまうこととなる。


 シンシアはやるせなくため息を一つついて静かに目を伏せた。 


【ヤダ…、嫌だ。お願いだからココに、貴女の側にいさせて…、ください。なんでもする、いや、します。だから———】


 あの時の彼は、何かに押しつぶされてしまいそうなほどに追い詰められていた。

 まるで以前に大切な誰かに置き去りにされたことがあったかのようだった。

 そしてさっき見たキーユのが、あの時の彼と重なってしまい、そのまま放っては置けなかったのだ。


「…そういえばキーユさんは、いつも放課後はこちらへ?最近は授業が終わると早く教室を出てしまわれるから、気になって」


「———っ、」


(僕のこと、気にしてくださっていたのか?少しは僕に、興味を持ってもらえていると言うことか?)


 シンシアの意外な発言に目を丸くする少年。自然と口元が緩んでしまうことに、気づかないふりをした。


 この前シンシアに言った言葉が不意に脳裏を掠める。


【自分に興味を持ってもらうって、とっても嬉しいことなんですよ?】


 自分で言っておきながらも、嗚呼、そうだ、それはきっとこんな気持ちだと、あの時そんな言葉を吐いた自分に言ってやりたい気分だった。


「キーユ、さん?」


「あ、いや、放課後は、そ、そう、ですね…、えっと…」


 とは言え、言いづらいことこの上なかった。放課後は誰かからの告白のために、毎日色々な所に呼び出されているなんて、目の前の少女には到底言えまい。もちろん全て断ってはいるのだが…。


 キーユはシンシアからすーっと顔を背ける。


「もしかしてここでいつもお昼寝されてるんですか?」


「え?…あぁ、はい、最近ついついしてしまって」


 少年は困ったように笑いながら答える。


「夜ふかしって、何かあるのですか?…もしかしてその本、ですか?見るからにとっても分厚そう。そんなに面白いなら、私も読んでみようかな」


 シンシアは先ほど彼のお腹の上に乗っていた本を指差す。


「あ〜、いや、これは、ただのです」


 食い気味に話すシンシアに、キーユは困ったように笑いながら申し訳なさそうに答える。


「ジショ??…あぁ、あの辞書。へぇ〜、勉強熱心なのですね」


 さすがは学年首位…と、予想外の答えに半ば戸惑いながら言葉を絞り出した。


「…って、すみません、私、矢継ぎ早に、色々と」


(そういえば私、何でキーユさんにこんなに聞いて———。

 フィーゼにだってこんなことしないのに)


 いざ我に帰ったシンシアは心の中でそう言いながらも、疑問をちゃんと表に出して発言できている自分自身に驚き、戸惑ってもいた。


「別にかまいません。シンシアさんからこんなに話しかけてくださって、僕はとても光栄ですよ」


 そう笑って返すキーユに、シンシアもホッとしたのか一瞬強張っていた表情をフワッと緩めるのだった。


「…けど、なんだか不思議です。シンシアさんとこうして一緒にいると、自然と眠気が」


「え?」


(やっぱりキーユさん、寝不足…?)


 シンシアはそっとキーユの方を見る。

 

「ふわぁ。何でだろう?

 シンシアさんといると、なんだか安心するんです。とても、落ち、つ———」


 キーユはそのままひとつ欠伸をすると、シンシアの肩に頭を預けてスッと眠りに落ちた。


「え、キーユさん?嘘、今のでまた寝ちゃったの?」


 シンシアは戸惑いながらもそーっと彼の寝顔を盗み見る。


「…フフッ寝顔、可愛———」


(っ?!いやいや、何言ってんだ、私…)


 不意に溢れてしまった言葉に、シンシアは心の中で自分に突っ込みながら、慌てて口元を手で覆うのだった。肩に乗っかる優しい重みは、変わらず穏やかに寝息を立てている。


 シンシアはホッと一つ息をついた。


(私といると安心する、だなんて———。わかってるんですか?そんな言葉をかけてくださったのは、後にも先にも、キーユさん、貴方が初めてなんですよ?

 …そっか。そんな言葉をいただくと、こんな気持ちになるんですね。初めてで上手く言葉にできないけど———)


 心の中で温かい何かがどんどん広がって、満たされていく———。


 そしてとうとう、


「ありがとうございます。キーユさん…」


 その言葉だけは声になって空気を揺らした。


(こんな気持ちを教えていただいて———)


 シンシアは心の中に湧き上がる慣れない感情に泣きそうになりながら、ただひたすらにそれを噛み締めるのだった。


 そんな彼女のことを知ってか知らずが、相変わらず穏やかな寝息を立てる、まるで全てを委ねてくれているような無防備な寝顔に小さく笑って、



「おやすみなさい」



 柔らかい口調でそう囁く。いまだ健やかに寝息を立てる彼の肩に、そのまま自分自身も少し遠慮がちに、ちょこんと頭を委ねるのだった。



 ———数時間後、


「…ょう、おぃ、起きろ、お嬢っ」


「…ん、フィーゼ?」


 シンシアがふと目を開けると、屈んだフィーゼが自分に手を差し伸べている姿があった。


「ぇ、どうしたの?こんな所で」


「どうしたはこっちの台詞だ。いつまでたっても帰ってこないと思ったら、こんな所で何してる?」


 帰りが遅い主を心配して迎えに来たのだった。


 ったく、見つけるのにどんだけ苦労したと思ってんだよと、フィーゼはため息混じりに心の中でツッコミながら、

 

「もうすぐ図書館ココの閉館時間だぞ?」


 と呆れながら話す。


「ぇ、もぅそんな時間?!」


 あまりにも時間が経ち過ぎていたことにシンシアは目を丸くした。


「こんなに深く寝こけちまうなんて珍しいな」


 無防備な寝顔を晒していた可愛らしいその人に少し驚かされながらも、また無駄に力を使ったとか?…いや、こんな所で魔力を大量消費することなんてあり得んか。と、ふと頭に思い浮かんだ考えを否定した。


「よっぽど日向ぼっこが気持ちよかったのか?こんな人気もないベストポジションまで見つけて」


「———っ、ううん。日向ぼっこというより、、かな」


 小さく笑うシンシアに、かくれんぼ?とフィーゼは首をかしげた。


「…ってか、それ、誰のだ?」


「ぇ?」


 不意にシンシアの肩から彼女のではないブレザーがハラリと落ちる。


「なんだ?…男モノ?」


 フィーゼはシンシアの手前にしゃがみ込み、訝しげにシンシアには明らかにオーバーサイズのそれを掴み上げる。


「もしかしてそれ、キーユさんの…??」


「はぁ?キーユなんてどこにいんだよ?」


「え?」


 シンシアが確かに感じていた心地良い右肩の重みは、今はもぅどこかに消えてしまっていた。


「…先に帰っちゃった、の??」



(貴方はいつも、私の前から音もなく消えてしまう…)



 シンシアはどこか寂しそうに、誰が聞くこともない心の声でそっと呟いた。


「アイツ、さっきまでココにいたんか?」


「うん。一人でお昼寝されてたの。そこに私がたまたま通りかかって、」


「一緒に寝てたのか?!」


「ちょっ、フィーゼ、その言い方なんかイヤラシイ」


「バッ!?———そんなこと言うお嬢のがイヤラシイわ!」


 まさかの主の返しに、発言者のフィーゼの方が照れて頬を赤らめてしまった。


「ちょっと肩を貸してあげてただけ」


「はぁ?肩を貸しただー?!」


「ちょっ、フィーゼ、声が大きい!」


「…んぐっ」


 シンシアは慌ててフィーゼの口に両手を添えて塞いだ。


「ちょっ、ここ図書館!大声出しちゃダメ!」


 シンシアはコショコショ声でフィーゼを制する。フィーゼはうんうんと黙って何度も頷くと、口の前にあるシンシアの手を掴み、そっとどける。


「わかったから、もぅ帰るぞ」


 ボリューム抑えめでそう言って立ち上がると、シンシアに手を差し伸べて立たせてやるのだった。


 それからパッと少女から手を離して歩き出す。片腕には先ほど拾い上げたブレザーがかかっている。


「あれ…?」


 シンシアは不意に自分のブレザーのポケットに手をつっこむと、あるものが手に触れた。


「…何だろう?コレ」


 そっと取り出すと、それは小く折られた紙切れだった。


「…。」


【 ありがとうございました。お陰様でとてもよく眠れました。またココでお会いしましょう。 キーユ 】


 紙には丁寧で綺麗な字でそう記されていた。


「キーユさん…」


(私たち、ちゃんとココに一緒にいたんですよね?)


 シンシアは自分の手の中と従者の腕にキーユが残した欠片があることにホッとしながら、フィーゼに連れられてそのまま部屋に戻ったのだった。

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