第2章-蝶々が導く先-
第5話ー多分、寝ぼけてましたー
———とある放課後、
「あの、キーユさん」
「あぁ、シンシアさん、また明日」
シンシアは放課後何度かキーユに声をかけようと試みるものの、彼はそそくさと教室を後にする。
部屋に招待したあの日以来、放課後になるとまるで何かに急かされるように誰よりも、あのフィーゼよりも先に教室を出るようになっていた。
「…ま〜た逃げられちまったな」
彼の後ろ姿を少し寂しそうな面持ちで見送るシンシア。その哀愁漂う背中に従者はそっと話しかける。
「逃げられただなんて。きっと従者さんのこと、あぁ言ってたけど大切にされてるんじゃないかな。だから早くお部屋に戻られてるのかも。お優しい方なんだよ」
「従者に気を遣って?本当にそうなのかねぇ…」
「違う、かな?」
さぁ、知らね。と従者はあからさまに全力で目を逸らす。自分もキーユの行動は気になっており、クラスメイト等から情報収集をしていたのだ。そんな中、よからぬ噂を耳にしてしまっていたのだ。
キーユは放課後になると色んな女の所へ取っ替え引っ替え通ってるらしい、と。
(モテる男は違うねぇ———っじゃなくて、こんな話、絶対お嬢には聞かせらんねーわ)
心の中でそう言いながらハッと呆れ顔で勢いよく息だけを吐き出す。
「…ーゼ、フィーゼ!」
「っ?!…な、何?」
シンシアは懸命に話しかけていた。やっと声が届き慌てて我に帰って来た従者。
「どうかした?ボーッとして。珍しく考えごと?」
「珍しくは余計だ。で、何?」
「私、今日は図書館に寄って行くよ。だから先に戻ってて」
「ふぇ?ぁ、あぁ、分かった…」
キーユが部屋に訪れて以来、二人はまた一緒に部屋に戻るようになっていた。だが今日は予定変更のようだ。口には出さずともその表情は少し残念そうに、従者は一人で帰路に着くのだった。
———シンシアはフィーゼと別れてから図書館を訪れていた。
「うわぁ、相変わらず本がたくさん…」
高い本棚には本がビッシリと収められておりそれが幾つも並んでいる。
ちなみにそれが地下1階〜地上の2階まである3階建ての構造だ。本の量はもちろんのこと、その美しい内装から、公国一美しい図書館と名高い。
(そう言えば、キーユさんもよく図書館に来るって———。どんな本がお好きなんだろう?)
シンシアは先日のキーユの話しを思い出し、そんなことを考えながら、ボーッと当てもなく本棚の森の中をさまよい歩く。
…と、そこに、
「っ…、蝶々?」
金色に光り輝く小さな蝶々が彼女の目の前を無防備にひらひらと通り過ぎて行くのが見えた。
「綺麗———」
それ自体が光ってるみたいに見えた。でも、こんな所に何で蝶々が?という当然の疑問が頭に浮かぶ。
どっかから紛れ込んで来たのかな?だったら外へ出してあげなきゃ…と、シンシアは蝶々の後を追った。
そしてただ導かれるまま本棚の奥の奥へとどんどん足を進めて行く———。
「あ、待って!」
目の前を飛ぶ蝶々の色が、何だかキーユの髪の色に似てる気がする。そんなことを思いながら1人の少年のことを頭に蘇らせる。
不意に蝶々が本棚の影に飛び込んだ。
慌ててその後を追うと、
「…ウソ」
シンシアは口元を手で覆いながら思わず足を止めた。
本棚を曲がったところ、目線の少し先には、
「…キーユ、さん?」
床に座り込んで高い本棚に背中を預けている少年がいた。まさにさっきから頭に浮かべていたその人だ。
読書の邪魔にならないようにと、音を立てずそーっとその人に近づいて行く。
「やっぱり、キーユさんだ。…あれ、そう言えば蝶々は———?」
思い出したように辺りを見渡すが、こちらの筋に入って行ったはずの蝶々はいつの間にか姿をくらませていた。
ま、いっか…。とシンシアは頭を切り替えて今は目の前の彼にゆっくりと近づいて行く。
「あの、キーユさ———、寝てる??」
そっと顔を覗き込むと、閉じられた目と穏やかな寝息が聞こえてきていた。
シンシアはそのままキーユの隣にちょこんと腰を下ろしてみた。
彼のお腹の上には、読んでる途中なのであろう本が伏せられている。
と、その時、不意に外から吹き込んだ優しい風が、カーテンを舞い上がらせた。
その隙間から差し込む午後の日差しが、彼の金色の髪と公国人では珍しい異様に白い肌をより一層輝かせてみせた。
「…。」
その美しい顔立ちに一つ息をつくと、やはり否応なしに目が離せなくなってしまう。まるで時が止まったかのように、そこには確かにゆったりとした穏やかな時間が流れていた。
なんとも不思議なものだ。こんなこと、今までなかったのに———。
人が苦手で、人と目を合わせることさえ上手くできないでいた。それゆえに、今まで誰かの顔をこうしてじっと見つめることなどできなかった自分には、とてもとても珍しいことだった。
(そう言えばキーユさん、最近よく欠伸をしてる姿を目にする。よく眠れてないのかな?…それにしても———)
「綺麗…」
思わず零れ落ちた言葉。ハッと慌てて手で口を塞ぐが、少し遅かった。その言葉に反応するかのように目の前のその人は薄らとゆっくり瞼を押し上げる。
「ぁ、違っ、今のはその———」
「…お嬢、様?」
「ぇ??」
不意に溢された言葉に、身体が止まる。
初めて話しかけられたあの時も、彼はそう言っていた。
公女殿下という立場上、誰もが思う普通なら、散々呼び倒されてきたはずのこの呼び方だ。しかし周りの環境や、一番そう呼ぶべきはずの従者も、それとは別の独特な呼び方をしている。
もうそのことに慣れきっている彼女からしてみれば、聞き慣れない、呼ばれ慣れていないその言い方は、どこか特別な呼び方に響いてしまうのだった。
改めて呼ばれてみると、なんだかくすぐったいような、照れくさいような、でもどこか嬉しさに似た心地よさに、シンシアは戸惑っていた。
「フフッ、見ぃつけた」
目の前のその人は、反応に困っている少女なんてお構いなしに、この上なく柔らかい表情で微笑む。
「———っ?!」
その顔の破壊力たるや———。少女はカッと全身が熱を帯びていくのを感じた。胸は早鐘のように激しく脈打つばかりで、頭はもはや呼吸することを忘れてしまっていた。慌てて胸に手をポンポンと添えて、自分自身に息をすることを思い出させる。
(ちょっ、な、なに、今の。可愛ぃ———っ、じゃなくて!
そのとろけ顔、…可愛い。いや、違っ!
寝起きでちょっと掠れてるけど相変わらず声も優しいし、なにより可愛い———)
頭の中でたくさんの言葉が行き交い過ぎてパンク寸前にまでなっていた。初めての体験に、何コレ?とただただ戸惑うばかりだ。
だが先ほどの彼の言葉には疑問が残る。お嬢様、とか、見つけた、とか…。まるで自分に向けられた言葉ではないような気がして、首をかしげるシンシアだったが、次の瞬間———
「キャッ?!」
少年はギュッと彼女を抱き寄せた。そしてその腕の中に優しく壊れないようにそっと包み込む。俗に言うバックハグというやつだ。そんなこともちろん経験したこともないシンシアは、キュッと身体をカッチコチに強張らせていた。
「フフッ、お嬢様は本当に、お可愛い」
「っ———」
髪に、首筋にそっと背後から吐息がかかる。
(どどどどうしたですか?キーユさん!)
シンシアの頭はもはや使い物にならないといったように思考がうまく回らない。先ほどの笑顔よりも凄まじい攻撃に、もはやHPは0寸前にまでどんどん削られていく。
あまりに恥ずかし過ぎて後ろの彼の方を振り向くに向けない。
「僕は貴女を見つけたから、貴女も早く、
僕を見つけて———」
「…。」
…その言葉を最後に、不意に肩に重みを感じた。
「ぇ、キーユ、さん…??」
「…スー、スー、」
名前の返事は穏やかな寝息だった。
「えぇ〜、また寝ちゃったの??」
この状況で?嘘でしょ?と、ため息をついてうなだれることしかできない。
(どうしよう、これ。くすぐったいよぅ…)
心の中で呟きながら、首筋に掛かるキーユの寝息にソワソワするシンシア。
そしてこの状況、もぅがっちりホールドされちゃってるんですけど———と、いまだキーユの腕の中から身動きが取れないことを嘆いた。
(こんなところもし他の誰かに見られたら…、特に女子にでも見られたら、絶対消される。それか間違いなく抹殺される。社会的に…。
ただでさえ私はいるだけで煙たがられてるのに。迷惑かけてるのに———。
そもそもフィーゼに見られでもしたら、それこそめちゃくちゃ怒られる。はぁ、何て言い訳すれば…。あぁ〜〜)
心の中で叫びながら脳内で繰り広げられる悪い想像のオンパレードに、ただただ頭を抱えるのだった。
(って、その前に、背後のキーユさんにこの状況を何て説明したら良いか…。
嗚呼、キーユさん、目覚めてほしいような、そうでないような…。
うわぁ——————!!!)
シンシアは図書館の中で音もなく静かに絶叫しながら、暫くの間モヤモヤした時間を過ごすのだった。
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