1-2

 3人が教室に入り席に着いた途端、ざわついていた周りが一気に静まり返った。そして、あれよあれよと言う間にキーユの席の周りには人の壁ができて彼の姿は見えなくなった。


「うわぁ、凄い。キーユさん、人気なんだ…」


「ケッ、女どもに囲まれて何が嬉しいんだか」


「フィーゼ、言い方!」


 シンシアとフィーゼはそんなことを言いながら蚊帳の外からキーユを見守る。



「あの、ヘウン様と呼んでも良いですか?」


「えぇ、よろしくお願いいたします」


「ヘウン様は外部進学者、なのですよね?」


「はい、本日からこの学園へ」


「出身はどちらなのですか?」


「好きな食べ物は?」


 クラスの女子からの質問攻めは担任が来るまで続いたのだった。



 ———そしてその放課後、


「…じゃ、先行ってるな」


「うん、後でね」


 HRが終わるとフィーゼはシンシアを置いてそそくさと教室を後にした。


「シンシアさん!」


「っ?!」


 フィーゼを見送り、廊下を歩いているところにキーユが駆け寄って来た。いまだに話しかけられることに慣れていないシンシアはやはり身体が瞬時に硬直してしまう。


(キーユさんはなんでこんな私なんかに声をかけるのだろう———?)



 シンシアは心の中で呟きながら、周りの人間はしようとしないことを、こうもあっさり何度もしてくるキーユを不可解に思うばかりだ。


「シンシアさんはこれからお部屋に戻られるんですか?」


 この学園は全寮制で、爵位によって建物も分けられており、部屋の広さや置かれる調度品もそれぞれ違っていた。伯爵以下の子爵、男爵は2人以上の相部屋で、それより上、シンシアの公爵、そして侯爵は1人部屋があてがわれているのだった。


「あれ、キーユさん、女子の皆さんは?」


「ハハっ、シンシアさんまで…。

 

 …巻いてきましたよ。いやぁ、入学初日で友人がたくさんできることは喜ばしい限りですが、ちょっと圧倒されました」


 若干疲れ気味に苦笑いで答えるキーユ。


「フフッ、キーユさん、カッコいいですから」


「…いえいえご冗談を。皆んな何も知らないのにからかっているだけです」


「そんなことは…。私なんて、誰からも相手にされてないですし。それだけ、キーユさんには魅力があるということですよ、きっと」


「っ…」


(みんな貴女に話しかけられないのは、きっとフィーゼのせいでは…?)


 と言いかけて、キーユはその言葉を呑み込んだ。同時に普段シンシアを鉄壁の防御で睨みを効かせているフィーゼの姿が頭に浮かび、クスッと微笑むのだった。


「…っ、そう言えばお一人、なのですか?フィーゼは?」


 不意にキーユは、フィーゼの姿が見えないことに気がつく。


「フィーゼはいつも授業が終わると先に寮の部屋へ帰ってしまうんです。授業が終われば従者に戻るからって、先に戻って部屋を掃除してくれたり、お茶の準備をしてくれたりで」


「左様でしたか。さすが従者と言うだけあって、ちゃんとしてるんですね」


(大事な主を1人置き去りか。一体何を考えている?主を護れず何が従者か)


 感心するようにキーユは頷くが、心の中では違う言葉を吐いた。


「フィーゼはいつもとても丁寧に仕事をしてくれて助かっています。仕事を優先して、部活もしないんですよ? 少し、居た堪れない気持ちにもなります。彼の自由を奪ってるみたいで」


 そう話すシンシアはどこか寂しそうに、キーユには見えた。



「主にそこまで思われているなんて、フィーゼはとても幸せ者ですね。羨ましいです、とても」



「ぇ?」


 穏やかな口調で言うキーユにシンシアは顔を上げた。


「あの。キーユさんは当然だと思いますか?従者が身の回りのことを何でもしてくれること」


「ま、まぁ、従者はそれが仕事ですからね。シンシアさんは違うのですか?」


 キーユは突然の質問に首をかしげる。


「私は、当たり前とは思いたくないです。たとえ仕事といえど、フィーゼがいてくれなければ、こんなに快適に過ごせていないわけですし、感謝しなくては」


「…貴女のその言い方は、まるでフィーゼがいなくなったことがあるかのようですね」


「っ、いなくなったと言うか、いない時を経験している、と言う方が正しいです」


「いない時…?」


「私は小さい時は従者がいなかったもので、フィーゼと出会うまでは何でも1人でやらなきゃいけなくて。だから、その有り難みが凄くわかると言うか…」


「ぇ…」


 その言葉に、キーユは思わず耳を疑った。公爵家のお嬢様からは飛び出さないであろう発言だったからだ。



「フィーゼは私についてくれた従者なんです」



「…っ、初、めて?」


 その言葉にキーユはぱっとシンシアを見る。


「はい。確か私がこの学園に入る頃だから、6歳くらい?だったでしょうか」


「6歳…。それまで従者がいなかったと?」


(貴女はこの国の公王の娘、公女殿下だと言うのに?)


 キーユは心の中でそう言いながら、にわかには信じがたいというように、目を丸くした。


 そんな彼に困ったように笑いながら頷くシンシア。


「では、それまでどのように?」


「掃除やら洗濯、今フィーゼがやってくれていることは全部自分でやっていました」


「…。」


 シンシアの言葉に思わず言葉を失うキーユ。


「あ、ごめんなさい。こんな話されても、つまらな———」


「では、お二人が出逢われてそろそろ10年なんですね。とても仲がよくて、見ていて微笑ましいです」


 キーユはシンシアに最後まで言わせないように言葉を遮り、そっと微笑んで話す。


「まぁ、フィーゼからしてみれば私は主だってだけで、10年というのもただの腐れ縁です。学園に来てからは四六時中ほぼ一緒にいるので、自然とこんな関係に…」


「四六時中、一緒に」


「…キーユ、さん?」


 その言葉にキーユは少し目を逸らしたように見えた。


「だから、仲良しというよりは、よき理解者と言ったところでしょうか。こんな私なんかのことを、10年も飽きずに支えてくれています」


「よき、理解者…」


 キーユは言いながら目を伏せる。


「フィーゼ、口は悪いんですけど、実はとっても優しいんですよ?勘違いされやすいのが玉にきずで…。でも、キーユさんが綺麗だって言ってくださったように、あの容姿ですから女子にも人気で。もう少し、愛想良くしたらいいのになって思うんですけど」


「そうですか…」


 どこか困ったように、でも楽しそうに笑うシンシアを、キーユはよく見れないでいた。


「…ぁ、ごめんなさい、さっきから私ばっかり、つまらない話ばかり」


「いぇ、色んなお話がうかがえて楽しいです。もっと聞きたいくらいですよ」


 ふと我に返って謝るシンシアに、フワッと笑って返すキーユ。


「私、普段人見知りが激しくて、フィーゼ以外とは誰とも話せないんです。なのに、キーユさんには自然に言葉が出てくる。なんでだろう?不思議です」


(キーユさんの声を聞くと、安心する…、なんて言ったら絶対引かれるだろうから言わないでおこう)


 シンシアは心の中でそんなことを呟いていた。


「そう言っていただけて、僕も嬉しいです。僕も自分から何かお話しするよりは、誰かのお話を聞く方が好きなんです。だからもしよかったら、またいっぱい聞かせてくださいね」


 キーユはそう言いつつ、


(今度はもっと、を聞かせてください。フィーゼのことじゃなく、シンシアさん、貴女自身のお話を…)


 心の中にそんな言葉を隠した。


「っ、はい、ぜひ !

 …ぁ、キーユさんって、これから部活ですか?」


「いぇ、部活にはまだ…」


「だったら、ぜひ部屋にいらしてください」


「ぇ?!」


(今のは聞き間違いか? 今、部屋にいらしてくださいって———?)


 ポロっと零された言葉にキーユは固まる。


「フィーゼが淹れてくれた紅茶はとっても美味しいんです!あと、付け合わせのお菓子も。あ、お菓子もフィーゼが作ってるんですけど…」


「本当にいいんですか?僕なんかがお部屋へ伺っても…」


「ぇ!?…ぁ———」


 改めて念押しのように言われた言葉に、シンシアはやっと自分が何を言ってしまったのか気が付いたようだった。


(私、何言って…。仮にもキーユさんは初対面の方なのに。それに男性に自分から部屋へ招待するなんて、私、なんてバカなことを———)


 自分で言った言葉に、キーユ以上にシンシアが驚いていた。

 彼女は思わず手で口を覆う。


「…。」


(気付いてくださったようだな)


 シンシアの仕草を見てキーユは人知れずホッと胸を撫で下ろす。


「急にお邪魔してはフィーゼが驚いてしまうでしょうから、明日、いや、明後日、お伺いしてもよろしいでしょうか?」


 必死に冷静を装いながら頭の中で懸命に言葉を選び、穏やかな口調でキーユは答えた。


「そ、そうですね、フィーゼに聞いておきます」


 そう言ってたどたどしく答えるシンシアを、キーユは可愛らしく思いながら眺めてた。



 それから2人はお互いの部屋へ戻って行った。



 ————————————

 


 シンシアが部屋に戻ると、


「おかえり〜」


 制服から執事服に着替えたフィーゼが出迎える。 


「ただいま」


 シンシアはリビングの席に座り、フィーゼは奥からティーセットが乗ったワゴンを押して現れると、目の前のテーブルにお茶の準備をしていく。


「フィーゼ、明後日、キーユさん来るから」


「ふぁ?」


「ちょっ、フィーゼ、溢れる!」


「⁉︎ …っぶね」


(俺のいないところで一体なにが??)


 突然のこと過ぎて思わず変な声が出ただけでなく、手に持つソーサーを落としそうになるフィーゼ。


「大丈夫だった?火傷してない?」


「あぁ、別になんともない。ってか、え?キーユが、何だって?」


「キーユさん、明後日ココに遊びに来るから」


「はぁぁぁぁぁぁあ?!」


 一瞬にしてフィーゼの絶叫が部屋中に響き渡る。


「フィーゼ、落ち着いて。 やっぱり、ダメだった…?」


 罰が悪そうに俯くシンシアに、フィーゼは全力で平静を装ってそっとお茶を差し出す。


「いや、ダメじゃない、けど。ってかどうしたんだよ?今までそんなことなかったろ?一体アイツに何を言われた?どうせまた無理矢理———」


「違っ、私が———」


「お嬢から誘ったのか?!」


 思わず声を上げるフィーゼに、


「ちょっ、言い方!」


 すかさずツッコむシンシア。


「あ、ケーキ落ちちゃう!」


「ぉっと、」


 主の言葉に思わずお皿からケーキを落としそうになり、慌てて体制を整えるフィーゼ。 


「いや待て、頭の処理が追いつかんのだが。要は、初めて部屋に誘ったのが、男だと?!」


「だから言い方っ!」


 いざ言葉にして言われてしまうとシンシアの頬は次第に赤くなっていく。


「10年だぞ?」


「…ぇ、何が??」


 ポツリと呟くフィーゼに、シンシアは彼の方を見る。


「俺が貴女と出会ってから! これまでお嬢が道を踏み外さないように10年もの間、俺は一生懸命貴女の従者として側で支えてきたってのに…。あんまりだ!もぅ、泣いちゃうぞ?!俺」


「フィーゼ、落ち着いて。泣かないで」


 シンシアは慌ててフィーゼを止める。


「はぁ…。 本当に無理矢理押し切られたわけじゃないんだな?」


「ないない。キーユさんはそんな人じゃないよ。私なんかのつまらない話を、ただ、うん、うん、って聞いてくれる、優しい人…」


「へぇ〜、優しい人、ねぇ…」


(俺にはどことなく食えないやつに見えたが)


 キーユのことを話すシンシアの顔が、どことなく朗らかな顔をしているように見えて、フィーゼは複雑そうに眉間に皺を寄せるのだった。


「わかったよ。連れて来い」


「ぇ、いいの?」


 ため息混じりに頷くフィーゼに、シンシアの顔は途端に明るくなる。


「…。」


(ったく、嬉しそうな顔しやがって)


 主のその顔には決して逆らえない従者。


(アイツがお嬢に近づく目的、根掘り葉掘り聞かせてもらおうじゃねーか)


 フィーゼは心の中でそう言いながら、不敵な笑みを浮かべる。


「ありがとう、フィーゼ」


 ホッとしたようにシンシアは微笑んだ。


「まさか、進学初日からこれとはな…。全く油断してた」


(俺はお嬢の従者であり、護衛でもあるのに…。やっぱり、彼女を1人にするのは、危険————?)


 フィーゼは心の中でそう呟きながら、さっそく変な虫が付きそうな主に頭を抱える。


「油断?なんの話?」


「こっちの話。…ってか今日はやけに楽しそうだな」


「だって、久々にフィーゼ以外の人とお話ししたから、なんか新鮮で」

 

「あ〜らそぅ」


 フィーゼは目の前で微笑む主から、どこか悔しそうに目を逸らすのだった。

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