第1章-巡り会いて-

1-1

 ここは世界の西側を総べるクリミナード公国。風の神、イェティスの庇護の元にある国だ。その随一の名門校、クォディリオ王立学園。頭脳明晰な者たちが通うこの学園は、幼稚部から大学部までのエスカレーター式で、国中の貴族の子女が在学している。その高等部の入学式兼進学式がまさに今、これから行われようとしているのだ。



「ねぇ、進学生代表の挨拶って誰がされると思う?」


「またシンシア様じゃない?中等部の頃だってシンシア様がやったし」


「そうだね。中等部の頃もいつもシンシア様が学年首位の座を独占してたものね」


「いいじゃない。私たちはシンシア様に花を持たせてあげてる。いいことをしてるのだから」


「フフッ、そうね。おかげで面倒なことは全てシンシア様が引き受けてくださるし」



 学園の講堂にぞくぞくと生徒が集まりだし、生徒たちの会話で会場はざわついている。そんな周りの生徒達の声にそっと耳を傾ける1人の少女がいた。

 

 彼女の名前は、シンシア・ロゼ・ル・クリミナード。

 

 国民が公王様と称するこの国の領主、クリミナード公爵の一人娘で、学園の高等部1年に進学する16歳だ。純白の肌に、ターコイズブルーの美しい瞳で、髪は白にも近い淡い金髪のポニーテール。才色兼備な少女だ。 周りの生徒達が口々に言うように、常に成績は学年首位の秀才で、学力で彼女の右に出る者はいないほどである。


 そんな彼女だが、内心は穏やかではなかった。講堂の席に着いた途端、シンシアは人知れずプルプルと打ち震えていた。


「…。」


(ししし進学生代表の挨拶を私が…? え…、ぅえぇ?! いや何も聞いてない、よ? まぁ、中等部の時は確かにやったけど。でもあれはたまたま初等部からの進学試験の成績が良かったからで…。その奇跡が今回もってこと?ってことは、先生が挨拶のことを私に伝えそびれてた、とか?


 …ハハッ、まさか、ね。


 あぁ、ダメだ。何も思いつかない。今ココで挨拶文なんて、何も出てこない。この学園は幼稚部から大学部まであるから、周りもほぼ全員変わらない顔ぶれだし、今さら挨拶も何も…)


 シンシアは心の中でぶつぶつと呟きながら、頭をフル回転させながらも途方に暮れていた。


 …それから式は順調に進んで行き、



「新入生代表、挨拶」



 とうとうその時が来た。


「っ?!」


(どどどどうしよう…。お願い、どうか私の名前を呼ばないで———)


 シンシアは俯いて目を固く閉じ、祈るように両手を固く組んだ。



「新入生代表、 “ キーファン・ヘウン ”」



「はい」


 司会を務める教師に名前を呼ばれ、どこからか返事があった。


「…ぇ」


(ん?ぇ?…ダレ??)


 聞き慣れない名前に、シンシアの思考は止まる。それは講堂内の生徒たちも同じだった。


「誰?キーファン・ヘウンって。聞いたことないんだけど。」


「ヘウンって、どこの貴族の名前だろう?」


 などと一斉に周りがざわめき出す。


「そもそも何でシンシア様じゃないの?中等部の学年末試験はシンシア様がトップだったのに」


「っ…」


 グサッ‼︎


「まさかその後の進学試験で、シンシア様の成績を抜いたって言うの?」


「…。」


 グサグサッッ‼︎


「え〜ありえないでしょ。シンシア様は中等部でずーっとトップに君臨されてたんだから。進学試験だって相当難しかったし、並大抵の勉強をしたくらいじゃ———」


「…。」


 グサグサグサグサッ


(も、もうやめて…。もぅ何も言わないで…。惨めになるだけだから…、)


 周りから聞こえる囁き声がシンシアを闇のどん底に突き落としていく。


 そう、違ったのだ。

 今回、高等部入学式新入生の挨拶はシンシアではなかったのだ。


 シンシアは自分の名前が呼ばれなかったことにホッとはしたが、それと同時に伏せた顔を上げることはできなかった。名前を呼ばれなかったと言うことは同時に、今まで守り続けてきた学年首位の座を、明け渡してしまったと言うことも意味するのだから。


 シンシア自身、全く期待していなかったと言えば嘘になる。これまで学年首位の座を守り続けていた彼女だ。今回の試験も万全の体制で挑んでいたのだから。


 ざわざわと騒がしい声を切り裂くように、暗闇からライトが灯る壇上への通路を颯爽と進む男子生徒が1人いた。 そんな彼こそ進学試験をトップで通過したその人、キーファン・ヘウンだ。


 たまたま通路側に座っていたシンシアは、彼女の隣をキーファンが通り過ぎる瞬間、


「…。」


「…っ?!」


 ポンっと一瞬何かが頭に触れた気がして、シンシアはやっと慌てて頭を上げた。すると、


「…。」


「…ぇ、」


 ふと目に映ったキーファンがシンシアに微笑んだ、そんな気がした。とてもとても朗らかで優しい笑顔で。


「…。」


 それからだ。シンシアの目は、もう彼から視線を離せなくなってしまったのは。その時の彼女の頬は薄桃色に染まり、胸は確かに高鳴っていたのだった。


 壇上に上がったキーファンは、高身長で、容姿端麗、金色のキラキラした髪、素肌は純白で、そこにシンシアと同じターコイズブルーの右眼が見えた。 その姿はまるで女性と見まごうほどに美しく、ここにいる女子生徒、はたまた男子生徒までもが一目で釘付けとなり、あんなに騒いでいた大衆は一気に静まり返った。


 そして、皆の心の中でこう呟かせたのだ。



(綺麗…)



 と。それはシンシアも例外ではなかった。


 静まり返った会場で、ブレザーの内ポケットから封筒を取り出し、それを広げて粛々と挨拶文を読み上げていく彼。そしてまた、シンシアは思った。


「…。」


(この人、声も綺麗…。聞いててとても落ち着く。それに、何故だろう? とても、


 感じがする…)


 その時のシンシアには、自分が成績トップの座を彼に奪われたことなど、本当なら自分が彼の代わりにそこに立っているはずだと言うことなど、もはや1ミリも頭にはなかった。


「…。」


「…。」


(…あれ、こっち、見て、る…?)


 壇上の彼とやけに目が合うような、いや、まるでシンシアだけに向けて挨拶文を読み上げているかのように思えてしまうシンシア。


(いやいや、何考えてんの、落ち着け、私! 自意識過剰が過ぎるでしょ!気のせいだよ、気のせいっ!私だけじゃなくって、きっとここにいる女子全員が同じことを考えてるばず)


 シンシアは心の中で自分に言い聞かせながら、首を左右にぶんぶん振って慌てて彼から目を逸らすのだった。



————————



 式は無事に終わり、生徒たちはクラス表と成績順位表が張り出された掲示板に向かう。周りがクラスのメンバーに一喜一憂しているのをよそに、シンシアだけは一目散に成績順位表に目を向けた。そして、一番上の名前を見上げる。


 1位 キーファン・ヘウン 497点

 2位 シンシア・クリミナード 493点

 3位 フィーゼ・セライド —————

 

「500点満点中の、493点」


(あれだけ勉強したのに…。あともう少しだったのに…)


 シンシアは落胆のまましばらくの間その場に立ち尽くしていた。



“ あのシンシア様が、2?! ”


「っ…」


(あ〜、みたい、ですね…。)


“ 信じられない… ”


「…。」


(えぇ、そりゃもぅこの私が一番…)


 周りからはシンシアが学年首位から陥落したことが取り沙汰されている。その声にますます肩を落とすシンシア。そんな悲壮感漂う背中越しに、



「もしかしてあなたが、

  “ クリミナード公女殿下 ”、ですか?」



「っ———?!」


 どこからかそんな声が、あれほど騒がしい周りの喧騒の間を丁寧にすり抜けて、全く掻き消されることなく、真っ直ぐに彼女の耳に鮮明に届いた。


(だ、誰?私なんかに直接話しかけてくる変わり者さんは…)


 突然のことでシンシアはビクッと肩を大きく跳ねさせながら、心の中で呟く。そして懸命に平静を装いながら恐る恐る振り返る。 彼女の顔は剥き出しの警戒心で強張り倒していた。


「す、すみません、公女殿下。そんなに驚かせるつもりでは…」


 彼女の顔は思わず声をかけてしまったことを後悔してしまうほどで、声をかけたその人は戸惑った表情を浮かべる。


「いえ、私の方こそすみません。人に話しかけられるの、慣れてなくて…」


 シンシアは苦笑いで慌ててその人に謝罪したのだった。


 無理もない。シンシアは国の王の娘とあって、周りの人々からも距離を置かれており、ここ何年間も話しかけられることなど皆無と言っていいほど無かったのだ。おかげで彼女には友達と呼べる人物は誰1人としていない…。


「…ぁ、貴方は、さっき、講堂で挨拶してた人…?」


「ぇ?」


「あ、いや、すみません」


(あ〜私、なんて失礼な物言いを———)


 咄嗟に口をついて出た言葉に思わず頭を抱えるシンシア。


「フフッ。はい、おっしゃる通り、この僕が、先程講堂で新生の挨拶をした人、です」


 そう言って少しからかうように笑ったその人は、

 

「改めまして、キーファン・ヘウンと申します。シンシア・クリミナード公女殿下にご挨拶を申し上げます。お会いできて光栄です。以後お見知り置きを」


 深々とシンシアに丁寧に一礼していた。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


(よかった、笑って流してくれたみたい)


 シンシアはやっとホッとしながら、彼につられて一礼する。そんな彼女を見つめながら、


「…フフッ、可愛ぃ———」


 思わずポロッと溢すキーファン。


「ぇ?」


(今、何て…?)


 聞こえるか聞こえないかで消えた声に、思わず彼を見るシンシア。


「ぁ、いぇ。さて、教室へ移動しましょうか、


「ぇ?あぁ、はい…。あ、でも私、まだクラス表を確認していませ———」


「それなら僕と同じクラスでしたから、一緒に行きましょう」


「…っ、あぁ、はぃ。でも、場所は?」


「周りについて行けば自然と辿り着けるのでは、と」


「…あ〜、それもそうですね」


 シンシアはキーファンと周りを歩く生徒たちの中に紛れて、高等部の校舎の新しい教室へ向かうのだった。


「…。」


「…。」


 周りはざわざわと騒がしい中、この2人の間には沈黙が続く。そんな時、


「…ぁ、あの」


「っ!!」


 先に口を開いたのはキーファンで、シンシアはやはりちょっとビクッとしながら彼を見上げる。


「その…、お、お嬢様は———」


「ぁ、そんなかしこまらないでください


 “ 私は貴方のお嬢様ではありません ”


 だから———」


「っ…、ハハハッ、そ、それもそうですね」


 シンシアの言葉にキーファンは笑って返すものの、いざ公王の娘を前にしているからか、彼の言動にはどこかしら緊張が見える。


「では僕のことはへウン卿ではなく“ キーユ ”とお呼びくださいませ、公女殿下」


「っ、わかりました。それなら貴方こそ、公女殿下だなんてやめてください。で構いません」


「はぇ…?!」


(い、いきなり名前呼び、だと———?!)


 キーユの時間が一瞬止まる。そして再び動き出した頃には、胸がどんどん高鳴っていくのを一人感じているのだった。


「どうかされましたか?キーユ


「っ?!」


(ぇ、そして貴女は、さ、さん付け———?!

呼び捨てではなく?さん付けって…。ちょっと待ってください、公女殿下。貴女という人は、人には呼び捨てさせようとしといて、一体何が目的なんですか———?!)


 不意打ちのようにシンシアから自分の名前を呼ばれて、さらに胸を高鳴らせるキーユ。その頬はじわじわ赤くなっていく。


「で、では僕も、シンシア、と、お呼びしても?」


 キーユは必死に冷静を装いながら顔を逸らしながら話すのだった。


「はい、もちろ———」


「却下!」


「っ?!」


 シンシアが返事をする前に別の声が割って入った。


 2人が振り返ると、そこにはキーユと同じく色白長身で、髪は雪色のショートカットで、同じく雪色の瞳が美しい1人の少年がいた。


「ちょっ、フィーゼ?!」


「フィーゼ?」


 いきなり喧嘩腰の登場人物に、困惑するシンシアとキーユ。


「お前、何?ウチのに一体何の用?」


「え?」


(“ ウチの ” …?)


 フィーゼと呼ばれる雪色の少年の言葉に、思わず引っかかるキーユ。


「ちょっ、フィーゼ!口の利き方に気をつけてっていつも言ってるでしょう?

…ぇっと、キーユさん、ご紹介します。彼は私の従者のフィーゼ・セライド。キーユさんとも同級生なんですよ?」


「へ〜、そうですか…」


(“ 私の ” …)


 今度はシンシアの言葉に一瞬止まるキーユ。


「あ、ちなみにクラスも同じな!」


「左様ですか」


 すかさずドヤ顔で口を挟むフィーゼに、キーユは涼しい顔で冷静に返す。


「…。」


( “ フィーゼ ”。 雪導き、冬もたらす者、か。雪の色に似た彼の容姿にピッタリな名前だ…)


 キーユはフィーゼをじーっと見据えながら心の中で冷静に呟く。


「俺の顔に何か?」


「いえ、なにも。まるで雪が人の形を成したかのようだと思って」


「は?」


「君は雪のように綺麗だと言っているんですよ」


「なっ?!」


 スッと微笑むキーユに、フィーゼの背筋にゾワッと寒気が走る。


「よかったね、フィーゼ。綺麗だって!」


「ふざけんな!男に言われて何が嬉しい?」


 シンシアの呑気な言葉にフィーゼは思わずツッコむ。


「それでもう少し品が備わっているといいんですけどね。公女殿下の従者さん?」


「っ、にしてやろうか?!テメェ!」


 と、フィーゼはスッと手をキーユの方にかざす。すると、その手のひらには瞬時に氷の結晶が生成されていく。


「…。」


その光景にキーユはただ目を奪われる。


「フィーゼ、やめなさい。そう言う所だよ。キーユさんが言ってるのは」


「あぁ、いや、すまん…、じゃなくて! はぁ、お嬢は口を挟まないでくれ。調子が狂う…」


 キーユとフィーゼは言葉を数回交わしただけのはずだったが、2人の間には見えない火花がバチバチと飛び交っていることに、シンシアだけは気づいていない様子だった。


「あ、そういえばお前——、貴方にはご挨拶が遅れましたね。僕の名前は———」


「おい、今一瞬、って言わなかったか?」


「気のせいでは?」


訝しげに見るフィーゼを、フワッと笑って軽く受け流すキーユ。


「…、まぁいい。お前、キーファン・ヘウンってんだろ?確かさっき講堂で挨拶してたヤツ」


「えぇ、僕がその挨拶してたヤツです。フィーゼ様。以後お見知り置きを」


 キーユはなおもすました笑顔でフィーゼに答える。


「…。」


(あれ、このやりとり、どっかで聞いたような…)


 先程の自分とキーユとのやりとりのデジャビュを見ているようで、シンシアはまさか自分の従者も同じ発言をしていることに恥ずかしそうに顔を両手で覆っていた。


はやめろ。主が付けで、従者の俺が呼ばわりは、色々とよろしくない」


「そう言うことはよくわかっているのですね。安心しましたよ、“ フィーゼ ”。僕のことはキーユとお呼びください。貴方の名前は確か、さきほどの成績順位表の3に載っていたかと…。おめでとうございます」


「ハッ、そりゃどうも。別に呼び捨てじゃなく、は付けてもいいんだぞ?」


(ってか、1位のヤツにおめでとうなんて言われても、何にも嬉しくないんだが…)


 フィーゼはキッとキーユを睨みつけるのだった。


「ったく、中等部の時はお嬢と俺で1位2位を独占してたのに…、お前なんかがお嬢よりいい成績取るから!」


「フィーゼ、やめなさい…!」


(ってか、やめて、それ以上傷口えぐらないで———)


 シンシアは心の中でそう言いながら懸命にフィーゼを制する。


「ハハハ、恐れ入ります」


「嫌味かこのヤロウ。次の試験は絶対負けねぇかんな?!」


「フィーゼ!…すみません、我が従者が数々の無礼な物言いを…。後でしっかり言って聞かせますので」


「構いません。それだけフィーゼも今回の試験に尽力されたということでしょうし」


「ハッ…」


(ったく、コイツが言ってることは正しいのに、何かいちいちかんさわるんだが…)


 フィーゼはキーユから目を逸らしながら必死にイライラをやり過ごしていた。


「…と言ってる間に教室へ着きましたね」


「あ、ココなんですね」


 キーユはサッとドアを開け、シンシアを中へ通す。


「ありがとうございます」


「…どぉも」


「いぇ…」


 ついでにフィーゼも、それに乗じて得意気にスッと中へ入るのだった。



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